生物の部屋

人生すべて学習の対象だ

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生物の世界

生物の分類
バッタを倒しにアフリカへ バイオエアロゾルとは 藻類とは クジラの進化
海のプランクトン 人の細胞 オルガネラ 腸内細菌
光合成とは? 二重らせん 核酸とは コドンとは
DNAとRNA
ルイセンコ学説 キツネがペットになる日 ヨーロッパオオカミ
シアノバクテリア ミトコンドリア ネコ科動物の進化
脊椎動物 前口動物と後口動物 多細胞生物 襟鞭毛虫
線虫 浸透圧 色覚 脳と色覚
琥珀の中に史上最小の恐竜化石
眼の起源 眼の誕生 両生類 ハプログループ
ベリャーエフ キャメル・ロード 白雪姫と7人の小人達 「カッコウの森」
コロナに続くもう一つの危機 オオカミとの共存 ウィルスとの共存 『猿の惑星』
脂肪と筋肉 人類を悩ませた天然痘 ペストの歴史
血液 胸腺 白血球
脾臓 膵臓

生物の分類

生き物は大きく分けて動物と植物に2分される。これ今のお年寄りにとっては常識。でも、今の子供たちにとっては、キノコなどの菌類は動物にも植物にも入らない別のカテゴリー。これも今ではある程度常識。でも、実際には動物なのか植物などかわからない生き物沢山いて、生物の分類は結構ややこしい。数学のようにAかAでないかのように完全に2分される性質のものでないから当然人為的な線引きが必要だ。また、海藻などの藻類もいわゆる陸上植物とは全く別の分類。微生物に至ってはさらに分かりにくい。
現在では、生物の分類は
   ドメイン、界、門、綱、目、科、属、種、(亜種)
の8段階で行われるものとなっているそうだ。たとえば、ライオンは
真核生物ドメイン→動物界→脊椎動物門→哺乳綱→食肉目→ネコ科→ヒョウ属→ライオン
となる。同じように人の場合は、
真核生物ドメイン→動物界→脊椎動物門→哺乳綱→霊長目→ヒト科→ヒト属→ヒト
となるのか。ヒト科には、人間、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンが含まれている。
ちなみにライオンは、学名でPanthera leoとするのが正式名称。ラテン語で表記。前半が属の名前、後半が種の名前。パンテラは英語のパンサー。ヒョウだ。レオはライオンは分かるね。手塚修の漫画ジャングル大帝の主人公だ。
ライオン・レオ ネアンデルタール人はヒト属ヒト(ホモ・サピエンス)だ。種としては現生人類と同じだ。違いは亜種程度。人とチンパンジーは遺伝子の違いでは1.6%程度。生物の分類法から見ると人は決して特別な存在ではないことが明白だ。学名を考案したのはスェーデン人のリンネという人。ラテン語を使ったのは当時のヨーロッパ人としては各国公平にという理念からだろう。ラテン語は当時古語なので時代によって変化しない利点もあったのですが。今なら漢字を使えばもっと便利にできただろうに。
 リンネの時代は生物の見た目、形、もう少し進めば解剖学的な差などが分類の主な基準でとならざるを得なかったでしょうが、今は遺伝子解析が進み、どちらが先祖か、あるいは共通の先祖がいたかなどで、系統分類が主流だ。遺伝子を調べることで今まで分からなかったことがいろいろと明らかになりつつあります。例えば恐竜の一部が進化して鳥となったとか、哺乳類の先祖は恐竜とは別の爬虫類(単弓類)だったとか。ほかにも細かい分類ではもっとたくさんの例もあると思います。
実際、門から後は我々が過去の学んだ分類結果はそんなに変わっていないと思います。変わったのは菌類だけか。ちなみに
マツタケ;真核生物ドメイン→菌界Fungi→担子菌門→真正担子菌綱→ハラタケ目→キシメジ科→キシメジ属→マツタケ(種)
シイタケ;ハラタケ目→キシメジ科(もしくはホウライタケ科)→シイタケ属→シイタケ(種)
酵母(イースト);菌界Fungi→子嚢(しのう)菌門または担子菌門→後はいろいろな属のものがあるみたい。

ドメイン 界より上のドメインに至っては、もっとドラスチックな考えの変化がある。上で説明した生物はすべて真核生物ドメインの生き物だ。ということは、残りは細菌の仲間だ。ドメインは大きく3つ分かれる。真正細菌、古細菌、真核生物だ。真核生物だけがコラーゲンという物質で細胞同士をつなぎ合わせることに成功して、多細胞生物を形づくることに成功。真正細菌というのは聞くのも嫌な病原菌の仲間が多い。でも生き物の体の中で役に立っている細菌(腸内細菌等)も多いのであまり邪険にしてもいけない。この3つのドメインの中で今後最も注目されるのは古細菌である。古細菌は、温泉の硫黄に満ちた高温環境とか、極端に塩分が多く他の生物がすめない環境とか、深海の熱水鉱床の周りとか、今まで我々の住んでいる環境とは無縁の場所で細々を生命を維持している特殊な生き物と思われており、今まであまり研究の対象にはなっていなかった。古細菌の名前の通り、過去の遺物のように思われていたのだが、よく考えてみると彼らの住んでいる環境は、生命が生まれた当時の環境に近く、彼らの存在は、進化の脇道どころが進化のメインストリート。しかも、遺伝子的には、真正細菌よりも真核生物により近縁らしいといわれるようになってきている。古細菌のあるものが、真正細菌を捕食して、その遺伝子を取り込み真核生物が誕生したという仮説だ。生命の起源についてはまだまだ解明までの道は遠いみたいだが、ますます面白くなりそうですね。

地球の歴史・生命の歴史
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【追記】

ネアンデルタール人は、氷河時代にほぼヨーロッパ全域で生息していたようだ。アジアでは、これに変わるものとしてデニソワ人などが発見されているがまだ詳しいことは分かっていないようだ。一見環境にも適応し、遺伝子的にも現生人類として知られるクロマニヨン人と変わらないのに、何故後からやってきた少数派のクロマニヨン人たちに取って代わられたのか、詳細な点はいまだに謎に包まれている。
ネアンデスタール人  また、アジアではもっと早い時期に北京原人やジャワ原人などの化石も発見されているが、その後どうなってしまったのでしょうか。 ネアンデルタール人;真核生物ドメイン→動物界→脊椎動物門→哺乳綱→霊長目→ヒト科→ヒト属→種;ホモ・サピエンス→亜種;ホモ・サピエンス・ネアンデルタレンシス ネアンデルタール人の遺伝子は少しだが現代人にも受け継がれていて同じ人類として多少の交配もあったようです。一方、北京原人やジャワ原人は種がホモ・エレクトス・エレクトスになっている。

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生物の世界

バッタを倒しにアフリカへ

バッタ博士がバッタの論文を書くため単身アフリカへ。そこでは壮絶な世界が待ち受けていたが、3年後には人間的も大成長を遂げ押しも押されぬ虫博士としての地位を獲得する成功物語。ノンフィクション科学冒険談で著者・前野ウルド浩太郎さん自身の体験談。
まず、先ずは前野博士が単身アフリカに渡るキッカケから。日本では大学院で博士号を取得したのち数年間、自分で職を見つけて働く口を探さねばならない。昔なら大学院を卒業後、大学の助手になる道もあったが、現在では博士の数が多くなり、国の研究機関や大学には収まりきれない。一般の企業では、博士の需要は学問分野にもよるだろうがそんなに多くないので、一般の企業に入ることは学問への道をあきらめることに通じる。このことは「ポスドク」問題として知られているようだ。欧米諸国では、博士たちを有効に活用する社会システムが整っているが、日本は、その面で大幅に遅れているようだ。
前野博士は、子供時代に読んだ「ファーブルの昆虫記」にあこがれ虫一筋に研究してきた人。アフリカ行を決心したのもユニークな論文を書き就職の審査に通ること。ここで論文が書けなければ研究者への道を断念しないといけないと決死の覚悟のアフリカ行き。
サバクトビバッタ ところで博士の研究テーマは、昆虫の中のバッタ、そのバッタの中でも「サバクトビバッタ」。ほとんどこれ一筋。このバッタは古代から「神の罰」と言われるほど恐れられており、数年に一度大発生して農作物から草木の葉までおよそ緑のものをことごとく食い尽くす恐ろしい代物(しろもの)です。蝗害(こうがい)という言葉もあり、中国にもあったのか。このバッタは2つの形態を持ち、常時は孤独相という形で比較的おとなしく棲息しているのに、密生して発生すると群生相言う形態に変化する。はじめはこの二つは全く別の種と思われていたのだが、1921年ロシアの昆虫学者が、棲息密度が混み合うと相変異することを突き止めたという。左の写真では、上が孤独相で保護色の緑色をしているが下は黒っぽい色になっている。本来は同じ種のバッタだ。
因みに、バッタとイナゴは相変異(そうへんい)するか否かで区別するのが国際的ルールらしい。相変異するのがバッタ(Locust)、しないのがイナゴ(Grasshopper)だそうだ。となると、日本のショウリョウバッタ、オンブバッタなどは相変異しないのでイナゴの仲間となる。サバクトビバッタの研究は、日本ではあまり知られていないが、ヨーロッパ諸国では相当な研究がおこなわれている。しかし、ほとんどは室内研究で現地調査はあまり行われていないらしいということが着目点。しかし、それでだけ困難もあるというわけ。
そこで博士が選んだ国、サハラ砂漠の最西端の国モーリタニア。英語の通じない国で、公用語のアラビア語もフランス語も分からないまま入国する。当然失敗の連続、また、期待したバッタの大発生も無い(コンなこと期待してはいけないね)。とうとう準備した資金も枯渇した時に、自分自身を相変異をすることを決める。論文を一時棚上げし、広報活動を始めるのだ。国内のサポーターに広くアピールする。子供たちはもちろん大人でもバッタが大好きな人沢山いるんですね。これが大成功し、なんとか研究を続けることができ、日本での研究者の地位も確保する。でも、ここまで来るまでに本当に沢山の人々の支援があったんですね。特に、最後まで暖かく支援を惜しまなかった、モーリタニア国の研究所ババ所長さんの功績は感動ものです。ウルドの称号はババ所長が前野氏が現地で活動しやすいように与えたものだそうです。バッタの駆除は、日本の外務省もモーリタニア国との外交上の重要テーマと認めてくれたようです。さらなる前進が期待出来ますね。
【バッタを倒しにアフリカへ;前野ウルド浩太郎著、光文社新書】
ショウリョウバッタ オンブバッタオンブバッタ

【追記1】
専門家というものどうしても視野が狭くなりがち、研究者というものだって社会の一員としてやっている以上、自分の研究を社会に役立ててもらわないと存在価値がない。出世競争だけに目がくらむと何処かで行き詰る。前野博士も自らの相変異を見事に成し遂げ、日本を代表する立派な学者に成長したですね。相変異をした後のこれを支えてくれた人たちの活躍も大したもの。でも、研究の目的はトビバッタの大発生の仕組みの研究、なんとか食い止めたい現地の人々の心と裏腹に、大発生を心待ちしているのは頂けない気もしますね。
【追記2】
相変異があるのはバッタだけだろうか。進化の歴史の中の秘密として他の生物、もちろん人間も含めて組込まれているのでは無いか。人の心にも「個人相」と「大衆相」があるぞ。個人相の時の人間は、個性を互いに尊重し、自由を愛し、色々なことを自分の頭で理解しようとするが、大衆相の人間は「一致団結」とか「一億〇〇」等の威勢の良い掛け声や、国やマスコミの強いリーダーシップを求め、自分の頭で考えることを嫌い他人の出来合いの意見を尊重し、社会の他の構成員にもそれを強要する(本当は自分が洗脳されていることに気がつかない)ようになる。経済が停滞し、社会が不安なるとファシズム(集団主義)が台頭してくるのは、こうした理由がありそうだ。人の場合「大衆相」は、往々にして自滅への道を取ることが多いので、気を付けて社会を観察してください。
【追記3】
恐れていたことが現実になってしまいました。砂漠飛びバッタが異常発生したのです。国連も維持う事態宣言。でも、日本のマスコミはコロナウィルス一辺倒で全く取りあげられていません。 (2020.3.8)
砂漠飛びバッタ

地球の歴史・生命の歴史
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藻類とは

藻類(そうるい)
みなさんは「藻(も)」と聞くと何を想像しますか? 川底で揺れる川藻のたぐい、あるいは水槽に入れる小さな水藻かもしれません。しかし、藻の仲間は私たちが想像する以上に多彩です。単細胞のクロレラみたいな小さいものも、昆布やワカメみたいな大きな海藻もも全部藻類です。
生物系統樹 つまり、藻類とは光合成をする生物からコケ植物、シダ植物、種子植物(裸子植物、被子植物)を除いた生物全部。つまり、分類学から言えばその他大勢。だから、藻類という言葉の中には極めて多種多様な生き物が含まれていた訳です。
昔は生物と言えば、動物と植物との2分法。動物は自分で動き回り(動けないものもいるのに)従属栄養で、植物は光合成を行う独立栄養だ。でも、遺伝子解析が進み系統分類法が整理されてくると、全く異なった生物の進化系統が見えてきました。今小学校では、キノコなどの菌類は動物でも植物でもない全く別のグループとされています。そのうち藻類も植物ではないと、仲間外れになりそうです。それじゃーあんたは何なのさ?
最近注目されている、「ミドリムシ(ユーグレナ)」は、緑色の色素を持ち光合成を行うのに、2本の鞭毛をもって泳ぎ回る。「あなたは一体動物なの植物なの。」、実際は、今まで想定されていた動物でも植物で菌類でもない。最近の系統図を見て下さい。
生物系統樹 この図で気がつくのは、動物も陸上植物も菌類も多種多様な生物の中のほんの一部です。残りの大部分がいわゆる「藻類」ということでしょう。大型の海藻や淡水藻を除けば大部分は単細胞生物です。
ここでもう一度、生物の進化を復習して見ましょう。地球上で最初に現れるのが古細菌の仲間。その後真正細菌が登場し、その中で藍藻(シアノバクテリア)が酸素放出する型の光合成を開始します。酸素は当時の他の生命にとっては猛烈に有毒。古細菌の一部は、真正細菌を自分の体の中に取り込むことで共生を図ります。このようにして真核生物が誕生したと言われています。でも、真核生物も単細胞の方が多いんです。この合体の仕方は色々な方法が試行錯誤されたようで、その結果多種多様な生物が存在しているようです。

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バイオエアロゾルとは

エアロゾルとは大気中に漂う微粒子のこと。一般にはこれら微小な砂粒のような鉱物粒子のように考えられてきたが、実際にはこれらの微粒子にはカビや菌類の胞子など生命由来のものも多く含まれているという。地球の生命は地上や海水中だけでなく、大深度の地下や超深海等今までの想定を超えて広がっていることが分かってきている。大気中にも色々な微生物が存在しており、地球環境にも多大な影響を与えている可能性があるというので驚きだ。
地上に降る雨は、上空で微小なエアロゾルを核として水滴や氷の粒を形成して雲を造り、これが雨や雪を降らす基となっていることは分かっている。しかし、雲ができる詳細なメカニズムはまだ解明されていないのだそうだ。以下の話はNHKのサイエンスZEROで紹介された話。こういうまじめな研究にはもっと注目が集まってもいいと思うのですが。
【世界屈指の空飛ぶ微生物ハンター】
冒頭の画面。6月末。梅雨時のジメジメした森の中に、その研究者はいた。落ち葉の中から見つけた小さなキノコをつまむと、茶色い粉が吹き出した。「これや!バイオエアロゾルや!」。お目当ては、きのこそのものではなく、吹き出す粉、胞子。「キノコの胞子が空に浮かび、雨を降らしているかもしれないんです。」
胞子を見ながらうれしそうにそう説明してくれたのは、金沢大学の牧輝弥さん。キノコの胞子のような、微生物の研究を行っている。この研究が将来天気予報にも大いに活躍するかもしれないのだ。バイオエアロゾルとは、空気中を漂う微生物やその死骸、体の一部など、生き物に由来する小さな粒子のこと。特に胞子と呼ばれる微小粒子が大きな役割を持っているようだ。
サンプルテスト 金沢大学の研究室を訪ねると、薄暗い部屋の片隅にあった大量の容器を見せてくれた。中には、黒や白、ピンク色の綿のようなものが。これらはすべて、牧さんが空気中から採取したバイオエアロゾル。カビやキノコの胞子などの真菌や、バクテリアといった、微生物だ。
もともと水中の微生物で、環境や健康への影響を調べていた牧さん。バイオエアロゾルとの出会いは、10年前におこなった黄砂の観測。「栄養が少なく、微生物はほとんどいないとされていた上空でとった黄砂の砂粒に、微生物がいたんです。それが衝撃的で、不思議で、調べてみたいと思いました。」。以来、気球やヘリコプターまで使って、400種類以上ものバイオエアロゾルを集めてきた牧さんは、世界屈指の「空の微生物学者」だ。牧さんがとらえた微生物の中には、なんと納豆菌も。地元の業者と協力して、実際に納豆を作り販売もしているというから驚きだ。上空3000mで取った菌で作ったからか、空のようにさわやかで、クセのない味になり、好評だとか。「さわやか納豆」ですか、売れるかもね。
最近、アフリカのサハラ砂漠から地球を半周して飛んでくる砂塵がアマゾンの熱帯雨林の栄養になっているなんて言う研究もあるようだ。

しかし、空に漂う微生物が、天気とどんな関係があるのだろうか。なぜ雨が降るのか-身近な雲のナゾ解明に一歩前進!?私たちは、牧さんの実験を見せてもらうことにした。牧さんが持ってきたのは、バイオエアロゾルを入れた液体。これを、冷却装置で少しずつ冷やしながら、凍るのを観察するという。「-4℃から始めよう...-5℃、-6℃...-8℃。だめか」。気にしているのは、凍る温度。これこそが、天気との関係を示す手がかりだ。私たちの頭の上に浮かぶ雲。あの雲が、どうやってできるのか。実はその問いには、科学者たちもまだ完全には答えられない。そもそも、白く見えている雲は、水蒸気が集まった「水の粒」と「氷の粒」の集まり。これらに重要なのが、バイオエアロゾルのような空気に浮かぶ微粒子だ。微粒子のまわりに水蒸気が集まり氷になると、蒸発しにくくなり粒として存在できるようになるからだ。つまり、均一な空気で微粒子がなければ雲が生成されず、雨が降らないということだ。
【犯人を絞り込め】
雲のできる高さ しかし、この雲の粒を作る微粒子には、大きなナゾがある。砂の粒など無機物の微粒子は、-15℃という低温で、氷の粒を作ることがわかっている。ところが、空気の温度が-15℃よりも高い場所でも、雲は発生しているのだ。-15℃の気温はかなり上空だけど、実際の雨雲はもっと高温の低いところで発生している。ではいったい、鉱物よりも高い温度で凍り、雨を降らせる雲の粒になっているのはいったい何なのか。その候補となっているのが、バイオエアロゾルだ。地上では、すでにおよそ-5℃で凍る微生物が見つかっている。牧さんは、空にもそうした、-15℃よりも高い温度で凍る微生物がいるはずで、それこそが雲を作り、雨を降らせていると考えている。もしこれが突き止められれば、気象予測をより正確にするために必要な、雲のメカニズムが解き明かせることになる。
今回の実験では、幸運にも、牧さんも驚きの発見に立ち会うことができた。「うわ、もう凍り始めた!こいつ、ホンモノですよ」冷却装置の示す温度は、なんと-7℃。能登半島の上空3000mで採取したものだった。その後、温度や湿度などを、より空の環境に近い状態にして再度実験。それでもやはり、-15℃よりも高い温度が示された。「もしかしたらこれが、上空で雲を作るのに働いていたかもしれないです」。雨を降らすバイオエアロゾルの候補の手がかりをつかんだ牧さん。さらに詳しい正体を、DNAから調べていく予定だ。
【不思議な"糸"が示す バイオエアロゾルの発生源】
牧さんは並行して、バイオエアロゾルがどこから来るのか、明らかにしようとしている。雨を降らせるバイオエアロゾルが、どこから来て、どこにどのくらい飛んでいくのか分かれば、どこに雨が降るのか、どのくらい降るのか、予測が可能になるかもしれないからだ。
茨城県の筑波実験植物園で行われた調査に同行した。今回、バイオエアロゾルの採取を行ったのは、森林内の地上付近と、そこに面した、上空約20mの建物の屋上、そしてヘリで向かった、森の上空500m。3つの高度でとれたバイオエアロゾルに、手がかりがないか探そうというものだ。3日間にわたる調査で採取したサンプルを、顕微鏡で観察した牧さん。ここでも驚きの、新たな発見があった。「なんじゃこりゃ。こんなもんとれてますよ。いままで見たことないやつが」
菌糸 そこに映っていたのは、小さな青白い粒から出た、細長い糸のようなもの。菌の体の一部、菌糸だ。上空500mのサンプルで見つけた菌糸。なんと、上空約20m、そして地上でも、似た形の菌糸が取れていた。「森の中の、菌糸を伸ばした微生物が飛んでいるんです。確実ですよ」。3つの高さで同じ種類と思われる微生物が見つかったということ、それは地上から、少なくとも上空500mまでは、空に向かって微生物が飛んでいる可能性があるということだ。
今回、「雲となり雨を降らせるバイオエアロゾル」、「バイオエアロゾルの発生源」、この二つを明らかにする大きな手がかりを見つけた牧さん。これからおこなわれるという、より詳しい分析で、さらに雨を降らせるバイオエアロゾルの正体に近づけると考えている。 「あまたいる微生物の、ほんの一部分を調べたに過ぎません。きっと世界にもまれに見る成果が上がってくると信じています。」
微生物学者の、気象の謎への挑戦はまだまだ続く。牧さんの研究が、私たちの生活を変える日が来るのが楽しみだ。
なお、森の中の微生物は、森の中の薄暗く湿った環境が大好きだ。菌糸を飛ばせて雨を降らせることで森の環境を向上させ子孫の繁栄を図っているとしたら。生命の環境への適応力は大変なものだ。地球の歴史を見れば分かる通り、生命は環境に適応するだけでなく環境を作り変える役割も果たしているのです。

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クジラの進化

クジラは変わった哺乳類だ。昔は、魚の仲間としていた人たちも多かったようだ。でも、古代ギリシャのアリストテレスはその著書『動物の発生』の中で、クジラ類は鰓呼吸ではなく空気呼吸(潮吹き)をすること、クジラ類は胎生であり授乳をすることなどから、人類や陸上哺乳類とともにクジラ類を胎生動物(現在の哺乳類に相当)という分類群にチャンと収めている。

哺乳類のご先祖は、古生代に一部の魚が陸上に進出して、両生類、爬虫類と進化して、陸上に適応して来たのに、クジラ類は4足歩行する哺乳類を先祖として、淡水の浅瀬から深海へと全く逆の進化をして、海の生態系の頂点に登りついたわけだ。しかし、クジラ類の起源と進化史は哺乳類進化史上の大きな謎とされてきて、最近ようやくその進化の道筋が分かりかけてきたらしい。

菌糸 6500万年前に、恐竜を始め、海の生物たちも大絶滅。インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突する少し前、その間にはテチス海という海があった。1980年代以降、その周辺の地域(パキスタン等)からさまざまな進化段階のクジラ類の化石が見つかり、初期のクジラ類の進化史が解明されたということらしい。その結果、クジラ類の祖先は陸生の原始的な”偶蹄類”であること、クジラ類に最も近縁な陸上哺乳類はカバであること、分岐分類学ではクジラ類は”偶蹄類”の中の一系統に過ぎないことが判明した。だから、現在はかつての偶蹄類とクジラ類のすべてを包括した概念として、鯨偶蹄類という分類名を用いる必要があるらしいが、クジラとラクダではあまりにも外見が異なるので同じ分類に属すると言われても面喰いますね。
クジラの祖先たちの復元図を示します。興味深いのは、最初期の有蹄動物の祖先は少なくとも一部が肉食ないし腐食性であったらしいこと。彼らから分化した"偶蹄類"や奇蹄目はその後の進化の過程の中で完全な植物食動物へと変貌を遂げ、本来の肉食動物的特徴を失う。対照的に、現在でもクジラ類は肉食動物(プランクトン食、魚食性のものも含む)であり、肉食動物としての特徴を多く残している。これは、クジラ類が海中で恒温動物として生きていくためには、栄養価の高い動物質の餌のほうが好都合であるためと考えられている。陸上でのクジラの先祖たちは、それほど目立って巨大な存在ではないのに、現在では史上最大の動物として巨大化の進化をとげ、海生動物として大成功を遂げた種と言えそうだ。その進化の速度は、著しく速い。当然環境への適応の結果であるので、何がこのような進化を生み出したの地球環境との関係を調べることが大切なことだ。
生物の世界

海のプランクトン

陸上の植物は大きな木や、地表を一面に覆う草たちで、淡水に棲む単細胞の藻などは極めてわき役的な存在でしかない。実際、我々が発生するCO2の半分はこれらの大きな植物に吸収されているようだ。では残りの半分は?こちらの半分は海で吸収されているという。 キートケロス属 海の主役は?海は地表の3/4を占める。しかし、光合成は海の表面でしか行えない。まあ、これは陸地でも同じ。海は平均では、深さ3000m程度あるが、太陽光が届くのはせいぜい200m程度まで。光合成を行う、一次生産者と言われる植物プランクトンは、単細胞のまま進化し、海面を浮遊する道を選択したということだ。光の届かない深海では、背の高い昆布もワカメも育たない。海面を漂う小さなプランクトン(たいていは単細胞)だけが生存可能だ。海での生物の進化を解明していくためには、どうも単細胞の藻類たちを研究していくことが大事なようだ。ところが、藻類に関する我々に知識は異常に乏しい。
キートケロス属 藻類とは、
藻類とはで示したように。藻類とは何かについてもまだ解明が済んだわけではない。進化の系統図を見てもらえば分かるように、藻類の分類は陸上の植物や動物達とは全く異なった進化を歩んで来たらしい。  海と陸をつなぐ進化論(講談社Blue Back;著者=須藤斎)は面白い視点を提供してくれている。著者は、珪藻の研究をしているかた。そもそも珪藻とは何か。珪藻とはいわゆる単細胞の植物プランクトンで、海の光合成を担っている3大生物(珪藻、円柱藻、渦鞭毛藻)の一つ。海底の堆積物をボーリングしてサンプルを取り出し、顕微鏡でその種類や数、変遷を調べるのが彼の日課のようだ。彼の専門の珪藻も小さな生物だ。0.01~0.03mmぐらい。それでも珪酸(シリカ)でできた硬い殻を有していて、殻の形も実に複雑。珪藻は、上にあげた藻類の分類ではストラメノパイル (Stramenopiles)と言うところに位置している。と言っても良く分からない。この珪藻の一種で、キートケロス属と言う仲間がいる。この珪藻とクジラが共進化してきたというのが須藤氏のスケールの大きな仮説だ。 生物の進化は地球環境の変化に応じて変化する。特にプレートの移動による大陸の移動は地球環境に大きな影響を与える。新生代に入って地球は寒冷化する。南極北極が氷に覆われる。海流の循環が変化する。キートケロス属という珪藻は、休眠胞子と言うものを作って、深海底の底で数か月~数年眠っていることが可能な種だ。こんなことが可能な藻類は他にない。だからこの時代、時折生じる湧昇流にのって、表層に上がって来て爆発的に発生する。この時深層の養分も同時に巻き上げられる。するとこれを餌にするオキアミ等の動物プランクトンも大発生。結果としてクジラ類も急に進化した。珪藻(キートケロス属)の繁栄がクジラ類を繁栄させた可能性がある。
オキアミ 一方、陸に目を移すと大森林がなくなり草地が増える。草地で特に進化したのがイネ科の植物。イネ科の植物は体に珪酸(シリカ)を蓄える。もともとシリカは地中に沢山ある。この硬くて食べにくい草を食べることで進化したのが、牛と馬とか。これらの植物の遺体や動物の糞などが大量に海に流れ込む。珪藻は自分の殻をシリカから作らねばならない。結果として珪藻類が繁栄したのかも。人類だってイネ科の植物(小麦、稲、トウモロコシ)のおかげで発展したのだから、そのもとは大陸の移動だったという壮大な話。でも、この話かなり真実味があるでしょう。そういう仮説が無いと何故、クジラがかくも急激に形を変えて繁栄したのかが説明がつかないでしょう。風が吹けば桶屋が儲かるという例えに似てなくもないが、今後裏付けとなる証拠が揃って来れば定説となるかもしれませんね。

生物の世界

人の細胞

ヒトの成体は約37兆2000億個(37.2×1012)の細胞から出来ている。ということは細胞の数から1を引いた数の細胞分裂が行われてきたことになる。最初の受精した卵子は1つの細胞。それが2つ、4つ、8つと分割し、最終的にこの驚異的な数に到達する。 人生を60年として単純な割り算を試みてみよう。
  37.2×1012個÷60年÷365日/年÷24時間/日÷60分/時÷60秒/分=19,660個/秒
つまり、平均すると毎秒約2万個の細胞が休みなく分裂を続けていることになる。でも、この仮定はあり得ない。細胞は、分裂した直後は重さは半分になるはずであるが、すぐに栄養を取り入れて元との大きさに戻るだろう。細胞が幾何級数的な増えていくなら、60歳の人は59歳の人よりも2倍ぐらい大きくならないとつじつまが合わないから。
だから、細胞分裂は人が若い時、特に幼児の段階で、イッキに進み、人生の後半での細胞の数はほぼ一定なのでしょう。また、細胞は分裂する度に数が増えるとすると、それに見合った細胞の死も考えないといけないでしょう。
では、次の細胞が倍々ゲームのように一回の分裂ごとに2倍に増えると考えるとどうなるでしょうか。初めの受精卵の時は、1個(20=1)の細胞です。何回分裂すれば成体の細胞数になるのでしょうか。
  2n=37.2×1012を満たすnを求めるといいですね。こういう時は対数を使うといいんですね。関数電卓が必要ですが、対数には底が10の常用対数と、底e(オイラー数)の自然対数があるので間違えないで下さい。
   n log102= log10(37.2)+12、   ここで、log102=0.30103、 log1037.2=1.571
これからnを求めると、細胞分裂の回数は45回となる。受精してから、45回分裂すれば、成人の細胞の数になる。実際、245=35兆個。つまり、1日1回の速度で分裂を続ければたった45日程度で成体の大きさまで成長できる。そう考えると、そんなに難しいことでもあなさそうだ。そう考えると細胞の数が約40兆個存在することは脅威でもなんでもないことだ。
この大きな数に関しては、有名な笑い話がある。曽呂利新左エ門という豊臣秀吉のお傍衆が、何かの理由で秀吉に褒められて褒美をもらうことになった。「そちに褒美を取らせよう。何なりと申して見よ。」「はい、米粒を頂きたく。最初の日は一粒、次の日は二粒、三日目には四粒、…」、「ほう、米粒か。そちは、欲が無いのう。」、結果はもうお分かりの通り、45日目には約40兆粒の量。米粒は細胞と比べるとかなり大きいので、大変な量になるんでしょうね。
しかし、細胞はいくら分裂しても単なる細胞の集まり。どこかで役割分担をして組織を作らなければ何の意味もありません。発生の初期の細胞はES細胞などと言って、何にでも成れる能力がある代り、役割も決まっていない。どこかで心臓になったり、目になったりしないと役に立たない。更に、最初の生物は皆、単細胞生物であったことは分かっている。それも地球の歴史の中ではほとんどの時間生物は単細胞の生き物として進化してきている。単細胞の生き物はそれ自体で完結した生き物で、摂食、排泄、呼吸と言った、働きを独立して行うことが可能だ。それを何故、単細胞生物が集まって多細胞生物が生じたのか。多細胞の各々細胞は大抵単機能で他の細胞の助けが無いと生きていけないリスキーな存在だ。多細胞生物の細胞がどのような仕組みで分業をなすようになったのか、まだまだ生物の世界は謎が多い。

生物の世界

オルガネラ

核、ミトコンドリアや葉緑体のようにそれ自身でゲノムDNAを持つものや、ゴルジ体、小胞体、リゾソーム、ペルオキシゾーム、液胞のように膜構造を持つもの。これらは細胞小器官(organelle、オルガネラ)と総称されている。細胞内で別の生体膜で囲まれた構造体なので、いわば細胞内の独立王国みたいな感じか。
特にミトコンドリアは、独自の遺伝構造を持ち、生物進化の過程や種の拡散・分岐において注目されている。例えばヒトではミトコンドリア・イブのような共通祖先も想定された。ミトコンドリアと葉緑体に関しては、元来別の細胞が細胞内共生し一つの細胞になったとする細胞内共生説が有力視されている。
ミトコンドリアも葉緑体もそれぞれ2重膜で取り囲まれ独自の遺伝子を持っており、あたかも普通の細胞のように細胞の中で分裂を繰り返す。ただ、この分裂は完全に細胞核の指令に従っているらしい。ミトコンドリアや葉緑体の本来の遺伝子の多くは既に細胞本体の核の遺伝子に取りこまれてしまっており、元は別の微生物であったかもしれないが現在は細胞の外に出ては生きて行けなように進化した。
細胞小器官
上の図の説明→①核小体(仁)、②細胞核、③リボソーム、④小胞、⑤粗面小胞体、⑥ ゴルジ体、⑦微小管、⑧滑面小胞体、⑨ミトコンドリア、⑩液胞、⑪細胞質基質、⑫リソソーム、⑬中心体
これは動物の細胞の典型例らしい。植物細胞はこれに葉緑体と丈夫な細胞膜が加わる。細胞の仕組みは、多細胞生物の本体よりもかなり複雑な構造をしていることが分かる。多細胞化というものも、細胞間の役割を分担して少しでも個々の細胞の仕事を軽減する方向の進化だったのかもしれない。単純な生物→複雑で高等な生物、この考えも見直した方が良さそうだ。
*核小体(仁)① 細胞核の中で更に中心的な部分みたいだ。真核生物の細胞核の中に存在する、分子密度の高い領域で、rRNAの転写やリボソームの構築が行われる場所。一般に光学顕微鏡で観察できる。直径1〜3μm程度。仁、核仁とも言われる。生体膜によって明確に区分される構造ではない。成長期の細胞や活発に機能する細胞でよく発達する。細胞周期の進行する中で前期には消失して核分裂に備え、rDNAからの転写とともに再形成される。
*ゴルジ体⑥
ゴルジ体( Golgi body)は、真核生物の細胞にみられる細胞小器官の1つ。発見者のカミッロ・ゴルジ(Camillo Golgi)の名前をとってつけられた。へん平な袋状の膜構造が重なっており、細胞外へ分泌されるタンパク質の糖鎖修飾や、リボソームを構成するタンパク質のプロセシングに機能するとされる。大事な役割を果たしているようだがよく分からないね。
細胞小器官
バクテリアが真核細胞の先祖に取りこまれる際、そのバクテリアの膜と真核細胞の窪んだ際の膜の2つの膜でバクテリアは囲まれる。つまり2重膜構造になる。実際にミトコンドリアや葉緑体が2重膜構造となっているのはこのように取りこまれたことを示唆していると考えられている。

【プロテオバクテリア】
このバクテリアが注目されているのは、これがミトコンドリアの先祖ではないかと疑われているためだ。プロテオバクテリア門(Proteobacteria)は細菌の門の一つ。光栄養、化学栄養、独立栄養、従属栄養、好気呼吸、嫌気呼吸、発酵など様々な代謝様式をもつ菌種が含まれ、炭素・窒素固定に関わるものや、自然界の物質循環に関わる多くの自由生活性のものが含まれる。また、大腸菌、サルモネラ、ビブリオ、ヘリコバクターなど多種多様な病原体が含まれている。また、この分類群は、他の細菌の分類群と同様に基本的にはrRNA配列によって定義されている。その多様性から、ギリシャ神話で姿を変幻自在に変える神プロテウスにちなんで名付けられたという。
一方、葉緑体の起源はご存知、シアノバクテリア。どちらにしても原核生物から真核生物が生まれた道のりの解析はまだまだ大変だ。多細胞生物の進化と比べてこちらの進化の方が遥かに長い年月を要していることを忘れてはならない。

生物の世界

腸内細菌

腸内細菌とは、ヒトや動物の腸の内部に生息している細菌。ヒトでは約3万種類、100兆-1000兆個が生息し、1.5kg-2kgの重量に。彼等が持っている遺伝子の数は膨大。 ヒトをはじめ哺乳動物は、母親の胎内にいる間は、基本的に他の微生物が存在しない無菌の状態。生後3-4時間後には、外の環境と接触することによって、あるものは食餌を介して、あるものは母親などの近親者との接触で、あるものは出産時に産道で感染することによって、さまざまな経路で微生物が感染し、その微生物の一部は体表面、口腔内、消化管内、鼻腔内、泌尿生殖器などに定着して、その部位における常在性の微生物になる。一部の原生動物や古細菌を除き、その多くは真正細菌である。一般には常在細菌と総称される。このうち消化管の下部にあたる、腸管内の常在細菌が腸内細菌である。腸の内面を広げるとテニスコート1面分にも相当しさながら花畑のように細菌類が生息していることから「腸内フローラ」とも呼ばれる。1960年頃までは腸内には大腸菌しか認識されていなかったが、今日ではこうした考えが一般化した。極めて複雑な生態系が構成されている訳だ。

腸内環境は嫌気性。腸内細菌の99%以上が嫌気性生物であり、偏性嫌気性菌(酸素があると生きてゆけない)に属している。これらの腸内細菌の代謝反応は還元反応が主体(無酸素状態のだから)であり、また種々の分解反応が特徴的となっている。嫌気呼吸の種類には、嫌気的解糖、硝酸塩呼吸、硫酸塩呼吸、炭酸塩呼吸などがあり、基質を還元することによって代謝に必要な電子を得ており、例えば、硝酸塩から亜硝酸塩を、硫酸塩から硫化水素を、炭酸からメタンを生成するらしい。

腸内細菌叢を構成している腸内細菌は、互いに共生しているだけでなく、宿主であるヒトや動物とも共生関係にある。宿主が摂取した食餌に含まれる栄養分を主な栄養源として発酵することで増殖し、同時にさまざまな代謝物を産生する。腸内細菌が発酵によって作り出したガスや悪臭成分がおならの一部になる。腸内細菌は、草食動物やヒトのような雑食動物において食物繊維を構成する難分解性多糖類を短鎖脂肪酸に転換して宿主にエネルギー源を供給したり、外部から侵入した病原細菌が腸内で増殖するのを防止する感染防御の役割を果たすなど、宿主の恒常性維持に役立っている。しかし、腸管以外の場所に感染した場合や、抗生物質の使用によって腸内細菌叢のバランスが崩れた場合には病気の原因にもなる。また、後述に示すような生理作用があるため、腸内細菌間のバランスを崩すと脳をはじめ、心臓、関節など一見腸とは関わりがなさそうに見えるあらゆる部位の病気に発展する可能性を持っており、寿命にも大きな影響を及ぼす。つまりヒトが生きて行く上でも重要な役割を果たしていると言える。

糞便のうち、約半分が腸内細菌またはその死骸であると言われている。宿主であるヒトや動物が摂取した栄養分の一部を利用して活動し、他の種類の腸内細菌との間で数のバランスを保ちながら、一種の生態系(腸内細菌叢、腸内常在微生物叢、腸内フローラ)を形成している。腸内細菌類が「縄張り」を主張し、侵入してきた新しい菌に対しては腸内フローラを形成している細菌類が攻撃を加える。このため病原菌などは通常駆逐され、病気や老化から守る役割を果たしている。腸内細菌の種類と数は、動物種や個体差、消化管の部位、年齢、食事の内容や体調によって違いが見られるが、その大部分は偏性嫌気性菌であり腸球菌など培養可能な種類は全体の一部。なお、その名称から腸内細菌の代表のように考えられている大腸菌は、全体の0.1%にも満たない。結局、ヒトも動物も腸内細菌が無いとうまく生きていけない可能性がある。 特に牛や他の草食動物は腸内細菌がいないと草さえも消化できない。

分析技術の進歩に伴い生息している菌の種類は増加する傾向があるが、腸内細菌は多数の雑多な菌種によって構成され、一人のヒトの腸内には100種から3000種類の細菌が100兆個から1000兆個の腸内細菌が長さ約10mの腸内に生息しており、重量にすると約1.5~2kgに相当する。一般にヒトの細胞数は60~70兆個程度と言われており、細胞の数ではその16倍に匹敵するだけの腸内細菌が存在することになる。ただし細菌の細胞は、ヒトの細胞に比べてはるかに小さいため、個体全体に占める重量比が宿主を上回ることはない。腸管内容物を見ると、内容物1gに100億個から1,000億個(1010-1011個)の腸内細菌が存在しており、糞便の約半分は腸内細菌か、またはその死骸によって構成されている。

5つの働き
ヒトの場合、腸内細菌には主に5つの働きがある。
① 病原体の侵入を防ぎ排除する。
② 食物繊維を消化し短鎖脂肪酸を産生する。 ③ ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンB12、ビタミンK、葉酸、パントテン酸、ビオチンなどのビタミン類の生成をする。
④ ドーパミンやセロトニンを合成する。
⑤ 腸内細菌と腸粘膜細胞とで免疫力の約70%を作りだしている。

腸内細菌叢とその構成
ヒトや動物の腸は、摂取した食餌を分解し吸収するための器官であるため、生物が生育するのに必要な栄養分が豊富な環境。このため、体表面や泌尿生殖器などと比較して、腸内は種類と数の両方で、最も常在細菌が多い部位。この多様な細菌群は、消化管内部で生存競争を繰り広げ、互いに排除したり、共生関係を築きながら、一定のバランスが保たれた均衡状態にある生態系が作られる。このようにして作られた生態系を腸内細菌叢(ちょうないさいきんそう)と呼ぶ。なお、この系には細菌だけでなく表皮常在菌・環境常在菌として存在している広義酵母などの菌類や、細菌に感染するファージなども混在してバランスを形成しているため、腸内常在微生物叢、腸内フローラ、腸内ミクロフローラなどという用語がより厳密ではあるが、一般にはこれらの細菌以外の微生物も含めて腸内細菌叢と呼ばれることが多い。

ヒトや動物が摂取した食餌は、口、食道、胃を経て、十二指腸などの小腸上部に到達し、その後、宿主に栄養分を吸収されながら、大腸、直腸へと送り出される。このため、消化管の場所によって、その内容物に含まれる栄養分には違いが生じる。また消化管に送り込まれる酸素濃度は元々高くなく、腸管上部に生息する腸内細菌が呼吸することで酸素を消費し、下部に進むほど腸管内の酸素濃度は低下。大腸に至るころにはほとんど完全に嫌気性の環境になる。このように同じ宿主の腸管内でも、その部位によって栄養や酸素環境が異なるため、腸内細菌叢を構成する細菌の種類と比率は、その部位によって異なる。一般に小腸の上部では腸内細菌の数は少なく、呼吸と発酵の両方を行う通性嫌気性菌の占める割合が高いが、下部に向かうにつれて細菌数が増加し、また同時に酸素のない環境に特化した偏性嫌気性菌が主流になる。 胃とか小腸の消化器官上の方は、酸素がまだ多いが、そこで酸素は消費されてしまうが、大腸までくると酸素はほとんどない無酸素状態となる。だから、酸素が無くても生きていける細菌たちの絶好の隠れ場ともなっている訳です。

一方、胆汁酸は脂質や脂溶性ビタミンを乳化し消化吸収を補助するが細菌の細胞膜を溶解する作用も有するため小腸内や胆管での腸内細菌叢の形成を妨げている。毎日、合計で20~30gの胆汁酸が腸内に分泌され、分泌される胆汁酸の約95%は回腸で能動輸送され再吸収再利用され、腸管から肝臓や胆嚢に抱合胆汁酸が移動することを、腸肝循環と呼ぶ。殺菌作用のある胆汁酸は回腸でほとんど吸収される。だから、腸内細菌は回腸以降の大腸を主な活動場所としている。 腸内細菌の組成には個人差が大きく、ヒトはそれぞれ自分だけの細菌叢を持っていると言われる。ただしその組成は不変ではなく、食餌内容や加齢など、宿主であるヒトのさまざまな変化によって細菌叢の組成もまた変化する。
例えば、母乳で育てられている乳児と人工のミルクで育てられている乳児。前者では、ビフィズス菌などのBifidobacterium属の細菌が最優勢で他の菌が極めて少なくなっているのに対して、後者ではビフィズス菌以外の菌も多く見られるようになる。人工栄養児が母乳栄養児に比べて、細菌感染症や消化不良を起こしやすい理由の一つだと考えらる。 つまり、人工のミルクは宣伝されているほど素晴らしいものではなさそうだ。 乳児が成長して離乳食をとるようになると、バクテロイデス属 (Bacteroides) やユーバクテリウム属 (Eubacterium) など、成人にも見られる嫌気性の腸内細菌群が増加し、ビフィズス菌などは減少する。野菜を含む食事をとるようになるとバクテロイデス属が全体の30%程度を占めるようになる。

さらに加齢が進み、老人になるとビフィドバクテリウム属 (Bifidobacterium)の数はますます減少し、かわりにラクトバシラス属 (Lactobacillus) や腸内細菌科の細菌、ウェルシュ菌(Clostridium perfringens)などが増加する。 善玉菌と悪玉菌 腸内環境をわかりやすく説明する例として、「善玉菌」と「悪玉菌」に分類されることがある。「善玉菌」は宿主の健康維持に貢献し、「悪玉菌」は害を及ぼすとされる。腸内環境は一般に菌の花畑にたとえられて腸内フローラと呼ばれている。
この考えは19世紀終わりにイリヤ・メチニコフが発表した「自家中毒説」に端を発している。小腸内で毒性を発揮する化合物が産生されたことが発見され、それが腸から体内に吸収されることがさまざまな疾患や老化の原因だと考えた。腸内の腐敗は寿命を短くするという仮説を立て、腸内腐敗を予防すれば老化を防止できると考えた。ヨーロッパ各地を遊説中に、長寿国であったブルガリアでヨーグルトが摂食されていることを見出し、そこから分離した「善玉菌」である乳酸菌(ブルガリア菌)を摂取することによって、腸内の腐敗物質が減少することを確認した。
その後の研究によって、腸内細菌と宿主であるヒトの共生関係が徐々に明らかになり、また腸内細菌叢のバランスの変化が感染症や下痢症などの原因になりうることが明らかになったことから、腸内細菌叢のバランスを変化させることによってヒトの健康改善につながるという考えが改めて支持されるようになった。そして、がん、心臓病、アレルギー、認知症のような病気との関連性も高いと指摘されている。

腸内細菌の全体の2割を占めている善玉菌と呼ばれるものにはビフィズス菌に代表されるビフィドバクテリウム属 (Bifidobacterium) や、乳酸桿菌と呼ばれるラクトバシラス属 (Lactobacillus) の細菌など乳酸や酪酸など有機酸を作るものが多い。 腸内細菌の全体の1割を占めている悪玉菌にはウェルシュ菌に代表されるクロストリジウム属 (Clostridium) や大腸菌(病原性)など、悪臭のもととなるいわゆる腐敗物質を産生するものを指すことが多い。悪玉菌は二次胆汁酸やニトロソアミンといった発がん性のある物質を作る。偽膜性大腸炎の原因となるクロストリジウム属ディフィシルや病原性を示すバクテロイデス属フラギリスなどもあげられる。悪玉菌は有機酸の多い環境では生育しにくいものも多い。
善玉菌や悪玉菌に必ずしも分類されず、他の菌の影響を受けて作用が変化するものを日和見菌と呼び残りの7割を占める。しかし、その大半は未知なる部分が多い。日和見菌は全体の7割を占め、プロテオバクテリア門腸内細菌科大腸菌(非病原性)、全体の4割を占めるバクテロイデス門バクテロイデス属(非病原性)、フィルミクテス門のユーバクテリウム属、ルミノコッカス属、クロストリジウム属(非病原性)などがあげられる。
ウマなどの草食動物ではこの大腸で生成された短鎖脂肪酸が主要なエネルギー源になっているが、ヒトでも低カロリーで食物繊維の豊富な食生活を送っている場合にはこの大腸での発酵で生成された短鎖脂肪酸が重要なエネルギー源となっていると想定される。 ヒトの結腸、特に結腸後半の粘膜は、酪酸を産生する腸内細菌が作る酪酸を主たるエネルギー源として利用している。大腸内で産生された酪酸は結腸細胞に優先的にエネルギー源として利用される。酪酸は、大腸の栄養エネルギーの70~90%を占めている。

酪酸を生成する代表的な酪酸菌であるクロストリジウム・ブチリカムは、偏性嫌気性芽胞形成グラム陽性桿菌である。クロストリジウム属のタイプ種でもある。芽胞の形で環境中に広く存在しているが、特に動物の消化管内常在菌として知られている。日本では宮入菌と呼ばれる株が酪酸菌の有用菌株として著名であり、芽胞を製剤化して整腸剤として用いられている。クロストリジウム属の一部の菌は酪酸菌として知られ、漬物の酪酸臭の原因となる。
腸内細菌が産生した酪酸が、ヒストンのアセチル化を促進し、p21遺伝子を刺激し、細胞サイクルをG1期で留めるタンパク質であるp21が大腸がんをG1期に留め置き大腸がんを抑制することが指摘されている。酪酸生成能が高いButyrivibrio fibrisolvensをマウスに投与したところ、酪酸生成量が増加し、発癌物質で誘発した大腸前癌病変の形成が抑制され、大腸がんを予防、抑制する可能性が指摘されている。大腸癌患者の糞便を健常者のものと比較すると有機酸濃度が低く、特にn-酪酸の濃度がとりわけ低値であったことが報告されている。

ビタミンKは食物からの摂取と並んで、幾つかの種類に属する複数腸内細菌によっても供給される。ビタミンKは血液凝固作用(止血)にも関係し、これが不足すると各種内出血といった欠乏症が発生する。ヒト成人に於いては通常、腸内細菌による供給だけでも充分必要量を賄えるが、生まれたばかりのヒト新生児では、まだ充分に腸内細菌叢が形成されて居ないため、これを充分に生産出来ない事から、腸内出血(血便)などの異常が発生しやすい。これに加え、胎児や新生児では出産に際して骨を柔らかくするためP450により骨のカルシウム定着にも関係しているビタミンKを体内で分解しているとの説もある。また成人でも抗生物質の投与により腸内細菌叢が損なわれた際には、同様に欠乏症が発生し得る。
ビオチン(ビタミンB7)の一日の目安量は、成人で45μg。腸内細菌叢により供給されるため、通常の食生活において欠乏症は発生しない。ピリドキシン(ビタミンB6)も腸内細菌により供給されている。

食物繊維を多く摂ると腸内細菌によるビタミンB1の合成が盛んになる。 生体内においては、ナイアシン(ビタミンB3)はトリプトファンから生合成される。ヒトの場合は、さらに腸内細菌がトリプトファンからナイアシン合成を行っている。
プロピオン酸生産菌はビタミンB12を生産する主要な菌である。ビタミンB12は、特定の真正細菌及び古細菌による原核生物によってのみ天然に産生され、多細胞または単細胞の真核生物によって産生されたものではない。ヒトや他の動物のいくつかの腸内細菌によって合成されるが、ビタミンB12が吸収される小腸からさらに遠位の大腸でビタミンB12が産生されているので、ヒトは大腸で作られたビタミンB12を吸収することができないが、牛や羊のような反芻動物は細菌を胃で培養し産生されたビタミンB12を腸内で吸収する。
腸内細菌は、パントテン酸(ビタミンB5)、葉酸(ビタミンB9)、リボフラビン、ナイアシン(ビタミンB3)、ビオチン(ビタミンB7)、ビタミンB6、ビタミンB12、ビタミンKも生成する。また、酵母は、ビタミンB1を合成することができる。
ビフィズス菌は、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンK、その他ビタミンB群を生成する。ビフィズス菌(B. infantis、B. breve、B. bifidum、B. longum及びB. adolescentisのすべて)で菌体内にビタミンB1、B2、B6、B12、C、ニコチン酸(B3)、葉酸(B9)及びビオチン(B7)を蓄積し、菌体外にはビタミンB6、B12及び葉酸を産生した。ヒト(成人)の腸内の平均量のビフィズス菌の推定ビタミン産生量はビタミンB2、B6、B12、Cおよび葉酸で所要量の14-38%を占め無視できない割合と考えられる。

乳酸菌もビタミンCを微量ながら生成する。野菜や果物を摂れない遊牧民は、乳酸発酵された馬乳酒を1日最低1-3リットル程度飲んでいる。馬乳酒にはビタミンCが100mlあたり8-11mg含まれている。

肝臓においてグルクロン酸転移酵素によりヘムの分解物であるビリルビンはグルクロン酸抱合を受け、水に溶けるようになる。抱合型ビリルビンはほとんどが胆汁の一部となって十二指腸に分泌される。抱合型ビリルビンの一部は大腸に達し、腸内細菌の働きにより還元されてウロビリノーゲンに代謝され、腸から再吸収され、腎臓を経て、尿として排泄される。この循環を腸肝ウロビリノーゲンサイクルと呼ぶ。ウロビリノーゲンは、抗酸化作用を有し、DPPHラジカル除去作用は他の抗酸化物質(ビタミンE、ビリルビン及びβ-カロチン)よりも高い値を示す。再吸収されたウロビリノーゲンが体内で酸化されると黄色のウロビリンとなり尿から排泄される。腸内に残るウロビリノーゲンはさらに還元されてステルコビリノーゲンになり、別の部位が酸化されて最終的にはステルコビリンになる。このステルコビリンは大便の茶色の元である。 なお、ビリルビンが胆汁として分泌されずに体内に蓄積されると黄疸になる。
難消化性である食物繊維や乳糖の摂取と腸内細菌により呼気やおならへのガスの産生と排出が高まる。産生されるガスは水素とメタンが多いが、メタンは個人差がありメタン産生菌を有していないとメタンは産生されない。おならと呼気の水素量の相関は0.44と高い。
αグルコシダーゼ阻害剤である糖尿病治療薬のアカルボースを服用すると炭水化物の吸収が抑制され大腸の腸内細菌により水素などが産生されるが、アカルボースの服用が心血管事故を抑制する可能性があり、この原因として高血糖の抑制に加えて、呼気中に水素ガスの増加が認められ、この増加した水素の抗酸化作用により心血管事故を抑制するメカニズムが想定されている。

水素による抗酸化作用が各種研究で報告されているところであり、また、腸内細菌は水素を産生している。コンカナバリンAを用いて肝炎を誘導したマウスの実験では、抗生物質を使用して腸内細菌による水素発生を抑制させたマウスと比較して、通常の腸内細菌が発生させた水素はマウスの肝臓の炎症を抑制することが認められた[50]。 乳酸菌等の腸内細菌は、腸内で担体として増加することにより菌体が腸管老廃物を吸着して排出させている可能性がある。健康なヒトの腸内にはたくさんの種類の微生物が生息しており、ほぼすべての人の腸内からは、ラクトバシラス属やビフィドバクテリウム属の乳酸菌が検出される。ヒトの糞便中1gあたりの菌数は、ビフィズス菌が100億個、ビフィズス菌以外の乳酸菌が10-100万個であるといわれている。これらの乳酸菌は、俗に言う「腸内の善玉菌」の一種として捉えられる場合が多く、腸内常在細菌叢(腸内フローラ)において、これらの細菌の割合を増やすことが健康増進の役に立つという仮説が立てられている。ただしその有効性については、意義があるとする実験結果と関連が認められないとする結果がそれぞれ複数得られており、結論が出ていないのが現状である。

蜂蜜の中には芽胞を形成し活動を休止したボツリヌス菌が含まれている場合がある。通常は摂取してもそのまま体外に排出されるが、乳児が加熱していない蜂蜜を摂取すると体内で発芽して毒素を出し、中毒症状(乳児ボツリヌス症)を引き起こし、場合により死亡することがあるため、注意を要する。十分に腸内細菌の発達したヒトでは生の蜂蜜を摂食しても、腸内細菌が芽胞からのボツリヌス菌の増殖を妨げる(詳細は蜂蜜を参照のこと。)。

ヒトの体内で1日に産生される尿酸は約700mgで、その約1⁄3は食事由来である。尿酸の排泄の約2/3は腎臓を経て尿に、約1/3が腸管から排泄される。腎臓は尿酸の90%を再吸収し、約10%を尿に排泄する。 腸内のプリン体は腸内細菌に取り込まれDNA合成に利用され腸管内のプリン体が減少する可能性が指摘されている。ヒトにラクトバチルスガセリPA-3を含むヨーグルトを連日摂取させたところ血清尿酸値の低下が認められた。これは菌体がプリン体を取り込むことによるヒトの体内への吸収抑制によるものであることが推察された。

クロストリジウム・ディフィシル腸炎は、抗生物質の投与等で正常な腸内細菌叢が撹乱されて菌交代症が生ずる事で発生すると考えられている。正常腸内細菌叢を掻き乱す事は、C. difficile に増殖の機会を与えていることになる。つまり、この疾患は抗生物質関連下痢(英語版)の一つである。 C. difficile 腸炎の発生は、抗生物質であるニューキノロン、セファロスポリン、クリンダマイシンの使用と強く相関している。クロストリジウム・ブチリカム(宮入菌)の有用性は、高病原性菌の増殖と拮抗することによってクロストリジウム・ディフィシル腸炎の原因菌である高病原性クロストリジウム・ディフィシルの増殖を妨害するその能力に主として起因している。

自閉症児と健康児の腸内細菌を比較するとクロストリジウム属の細菌が平均して10倍程度多い状況が報告されている。乳幼児時に多種多量の抗生物質を投与され腸内細菌の組成が破壊され、クロストリジウム属の増殖とともに自閉症に至った例が紹介されている。幼い脳にダメージを与えるクロストリジウム属の神経毒素が原因であると指摘している。

病原性クロストリジウム属菌は、(Shaw 2010)によって、自閉症をもつ小児の尿より本属が作り出す物質3-(3-ヒドロキシフェニル)-3-ヒドロキシプロパン酸(略称:HPHPA) が高濃度で検出される報告がなされ、カビ毒の向神経作用が注目された。
フィンランドの調査で、腸内フローラが自閉症を予防する効果がある可能性が示唆されている。

鉄分は3価の鉄イオンが自然界に存在しているが、それが2価の鉄イオンに還元されてから吸収されると考えられている。東京工科大学応用生物学部らのグループは、腸内と同様の環境下で、腸内細菌である大腸菌、酪酸菌、乳酸菌、ビフィズス菌のどれもが、3価の鉄イオンを2価の鉄イオンに還元し微生物の増殖を促したことから、腸内細菌が鉄分の吸収に貢献していると報告した。 無菌動物とは、体内および体表に微生物(ウイルスや寄生虫を含む)が存在しない動物(現実的には検出可能な全ての微生物が存在しない動物)のことである。無菌動物はウイルス、細菌、寄生虫などの要因を制御するために無菌のアイソレータ内で飼育される。無菌動物は、盲腸の容積が大きく、寿命が長いなどの特徴を有する。自由摂食環境下で無菌マウスと通常マウスを比較したところ、無菌マウスの寿命が長かった結果が得られた。

腸内細菌には大型動物に利益をもたらす面も害をなす面もあるが、どちらが大きいのかについては不明である。無菌動物の場合、寿命が普通個体よりも長いので、総計すれば害の方が大きい、との可能性もある。しかし、現実社会ではヒトが無菌状態で生活することはできない。
腸内細菌の最初の発見は、微生物そのものが発見されたのと同時期に、レーウェンフックによって行われた。レーウェンフックは1674年から、自分で作製した顕微鏡を使って環境中のさまざまなものを観察し、細菌などの微生物を発見したが、彼はヒトや動物の糞便についても観察し、腸内細菌をスケッチしている。 1876年 ロベルト・コッホが炭疽菌の純粋培養に成功したのをきっかけにさまざまな細菌が分離されるようになったが、当時のヨーロッパではコレラや腸チフスなどの消化器感染症が流行しており、その患者から病原菌を分離するときに同時に分離されてくる、健常者にも存在する常在菌として、大腸菌(1885年)など、いくつかの腸内細菌科の細菌が分離同定された。しかしこの当時はまだ、酸素に触れると死んでしまう偏性嫌気性菌の存在についてあまり知られていなかったため、実際に培養できたのは腸内細菌の10%にも満たなかった。残りの大部分である、培養できない偏性嫌気性菌については、死んだ菌の残骸であると考えられていた。

1880年代 未消化タンパク質の腐敗によって発生した毒性を示す化合物が小腸から発見された。イリヤ・メチニコフが自家中毒説として発展させ、毒素が腸から吸収され寿命を縮めると仮定し、19世紀終わりごろには大衆に広く知られるようになった。
1899年 パスツール研究所の研究員であったティシエは、母乳栄養児の糞便から偏性嫌気性菌であるビフィズス菌を分離した。この当時、母乳と人工乳のどちらが与えられるかによって新生児の発育や死亡率などに違いがあり、母乳栄養児の方が健康状態がよいということが知られていた。ティシエはこの違いを明らかにするために糞便中に分離される腸内細菌に着目し、当時はまだ技術的に未熟であった嫌気培養法によってビフィズス菌の分離に成功して、母乳栄養児にこの菌が多く見られることを明らかにした。この発見によって、腸内細菌が宿主の健康に関与していることが注目されるようになり、また20世紀初頭にかけて、多くの偏性嫌気性菌の分離が行われるようになった。

1904年 イリヤ・メチニコフはパスツール研究所の副所長に就任した。1907年『不老長寿論』という著書を出版した。これは、ブルガリアに長寿者が多いことから端を発する説で、乳酸菌を摂取させたところ腐敗物質が減少したので、毒素が発生する(自家中毒になる)のを防止するために乳酸菌を摂取すれば長寿になる、というものである。ブルガリアの乳酸菌の他に、ケフィアや酢漬け、塩漬けの食品によって人々は知らずのうちに乳酸菌を摂取していることを指摘している。メチニコフは1908年に、細胞性免疫を発見し、食細胞説を提唱した功績でノーベル生理・医学賞を受賞したため、不老長寿説は受賞とは無関係な研究であったものの脚光を浴びることになった[要出典]。しかし、後にメチニコフが提示した乳酸菌(ブルガリア菌)はその大部分が胃で殺菌されてしまい、腸には到達しないことが明らかになり、また同時に、腸内の腐敗物質だけでは老化やさまざまな疾患発生が説明できないことも明らかになったため、この説は下火になった。 1918年 ジョン・ハーヴェイ・ケロッグは『自家中毒』という著書を出版し、自家中毒説をもとに未消化の肉には毒を作り出す細菌が繁殖し、毒によって体の不調を招くという理由で菜食を勧めていった。またケロッグはシリアル食品を開発し、食物繊維は腸を刺激して毒を発生させる時間を短くすることにより健康にとって重要であるという宣伝を行なったため、大衆に食物繊維の重要性が認知されていった。

1950年頃 腸内細菌の役割について宿主との共生という観点からの研究が再び盛んになり、嫌気培養技術が大きく発展したことも手伝って、細菌叢調査法が発展し、その実態解明が進んだ。腸内常在微生物叢が宿主の健康に関与していることも次第に明らかになった。腸内細菌バランスに介入することで健康維持を図ろうとする製剤、あるいは健康食品の開発が行われるようになった。
1965年 リリーらによってプロバイオティクスとして提唱され、以降、乳酸菌を用いた醗酵食品を腸内に到達させる研究が進んでいった。
1995年 有用な腸内細菌を増殖させる物質としてプレバイオティクスという概念が提唱される[94]。プレバイオティクスの代表的なものには食物繊維やオリゴ糖がある。プロバイオティクスとプレバイオティクスの両方の機能を併せ持った食品はシンバイオティクスと呼ばれる。

腸内細菌はヒトだけでなく、消化管を有するさまざまな動物にも存在するが、その組成は動物種によって異なる。基本的にはいずれもバクテロイデス属(Bacteroides属)などの偏性嫌気性菌が優勢であるが、ヒト、サル、モルモットなどでは乳酸菌としてビフィズス菌の仲間が多いのに対して、ブタ、マウス、イヌ、ウマなどではラクトバチルス(Lactobacillus)が多い。ウマ、ウサギなどの草食動物は嫌気性細菌を蓄える肥大した盲腸や結腸を有している。反芻動物のウシの第一胃では、セルロースを分解し酢酸や酪酸などを生成するルミノコッカス属が多く、50-100万の繊毛虫類も住んでおり、おそらく同居している細菌を食用にしている、ネコ、ウサギ、ウシなどではどちらの乳酸菌も少ない。
鳥類では、ニワトリにはバクテロイデスとラクトバチルスがいる。魚類では、サケ、シマスズキなどで海水性ビブリオが見出されている。
イエシロアリなどの下等シロアリ類では消化管内に住む共生原生動物の酵素で植物繊維のセルロースを分解し消化吸収する。共生しているのは超鞭毛虫類や多鞭毛虫類が中心で、そのほとんどはシロアリの腸内のみに生息している。

**ビブリオ属(ビブリオぞく)は、グラム陰性桿菌に分類される通性嫌気性菌の一属。自然界では海水などの水中に多く存在する環境中の常在細菌であり、コレラ菌や腸炎ビブリオなどの病原体もこのグループに含まれる。ビブリオ (vibrio) という名称は、「振動する」を意味するラテン語 (vibro-) に由来し、本属の菌が水中で活発に泳ぎ回る様子にちなんで名付けられたものである。

**原生生物
原生生物(Protist)とは、生物の分類の一つ。真核生物のうち、菌界にも植物界にも動物界にも属さない生物の総称である。もともとは、真核で単細胞の生物、および、多細胞でも組織化の程度の低い生物をまとめるグループとして考えられたものである。いくつかの分類体系の中に認められているが、その場合も単系統とは考えておらず、現在では認めないことが多い。

**鞭毛虫
鞭毛虫(べんもうちゅう)とは、原生動物の中で鞭毛で運動する生物を総称する呼び方である。以前は分類群の名称として用いられた事もあったが、21世紀初頭現在では専ら「鞭毛を持つ原生生物」の意味で用いられ、自然分類群としての要素は無い。

***腸内細菌の役割は極めて大きいことは分かるが、まだ研究は始まったばかりのようだ。ただ、人が物を食べるのは自分自身のためだけでなく、おのれの腸内に棲む腸内細菌の貯めんでもあるということを考えると、従来の栄養学の考えも根本的に考え直す必要があるかも知れない。

生物の世界

二重らせん

螺旋
DNAは二重らせん構造をしていると言われる。らせんとは螺旋と書く。螺旋を造るには図のように円筒形の茶筒に糸を巻きつければ良い。まず、螺旋の簡単な幾何学から始めよう。DNAは二重らせんだけどまずは一重の螺旋から。
茶筒は、高さをh、直径をdとすれば良い。糸は長さL、これだけで準備完了。色も臭いも関係ない。 螺旋状に巻かれた糸は上から見ると、円。何回茶筒に巻いたかは、巻き数をnとして
    n=L÷(πd) =L/(πd)  ------(1)
として簡単に求まりそうだ。円筒を抜けば、バネの形。糸では形が定まらないのでバネとしよう。 バネの上に任意の点Pを取ってみる。これを上から(下からでも可)見ると円の上の一点となる。円の上に座標を取って、x軸と点Pの動径間の角度をθとする。この角度を点Pの位相ということに。
さて、今度はバネを引っ張って伸ばして見る。バネの長さはLで変わらないものと考えよう。もちろん実際のDNAは引っ張ったら伸びないという保証はないが。また、引っ張た時のバネ上の各点の位相は変わらないものと考えよう。
そうすれば、バネを引っ張っても数は変わらない。変わるのは円の直径だけ。(1)から、
      d=L/(πn)  -------(2)
でも、これはこのように引っ張ることは不可能(引っ張ても直径が変わらない)であることを示す。何かが可笑しそうだ。(1) (2)で求めた関係が間違っている。失敗は成功の母。このモデルでは糸が伸びないとうまく行かない。
螺旋
実際には、真上から見た点Pは、円筒を一周するとすぐ下のP'に移る。糸の長さを考えるには、円筒をP~P'~P''の縦の線で切って展開図を作れば良い。
螺旋
円筒は糸で区切られた n 個の分割されるので、一つの高さは h÷n、
これより、糸の長さは
   L =n√((h/n)2+(πd)2) …(3) 
なんだか結構ややこしい形のなってしまった。
でも、今度は長さを変えずに糸を引っ張れそうだ。糸を引っ張れば、円柱の径はどんどん小さくなり、円柱の長さと糸の長さが一致します。その代わり円柱の長さは糸と同じでものすごく長くなるんですね。
つまり、円柱に巻きつけたらせん状の形は、糸をもつれさせずに効率良く格納するための最適な形になるわけです。
例えば、径10cm、1m の棒に100回糸をまけば、31m 分を格納できる計算に。
実際のDNAは2重螺旋でした。RNAなら1重の螺旋でいいようですが。2重螺旋のもう1本の糸はこの円柱にどう巻きつければ良いか。展開図を見れば分かるように、これは簡単で、巻きつけた糸の間に同じように同じ円柱に巻きつければ簡単です。つまり同一円柱状に巻きつければ良い。

2重螺旋では、その構成要素の核酸には、その構成塩基の違いで、A、T、C、Gの4種があり、A-T、C-G のペアだけが存在を許される。つまり、一方の糸は他方の糸の裏返したコピーとなっている。
裏返したコピーでは、DNAとしての機能を果たせるのでしょうか??

生物の世界

核酸とは

核酸 核酸
核酸(Nucleic acid)は、リボ核酸 (RNA)とデオキシリボ核酸 (DNA)を一緒にした名称。塩基と糖(5炭糖)、リン酸からなるヌクレオチドがホスホジエステル結合で連なった生体高分子である。つまり、核酸とはヌクレオチドが長々と連なったもので、その一つ一つはヌクレオチドと呼ぶんですね。糖の部分がリボースであるものがRNA、リボースの2'位の水酸基が水素基に置換された2-デオキシリボースであるものがDNAとされている。チョット専門的で難しいね。
ヌクレオチドはどれも唐とリボース(デオキシリボース)は共通なので、これらの個性は構成要素の一つの塩基で決る。上のヌクレオチドはアデニンです。
核酸 核酸 核酸
つまり、ヌクレオチドだ核酸の基本単位。ヌクレオチドの基本構造は、どれもリン酸と5炭糖(リボースまたはデオキシリボース)。ヌクレオチドの個性は4種の塩基A(U)、T、C、G で決る。
この4種の塩基はお互いに相方が決まっており、A~T(U)、C~Gで必ずペアーとなる。
この2種類のペアーの違いは、手の数が一方は2本、もう一方は3本の違いのようだ。この結合には水素結合と形が用いられている。
塩基
塩基は5種類があり、それぞれA(アデニン)、G(グアニン)、T(チミン)、C(シトシン)、U(ウラシル)と呼ばれる。初めの2つがプリン塩基、後の3つがピリミジン塩基と分かれる。
チミンとウラシルは構造式が良く似ているが、DNAではチミン、RNAではウラシルが使われる。

核酸 5炭糖とは、炭素Cが5つある糖ですが、5角形の頂点は酸素Oで右回りに第一位、第二位、第三位、第四位ときて5番目はメチル基のように5角形から飛び出しています。有機化学の化学式。折れ線の頂点は炭素ですが表記は省略されます。炭素は腕が4本、窒素は3本、酸素は2本、水素は1本です。水素も表記から省略されます。
RNAとDNAの違いは、RNAは2'位が水酸基であるため(DNAは水素)、加水分解を受けることにより、DNAよりも反応性が高く、熱力学的に不安定。 糖の 1'位には塩基(核酸塩基)が結合。これが重要な役割をするんですね。さらに糖の 3'位と隣の糖の 5'位はリン酸エステル構造で結合しており、その結合が繰り返されて長い鎖状になる。転写や翻訳は 5'位から 3'位への方向へ進むらしい。
なお、糖鎖の両端のうち、5'にリン酸が結合している側のほうを 5'末端、反対側を 3'末端と呼んで区別する。また、隣り合う核酸上の領域の、5'側を上流、3'側を下流という。

このようにして、核酸の長い糸が構成されるのですが、まだいくつかの疑問が解決されていない。
①この長い糸、どちら側が前でどちら側が後ろ何でしょうか?
②ヌクレオチド3つが連なりコドンが形成されるが、どのように3つずる区切るのか?
③DNAは2重螺旋ですが、あるコドンに対応するもう1本のコドンは別の意味(違ったアミノ酸)になってしまうが、どうするのか。裏コドンの問題だ。裏コドンはもう一度コピーを作らないと元に戻らない?
④有性生殖の場合、2本のDNAのコドンが合致しない箇所が出来るのではないか?

【プリン塩基】
塩基
プリン塩基( purine base)は、プリン骨格を持った塩基である。つまり、プリン環を基本骨格とする生体物質で核酸あるいはアルカロイドの塩基性物質。プリン体とも総称される。
良く通風にはプリン体が良くないと言われる。しかもプリン体は大体美味しくて栄養が豊富と言われているものに多く含まれるので厄介だ。ただプリン体とは核酸を作り上げる重要な成分でもあるらしい。痛風の場合はアルコール飲料の摂取は少ない方が好ましいとはされている。

【ピリミジン塩基】
ピリミジン塩基(pyrimidine base)とは核酸の構成要素のうちピリミジン核を基本骨格とする塩基性物質である。核酸略号はPyr。

生物の世界

コドンとは

コドン コドン(codon)とは、核酸の塩基配列が、タンパク質を構成するアミノ酸配列へと生体内で翻訳されるときの、各アミノ酸に対応する3つの塩基配列のこと。つまり、A、T、C、Gと言った文字の配列は、3つ一組(トリプレット)となって意味のある単語となる。各コドンがアミノ酸に対応し、このアミノ酸の並びがタンパク質を規定するので、遺伝子の言葉は重層構造で結構ややこしい。コドンは人間の言葉に例えると単語というよりも文字に近いのかも。

コンピュータに例えると、コンピュータは0と1の信号しか認知しない。ところがこの信号を8個一組、或いは16個一組にすると、数多くの文字や数字や記号を表すことが可能になる。例えば16個一組で1文字を表すとすると、28=256 または216=65,536種類の文字を表すことが出来る。これなら、かなりの漢字を含む数字、アルファベット、記号等に対応できる。
一方、核酸のコドンでは43=64 、生体で使われるアミノ酸は20種類だから、44種類分のお釣りがくることになるが。つまり、ヌクレオチド3個の塩基の組み合わせであるトリプレットが、1個のアミノ酸を指定する対応関係が存在する。この関係は、遺伝暗号、遺伝コード(genetic code)とも呼ばれている。 ほぼ全ての遺伝子は厳密に同じコードを用いるから、このコードは、しばしば基準遺伝コード(canonical genetic code)または、標準遺伝コード(standard genetic code)、あるいは単に遺伝コードと呼ばれる。ただし、実際は例外もあり変形コードも多いらしい。例えば、ヒトのミトコンドリア内のタンパク質合成は基準遺伝コードを変形したものを用いているらしい。また、遺伝情報の全てが遺伝コードとして保存されているわけではないらしい。
生命が自己を複製するために10億年近くかけて進化させてきた、この仕組みはそんなに簡単には理解できないようだ。何故このような仕組みになったかも、進化論のsurvival of the luckiest からの理解が必要なのでしょう。

ところで、この表をつぶさに眺めてみよう。この表はRNAに対するもの。DNAの二重螺旋の片側にTTT(チミンが3つ)ならば反対側はAAAだ。UはRNAでDNAではTに読み替えるのだろうね。つまりアミノ酸に翻訳すると片側のコドンがフェニルアラニン、もう一方はリジンとなる。細胞はどちらの情報を取りあげるのかな?
また、コドンには開始コドンと停止コドンがある。これの役割も大事そうだ。
【遺伝暗号の翻訳】
遺伝子であるDNAは、その塩基配列として遺伝情報を暗号化して保持している。この塩基配列は mRNA (メッセンジャー)に転写され、細胞質のリボソームにおいて翻訳を受けて、タンパク質が合成されている。このとき、 m RNAの3つの連続した塩基配列(=コドン)が1つのアミノ酸を指定するように対応する。この対応関係が上に示した遺伝暗号表だ。
《開始コドン》
AUGはメチオニン(Met)を指定するコドンであるのと同時に、翻訳の開始点を意味している。このため、合成されたタンパク質はすべてMetが先頭にあるが、このMetは合成後に速やかに切り離される。
《終止コドン》
UAA,UAG,UGAが指定するアミノ酸は存在しない。このため、このコドンの位置でタンパク質合成が終了することになる。

リボソームと結合した m RNAのコドンの位置には、そのコドンに対応する3つの塩基配列(=アンチコドン、要するに裏コドン)を持つ t RNA(トランスファー)だけが結合できる。この t RNAは特定のアミノ酸と結びついているため、1種類のコドンには常に同じアミノ酸が対応することになる。リボソーム上に2つの t RNAが並ぶと、アミノ酸同士がペプチド結合によってつながれ、ポリペプチド鎖が伸長していくことになる。こうしてタンパク質が合成されていく。

生物の世界

DNAとRNA

核酸 ヌクレオチドの分子模型を作ってみました。NH2はブロックが足りなくて青玉で代用。DNAは五炭糖がデオキシリボースだけど、RNAはここがリボースとなっている。違いは、糖の-Hが-OHに入れ替わっただけ。
核酸

生物の世界

光合成とは?

色々なサイトの質問箱には、時々、「光合成とは何ですか?」という質問が寄せられるらしい。これは、答えるのが簡単そうで、実は、非常に難しい質問のようだ。なぜ難しいかというと、はっきり言ってまだよく分かってないからだ。

小中学校レベル
今の子どもが最初に光合成に出会うのは、もしかしたらゲームの世界でのことかも知れません。ポケモンの世界では、草タイプのポケモンは「こうごうせい」という技を使って体力を回復することが出来る。小学校の理科では、必ずしも光合成という言葉を習うとは限らないようですが、植物の葉が太陽の光を受けてデンプンなどの養分を作ることは習う。そして、その働きを光合成というのだということは中学の理科ではっきりと習います。ですから、小中学校のレベルでの答えであれば、光合成とは「植物が光によってデンプンなどを作る働き」であることになります。でも、どうやって? これが分かれば人工的に光合成を行うことも可能だ。将来人類が宇宙で暮らすなら不可欠な技術となる。

**葉緑体(Chloroplast)=光合成をおこなう、半自律性の細胞小器官
葉緑体 高校レベル
中学の教科書では、なぜなのかという理由は述べられていないのですが、水と二酸化炭素が光合成に必要で、酸素が発生することがさらっと触れられます。そして、高校になると、光合成により水が分解されて酸素が発生し、二酸化炭素が固定されてデンプンなどの有機物になる、というメカニズムが説明されます。つまり、高校のレベルになると、光合成とは「植物が光によって水を分解して酸素を発生し、二酸化炭素を有機物に固定する反応」ということになります。メカニズムの説明はあったかな。水に光を当てても分解はしない。電気分解というのはあるかも知れないが。
高校でも細胞レベルでは、葉緑体(上図)の中で光合成が行われることは教えられるか。

大学レベル
ところが、大学になると、光合成細菌というものが出てきます。光合成細菌は、小学校のレベルの光合成の定義である「光によってデンプンなどを作る働き」は持っているので、名前にも「光合成」がついているのですが、実は、水を分解して酸素を出す、という部分を行ないません。つまり、高校のレベルの光合成はしないのです。草や木が水H2Oを分解して酸素O2を発生する代わりに、光合成細菌は、例えば硫化水素H2Sを分解して硫黄Sを作ります。この場合、酸素や硫黄は光合成をする生物にとっては不要なものなので、細胞の外に捨てます。重要なのは残った水素H(物質を還元する力)なので、それを得ることができれば、残りが酸素であろうと硫黄であろうと構わないのです。つまり、大学のレベルでは、光合成とは「光によって環境中の物質から還元力を取り出し、その還元力によって二酸化炭素を有機物に固定する反応」ということになります。出来た有機物を燃やして(酸化して)エネルギーを得るのか呼吸だね。

大学院(?)レベル
大学院で何を教えるかは大学によってバラバラですから、大学院レベルという言い方がよいかどうかは別として、さらに専門的になると光合成とは何かもまた変わります。世の中には独立栄養化学合成細菌という生物がいます。この生物は、無機物の酸化還元のエネルギーを利用して生育することができ、有機物もなければ光もない条件で生きていけるという生物です。光を使わないわけですから、もちろん光合成はしないのですが、有機物を作る反応には光合成と同じように二酸化炭素を使います。さらに言えば、カルビン回路という光合成の二酸化炭素固定経路と全く同じ回路を二酸化炭素の固定に使っている種類もあるのです。つまり、先ほどの光合成の定義のうち「二酸化炭素を有機物に固定する反応」という部分は、別に光合成にだけあるものではなく、化学合成にも共通の反応なのです。
では、なぜ、有機物の固定反応が光合成の一部とされてきたのでしょうか。それは、光合成生物が光のエネルギーを利用して作り出す還元力とエネルギーが二酸化炭素の固定に使われるからです。ところが、生物の体の中で、光合成によって得た還元力とエネルギーを使うのは、二酸化炭素固定だけではありません。例えば、窒素同化、硫黄同化といった代謝系も、みな光合成の還元力とエネルギーを使っているのです。とすれば、二酸化炭素固定だけを光合成として、残りの代謝系を光合成からはずす理由はないことになります。つまり、光合成の最後の定義は、「光合成とは、光のエネルギーによって環境中から還元力を取り出し、その還元力とエネルギーを用いて行なう代謝系を全て含む反応」ということになります。このように定義した場合、事実上、光合成生物の細胞の中のほとんどの反応は、窒素代謝であれ、硫黄代謝であれ、すべて光合成と考えるべきであるということになります。光合成というのは、光合成生物にとって、いわば「生き方」なのだと思います。光合成生物が「光のエネルギーを使って生きる」という選択をした時に、細胞内のほとんどの反応は、光合成として位置づけられることになったのでしょう。光合成とは「植物の生き方」なのです。でも、こういう説明されてもますます分からなくなってしまいます。

光合成とは本当は大変難しい反応のようです。未だに大量の海水と太陽光で人工光合成を行うことは実現していません。でも、生物の生きる力は総て化学反応で説明できるはずなんです。
まず、水が分解されて水素(H2)と酸素(O2)が出来ます。水が分解するにはエネルギーがいりますが、太陽光を利用するのが光合成。初期の生命は他の化学エネルギーを使っていたようです。また、初期の生命は水の代りに硫化水素(H2S)も使っていたようです。酸素も硫黄も周期律表では同じ族で最外核電子は伴に6個で似たような化学的性質があります。
 エネルギーを貰って水素を還元して、出来た水素を酸化(硫黄と化合することも酸化)してエネルギーを得る。これが基本の反応なのか。

水素原子の還元力(エネルギー)は、二酸化炭素の固定に使われということらしいです。炭素は生命体を構成する主要な元素。二酸化炭素から有機物が合成されるようですが、光合成では副産物として酸素が発生するということで、これが原始の生命達にとっては大変有毒だったらしい。原始の生命は酸素を発生しない水素原子の還元力を利用していたらしいことも分かっており、今でも地球環境の片隅でしっかり生存しています。

光合成として、水と二酸化炭素からブドウ糖が造られると仮定すれば、
   6CO2+6H2O→C6H12O6+6O2   (1)
のように書くことが出来、水素に変わって炭素(C)が還元されたことに。ブドウ糖をエネルギーとして燃やせば(酸化すれば)、
   C6H12O6+6O2→6CO2+6H2O    (2)
(1)と(2)は反応の向きが反対なだけなので、(1)ではエネルギーを外界からもらい、(2)ではエネルギーを放出することに。(1)と(2)を見れば分かる通り、水素の酸化数は変化しておらず、(1)では炭素が還元(C:6×(+4)→6×0)されており、(2)では炭素が酸化されています。

上の(1)と(2)の化学式は、分かり易いのですが、実際には相当複雑なようだ。

生物の世界

ルイセンコ学説

ルイセンコ学説は、ソビエト連邦の時代に社会主義国家を支配した重要な生命観。本来は生物の進化に関する仮説だったのが、いつの間にか政治思想に転嫁し、社会主義国家の経済破綻に大きな寄与をしたようだ。
事の始まりである。ルイセンコ論争とは、環境因子が生物の形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝するという考え。生物が進化していくことは認めているのでダーウィンの進化論を否定している訳ではない。その点はキリスト教原理主義のような進化論を否定する論とは一線を画す。メンデルのよって証明された遺伝の法則。親の形質を子が受け継ぐ。でも、せっかく新しい性質を親が獲得しても子に伝わらなければ進化という現象は起こりえない。ダーウィンの先輩にラマルクという偉人がいた。彼の基本命題は、「獲得形質は遺伝する。」というもの。このことは、遺伝の研究をしていた学者たちに猛反撃を受ける。要は、あなたがジムで筋トレすれば、あなたの孫はマッチョマンになるか。今では、「獲得形質は遺伝しない。」と言うのが科学界の常識だろう。 しかし、あなたが猛勉強して音楽家として有名になれば、自分の子供にもピアノを習わせたり、いい先生に着けたり努力するので、その結果音楽一家といったものが形成されることもあるという事実もある。だから、全く否定される考えでもなさそうだ。
ルイセンコ スターリン 毛沢東
ルイセンコの学説はヨシフ・スターリンによって支持されたため、政治運動に転化してしまう。当時のソ連の生物学会ではルイセンコの学説に反対する生物学者は処刑され、強制収容所に送られるなど粛清された。更には他の学問に飛び火して、その結果、多くの学者が、反革命的ブルジョワ思想の持ち主をして公職から追放され、シベリアなどに流刑となったりしたと言われる。スターリン失脚後もフルシチョフもこの考えを支持していたので、ルイセンコ主義は1920年代末に始まり、1964年に公式に終焉した。ルイセンコはレーニン全ソ連農業科学アカデミーの長として活動した。ルイセンコ主義は1920年代末に始まり、1964年に公式に終焉したとされている。
ルイセンコ主義の疑似科学的発想は獲得形質の遺伝性を仮定していた。ルイセンコの理論はメンデル遺伝と「遺伝子」の概念を否定し、自然選択を否定することでダーウィン進化論から逸脱した。ルイセンコ主義は育種や農業において並外れた進歩を約束したが、それらが実際に起こることはなかった。後天的に獲得した性質が遺伝されるというルイセンコの学説は努力すれば必ず報われるという全体主義国家には都合のよい理論でもあるが、マルクス主義のマルクス自身がダーウィンの進化論(ラマルク的な)の影響を強く受けていた(彼の友人のエンゲルスが証明している)とも言われており、マルクス主義とは相性が良かったのかもしれない。
スターリンの思想は、中国に飛び火して、毛沢東による文化大革命を引き起こす。北朝鮮の「主体思想」とやらもその影響らしい。その結果、これらの思想に汚染された国では、著しい農業生産の低下と経済の停滞を引き起こすことになったという事実は忘れてはならない。

生物の世界

白雪姫と7人の小人達

物語の舞台はかなり大昔のこと。一人の少女が森の中へ逃走する。理由は分からないが何か命の危険があったのでしょう。一人で逃げても当時の森は、野生動物もいて大変危険。でも、更に危険な存在は一人暮らししている人間がいる場合だ。彼らは魑魅魍魎(ちみもうりょう)、鬼、悪魔、魔女だのと呼ばれて人々から恐れられているが、実は彼ら自身が逃亡者、見知らぬ人と出会うとつい本能的に敵意をむき出しにして攻撃してしまう。
幸い、森には優しい先住者がいた。7人の少年の兄弟達だ。彼等も何らかの理由で森の中に逃げ込んで来たのだろう。しかし、兄弟が力を合わせることで森の中に生活の場を確保したようだ。 何故、彼らは小人といわれるのか。背丈は当時の人類の標準から言えば、やや低いかも知れない。それよりも、手足が細く、全体に華奢な体つき。生格も温和で人懐っこい、また非常に好奇心が強い。おしゃべりが大好き。いわば子供っぽい性格であった。 だから、7人の兄弟たちは少女を大歓迎で受け入れて、仲間の一人に加える。グループは8人になり、少女は母親役、姉、妹、友人とすべての役割を一人で引き受ける。以後、少女の名をエバと呼ぶことにしよう。
彼等の住む世界は8人だけが総てで、それ以外は異次元空間の野蛮人の住家だ。だから、彼らは世界を存続させるため、自分達の子孫を作ることを考えたであろう。ある日、エバは兄弟たちの一人の愛を受け入れる。また、同時に他の兄弟たちの愛も公平に受け入れる。子供が無事生まれる。エバは、また同じように次の子も身ごもる。世界の平和のためなら父親が誰かは不明の方がいいに決まっている。子育てだってみんなで協力してやればうまく行く。
こうして、彼らの子供たちが更に次の子供たちを造る。子供は世界の財産だ。誰が親かは関係なく公平に育てられる。例え拾ってきた外の世界の捨て子でも、珍しい客人として大事に育てられた。こうして一族は見る見る間に大家族に発展した。
最終的に7人の兄弟達と1人の少女の純粋な愛と勇気、集団への帰属意識、知的好奇心等が結局、周囲の類人猿たちを駆逐して新しい種族をの世界を造り出したのでしょう。最後に愛は勝つということですか。
エバの家族は、その後大発展して、生まれ故郷を後にして、地球のあらゆるところに住むようになりました。でも、彼らの「世界は一つ、人類は皆兄弟」という理念が失われ、互いに相争うようになって来たという問題も発生しています。
エバが生きていた時代、まだ衣服は発明されなかったようだ。エバは、その成熟した美しい体を、7人の兄弟たちに四六時中晒していたと思われます。寒い冬には当然肌を寄せ合い、他の兄弟達がしているように互いに性器にも触り合うぐらいのことはしていたでしょう。性交はエバがOKならいつでもOK。人は当時絶滅の危機にあったのですから、子孫を効率良く残すことは遺伝子にとっては最大の課題。セックスを繁殖以外の目的、娯楽やコミュニケーションの手段として使うのは、類人猿としては人だけかと思いきや、ボノボにもそのような行動がみられるらしい。しかし、これも間接的に繁殖を増やす手段にもなっているので遺伝子の技としては辻褄が会っているかも。

生物の世界

コロナに続くもう一つの危機──アフリカからのバッタ巨大群襲来

砂漠飛バッタ 東アフリカで大発生したバッタの大群が、海を越えて中東、さらに中国やインドに迫っている。国連の食糧農業機関はその大発生の規模を「70年に一度」のものとも表現している。これによって懸念される食糧不足は人道危機であるばかりか、新型コロナの影響を受ける日本の経済をさらに揺さぶりかねない大災害になる可能性が大きい。

欧米・日本のマスコミは、新型コロナばかりに報道を集中して、ひたすら対岸の火災視しを決め込んでいるが、アジア諸国・アフリカ諸国はそれどころでない大危機に直面しているらしい。下手をすると数億の民が飢え死にする。インドも中国も今対策におおわらわなようだ。


砂漠飛バッタ 中国政府は3月1日、地方政府にバッタの来襲に備えるよう通達した。それに先立って、2月末から西隣のパキスタンにも、バッタの大群による農作物などへの蝗害(こうがい)を防ぐための専門家チームを派遣している。パキスタンは中国の「一帯一路」構想にとって最重要拠点の一つだ。その意味で、この支援は不思議でない。
しかし、いうまでもなく中国政府は新型コロナ対応に追われている。その中国を突き動かすバッタの大群は東アフリカで大発生し、アジアにまで飛んできたもの。

乾燥地帯に暮らすサバクトビバッタは、基本的に日本にはいない種類。生息環境の変化などに応じてサバクトビバッタには普段おとなしい孤独相と集団で行動する群棲相がある。群棲相になると、風に乗って1日に100〜200キロも移動しながら、行く先々で穀物や果物を食い荒らす。移動した跡には緑のものは総て無くなっている。1平方キロメートルに集まるサイズの比較的小さな群でも、1日あたりで人間3万5000人とほぼ同じ量を食べるといわれる。

砂漠飛バッタ 新型コロナが問題になり始めていた2月2日、東アフリカのソマリア政府はバッタの大量発生で食糧危機が発生しつつあると緊急事態を宣言。これと前後して、バッタの被害は東アフリカ一帯に広がり、国連の食糧農業機関(FAO)はソマリアでは25年、隣国ケニアでは70年に一度の危機として緊急事態を宣言した。その後、バッタの大群は紅海を越えてアラビア半島に至り、さらにペルシア湾を超えてアジアにまで飛来するようになっているらしい。

3月6日段階で、FAOは東アフリカ8カ国、中東5カ国、南アジア2カ国(アフガニスタン、パキスタン)で新たな群を確認している。
このうち、パキスタンの北東には中国の新疆ウイグル自治区がある。つまり、バッタの大群は西からの風に乗って中国にも押し寄せる可能性がある。先述の中国のパキスタンに対する支援は、単に外交的な関係に基づくものではなく、いわば自己防衛のための水際対策でもあるのだ。 サバクトビバッタはこれまでにもしばしば大発生してきたが、今回の場合、昨年末に東アフリカ一帯で雨量が多かったことが原因とみられている。ところで、東アフリカではサバクトビバッタの産卵シーズンだった昨年10月から11月にかけて、降雨量が例年の約3倍に達したといわれる。これが地球温暖化の影響によるものかは、いまも科学者が研究中だ。

ともあれ、この大雨がサバクトビバッタの大発生を促したとみられるのだが、これに対して各国も無策というわけではない。イギリスの支援で設立されたアフリカ天候気象情報センターではスーパーコンピューターを用いてバッタの行動範囲などを計算し、この情報に基づいて、時に軍隊まで動員しながら、アフリカ各国は効率的な駆除を試みている。

しかし、それでもバッタの大群は各地に飛散し続けており、それは大きな被害をもたらし得る。2003年から2005年にかけても、アフリカや中東の20カ国以上でサバクトビバッタによる蝗害が広がった。この時のFAOの報告書によると、対策のためにかかった経費は総額4億ドルを上回り、西アフリカ6カ国だけで838万人が食糧不足などの影響を受けた。

前回より各国の手が回らない状況は、バッタの大群にとって勢力を広げやすくする要因になる。いわば新型コロナがバッタ被害を助長していることになる。
対応が間に合わなければ、その影響は各方面におよぶ。アフリカから中東にかけてはテロが横行し、紛争の火の手が各地であがっているが、食糧不足による社会の混乱はこれに拍車をかけかねない。

そのうえ、今回はアジアも無縁ではない。2003〜2005年の場合、最終的にはサウジアラビアなどアラビア半島でもサバクトビバッタの来襲は確認されたが、それまでに1年以上の月日を費やした。発生したのが西アフリカで、中東に達するまで距離と時間がかかったからだ。しかし、今回は東アフリカが発生源のため、15年前より早くアラビア半島を通過し、すでにアジアにその影をみせ始めている。

アフリカと比べても人口過密なアジアでバッタが農作物を奪えば、食糧危機が発生するリスクはさらに高い。そのため、例えばパキスタンと隣接するインドでは、政府がドローンや殺虫剤などの調達を強化している。また、インドはもともとパキスタンとの間でカシミール地方の領有を巡って緊張が高まっていたが、バッタの来襲を受け、協力に向けた協議を進めている。気候などの問題から、サバクトビバッタが日本にまで飛来してくる可能性は低いとは考えられている。しかし、サバクトビバッタは紅海を飛び越えて東アフリカからアラビア半島へ渡ってしまった。日本海もやってみないと分からないかも。なんせ海に浮かんだ自分達の死骸を飛び石に海峡を越える凄技も持っているらしい。

しかし、今回の大発生は人道危機であるだけでなく、日本にも直接かかわり得る。アジアは中東やアフリカと比べて日本経済により緊密に結びついており、この地域で生産が滞れば、ただでさえ新型コロナでダメージを受けている日本のサプライチェーンは今よりさらに停滞しかねない。

旧約聖書には、神の怒りに触れた古代エジプトで、病気の蔓延やバッタの大発生といった災禍が相次いだという記述がある(出エジプト記)。これを踏まえて、欧米メディアのなかには「世界の終わり」といったセンセーショナルな見出しを煽るものさえある。
欧米メディアは、そこまで分かっていたのか。日本ではほとんど報道がなかったのに。
バッタの来襲で食糧事情が悪化すれば、新型コロナですでに高まっていた国家間の緊張がさらに高まることは想像に難くない。少なくとも、バッタが日本にまで来なければ無関係、といえないことは確かなのである。新型コロナとはソロソロ和解し共存の道を模索し次の作戦を練らなければ大変だ。

【追記】
つい数日前、朝日新聞にインド政府から日本の農機具メーカーに大量の殺虫剤噴霧装置の発注があったと書かれていた。新聞によるとインド政府はコロナ対策用に大量の消毒剤を散布するためと書かれていたけど、どう見てもバッタ対策だよね。コロナ対策でなんで農機具メーカーなんだ。インド政府も中国政府も隣国パキスタンの飛蝗(バッタ)対策に大わらわ。コロナどころの騒ぎでないはず。アフリカもそうだろう。国連によると既に、1300万人が深刻な食糧不足に直面しているとのこと。
食糧危機で大量の餓死者が発生しかねない大事件だ。ニュース番組で警官隊が住民を制御している映像、あれもコロナでなくバッタの被害なのでは。欧米のメディアは何でもコロナのせいにしたがるが。日本のメディアはマスクした状態。(2020.5.3)
【追記2】
黄色角竹バッタ 黄色角竹バッタ
東アフリカからインドにかけて増殖を続けるサバクトビバッタとは別のバッタの大群が、出現した。場所は、中国からラオスにかけての東南アジア地域。バッタの種類は「黄色角竹バッタ(Yellow-Spined Bamboo Locust:YSBL)。竹やバショウ、イネ科の植物等を食い尽くす。先週末までラオスとの国境を超えて、中国の雲南省普洱(プーアル)市に侵入した。

 雲南省普洱市林業・草原局によると、国境を超えて侵入したバッタは、約6600haにわたって展開。すでに26haの草原等を食べ尽くしたとされる。周辺の勐腊県(Mengla)などにも急速に拡散している。地元では、バッタの飛来を食い止めるためにドローン等を活用した防除作業を実施しており、すでにドローンによる農薬散布は500回以上、実施しているという。

 2018年にもラオスやベトナムでYSBLの大量発生が観測され、農作物等に大きな被害が出ている。温暖化の影響で大量の雨を伴う暴風雨の発生が相次ぐと、バッタの大量発生も促されるという。温暖化の加速による生態系異変の一つとみられる。

アフリカ・インド等に展開しているサバクトビバッタは土色だが、YSBLの体の色は緑色で、明るい赤色の羽をもつ。一つの群れが4000万~8000万匹の大群で構成され、一日に70マイル(約112km)以上を飛行する。この規模のバッタの大群の食欲は、一日に人間300万人分が食べる量と同量に相当するという。

【追記3】
アルゼンチン アフリカ、アジアだけでなく南米でも大繁殖──「地上の約20%がバッタ巨大群に襲われる」
三大陸に広がるバッタ巨大群
1月下旬に東アフリカで発生したサバクトビバッタの大群は、各地で繁殖を繰り返しながら、海を超えてアジアでも勢力を広げている。
インドでは北西部から侵入したバッタの大群が農作物を食い荒らしながら、6月末までに首都ニューデリー近郊に迫っている。また、標高が高く、気温が低いため、これまでバッタの襲来が少なかったネパールでも、すでに1100ヘクタールの農地が被害を受けている。
ところが、アフリカとアジアだけでなく、南米でもバッタが大繁殖している。
その発生源はパラグアイとみられ、5月21日にはアルゼンチンのサンタフェにバッタの大群が出現した。今後、周辺のブラジルやウルグアイにも拡大する恐れがある。

世界全体で食糧価格が高騰する恐れ
各国の政治、経済がコロナで混乱するなか、三大陸に広がるバッタの大群は、人間社会に大きな悪影響を及ぼすとみられる。その第一が、食糧危機だ。
すでにコロナによって各国の農業や流通には大きな影響が出ている。国内の食糧不足への懸念から、輸出を制限する国が増えていることは、これに拍車をかけている。
国連の食糧農業機関(FAO)は、このままでは地球の土地の約20%、世界人口の約10分の1がダメージを受けると警告している。東アフリカやアジアなどではすでに食糧価格が上昇しているが、このうえ南米でもバッタの被害が拡大すれば、影響はより深刻なものになるとみられる。ブラジルやアルゼンチンは世界屈指の穀物輸出国だからだ。アトラスによると2018年の全世界におけるトウモロコシ輸出額のうち、ブラジルは12.6パーセント、アルゼンチンは12.3パーセントを占める。
つまり、このままバッタの被害が拡大すれば、バッタが直接やってこない土地の食糧価格にも影響を及ぼしかねない。

生物の世界

オオカミとの共存

ヨーロッパオオカミ オオカミという動物、人狩猟採集生活をしていた時代からずっと、ある時はライバルとして、ある時は友人として数十万年以上もの長い間共生して暮らしてきました。多分日本の縄文時代もそうだったのでしょう。オオカミ=大神という名がそれを示しています。
共に、社会的生活を営み、知能の高い動物として、人と共同して狩りをし、ある時は餌を横取りして奪い合い(分け合って)、どちらも変動する地球環境に適合してきました。今、人の方が優勢に見えるのは、たまたま環境の変化が人に有利に働いただけ。つまりヒトの方がラッキーだっただけ。でも、ずっと仲良くやってきました。
農耕や畜産を行うようになって、人はオオカミを害獣として敵視するように。今ではオオカミは絶滅危惧種。ところが、どっこい。彼等は、今犬(イヌ)になって、世界中の人々に愛されるように。犬の先祖は、オオカミであったことは間違いなさそうです。野生化した犬は、オオカミ以上に危険な猛獣で、人や家畜、自然の中の希少な野生動物達を襲います。実は、家で飼われている猫も、自然界の鳥達をこっそり襲っていることも今問題になっている。家畜化しても生き物としての本質(遺伝子)は変わっていないらしい。

動物の進化の物語は、本当に不思議で面白い。敵対している2つの種の中にも、「仲良くやろうや」という遺伝子を有した個体が紛れ込んでいるらしい。牙を向いて近寄って来るオオカミは当然追い払われる対象になるけど、尻尾振って友好的な近づいて来れば、餌でもくれてやろうかとなる。ヒトの側もオオカミの鋭敏な鼻を利用できれば狩の際の重要な助けにもなる。家畜の起源は共存共栄が始まりだったようだ。高度な知性を持った哺乳類同士は例え異種間でも心の会話が成り立つらしい。家畜化が可能な哺乳類は、その先祖が「仲良くやろうや」という遺伝子を持っている個体に限られるらしい。例えば、キツネは犬と親戚だから犬と同じように家畜化可能。でも、でも馬は家畜化されたが、シマウマは難しいようだ。

いま、人は感染症という敵と戦っています。感染症は眼に見えない、微生物によって引き起こされてきました。感染症で死ぬということは、オオカミや猛獣に襲われて死ぬことに良く似ている。しかし、相手側の知性が見えないだけに対応が難しそうだ。ただ、基本的には共存共栄を図る以外に解決策はなさそうだ。微生物とヒトが戦ってどちらか一方が勝って、他方が絶滅するというシナリオを描くことは不可能だ。
そもそも、感染症を起こす微生物を言うのは、宿主となる人や動物がいないと生存できない。初めから共存共栄が前提の生き物だから。だから、最終的には多くの人類が感染を終了し、耐性を持つようなって、細菌等は共存することに成功する。その過程では多数の人達が犠牲になっている。
防毒マスクと防護服 オオカミや猛獣が恐ろしければ、頑丈な柵を拵え、その中に籠っていれば安心だ。でも、水や食料を確保するためには外出することは不可欠だ。その間、幼児や障碍者は家の中にかくまっておく。オオカミだって自分の子供達は人間に見つからない隠れ家にかくまう。お互い様だ。でも、どこにいようと猛獣達に狙われて食べられる確率は零には出来ない。基本的に被害者は単に運の悪い人ということで、皆に惜しまれながら亡くなる。

感染症もそうだろう。多少人との接触を減らすことは可能でも、毎日の活動を止めることは不可能だ。多少とも金銭的に余裕のある人は遠隔地へ避難することが出来るぐらいだろう。
感染症の流行は、ある意味、洪水や火山、冷害、旱魃等の自然災害と似ている。避難することは出来ても、発生を食い止めることは出来ない。避難した人には水や食料等生活物資の総てが行政やボランティアから支給されることが前提だ。

14~19世紀まで、ペストは世界中に蔓延して多くの命が失われた。西欧では都市によっては人口の1/3~2/3が失われたという。荒廃した社会経済は生き残った人々で急速に対挙げられた。産業革命や資本主義の興隆はペストのおかげという人もいる。
感染症の恐怖は、伝統社会では今ほどは無かった。運の悪い人が亡くなった。自動車や飛行機が事故の危険があるからと言って乗らない人はいない。大事な仕事で人と会うのを取りやめる人もいない。ひたすら対症療法で治まるのを待つまでだ。
感染症の恐怖は、人類の都市化とグローバル化で指数関数的に拡大した。人口も指数関数的に拡大したのだから当然だが。感染症の中でも、現在問題となっているのは、ほとんどがウィルス由来のものだ。RNAやDNAなどの遺伝子のかけらのようなものがタンパク質の衣をまとっただけの生命と言えるのかどうかも分からない奇妙な物質。感染の拡大は不可僻なものならいずれ人類との共存の道を選ぶしかない。選択肢は1.ゆっくりと感染を進めるか、2.自然のままに任せるか。どちらかしかない。

いま、西欧社会では、「オオカミが来た。」といって、国民に絶対感染させない策を強制しているようだ。報道でも感染者数だけが独り歩きしている。自然のままに任せれば、致死率が1%??。多くの命が失われる。感染をゆっくり進めれば問題は先送りできる時間は稼げるが、何時までたっても収束しない。 国民に感染を真に食い止めることが可能なのは、医療関係者のみ。その他大多数の国民は仕事もしないで避難所で待機。医療関係者と言っても、実際に法的に対応できる医師は極めて限られている。既に医療崩壊。だから、国民も怖くて感染できない。
新型コロナは、本当にオオカミ何でしょうか。でも、オオカミだって1万年の歴史で犬に変化し共生することに成功した。
国民大多数が、仕事を放棄してお金や食料を行政から支給されるようなやり方は、持続不可能。国民全部がパンとサーカス(マスクと自宅待機)を望んでいる状況では国は破綻する。でも、今の政府はお金なんて印刷すればいくらでもできると考えているようだ。

生物の世界

キツネがペットになる日

キツネは哺乳綱(食肉目=ネコ目)イヌ科イヌ亜科と分類されており、犬とキツネはもともと系統的に近い動物だ。でも、今では犬の先祖は狼であったことは確実視されている。オオカミは集団で狩りをする。人と同じ社会生活の動物。一方のキツネは単独で行動する。でも、人懐こいキツネを代々掛け合わせる品種改良を続けていると、抱き上げても喜ぶような人懐こいキツネを造り出すことに成功したのだ。一方、凶暴な性格のキツネを代々掛け合わせて行けば、凶暴な性格のキツネを造ることも出来ることも分かった。この研究は以前NHKでも紹介されていたが、シベリアにある遺伝研究所の動物の家畜化の研究プロジェクトの一環として今でも研究が続けられている。
ルイセンコ fox1 fox2 fox3
もともと、この研究所はドミトリー・べリアエフという高名な遺伝学者によって創設されたもので、動物の家畜化に関する研究では世界のトップランナーなのだ。ソビエト連邦の時代は、非常に特殊な事態がいくつも絡まり、生物学の世界では正当な考えとされていた遺伝の考え方が、ブルジョワ反動的世界観と結びつけられ、多くの学者が追放され、処刑されたり強制収容所の入れられたりと大変な時代となったらしい。
この責任は、当時台頭してきたトロフィム・ルイセンコという新参の農学者にあったとされている。しかし、真の原因は当時のソ連の指導者ヨシア・スターリンが直面した深刻な食糧不足にあったようだ。急激な農業の集団化を強制的に実施したことが大飢饉の原因だった。スターリンには何としても食料不足を解消する手段が欲しかったようだ。鉄のカーテンの向こうからの援助も期待したくない。標準的なメンデル遺伝学では改良小麦など、到底ありそうもない突然変異を期待しないと不可能だ。遺伝学者たちが、首を縦に振らない中、この新参の農学者が、適切に環境要因を操作すれば遺伝的性質が望ましい形質を持つような方向付けが可能だと主張し、スターリンがぞっこん惚れて飛びついたの実態のようだ。後継者となるフルシチョフにも多少の影響を与えたようだ。
しかし、ルイセンコの考えが間違っていたのか、それを元に実施された方策が不適切だったのが、更にもっと別な経済的な要因があったかは分からないが、ソ連邦の農業生産は結局向上せずに、ソ連邦は崩壊してしまう。遺伝の考え方が、ブルジョワ反動的世界観と結びつけられ、多くの学者が追放されたのは、中国の毛沢東思想も同じルーツみたいだ。
ところで、ベリアエフ氏はシベリアに左遷される。しかし、彼は中央の監視が届かないことを逆手に取り、正統な遺伝研究の基地をシベリアに作り上げることに成功する。キツネの研究は、犬の家畜化の過程を解明しようという意図がある。
犬の先祖のオオカミは、人と同じく集団で狩りを行うライバル同士だった。人もオオカミも互いに近くで生活するようになると、狼の中には人間が近づいても平気な個体が出現するようになる。自分が敵意を示さなければ、相手も敵意を示さない。人を見たら唸る狼より餌貰って尻尾振っている個体の方が生き残る率が高い。でも、その結果家畜化された犬はずいぶん体の形も変わったね。この進化は人類が犬を家畜化してからだから、せいぜい1万年以内に起こった変化だ。化石になった骨だけ見たら同じ種とは思えない。と言うより、人が動物を家畜化するまでは、起こりえない変化だ。
動物の家畜化を研究することは、何故生物か進化したかを解明するための重要なヒントを与えてくれる。犬の家畜化は、遺伝子自体はそんなに変化しなくても、その表現形態は大きく変えられる。しかし、いくら人間が努力しても犬は猫には代えられない。遺伝子と言うのは非常に保守的なものだ。犬とキツネが分岐してもその共通先祖の遺伝子はキチンと引き継がれている。つまり、キツネも犬と同様に品種改良してペットに出来る。メンデルの遺伝学では、進化の原動力を突然変異だけで説明しようとしていた。突然変異自体は基本的に遺伝子にとっては迷惑なことだ。いわゆるコピーミス、こんなものが進化の原動力か。でも、いま研究されている遺伝アルゴリズム。適当にコピーミスが発生するのを期待している面もない訳ではない。ダーウィンの進化論。未だに答えの出ていない面白い話題なのです。

生物の世界

ヨーロッパオオカミ

ヨーロッパオオカミはユーラシア大陸に広く分布している。NHKの地球ドラマチックで取りあげられた。日本オオカミは既に絶滅してしまったようだが、ヨーロッパの国々は野生のオオカミを何とか保存し、ヒトとの共生の道を探ろうという努力がなされているようだ。 タイトルは「孤高のオオカミ 3000キロの旅路」。

ヨーロッパオオカミ ルーマニアの森に暮らす雄のオオカミ・スラヴァ。ある日、群れから離れ、旅に出る決心をする。わざと群れの掟(おきて)を破り群れから追い出さる。孤高のオオカミの旅がすさまじい。ルーマニアの森からスペインまで。こんなことが可能なんですね。しかし、この撮影の旅も大変だったのでは。旅の途中のエピソードも面白い。

(1).旅の途中、狩りのパートナーとなるカラスと出会う。カラスは餌となりそうな獲物の位置を空から探知して教える。カラスは餌を一緒に食べることが出来る。カラスも知能の高い鳥、オオカミも相当知能が高い。互いのメッセージを交換し合えることが以外だ。

(2). 生涯の伴侶と出会い二人で旅を続ける。なかなか安住の地が見つからない。多くの森では既に先住者達が群れをつくっている。二人は群れに参加したいと希望するが、群れのリーダーに拒否される。

(3). そして新たな仲間となる若い雄のオオカミと出会い、仲間に入れる。若い雄オオカミは、メスを巡ってのライバルにはならないということ。

(4). 群れをつくるメリット。飢えたスラヴァが一人の時はヒグマの獲物を横取りしようとして失敗する。ヒグマの方が体も大きく当然相手にならない。でも二人で協力するとヒグマを撃退し見事餌を横取りする。前と後ろで挟み撃ちして常に後ろ側から攻撃を仕掛ける。前側のパートナーは威嚇するだけが役割。群れをつくれば1+1が2以上になる。

(5). せっかく仲間に入れた若い雄オオカミは、旅の途中で車道を横断中車にはねられて死亡。毎年世界中で大型の野生生物が心無いドライバーによってひき殺されているという。でも、最後はスペインの地で子供をもうけ、話は終わる。

(6). オオカミはフランスでは絶滅したと思われていた。でも、オオカミはかなりの長距離の旅をするので、今ではフランスにも復活して来たとのこと。

野生生物の観察記としては、「シートンの動物記」が有名だ。かっては、西欧キリスト教社会では、ヒトと動物は異なるので感情とか心のようなものは存在するはずがないと信じられていたようだ。だからシートンの動物記はあまりにも動物を擬人化しているとの批判もあった。しかし、最近は人は動物の一部であり、遺伝子の構造もほとんど変わらないことが分かって来た。群れを作る高等な生物は共感する心、分ちあいの精神が大事だ。生物の多様性を確保するためには、ヒトと野生生物がどのようにうまく棲み分けをするかにかかっている。分ちあいの精神が大切なようだ。

生物の世界

キャメル・ロード

シルクロード。古代からユーラシア大陸の東と西を結ぶ重要な通路だ。ただし「シルクロード」の概念は一義的ではなく、広義にはユーラシア大陸を通る東西の交通路の総称。具体的には北方の草原地帯のルートである草原の道(1)、中央の乾燥地帯のルートであるオアシスの道(2)、インド南端を通る海の道(3)の3つのルートをいう。しかし、狭義にはもっとも古くから利用されたオアシスの道を指してシルクロードといいこの方が一般化しているだろう。オアシスの道は中国からローマへは絹、アルタイ山脈から中国へは金が重要な交易品となっていたことから、このルートは「絹の道」あるいは「黄金の道」と呼ばれており、のちに草原の道や海の道が開けるまでは最も合理的な東西の交易路であった。その一部は2014年に初めて「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」としてユネスコの世界遺産に登録されているとのこと。
camel1   camel2
シルクロードを移動する交通手段は何だろうか。今なら四輪駆動の車だろうが、当時はそんなものは利用できない。馬車を使おうにも砂漠やぬかるみにはまって動けなくなるのが落ちだ。最初は徒歩が主流だったかも知れないが、そのうちに馬の背中に荷物を載せたとも考えられる。でも、実はもっと有効な手段がある。それがラクダの利用だ。

ラクダは人が家畜化した動物の中では最大のもの。例外は東南アジアでの象ぐらい。ラクダは野生の姿から余り形が変わっていない。でも、ヒトコブラクダとフタコブラクダの区別はある。フタコブラクダの方が若干寒冷な気候に強いこと以外、どちらが優れているという訳でもなさそうだ。

なぜ、シルクロードを移動する交通手段として優れているか。まず、ラクダは馬と比べて体が一回り大きい。だから大量な荷物を運べる。生格は我慢強く従順。水や食料の乏しい乾燥地帯でも何日も我慢できる。だからシルクロードはラクダの隊商たちが往復する道だったということだ。ヒトコブラクダは西側に多く、フタコブラクダは東側に多いとされる。中央アジアに行けば、両方のラクダが仲良く草を食んでいる風景を見ることが出来る。

東の中国側からフタコブラクダに積まれた商品は、中央アジアのオアシス都市で、ヒトコブラクダの背中の商品と交換し、また東に帰っていき、西から来たヒトコブラクダの背中に積まれた商品は、同じように東から来た商品に詰め帰られてまた、西に帰っていく。
ヒトコブラクダとフタコブラクダをかけ合わせれば、その子供はどうなる。メンデルの法則が成り立つんでしょうか。ミツコブのラクダが出来る心配は無いようだ。ラクダの隊商達にとってはコブの数はどうでもいい問題なんでしょう。しかし、ラクダの最大の役割は輸送手段なので、車社会になって来て、その役割がドンドン小さくなった行っているようだ。

ラクダは、イスラム圏では戦争にも使われていたようだ。騎兵ならぬ駱駝兵なんて言うのがあって、西欧の十字軍騎兵達は散々苦しめられたらしい。ラクダは馬よりも体が一回り大きい。相手方の馬は恐れをなして逃げ出してしまうらしい。だから、アラビアのベドウィン族などにとっては、ラクダはいまでも大変貴重な財産らしい。
世界の物流が、陸路から海路に転換していったことで、シルクロードの価値は低下してしまった。オアシス都市が衰退し、駱駝が無用の存在になりつつある。

一帯一路(いったいいちろ、拼音: Yídài yílù、英語: The Belt and Road Initiative)は、習近平総書記が提唱した経済圏構想で、史上最大規模のインフラ投資計画と言われている。どうもこの道は、鉄道が主体のようだ。しかし、シルクロードの復活という意味では注目できそうだ。それで、現代版のシルクロードは何を運ぶというのか。情報化時代。東西の人間の交流という面が最も大きな側面でしょう。

生物の世界

シアノバクテリア

藍藻 藍藻、シアノバクテリア (藍色細菌、cyanobacteria) とよばれることも多いが、地球上に初めて現れた酸素発生型光合成生物(およそ25〜30億年前)のようだ。これによって地球は太陽系でただ一つの大気に酸素を有する惑星になる。
おそらく藍藻の光合成によって、地球上に初めて酸素と有機物が安定的に供給されるようになったはずだ。これによって最初に大量の鉄鉱石が生成され、いま人類がそれを利用している。

ストロマトライト それに続いて大気中に大量に酸素が供給され多くの微生物が絶滅し、代わりに酸素呼吸を行う生物が増加する。また、酸素の大量増加でオゾン層が形成され、地上に届く紫外線の減少から陸上でも生物が住めるようになる。このように地球環境は激変し (大酸化事変とよばれる)、現在へとつながる生態系の基礎が築かれたといえる。

酸素発生型光合成というシステムは、生命の歴史の中で唯1回、藍藻の祖先において誕生した。この酸素発生型光合成能は、細胞内共生 (一次共生) を経て葉緑体の形で真核生物に取りこまれ、多様な真核藻類 や陸上植物 のもととなる。おかげで海や陸の動物達も進化できるようなった。
光合成色素として、緑色のクロロフィルの他に、青いフィコシアニンを多くもつため、青緑色 (藍色) をしていることが多い。細菌の中には、他にも光合成を行うグループが存在するが (光合成細菌と総称される)、酸素発生型光合成を行う細菌は藍藻のみ。

アオコ 藍藻(blue-green algae)とは、酸素発生を伴う光合成 (酸素発生型光合成) を行う細菌の一群、またはそれに属する生物のことをいう。系統的には細菌ドメイン (真正細菌) に属する原核生物であり、他の藻類よりも大腸菌や乳酸菌などに近縁である。
藍藻は単細胞、群体、または糸状体であり、原核生物としては結構複雑な形に見えるものもある。細胞は直径 1 µm 以下のこともあるが、原核生物としては大型のものが多く、直径 100 µm に達するものもいる。藍藻は原核生物であり、DNAは核膜に包まれず、また葉緑体やミトコンドリア、ゴルジ体などの細胞小器官をもたない。細胞内で生体膜に包まれた構造としては、光合成における光化学反応の場であるチラコイドのみが存在する。
藍藻は今でも海から淡水、陸上に広く生育し、藍藻がいない環境を探すのは難しい。量的にも多く、その生物量は10億トンに達するとの試算もある。またアオコや健康食品などの形で人間生活とも密接に関わっている。

生物の世界

ミトコンドリア

ミトコンドリアは不思議な生き物??だ。細胞の中にある別の細胞のように見えるからだ。二重膜に包まれ、自分自身のDNAを持っている。自由生活する酸素を利用できる細菌が別の最近に取りこまれ共生生活を始めたのが起源とする説が出てきて、今ではそれが概ね認められた説のようだ。

ミトコンドリア ミトコンドリア
総ての動物、植物等の真核生物の細胞内のミトコンドリアの起源は単一であることが分かって来た。ミトコンドリアは真核生物の細胞から出たら活きて行けない点では、それ自身単独の生物とは言えないかもしれないが、元をたどれば好気性細菌でリケッチアに近いαプロテオバクテリアというものが候補に挙がっているらしい。 ミトコンドリアはソーセージのような形をした細胞内器官で、酸素と糖などから真核生物のためのエネルギーをせっせと作っている。更に、鉄硫黄タンパク質に必要な、鉄硫黄クラスター(複合体)を造ることも重要な役目らしい。

ミトコンドリアのDNAは、動物の遺伝子にも、真核生物の遺伝子にも似ていない。一番似ているのは細菌の遺伝子らしい。ということでミトコンドリアがどのような細菌から進化したのかが問題になる。最近の研究では、SAR11というありふれた海洋細菌のクレード(分類群)が候補に挙がっている。海洋性細菌の25%がこのクレードに含まれる。これらの細菌は海水に溶けた炭素や酸素を利用している。

** SAR11
リケッチア目は、αプロテオバクテリアに属する細菌からなる分類群であり、その多くは他の細胞の内部でのみ生存可能である。 ヒトに各種疾病を引き起こすリケッチアのような病原体が含まれているが、細胞内共生説においてミトコンドリアの起源となった細菌もここに由来すると考えられている。ウイルスがリケッチアやそれに類似の生物から生じたと考える者もいる。培養が困難であることもあり、プロテオバクテリアの中でも最も謎につつまれたグループといえる。 リケッチア目には、主として海洋から見出されるSAR11という難培養系統を含んでいる。ここには自由生活性で浮遊性の種が多数存在しており、例えば世界中の海洋に遍在する細菌が所属している。この系統はリケッチア目の中でも最も祖先的な位置から派生しており、ミトコンドリアの起源は自由生活性のSAR11とその他の細胞内寄生性のリケッチアとの間に由来すると考えられている。

**クレード:系統群(Clade)とは、共通の祖先から進化した生物群のこと。側系統群、単系統群、多系統群などがある。

生物の世界

ネコ科動物の進化

ネコ科系統

ミアキスは、約6,500万前~4,800万年前(暁新世から始新世中期)に生息した小型捕食者です。現代のイヌやネコ、アシカなどを含む食肉目の祖先、あるいは祖先に近縁な生物と考えられています。
フォッサ  体長は約30cmで、胴は長くほっそりしており、長い尾、短い脚などから、イタチあるいは、現在マダガスカルのみに生息するフォッサなどに似た姿であったと推定されています。後肢は前肢より長く、骨盤はイヌに近かったようです。四肢の先端には、引っ込める事の出来る鉤爪を備えた、五本の趾がありました。頭骨については、身体に対する脳頭蓋の比率からいうと、同時期の肉歯類などよりも大きめです。
**フォッサ
フォッサは、哺乳綱食肉目マダガスカルマングース科フォッサ属に分類される食肉類。本種のみでフォッサ属を構成する。マダガスカル島の唯一の食肉類で貴重な動物だ。

ヒアエノドン 当時の地上はヒアエノドンなど肉歯類が捕食者の地位を占めていたため、新参の彼らは樹上にとどまっていた。その生態は現生のテンのようであったとされ、おそらくは鳥類や爬虫類、同じ樹上生活者である小動物などを捕食していたと思われます。でも、肉歯類は間もなく絶滅し、食肉目の動物達にニッチが埋められる。

**肉歯目:
肉歯目は、約5500万年前から約800万年前(新生代古第三紀暁新世後期から新第三紀中新世後期)にかけて生息していた、原始的な肉食性哺乳類の一分類群である。
当時のアフリカおよびローラシア、すなわち、現在のアフリカおよびユーラシアと北アメリカにあたる地域(これらは当時、一つの大陸であった)に広く分布していた。
かつて肉歯目は食肉目の祖先と考えられていた。しかし現在では、さらに古い祖先を共有する関係だと見なされている。

プロアイルルス プロアイルルス(Ploailurus)はおよそ2,500万年前(漸新世後期~中新世)に、ヨーロッパからアジアにかけて生息していた肉食獣です。プロアイルルスは小柄で、体重はおよそ9キロほどだったと考えられていますので、今の猫よりもほんの少しだけ大きいくらいです。長い尾、大きな目、鋭利なかぎ爪と歯をもち、今で言うジャコウネコに近かったと考えられています。かぎ爪はある程度出し入れが可能で、ジャコウネコ同様、樹上で生活することもあったようです。いまだ決定的な証拠は無いものの、後述するプセウダエルルスの祖先であると考えられています。

プセウダエルルス プセウダエルルス(Pseudaelurus)は、プセウダエルルスおよそ800万~2,000万年前(中新世)にヨーロッパ、アジア、北アメリカに生息していた先史時代の動物です。現代のネコ科動物の祖先と目されており、また絶滅したマカイロドゥス亜科(サーベルタイガーなど)にも枝分かれしていました。細身の体やジャコウネコのような足の形から、動きが敏捷で木登りもうまかったと推測されています。<> Pseudaelurus is a prehistoric cat that lived in Europe, Asia and North America in the Miocene between approximately twenty and eight million years ago. It is an ancestor of today's felines and pantherines as well as the extinct machairodonts (saber-tooths), and is a successor to Proailurus. It originated from Eurasia and was the first cat to reach North America, when it entered the continent at about 18.5 Ma ending a 'cat-gap' of 7 million years. The slender proportions of the animal, together with its short, viverrid-like legs, suggest that it may have been an agile climber of trees.
Pseudaelurusは、約2,000〜800万年前に中新世のヨーロッパ、アジア、北米に住んでいた先史時代の猫です。 それは、今日のネコ科動物とパンテリン類、および絶滅したマカイロドン(セイバーの歯)の祖先であり、プロアイウルスの後継者です。 ユーラシア大陸を起源とし、北米に到達した最初の猫であり、約1850万年前に大陸に入り、700万年の「キャットギャップ」を終えました。 動物の細長い部分は、その短くて活気に満ちた足と一緒に、木々の機敏な登山者であったかもしれないことを示唆しています。

サーベルタイガー マカイロドゥス(マカイロドゥス亜科)は、肉食哺乳動物であるネコ科の亜科として位置づけられます。中新世から更新世にかけて、アジア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、そしてヨーロッパに限定的に生息していました。サーベルタイガー(saber-toothed cat)の名称で有名な、絶滅した「スミロドン」や、スミロドンと似た動物を含み、長く伸びた犬歯を特徴としています。
 サーベル状の牙(犬歯)の見た目は頑丈そうですが、実は平べったくて意外にもろいものでした。このことから、獲物の「うなじ」にグサリと牙を突き刺すのではなく、首の前面にある気管や頚動脈を切断するために使われていたのだろうと推測されています。

ネコ科動物の系統樹
ネコ科系統  2007年、アメリカの遺伝学者スティーヴン・J・オブライエン氏らが行った遺伝子調査によると、現在生息しているすべてのネコ科動物の祖先は、今からおよそ2000万年前、ヨーロッパあたりに生息していたプセウダエルルスである公算が高いとのこと。中でも1100万年前頃、アジアに生息していたヒョウのような捕食動物の一種が、ネコ科動物の共通祖先であろうとしています。
 この「アダムとイブ」からおよそ1000万年かけて枝分かれしたネコ科動物は、私たちがよく目にする猫(イエネコ)を含めて、現在37種とするのが一般的です。オブライエン氏らによると、遺伝的に見てこれら37種を8つの系統に分割するのが妥当で、この見解は形態学的、生物学的、生理学的に見ても矛盾しないとのこと。以下では、同氏らが推定していいるネコ科動物の系統樹、およびネコ科に属する8系統37種をご紹介します。

ヒョウ系
 ヒョウ系(Panthera)は大型肉食動物で、大きいものでは体重が350kgに達することもあります。分類学上は「Panthera属」と「Neofelis属」を含みます。ウンピョウに属する2種以外では吠えることができるのが特徴です。祖先種から分岐したのは、全てのネコ科動物の中で最も早い1080万年前頃と推定されています。
ライオン/ヒョウ/ジャガー/トラ/ユキヒョウ/ウンピョウ

ボルネオヤマネコ系
 ボルネオヤマネコ系(Bay Cat)は、主に東南アジアの熱帯地帯に生息する小型の動物で、体重は2~16kg程度です。DNA解析をする前まで分類が困難だったマーブルキャットもここに含まれます。祖先種から分岐したのは今から940万年前頃とかなり初期ですが、わずか100万年の差しかないヒョウ系とは20倍近くの体格差があります。
ボルネオヤマネコ/テミンクネコ/マーブルキャット

カラカル系
 カラカル系(Caracal)はアフリカにだけ生息している動物で、体重は5~25kg程度です。長くほっそりした四肢が特徴で、跳躍力は2~3mに達します。祖先種から分岐したのは、今から850万年前頃と推定されています。
カラカル/アフリカゴールデンキャット/サーバル

オセロット系
 オセロット系(Ocelot)は中央アメリカから南アメリカにかけて広く生息している動物で、体重は1.5~16kg程度です。祖先種から分岐したのは、今から800万年前頃と推定されています。
オセロット/ジェフロイネコ/コドコド/ティグリナ/アンデスネコ/コロコロ/マーゲイ

リンクス系
 リンクス系(Lynx)は北アメリカやユーラシアなど温暖な気候に暮らす動物で、体重は6~20kg程度です。分類学上は「Lynx属」を含みます。短いしっぽとピンと立った耳を特徴としており、かつては毛皮の供給源となったという悲しい歴史があります。祖先種から分岐したのは、今から720万年前頃と推定されています。
スペインオオヤマネコ/ヨーロッパオオヤマネコ/カナダオオヤマネコ/ボブキャット

ピューマ系
 ピューマ系(Puma)は北アメリカで生まれた後、各大陸へ散らばっていった動物で、体重は3~65kgと幅があります。祖先種から分岐したのは、今から670万年前頃と推定されています。
ピューマ/ジャガランディ/チーター

ベンガルヤマネコ系
 ベンガルヤマネコ系(Leopard Cat)はアジアの広い範囲にわたって生息している動物で、体重は2~12kg程度です。不思議な風貌で人気のマヌルネコだけは、590万年前というかなり早い段階で他の種から枝分かれしたようです。祖先種から分岐したのは、今から620万年前頃と推定されています。
ベンガルヤマネコ/スナドリネコ/マレーヤマネコ/サビイロネコ/マヌルネコ

ネコ系
 ネコ系(Domestic Cat)は、現在世界中で最も繁栄しているイエネコを含む系統で、体重は1~10kgとネコ科動物の中では最も小柄な部類に属します。祖先種から分岐したのは、今から340万年前頃と最も直近です。
イエネコ/ヤマネコ/スナネコ/クロアシネコ/ジャングルキャット

生物の世界

ハプログループ

ハプログループ(haplogroup)とは、単一の一塩基多型 (SNP) 変異をもつ共通祖先をもつような、よく似たハプロタイプの集団のことで、単倍群とも訳されている。
最近日本人のルーツとか、他の人類集団がどのように世界に拡散していったかをしらべるのに大変有効な手段として使われているらしい。
通常は、ミトコンドリア(女系)やY染色体(男系)を用いる。ミトコンドリアのハプログループを調べる話は「ミトコンドリア・イブ」という言葉とともに有名になった。この研究が発展して、人類がアフリカから各地へ移動していく経路も推定できるようになった。Y染色体ハプログループを人類全体について調べることで、世界各地の民族の由来を調べることもできるらしい。
生命の重要な遺伝情報は、細胞核の普通の染色体に乗っかっている。だから、遺伝子の突然変異は個体の生存に係わるため、生存に不利な遺伝子は淘汰されて消えてなくなる。
ところがミトコンドリアは核とは別の独自の遺伝子を持っており、生命維持にさほど影響を与えないため子孫に良く伝わる。従って、逆に遡って先祖をたどることが出来るという理屈のようだ。また、Y染色体も性を決めるだけの短い染色体(将来失われるかも知れないらしい)なので、あまり重要な突然変異(生存に影響する)が起こりにくく、確率的の生じる変異を上手くたどって先祖まで行きつくことが出来るらしい。Y染色体上の遺伝子数は78、X染色体上の遺伝子数は1,098とする報告もあり、解析も容易なのかな。
父系で遺伝するY染色体のハプログループ(=ハプロタイプの集団)をY染色体ハプログループという。Y染色体ハプログループを人類全体について調べることで、世界各地の民族の由来を調べることができる。
ミトコンドリアDNAハプログループとは、母系で遺伝するミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループのこと。これも同様に人類全体について調べることで、世界各地の民族の由来を調べることができるらしい。

生物の世界

脊椎動物

脊椎動物とは何でしょう。四足動物(両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類)の他、魚類も含まれます。魚類には硬骨魚類といわれる普通の魚(サバやマグロ、メダカ)に加えて、軟骨魚類といわれるサメやエイに仲間も脊椎動物と呼ばれるようです。脊椎動物の先祖に当たるのが脊索動物、ホヤとかピカイア等。Wikipediaでは以下のような説明が。

Vertebrates comprise all species of animals within the subphylum Vertebrata (chordates with backbones). Vertebrates represent the overwhelming majority of the phylum Chordata, with currently about 69,963 species described. Vertebrates include such groups as the following:
jawless fish, jawed vertebrates, which include the cartilaginous fishes (sharks, rays, and ratfish), tetrapods, which include amphibians, reptiles, birds and mammals, bony fishes.

** vertebrate=脊椎動物、subphylum=亜門、phylum =門、chordate=脊索動物 tetrapod=四足動物

脊椎動物は、脊索に加えて背骨を持ったもの。脊索動物の中の亜門と位置付けられているようだ。脊椎動物は昔からよく研究されて来たので、ほとんどの動物が含まれているみたいですが、実はほとんどの動物は脊椎動物でもないし、脊索動物でもないのです。例えば、昆虫は?。タコやイカは?。エビカニミミズは?。

Extant vertebrates range in size from the frog species Paedophryne amauensis, at as little as 7.7 mm (0.30 in), to the blue whale, at up to 33 m (108 ft). Vertebrates make up less than five percent of all described animal species; the rest are invertebrates, which lack vertebral columns.

extant=現存の、invertebrate=無脊椎動物
現存の脊椎動物は8mm程度のカエルの仲間から30mのクジラまでいます。しかし、分かっている種としては全動物のせいぜい5%以下で、他は総て無脊椎動物と位置付けられるのです。

hagfish The vertebrates traditionally include the hagfish, which do not have proper vertebrae due to their loss in evolution, though their closest living relatives, the lampreys, do. Hagfish do, however, possess a cranium. For this reason, the vertebrate subphylum is sometimes referred to as "Craniata" when discussing morphology. Molecular analysis since 1992 has suggested that hagfish are most closely related to lampreys, and so also are vertebrates in a monophyletic sense. Others consider them a sister group of vertebrates in the common taxon of craniata.

**hagfish=フグ??、lamprey=ヤツメウナギ、cranium=頭蓋骨skull、形態学=morphology、 in a monophyletic sense=単系統の意味で、

hagfishは、どうもフグとは異なります。ヤツメウナギと良く似た生き物。脊椎動物という代わり頭蓋骨を持った生き物という考えもあるようです。異論もあるようですが。

Etymology語源
The word vertebrate derives from the Latin word vertebratus (Pliny), meaning joint of the spine. Vertebrate is derived from the word vertebra, which refers to any of the bones or segments of the spinal column.

vertebrateの語源は、ラテン語からでセグメントが繋がったような背骨を表すらしい。

Anatomy and morphology解剖学と形態学
All vertebrates are built along the basic chordate body plan: a stiff rod running through the length of the animal (vertebral column and/or notochord), with a hollow tube of nervous tissue (the spinal cord) above it and the gastrointestinal tract below.

**gastrointestinal tract=消化管
脊椎は脊索に沿って形成されるようだ。その周りに神経管、消化管が形づくられる。

In all vertebrates, the mouth is found at, or right below, the anterior end of the animal, while the anus opens to the exterior before the end of the body. The remaining part of the body continuing after the anus forms a tail with vertebrae and spinal cord, but no gut.
**anterior end of=前端front end、exterior=外部、gut=腸、Vertebral column脊柱

体の前に口が、体の後ろの肛門が出来る。



coelacanth The defining characteristic of a vertebrate is the vertebral column, in which the notochord (a stiff rod of uniform composition) found in all chordates has been replaced by a segmented series of stiffer elements (vertebrae) separated by mobile joints (intervertebral discs, derived embryonically and evolutionarily from the notochord).
** notochord=脊索、
脊索が成長に伴って、脊椎に置き換えられていくようだ。

However, a few vertebrates have secondarily lost this anatomy, retaining the notochord into adulthood, such as the sturgeon and coelacanth. Jawed vertebrates are typified by paired appendages (fins or legs, which may be secondarily lost), but this trait is not required in order for an animal to be a vertebrate.
** sturgeon=チョウザメ、coelacanth=シーラカンス
coelacanth
最近は遺伝子に基づく、現生生物の解析からずいぶん色々分かって来たみたいだ。

生物の世界

前口動物と後口動物

基本的にすべてに動物は、前口動物と後口動物に二分される。
前口動物(Protostome)は、初期胚に形成された原口がそのまま口となって発生する動物。原口動物・先口動物・旧口動物ともいう。
一方、後口動物(Deuterostomia)とは、原口が口にならず、肛門となり(あるいは、原口の付近に肛門が形成され)、口は別に形成される動物。新口動物(しんこうどうぶつ)ともいう。 前口動物には、扁形動物・輪形動物・腹毛動物・環形動物・軟体動物・節足動物など、多くの動物門が含まれる。
<胚に出来た空洞の最初の穴。この穴がそのまま口になるのがゴキブリで、お尻の穴になるのが僕達人間か。
後口動物には、棘皮動物・半索動物・脊索動物が含まれる。
刺胞動物などの2胚葉性動物はどちらにも含まれない。真体腔性の動物についてのみ言われることもある。
左右相称動物の進化の初期に、前口動物と後口動物が分岐したと考えられている。陸上動物は、羊膜類になってから本格化。両生類は子供時代は水の中(オタマジャクシ等)で育つ。
初期胚に形成された原口というものが、入り口になるか出口になるかで、その後の分岐が大きく分かれることになる。

**扁形動物とは、扁形動物門 Platyhelminthes に属する動物の総称。プラナリア、ヒラムシ、コウガイビル、サナダムシなどが扁形動物門に属する。
「扁形」と呼ばれるようにこの門の動物は平らな形をしている。循環器官や特別な呼吸器官を持ってはいない。血管やえらがなく、体に栄養や酸素を運ぶには拡散に頼っている。

**輪形動物は、いわゆるワムシ類と総称される動物の分類群である。

**腹毛動物とは、淡水および海産の微小な多細胞動物。

**環形動物(とは、環形動物門に属する動物の総称である。多くが原則として体節制をもち、体は環状の柔らかい体節に分かれている蠕虫状の動物である。環帯類(ミミズとヒルなど)、多毛類(ゴカイなど)を含むほか、体節構造を二次的に失い、かつては独立した門だと思われていたシボグリヌム科(有髭動物)、ユムシ類(ユムシ動物)、ホシムシ類(星口動物)を含む事が分子系統解析から分かり、多毛類が非単系統群である事もわかっている。

**棘皮動物とは、棘皮動物門に属する動物の総称である。ウニ、ヒトデ、クモヒトデ、ナマコ、ウミユリなどが棘皮動物に属する。

**半索動物は、後生動物の1グループである。ヒトなどの脊索動物や棘皮動物とともに新口動物に属する。おそらく棘皮動物に近縁だが、新口動物の基底的な側系統とする説もある。腸鰓類(ギボシムシ類)と翼鰓類(フサカツギ類)の2つの主要な現生グループを含む。ギボシムシ類は柔軟性に富む肉質の体を持ち、浅海の砂泥中に生息している。フサカツギ類は深海底などで群体を形成し、固着性の生活をしている。また、筆石とよばれる化石は、フデイシ類という絶滅した第3のグループに分類される。

生物の世界

多細胞生物

多細胞生物(multicellular organism)とは、複数の細胞で体が構成されている生物のこと。一つの細胞のみで体が構成されている生物は単細胞生物。動物界や植物界に所属するものは、みな多細胞生物。菌界のものには多細胞生物と若干の単細胞生物が含まれる。肉眼で確認できる大部分の生物は多細胞生物。

単細胞生物は一細胞が一個体であり、細胞分裂がそのまま個体の増加につながるのに対し、多細胞生物の有性生殖では生殖細胞のみが次世代に引き継がれる。個体の増殖速度は単細胞生物の方が早く、短時間での繁殖には有利であるが、多細胞生物は細胞を専門化させ複雑な機能を獲得することにより生存を有利にする戦略をとってきた。

生物は進化の過程において複数回にわたって多細胞体制を獲得してきたようだ。動物、菌類、植物はそれぞれ独立に多細胞化したと考えられている。比較的最近になって多細胞化した生物としては群体ボルボックスが知られている。化石の記録によると最初の多細胞生物は約10億年前に誕生したとされており、生物の誕生が35億年前であるから、多細胞化には25億年近くも必要としたことになる。多細胞化においては細胞同士の接着や、周りの細胞との協調が必要とされることから細胞間での情報伝達(シグナル伝達)が発達する必要があり、単細胞真核生物にこれらの機能が備わるまでに時間がかかったと考えられている。
多細胞生物というのは、細胞がたくさん集まっているだけでなく、細胞間に役割分担ができ、全体として一つの生物となっていることが必要だ。

よく発達した多細胞生物は様々な種類の細胞からなっているが、有性生殖においては、受精卵と呼ばれる一つの細胞に始まる。受精卵から成熟した個体になる過程を個体発生と呼び、元の細胞から異なる細胞が生じることを分化と呼ぶ。ただし種々に分化した細胞においても基本的にゲノムは同一であり、すべての細胞は同一の遺伝情報をもっている。これは遺伝子発現やクロマチン状態の違いに依存しているとされる。

** クロマチン(chromatin):
真核細胞内に存在するDNAとタンパク質の複合体のことを表す。クロマチンとは、元来『細胞核内の染色されやすい物質』を指す語として、ヴァルター・フレミングによって初めて導入された語。日本語では染色質と訳される。クロマチンと共によく使われる語に染色体(chromosome)があるが、染色体とは元来、有糸分裂期の細胞においてクロマチンが構造変換して作り出される棒状の構造体を指す。このように原義をたどると、chromatinが不可算名詞であるのに対してchromosomeが可算名詞であることは理解しやすい。
その後の研究の発展と共にクロマチンという語のもつ意味合いは変わってくる。クロマチンに含まれるDNAが遺伝情報の担体であると認識されてからは、その貯蔵形態としての役割が強調されてきたが、最近では、遺伝子の発現・複製・分離・修復等、DNAが関わるあらゆる機能の制御に積極的な役割を果たしていると考えられるようになってきた。
ヒト二倍体細胞に納められているDNAの総延長はおよそ2 mに達する。これを直径約10 μmの核に収納するための構造がクロマチンである。クロマチンを構築するうえで最も基本となる構造が、ヌクレオソーム(nucleosome)である。

**ヌクレオソーム
ヌクレオソーム(nucleosome)は、すべての真核生物に共通するクロマチンの基本的構成単位。 ヌクレオソームは、4種のコアヒストン(H2A、H2B、H3、H4)から構成されるヒストン8量体に146 bpの2重鎖DNAが巻き付いた構造をとる。2つのヌクレオソームをつなぐ部分のDNAはリンカーDNAと呼ばれる。この構造を電子顕微鏡で観察すると、DNA鎖上にビーズが並んでいるように見える。 アダ・オリンズ、ドナルド・オリンズ夫妻、ロジャー・コーンバーグらによって1974年に提唱されたヌクレオソーム説は、その後の遺伝子発現研究の基盤をつくった。古細菌もヒストン様のタンパク質をもち、ヌクレオソーム様の構造が観察されているが、その解析は進んでいない。

生物の世界

襟鞭毛虫

襟鞭毛虫 襟鞭毛虫(えりべんもうちゅう、Choanoflagellate)は、小さな単鞭毛の鞭毛虫で、単細胞生物の中では我々動物(後生動物)に最も近いとされる。動物門と並び、コアノゾアを構成するクレードのひとつである。 およそ50属150種ほどが記載されているという。
何故、この生物をここで注目したかというと、これが多細胞生物の共通祖先である可能性があるかららしい。襟鞭毛虫のような生物が集合して群体を造り、そのうちに個々の細胞が役割分担をするようになり、多細胞生物が生まれたというのだ。

襟鞭毛虫は小さな鞭毛虫で、体長が10μmを超える事は稀。1本の鞭毛を持っており、その基部を微絨毛が環状に取り囲んで襟 (collar) と呼ばれる構造を形成。鞭毛は水流を起こしてバクテリアなどの餌粒子を集め、これを襟が捕捉する事で摂食を行う。固着性の種は鞭毛の反対側に柄を持ち、基物に付着したまま摂食を行い生活する。
餌粒子の捕食だけでなく、自由遊泳性の種では鞭毛は細胞の遊泳にも用いられる。この時鞭毛はヒトの精子と同様に細胞の後方に向けられる。これは、他の大部分の鞭毛虫が鞭毛を進行方向に伸ばすのとは対照的であり、襟鞭毛虫が後生動物に近縁である根拠の一つになっている。襟鞭毛虫も古くは二本鞭毛であったと考えられているが、二本目の鞭毛は現在では退化しており、基底小体の痕跡が残るのみである。非常に奇妙奇天烈な生き物だね。動物門でないので動物ではないみたいだ。もちろん植物でもない。

多くの襟鞭毛虫はロリカ (lorica)といわれる籠状の殻を形成する。ロリカは淡水種では有機質のみ、海産種では有機質に加えてケイ酸質。ロリカは複雑な籠のような形態をしており、針状の珪酸パーツが縦横に組み合わされて形成されている。パーツの接合点はセメント質により接着されている。ロリカの構造は襟鞭毛虫の分類上重要な形質であるが、光学顕微鏡で形態を識別するのは難しく、同定に際しては電子顕微鏡が用いられる。
葉緑体を持つ襟鞭毛虫は発見されておらず、その痕跡器官や葉緑体DNA なども見つかっていない。だから、総ての襟鞭毛虫は、餌粒子を捕食して生活する従属栄養性。
多細胞生物である海綿動物に存在する襟細胞(choanocytes)は、襟鞭毛虫に似た構造の細胞。襟細胞は扁形動物など他の動物にもしばしば見られる事から、群体性の襟鞭毛虫が多細胞動物の起源であると考える説もある。襟細胞の他にも、珪酸の代謝経路や収縮胞の使われ方などにも後生動物との共通点が見出されている。
Proterospongia 属や Sphaeroeca volvox の巨大なコロニー(300-500μmに達する)では、コロニー内の細胞形態に分化が見られる。表層付近の細胞が鞭毛や明瞭な襟を持つのに対し、群体の中央付近の細胞は球形で襟や鞭毛、ロリカが発達しない。このような細胞形態の変化が、多細胞生物における細胞の分業体制の起源となったとする意見もある。
淡水域、海水域共に広く分布するが、細胞のサイズが小さい、色素体を持っていない、ブルームを形成しない、などの理由から人目に触れる機会は少ない。また、毒素を産生する種や、寄生性・病原性の種などは知られていない。また、襟鞭毛虫は全て従属栄養性である為、海洋においては有光層以深にも分布する。特に脆弱なロリカを持つ種は、物理的撹乱の激しい表層付近よりも、環境の安定した深海を好む傾向にある。
**後生動物
後生動物 (Metazoa)は、生物の分類群の1つで、真核生物のオピストコンタに属する。海綿動物、中生動物、節足動物、脊索動物などを含む。後生動物全体の単系統性はある程度信じられているらしい。どうも後生動物とは多細胞の動物達のようだ。植物はまた別なんでしょう。現在の後生動物は、4つのグループ(タクサ)に分類されるとの考えがある。
① 海綿動物 (Poriferia)/②センモウヒラムシ (Trichoplax) = 平板動物 (Placozoa)/③ 中生動物 (Mesozoa)/④動物 (Animalia) = 真正後生動物 (Eumetazoa)

海綿 平板動物 中生動物
海綿動物は、襟鞭毛虫が群体を作って幾分組織化したような生物。外側は固い骨格で覆われている。海水が外側の骨格の小穴から流入し、上から煙突のように吐き出す。水の流れを鞭毛を使っておこしている。
センモウヒラムシ(平板動物)は極めて単純な形。体には一応表と裏があるらしい。
中生動物も後生動物への進化の過程のような単純なつくり。
真正後生動物というのは我々が動物と認識している種のほとんど総てだ。平板動物も中生動物も単細胞生物から多細胞生物への進化の共通の先祖の兄弟達か。なんだかエディアカラの動物達とも似ている。

**タクソン(taxon、複:タクサ=taxa)とは、生物の分類において、ある分類階級に位置づけられる生物の集合のこと。訳語としては分類群(ぶんるいぐん)という用語が一般的である。taxonomic unit、taxonomical groupと同義。英語では単数と複数で形が異なることがある。カタカナで書くと紛らわしい。

***中生動物
中生動物(Mesozoa)とは、後生動物としての体組織や器官を完全には備えていない動物である。かつては、中生動物門(Phylum Mesozoa)として1つの門にまとめていた。かつては後生動物に含めることのできない所属不明の小型多細胞動物が無差別に入れられ、動物分類の屑籠(Wastebasket taxon)のようであったが、のちにそれらは除かれ、二胚動物(菱形動物)と直泳動物の2群が置かれるようになる。しかしこれらは互いに系統関係がないと考えられ、現在ではそれぞれ独立した動物門に置かれるのが普通。原生動物と後生動物の間の進化段階を示す単語として用いられる。
**オピストコンタ
オピストコンタまたは後方鞭毛生物(Opisthokonta)は真核生物の主要な系統の1つで、動物(後生動物)と真菌に加えて数グループの原生生物を含む。語源は、ギリシャ語の opistho-(後方)+ kontos(鞭毛)。
これらの生物が単系統群であることは、遺伝学および微細構造の双方の研究から強く支持されている。共有形質は、動物の精子やツボカビの胞子のような鞭毛を持った細胞が、後ろ側にある1本の鞭毛で進むことであり、これが語源になっている。対照的に、これ以外の真核生物では鞭毛を持った細胞は1本ないし複数の前方の鞭毛で進むということらしい。それじゃー、ヒトの先祖の先祖の…共通先祖は、精子のように1本の鞭毛をもっただけの単細胞生物だったのか。
**コアノゾア
コアノゾア類 (コアノゾア類、Choanozoa)は、襟鞭毛虫類と後生動物から構成される、真核生物のオピストコンタの系統群のひとつ。襟鞭毛虫類と動物による姉妹群という関係性は、動物の起源を探る上で重要な意味を持つ。

**アーケプラスチダ
アーケプラスチダ(Archaeplastida)は、真核生物の主要な系統の1つであり、陸上植物、緑藻、紅藻と、さらに灰色植物と呼ばれる藻類の小さなグループからなる。これらの生物はみな、2枚の膜に囲まれた、したがって細胞内共生したシアノバクテリアから直接派生したと考えられるプラスチドを持っている。 共生が一回だけの植物群という意味で一次植物 (Primoplantae) という語もある。アーケプラスチダ以外のグループでは、プラスチドは3ないし4枚の膜に囲まれており、緑藻あるいは紅藻から二次的に獲得したものと考えられている(二次植物)。
細胞には通常は中心体がなく、クリステが平板状のミトコンドリアがある。たいていセルロースを含む細胞壁があり、養分はデンプンの形で貯蔵される。ただしこうした形質は他の真核生物にも見られる。アーケプラスチダが単系統群である証拠は、分子系統学的研究によってプラスチドがおそらく単一起源であることが示される、ということから来ている。 アーケプラスチダ類は大きく2つの進化系統に分かれる。紅藻はたいていのシアノバクテリアと同様に色素としてクロロフィルaとフィコビリンを持っている。一方、緑色植物(緑藻と陸上植物)はクロロフィルaとbを持っておりフィコビリンは持たない。ただ灰色植物の位置付けはよくわからない。灰色植物はシアノバクテリアの標準的な色素を持っているのみならず、妙なことにプラスチドに細胞壁が残っている。

生物の分類は、昔とは今では全く違ってしまっている。動物か植物かの二分法は全く過去の話。動物と菌類はオピストコンタで共通。植物と一部の藻類はアーケプラスチダ。どれにも属さない生物が沢山いる(たいていは単細胞)らしい。多細胞生物にたどり着くまでに、何億年もの進化の試行錯誤の歴史があったんだ。

生物の世界

線形動物門

線虫 カエノラブディティス・エレガンス (Caenorhabditis elegans) は、線形動物門双腺綱桿線虫亜綱カンセンチュウ目カンセンチュウ科に属する線虫の1種。実験材料として非常に優れた性質をもつことから、モデル生物として広く利用されている。多細胞生物として最初に全ゲノム配列が解読された生物でもある。通常は C. elegans (シー・エレガンス)と呼ばれる。 体長約 1mm で透明な体をもつ。多くの線虫が他生物に寄生することが知られるが、線形動物門に占める割合としては大半の種は寄生生活ではなく、本種も自由生活性。土壌に生息し細菌類を食べる。実験室では寒天培地上に生やした大腸菌を餌として飼育される。
ただし、その生息地には謎がある。本種を記載したフランスの動物学者、Emile Maupas は本種を2度採集しており、それはいずれもアルジェ空港近辺の腐植土からと記している。ところが、Félix & Braendle 2010によると、彼らが世界中の野外の土壌サンプルを相手にした範囲では、本種が採集されたことは1度もないという。その代わり、人為的に作られた堆肥からは比較的よく採集される。
雌雄同体成虫の体細胞は 959 個、雄では 1031 個。神経、筋肉、消化管、表皮、生殖巣といった組織、器官をもつ。胚は約14時間で孵化し、幼虫(L1-4)はクチクラ層の脱皮を4回繰り返し成虫になる。体の半分以上の体積を占める生殖系列細胞は 1000 個を越えることもある。 神経細胞はわずか 302 個で、頭部の神経環と呼ばれる部位に多数集まり脳に相当する領域を形作っている。これだけの細胞で物理刺激に対する回避運動や、化学物質(塩化ナトリウムなど)や温度と餌を関連付けた学習やベンズアルデヒドなどの誘引性揮発性物質に対する順応などの行動を示す。また、個々の神経がどの細胞とシナプスもしくはギャップジャンクションを形成しているかが透過型電子顕微鏡の連続切片像から完全に再構築されていることや、レーザーを照射して特定の神経細胞を破壊する実験などから、どの神経細胞がどのような行動に関わるかもある程度わかっている。
性染色体による性決定は XO 型である。XX の個体は雌雄同体になり、XO の個体は雄になる。雌雄同体は幼虫期に 300 個弱の精子を作り、成虫期になると卵形成し、貯めておいた精子を使って自家受精を行う。一個体が産卵する子孫は 300 匹弱。このことは実験上、遺伝的な背景を均一にすることに役立つ。一方、雄は約 0.1% の割合で現れる。これと雌雄同体とを交配させることも可能。

モデル生物としての C. elegans
モデル生物としての歴史は1960年代に始まる。当時シドニー・ブレナーは発生過程と神経系の問題が今後の生物学で重要な分野になると考えた。分子生物学の成功には、大腸菌などのモデル生物(取り扱いやすく、大量に培養可能で、遺伝学や生化学的手法が使えるという性質をもっている)を使ったことが大きく関与していると考えた彼は、同様の特徴を持つ多細胞生物として C. elegans をモデル生物とすることを提案した。
それ以前の発生生物学上のモデル生物としては古典的な発生学以来のウニやイモリ、分化の過程に関しては細胞性粘菌(キイロタマホコリカビ)がよく使われたが、前者はその体が大きく複雑に過ぎ、後者では体の構造がないに等しく、多細胞動物とは比較できない。そのため、後生動物でありながら体が小さく細胞数が少なく、しかも培養がたやすいものが必要であり、C. elegans はこれらの条件に良く合っている。
C. elegans をモデル生物として確立し、器官発生とアポトーシスの遺伝制御に関する発見をした成果に対し、ブレナーおよびロバート・ホロビッツ、ジョン・サルストンは2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
1990年にヒトゲノム計画のモデル系として、全ゲノム配列の決定が3年間のパイロットプロジェクトとして開始された。これはアメリカ国立衛生研究所とMRC分子生物学研究所の資金提供によるものである。1994年の資金追加を経て、1998年に多細胞生物として初めて 97Mb の塩基配列読み取りが完了した。その結果、6本の染色体上に約 19,000 個の遺伝子の存在が予測された。
また、2本鎖の RNA を導入すると、それと相同の配列を持つ遺伝子の発現が抑制されるという、RNAi と呼ばれる遺伝子抑制手法が初めて確立された生物でもある。1998年にアンドリュー・ファイアーらにより報告されたこの現象は siRNA の発見へとつながり、現在遺伝子治療でもっとも期待される手法の一つとなっている。RNAi という現象を発見した成果に対し、ファイアーとクレイグ・メローは2006年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
2015年に九州大学の研究グループは、 C. elegans を使って、被験者の尿の臭いを利用して早期かつ高精度のがん検診に成功したことを発表した。

**線形動物は、線形動物門に属する動物の総称である。線虫ともいう。回虫・鞭虫などが含まれる。大半の種は土壌や海洋中で非寄生性の生活を営んでいるが、同時に多くの寄生性線虫の存在が知られる。植物寄生線虫学 (nematology) では農作物に被害をもたらす線虫の、寄生虫学 (parasitology) ではヒトや脊椎動物に寄生する物の研究が行われている。

生物の世界

浸透圧

生き物の体は細胞から出来ており、細胞は総て膜で覆われている。この膜は完全な不透水の膜では、細胞は外との物質のやり取りは出来ないし、自由に水が出入りできるようでは細胞としての一体感は保てない。選択的な物質の出入りが必要なのだ。基本的な物理特性としては、浸透圧の利用がある。

浸透圧 図に示すように、U字管の中央が、膜で仕切られているとしよう。左側には水にある物質を溶かした溶液がある。右側を純粋な水としよう。中央の膜は浸透膜と言って、水分子(溶媒)は通すことが出来るが、溶けている物質(ようしつ)の分子は通ることが出来ない。ずいぶん都合の良い膜だけど、自然界にはこのような膜が多いらしい。特に生物の細胞膜なんかもこれだという。○を水分子、●を溶質の分子としよう。

この時、膜を通して水の出入りがあり、右側のほうが△H高い状態で釣り合う。この△Hに相当する圧力を浸透圧と称している。
浸透圧に関しては、ファントホッフの法則がある。何故こうなるのかは結構説明が難しいらしい。高校生に暗記しろということらしい。
浸透圧Πは、溶液のモル濃度Cと絶対温度に比例し、以下の関係となる。
    Π=CRT
ここで、Πは浸透圧。Rは気体定数だ。溶液の体積をV、溶質の物質量をn(モル数)とすると、モル濃度はC=n/Vになる。気体定数Rは R=8.3 J/mol-K  、Tは絶対温度(K)、摂氏の温度の273を足せば良い。
    Π=(n/V) RT、 ΠV=nRT
これは理想気体の状態方程式(pV=nRT)と同じ形になっている。
さらに、溶質の質量w、モル質量Mを使って表すと、ΠV=(w/M) RT
チョット分かりにくいので、例題を元に考えて見よう。
【問題1】
0.05 molのショ糖を水に溶かして0.83リットルのショ糖水溶液をつくる。27℃での浸透圧は何Paでしょうか。ただし、気体定数 8.3×103 Pa・ℓ/(K・mol)とする。
【解答1】
浸透圧 ショ糖は2炭糖で、分子式はC12H22O11で、分子量は342g、つまり1 mol が342g だ。実際は炭素も酸素も同位体があるのでもう少し大きくなる。
気体定数も単位を変えると数値が変わる。
J/mol-K=N/m2×m3/mol-K=Pa×ℓ×103/mol-Kだから→ R=8.3×103 Pa・ℓ/(K・mol)で良いようだ。また、27℃=300(K)
これを上の式に代入する。
Π×0.83=0.05×8.3×103×300、Π=1.5×105 Pa
0.05 molのショ糖は、342×0.05=17.1 g の砂糖が830g の水に溶けていることに。この場合の砂糖水の密度は、(830+17.1)/830=1.02 g/cm3、もちろん右側は1.0 g/cm3です。膜を挟んでの両側の水圧を考える。浸透圧によって、左側から右側へ圧力Πで押される。だから膜を通して水分子だけが右側に移動し、△H の高さで釣り合う。
ΠA=ρg△HA、(Aは膜の面積)、だから△H=Π/ρg
単位を良く考えないといけない。パスカルという単位は年配者には分かりにくい。1 Pa=1 N/m2=1 kgms-2/m2、ρ=1000 kg/m3
g=9.8m/s2、だから △H=(1.5×105)/(1000×9.8)=15.3 m
でも、この図可笑しくない?ショ糖の代りに塩だったら、当然真水の方が塩水の方に移動するのでは?? どこか考えが可笑しい。
実は上の図が間違いで、下の図の方が正解なのです。浸透圧は高校でも習うらしく(化学?物理?生物?)、溶質を希薄気体の圧力の状態方程式に例えて説明している。体積Vの溶液(水+ショ糖)で、ショ糖だけが理想気体のように存在するとして、状態方程式と同じと説明している。つまり、ショ糖溶液の方が浸透圧分だけ圧力が高いので、左から右への圧力がかかる。しかし、溶質(ショ糖分子)は膜を通れないので、水分子だけが左から右へと押し上げられる。こう説明されれば上の図は理屈があっている。しかもショ糖溶液は水だけの場合よりも密度が高い。だから力のバランスから言っても上の図の方があっているような気もする。
下の図の場合、浸透圧とは右から左の作用する圧力だ。とすると右側の状態から計算される浸透圧とは負の圧力なのでしょうか??
【問題2】あるタンパク質4.0gを水に溶かして0.83Lにした溶液の浸透圧が27℃で3.0×102Paのとき、タンパク質の分子量はいくつか(気体定数を8.3×103Pa・L/(K・mol)とする)。
【解答1】
水に溶けているタンパク質のモル数は、n=m/M、mが溶けているタンパク質の質量で、Mが分子量とします。これもファントホッフの式ΠV=nRTを使うのでしょう。
   n=(3.0×102×0.83)/(8.3×103×300)=10-4 、M=m/n=4.0/10-4
タンパク質の分子量なので4万gというのはそう大きくないのかな。

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琥珀の中に史上最小の恐竜化石、異例ずくめ

最小の恐竜化石 成体でハチドリ大、大きな目や多数の歯をもち「すべてがあまりに奇妙」と研究者
何時何処で見つかったのか。化石はミャンマーの琥珀の中に含まれていたそうだ。オクルデンタビス“目と歯の鳥”と命名された。琥珀は樹木の樹脂が固まったもので昆虫等がとらえられて化石になっている。

大きな目はトカゲに似ていた。オクルデンタビスの目は、頭の横から飛び出すほど大きかったとようだ。オコナー氏は、古生物の「目の専門家」である米クレアモント・マッケナ大学W.M.ケック科学部のラース・シュミッツ氏に相談した。
 爬虫類や鳥類の目には、視覚器を支える小さなリング状の骨(強膜輪)がある。強膜輪を構成する板状の骨は通常、細い長方形のような形だが、オクルデンタビスのものは、アイスクリームをすくう「スクープ」のようだった。「他の鳥類や恐竜には見られないものです」と同氏は話す。
 現生の動物で同様のスクープ状の強膜輪を持つものは、昼行性のトカゲだけだ。同氏らの考えでは、オクルデンタビスは異常に大きな目を使って日中に餌を探し回り、歯の生えた口で昆虫を捕まえていたという。
最小の恐竜化石  現生鳥類で最も似ているのは、カリブ海に生息し昆虫を捕食する小型の鳥、コビトドリかもしれないと、鳥の頭骨の専門家である英ハル大学のジェン・ブライト氏は言う。しかし、コビトドリの頭骨は、オクルデンタビスの化石の2倍の大きさだ。「これほど小さな脊椎動物の化石が見つかるとは、度肝を抜かれました」と同氏は話す。「それほど奇妙なものなのです。私は大好きですが!」
 オクルデンタビスの奇妙な特徴は、先史時代の特異な環境で進化したものではないかと、オコナー氏は考えている。資源が限られた島などの生態系では、進化の過程で動物の小型化が進む場合があるからだ。このミャンマーの琥珀層からは海洋生物のアンモナイトの化石が見つかることから、この琥珀は島あるいは少なくとも海岸線で形成されたことが示唆される。
「現生の脊椎動物で最小のものは、マダガスカルに生息する小さな小さなカエルで、肉食性です。同じようにオクルデンタビスも肉食だったと考えています」と同氏は語る。かつて、多種多様な恐竜が、地球を闊歩していた。最大の恐竜や最小の恐竜、恐竜の食べ物や行動について紹介するとともに、絶滅に関する驚きの事実を説明する。

 オクルデンタビスに初めて光が当てられたのは2016年、ミャンマーの琥珀収集家カウン・ラ氏がある鉱山から出土した2個の標本(今回の極小の謎の頭骨を含む)を手に入れた時のことだ。同氏は、義理の息子であるグアン・チェン氏が館長を務める中国騰衝の琥珀博物館に、この化石を寄贈した。恐竜の種名の「カウングラアエ」は、寄贈したラ氏にちなんで名付けられた。  オクルデンタビスの頭骨が閉じ込められていた琥珀は、元々もっと大きな塊であり、羽毛が含まれていたという噂がある。だが、シン氏が化石を見た時には、琥珀は2つのかけらに切断・研磨されており、元が同じ物だと確認できなくなっていた。  シュミッツ氏は個人的に、同じ物である可能性に期待している。「この頭骨は、あまりに奇妙です。これまで記載したこと以外にも何かわかることがあるかもしれません」

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眼の起源

たいていの動物は眼を持っている。不思議なことに植物で目を持っているものはほとんどいない?? 眼の起源はとても古い。古生代カンブリア時代には、かなり多くの動物が眼を有して海の中を動き回っている。このような眼の仕組みは単一起源なのか、或いは色々な動物で別々に発生したのだろうか。
眼の進化 カンブリア時代の前のエディアカラ紀の動物達、見た目には海の底にじっとしており植物と区別がつかないのですか、眼も口も手足の何もないのに。
カンブリア爆発と言われるように、今我々が知っているような動物たちの先祖が一斉に出現します。特にある程度活発に動き回る動物達は、大抵眼を持っているのが特徴です。海の中に有機物が減って、食うか食われるかの弱肉強食に時代になって、やはり眼を有していた種の方が自然選択で生き残る確率が高かったと言え訳でしょう。
眼というのは、光を感知するセンサーです。ということはカンブリア時代の海も透き通っていて太陽に光がある程度の深さまで届いたのでしょう。また、多くの動物達が陸に近い垂心の比較的浅い海で暮らしていたことでしょう。光の届かない深海では眼は発達しようもありません。
眼の進化 眼の進化は、簡単には図のようになります。最初は体の表面に光を感じる部分、眼点というものが出来ます(1)。眼点の位置を少し深くすると、方向が分かるように(2)。もう少し深くすると針孔写真機みたいにぼんやりした像が得られるかも(3)。ここにレンズ状の透明な物質をつければ、カメラ型に眼(4)が出来上がりです。像が移る部分を網膜と言います。網膜に移った像を処理して、情報を認知して判断して行動を起こさねばなりません。だから眼という器官はそう簡単な仕組みではないのですが。しかし、我々四足動物の先祖の魚達も、節足動物のエビの仲間も、軟体動物のイカやタコもカメラ型の眼を獲得しました。

右図の説明。a).光感受性細胞の領域:神経線維、視細胞
b).押し下げられた/折り畳まれた領域では、方向感度が制限される
c).ピンホール」アイにより、より優れた指向性感度と限られたイメージングが可能になる; 水で満たされた部屋、視細胞/網膜の領域
d).視細胞/網膜の領域.........: 網膜,
e).明確なレンズが発達する: 角膜、レンズ
f).虹彩

眼の進化は、さまざまな分類群で現れた特徴的な相似器官の例として、重要な研究対象であった。視物質のような眼を構成する個々の要素は共通の祖先に由来するようだ。すなわち動物が分岐してゆく前に一度だけ進化したようである。しかし複雑な構造を持つ、像を結ぶことができる光学装置としての眼は、同じタンパク質とツールキット遺伝子を多数利用することによって、およそ50回~100回は個別に進化したと考えられる。
最初の複雑な眼はカンブリア爆発として知られる急速な進化的爆発の数百万年で登場したようだ。カンブリア紀以前の眼の証拠はないが、中期カンブリア紀のバージェス頁岩の中でさまざまな眼が存在したことが明らかになっている。
眼はその持ち主の生息環境において必要を満たす多様な適応を含んでいる。たとえば敏感さ、知覚できる波長の範囲、暗い場所での感度、動きを感知したり対象を見分ける能力(解像度)、色を見分けられるかどうかなどの点でさまざまに異なる。

**虹彩(こうさい、英: Iris)は、脊椎動物及び軟体動物頭足類の目において、角膜と水晶体の間にある薄い膜。瞳孔の大きさを調節して網膜に入る光の量を調節する役割を持つ。瞳孔がカメラの絞りの開口部に相当する。

**網膜(もうまく、英: retina)は、眼の構成要素の一つである。視覚細胞が面状に並んだ部分があればこう呼び、視覚的な映像(光情報)を神経信号(電気信号)に変換する働きを持ち、視神経を通して脳中枢へと信号を伝達する。その働きからカメラのフィルムに例えられる。

**角膜(かくまく、英: cornea)は、目を構成する層状の組織の一つであり透明である。最も外界に近い部分に位置する。視覚器官はさまざまな種に見られるが、角膜を備えるのは節足動物や軟体動物、環形動物、脊椎動物に限られる。ヒトの場合は、直径約12mm、厚さは中央部が約0.5mm、周辺部が約0.7mm。角膜には目に光を取り入れる窓の役割があるほか、光を屈折させて水晶体とともに目のピントを合わせる働きがある。また角膜表面は常に涙で覆われ、乾燥と眼球内部への細菌感染を防いでいる。発生学的には、角膜内層は前眼房の中皮由来であり、中胚葉由来である。角膜外層は体表外胚葉に由来する。

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眼の誕生

これは、本の題名で、著者は、アンドリュー・パーカーという生物学者。現題は、「In the Blink of an Eye ---The Cause of the Most Dramatic Event in the History of Life」。カンブリア爆発の切っ掛けは、最初に眼を発明した生き物が生じたことだというのがメインテーマ。 このために動物界には食うもの食われるものの競争が強まり、自然淘汰の進化が急速に拡大したというもの。太陽光という刺激は地球上でもっとも普遍的なもので、いかなる生き物もこれから逃れることは出来ない。著者は、光の性質から、現生生物、カンブリア爆発時の化石生物の眼の構造や機能を詳細に検討した結果、結論を出している。生物の進化理論に一石を投じる書だ。
三葉虫 これによると、最初に本格的な眼を獲得した動物は、三葉虫の先祖のようだ。なるほど、三葉虫がカンブリア紀に大繁殖した理由は分かる。これらは複眼として現在でも昆虫を始め、多くの節足動物にづっと受け継がれてきている。眼を獲得した動物は、同時に体に硬い殻を持つように進化。節足動物の天下だ。脊椎動物が眼を持つのはかなり遅れたようだ。こちら、カメラ眼という単眼。
単眼と複眼の優劣は、専門でないので分かりかねるが、トンボ等の昆虫が我々より視力が良いという可能性は無いのかね。今の工学機器は単眼を前提にしているようだが、複眼を使ったカメラなんかできないのだろうか。

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色覚

人は物を見て色を感じることが出来る。しかし、色を識別できるということはある意味不思議な事なのだ。太陽の光をプリズムに通すと、光は7色の虹の色に分かれる。これをスペクトラムなんて言っている。でも、ニュートンによると光にはそもそも色なんてついていない。光は色々な波長(振動数)の成分が混ざったもので、振動数は連続的に変化している。これを人の脳が勝手に分類して7色に分けて、感じる。これは人の脳の中で勝手に造られる幻覚というものともいえる。でも、色のない世界は何かと殺風景で不便だろうね。
確かに人以外の眼のある動物がどのように色の世界を感じているかは、正確なところはよく分かっていないらしい。少なくとも鳥類や魚類や昆虫達は、人間よりももっと多彩な色彩感覚を有しているだろうと推測されている。
哺乳類 でも、哺乳類はダメなのだ。何故かというと、恐竜たちが跋扈(ばっこ)していた時代、小さな夜行性の動物として生き延びてきたため、色を感知する能力を失ってしまったらしい。 ところが霊長類は何故か、色彩感覚を一部取り戻すことに成功した。色彩感覚を一部取り戻すことが何故自然淘汰の世界で有利に働いたのかは、まだ妥当な説明がついていない。

曰く、①赤や黄の木の実の色を見分けるため。②仲間の顔色を見るため何て言う説もあるが意外とこれが正解の可能性も。というのは多くの霊長類では何故か顔の部分の毛を失うように進化している。更にヒトはご丁寧に体の毛まで退化させた。
草原を四足歩行する多くの動物達は、地面に顔をすりつけで臭覚という能力を大いに発達させた。一方二足歩行する人は、臭覚を簡単に利用は出来ない。だから色覚を発達させた。でもこらは嘘(うそ)。何故なら、色彩感覚を最初に獲得したの我々人のずっと先輩の初期の霊長類だったから。でも、樹上生活していれば臭覚は利用しにくいかも。色覚の問題は脳の中での情報処理の一環なので脳科学の出番で、まだ研究途上だ。でも、何故霊長類が色覚を取得したのかは重要な課題だ。因みに犬や象やライオンは人間のような豊かな色彩感覚は持っていないらしい。

色相 では色とは何か。色には①色相、②彩度、③明度と三つの要素がある。その中でも色相は色とは何かを決める最も基本だろう。色相とは確かに不思議だ。波長が長い赤のすぐ隣が波長が短い紫が繋がっている。青と黄色、赤と緑は互いに補色関係という。しかし、青と黄色の絵の具を混ぜると緑みたいな色になるけど、赤と緑を混ぜたらどうだ。灰色みたいな汚い色になるんだろう。これは脳の情報処理の問題で物理の問題ではない。脳科学としては面白いテーマだけど。
網膜の赤、緑、青錐体の分布はでたらめ

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脳と色覚

3色型色覚とは、色情報を伝えるために3つの独立したチャンネルを持つ状況。ほとんどのヒトはS・M・Lの3つの錐体細胞を持つ3色型色覚。 S、M、L(洋服のサイズ見たいだが)のいずれかの錐体細胞が欠如すると色覚異常となる

脊椎動物の色覚は、網膜の中にどのタイプの錐体細胞を持つかによって決まる。魚類、両生類、爬虫類、鳥類には4タイプの錐体細胞(4色型色覚)を持つものが多い。よってこれらの生物は長波長域から短波長域である近紫外線までを認識できるものと考えられている。

一方ほとんどの哺乳類は錐体細胞を2タイプ(2色型色覚)しか持たない。哺乳類の祖先である爬虫類(単弓類)は4タイプ全ての錐体細胞を持っていたが、2億2500万年前には、最初の哺乳類と言われるアデロバシレウスが生息し始める。初期の哺乳類は主に夜行性であったため、色覚は生存に必須ではなかった。結果、4タイプのうち2タイプの錐体細胞を失い、青を中心に感知するS錐体と赤を中心に感知するL錐体の2錐体のみを保有するに至った。これは赤と緑を十分に区別できないいわゆる「赤緑色盲」の状態である。この色覚が哺乳類の子孫に遺伝的に受け継がれることに。

霊長類真猿下目の狭鼻下目(旧世界サル)と広鼻下目(新世界サル)とが分岐したのは3000~4000万年前と言われている。ヒトを含む旧世界の霊長類(狭鼻下目)の祖先は、約3000万年前、X染色体にL錐体から変異した新たなタイプの錐体(緑を中心に感知するM錐体)の視物質の遺伝子が出現し、ヘテロ接合体の2本のX染色体を持つメスのみが3色型色覚を有するようになる。さらにヘテロ接合体のメスにおいて相同組換えによる遺伝子重複の変異が起こり、同一のX染色体上に2タイプの錐体視物質の遺伝子が保持されることとなり、X染色体を1本しか持たないオスも3色型色覚を有するようになる。これによって、第3の錐体細胞が(元の緑とは違う形で)「再生」された。3色型色覚は(ビタミンCや糖分を多く含む)赤色系の果実を緑の葉々のなかで発見するのに有利だったとも考えられでいる。

時代を下ってヒトの色覚の研究成果により、ヒトが属する狭鼻下目のマカクザルに色盲がヒトよりも非常に少ないことを考慮すると、ヒトの祖先が狩猟生活をするようになり3色型色覚の優位性が低くなり、2色型色覚の淘汰圧が下がったらしい。色盲の出現頻度は狭鼻下目のカニクイザルで0.4%、チンパンジーで1.7%である。広鼻下目のヨザルは1色型色覚でありホエザルは狭鼻下目と同様に3色型色覚を再獲得しているとされている。他方、ホエザルは一様な3色型色覚ではなく、高度な色覚多型であるとの指摘もある。これらのヨザル、ホエザルを除き残りの新世界ザル(広鼻下目)はヘテロ接合体のX染色体を2本持つメスのみが3色型色覚を有し、オスは全て色盲である。これは狭鼻下目のようなX染色体上での相同組換えによる遺伝子重複の変異を起こさなかったためだろう。ヒトは上記のような霊長目狭鼻下目の祖先のX染色体の遺伝子変異を受け継いでいるため、M錐体を欠損したX染色体に関連する赤緑色盲が伴性劣性遺伝をする。男性ではX染色体の赤緑色盲の遺伝子を受け継いでいると色盲が発現し、女性では2本のX染色体とも赤緑色盲の遺伝子を受け継いでいる場合に色盲が発現する。人類に発現する、色盲という現象。元々人の先祖に遡ればこちらの方がよりご先祖様に近い形だったのですね。

色覚の進化
 色覚の起源は無脊椎動物の時代にあり、彼らの色検出の仕組みは脊椎動物と高い共通性を持っています。行動レベルでも、照明光が変わっても安定した色感覚の得られる「色の恒常性」といった色覚の特性は、昆虫にも存在します。脊椎動物で見ると、最も進化した哺乳類は、その大部分が2種類の錐体視物質しか持たないいわゆる「赤緑色盲」です。ヒトや類人猿、オナガザル科のサル達は3種類の錐体視物質を用いて色を検出しますが、魚類、両生類、爬虫類、鳥類の大部分は4種類の錐体視物質を持っており、彼らの方がヒトやサルよりも豊かな色覚を持っている可能性があります。ヒトが現在もっている色覚は、ヒトの祖先が歩んだこうした歴史の産物であり、現生のヒトやサルの色覚のメカニズムの中にその歴史が埋め込まれています。

 ヒトやオナガザル科のサル達がもっている3種類の錐体視物質の起源についは、広鼻猿(新世界ザル)と狭鼻猿(旧世界ザ)が分岐したおよそ3000-4000万年前と見るのが一般的。しかし、広鼻猿と狭鼻猿の共通の祖先で、より下等なサル類である原猿の中にも3種類の錐体視物質を持つ個体がおり、3色型の起源はもっと古いとする主張もある。いずれにしても、哺乳類の祖先である原始哺乳類は爬虫類の全盛期に夜行性の生活をおくる中で哺乳類の祖先が保持していた4種類の錐体視物質遺伝子の2つを失ったようだ。そのため殆どの哺乳類は2色性色覚となってしまった。その後ヒトの祖先は長波長側の視物質遺伝子が分離し、異なる吸収波長特性を持つ2種類の錐体視物質を持つことにより3色性となった。ヒトでは、この長波長、中波長の視物質遺伝子がX染色体上にタンデムに配列し、両遺伝子の相同性が高いため、減数分裂時にしばしば遺伝子組換えが起こり、遺伝子の増加や欠損・ハイブリッドの遺伝子が生成するようだ。ヒトではこのような組換えによる多くの多型が見られ、色盲・色弱の出現頻度も男性で5~8%を占めています。

色情報は役に立つ
 多くの人々にとって見えるということは日常的に当たり前のことです。しかし、もし見ることができなかったら、どんなに不便かを想像することもそう難しいことではありません。目を閉じることによって、見えない世界を体験することもできる。正常な視覚を持つ多くの人々にとって、見ることなしに、対象物を知り、その位置関係、その動きなどを判断することは容易ではないでしょう。マガーク効果では、耳で聞いた音声と目で見た唇の動きが合わないとき、人は目で見た唇の動きから音声を判断します。この例でも分かるように、人の日常生活は視覚に大きく依存しています。

新型コロナとか、変な感染症が流行し人と対面するのにマスクを着ける蛮習が流行している。聴覚に障害を持つ人にはこれば著しい差別になるらしい。人類の進化に逆行する著しく不適切な行為だ。人は笑顔を見せることで人と人との交流を進化させてきた。口元を隠して本音を隠す行為は、人を集団から隔離された個別の人間が集合する社会に逆戻りさせる極めて野蛮なプラクティスであることを十分に認識したうえでマスクをかけて欲しい。

 視覚の中で、色は役に立つ要素のひとつです。日常生活の中で魚の眼の色で鮮度を見分けたり、サンマの口先の色で油の乗りを見分けたり、野菜の葉先の変色で鮮度を見分けるときも、色情報は役立っています。絵画を楽しむときも色がなければその楽しみは半減します。また、地下鉄の路線図やデータ・シートを色分けすることで日常の判別を容易にしています。交通信号も色で指示を与えます。このようにヒトは色の情報を様々な場面で用いています。
 色は視覚刺激のいろいろな特徴の中で、目立つ特徴です。色のついた写真の方が反応時間も短縮します。一方、色が目立つことを利用して、捕食者から身を守る動物もいます。保護色の動物は、色や色のパターンを似せることで、わずかな明るさの違いが作り出す輪郭を見えにくくしています。このような条件では、捕食者にとって色の見えることが不利になっています。

色は脳で見る
 光は波の性質を持ち、その周波数は連続的です。色はある周波数範囲の光の周波数を動物が見分けるときに脳が行う巧妙な処理のひとつです。虹色をはじめて7色に分けたニュートンは「光線には色はない」という名言を残しました。これは、色は物理世界に存在するのではなく、波長の違いを脳が色として見る。言い換えは、「色を見るのは脳である。」という意味です。
 一般にヒトは外の世界を自らの感覚器官を通して受容します。受容した結果をどのように知覚しているかは本人でなければ分かりません。しかし、視覚の中で視覚情報の空間的配置や位置の変化や形は外の世界に客観的に存在するので、自ら外の世界へ働きかけその結果をフィードバックすることによって、外の世界と矛盾しない知覚像を脳内につくることができます。一方、色の場合は外の世界にあるのは光の波長の相違でありその変化は連続的です。色は主観的なものであり、脳で見た色が正しいかどうか、見えている色が他人と同じように見えているかどうか? これを日常的に確かめるには「ことば」でフィードバックする以外にありません。それでも、光の波長と検出の閾値や、応答の特性との関係から色覚を客観的に調べることは可能です。今後の課題でしょうが。

色情報の抽出過程
 網膜には光を神経細胞が扱う電気信号に変換する視細胞があります。視細胞には形態の異なる、杆体(かんたい、高校の教科書では棒細胞)と錐体(すいたい、高校の教科書では円錐細胞)があります。杆体の光感受性に高い物質(視物質)は一種類しかない。一方、ヒトやアジア、アフリカに住むサルの網膜の錐体は普通3種類あって、短波長(青)視物質、中波長(緑)視物質、長波長(赤)視物質のうちいずれかを持っている。サルやヒトが色を見ることができるのはこの3種類の錐体の活動の違いによって光の波長を区別できるから。網膜のレベルでは赤と緑の組み合わせから黄が検出され、大脳皮質でさらにいろいろな色味の抽出が行われる。

視物質遺伝子の話
 ヒトの目が色を検出できるのは、網膜の錐体が持つ視物質の働きによります。ヒト視物質遺伝子の解析によれば、L(赤)およびM(緑)視物質遺伝子は相同性が高く、364個のアミノ酸配列のうち15個のアミノ酸が違うだけです。L、M視物質遺伝子はともにX染色体上にL、Mの順にタンデムに並んで配列します(図1)。約6割のヒトがM視物質遺伝子を2個以上持つタンデムリピート構造を持ちますが、最初の2つのいずれかが転写されるので、正常色覚となります。L、またはM視物質遺伝子の欠損による色盲は、ヒト男性の約2%存在しますが、これはL、M視物質遺伝子のこのような構造に起因し、減数分裂時に不等交差が生じ視物質遺伝子の欠損が起こるためと考えられます。さらに、不等交差や遺伝子変換により、MとL視物質遺伝子のハイブリッドができ、その転移部位に視物質の吸収波長特性に作用する遺伝子部分が含まれると、色盲や色弱を引き起こします。一方、S(青)視物質遺伝子は7番目の常染色体にあり、その欠損はまれです。

私たちは脳の3%しか使っていないって本当?
 脳に関する実践書には、しばしば不適切な記述を見かけます。その一つが「われわれは脳の3%しか使っていない」という記述です。例えばある本にはこんな風に書かれていす。「網の目のように張りめぐらされた大脳の情報の中で、私たちが実際に使っているのは、そのうちのわずか3パーセントにすぎない。」 従って、「あなたの中に眠っている97%の能力を目覚めさせる」必要があると。では、脳の97%は本当に使われていないのでしょうか? また、使われていない脳の領域や細胞を働かせることが脳の働きを高めることになるのでしょうか? そもそも何故人類は大きな脳を発達させたのでしょうか。当然、厳しい自然環境を生き抜いていくためだ。300~400ccの脳が急に1300cc以上に大きくなる。古代の人類がその脳を最大限に使わなかったということは考えれない。寧ろ脳は昔の方がFull回転していたと考える方が理にかなっているはずです。

 まず、脳には領域・場所によって役割分担があり、与えられた課題によって関連した脳領域が主として働きます。従って、与えられた課題に関連しない領域は主要な役割を果たしていません。このように考えると課題によって働いていない脳領域があるということになります。しかし、そうした領域は別の課題では働いているのですから、「使われていない」とは言えません。また、脳の役割分担はその領域が他の領域から切り離され単独で働いていることを意味しません。特定の領域だけが働いて他の領域が完全に休んでいるわけでもありません。主要な役割を果たす領域が働くとき、他の多くの領域と実は連携しながら働いています。特定の課題を遂行中に脳の中の神経細胞を調べると、感覚系から運動系まで広い領域の細胞が働いています。しかも、多くの領域の細胞がほぼ同時に働いています。さらに、組織学的方法やMRIを用いた手法によって領域間の連絡を見ると、情報が双方向性にやりとりされていることも分かります。つまり、いろいろな領域間を情報が行ったり来たりしながら神経細胞のネットワークは働いているのです。

 また、同じ機能を持つ脳領域の中でも神経細胞毎に役割分担があり、特定の条件でのみ働いています。例えば、視覚認知機能を担う側頭連合野の神経細胞の中には特定のヒトの顔を認識したときにのみ活動する神経細胞があります。こうした神経細胞は他のものを見たときや他のヒトの顔を見たときは活動しません。従って、ある条件、ある課題で働いていない神経細胞があるからといって、それらの神経細胞が使われていない訳ではありません。ある条件で働いていない細胞は他の条件で働いています。働いている細胞と働いていない細胞があることは重要です。活動している神経細胞と活動していない神経細胞があるからこそ適切な情報処理ができているのです。

 さらにほぼ同じ機能を持つ神経細胞の集団を局所的に見ても、ある時刻に働いている神経細胞と働いていない神経細胞があります。神経細胞は活動電位を出した後500分の1秒は完全に休む必要があります。さらに、100分の1秒程度は活動しにくい状態にあります。たくさんの細胞が連携して働くので、一部の神経細胞が休憩していても問題はないのです。

 脳の神経細胞の活動を記録してみると、多くの神経細胞が一定レベルの活動電位を出し続けています。情報を送信しないときも一定レベルの活動を続けていることを自発活動と呼んでいます。こうした活動を続けることによって、活動が増えることによるプラスの情報だけでなく、活動が減ることによるマイナスの情報も伝えています。ほとんどの神経細胞は、情報を伝えないときにも完全には休まないのです。

 脳のいろいろな場所の神経細胞活動は、新しい課題に取り組むときに特に高まり、多くの神経細胞が活動します。いろいろな情報を取り込み、いろいろな可能性を検討する必要があるからです。学習が進み、同じ課題の処理に習熟すると働く領域は縮小し、働く神経細胞の数も減って省力化します。脳の領域が同時にたくさん働けば良いということはありません。繰り返しますが、働く神経細胞と働かない神経細胞の組み合わせが違うからこそ、脳は無限の可能性も持ち、様々な課題を処理できるのです。

 脳の神経細胞がそれぞれの役割に関係なく活動してしてしまった状態がてんかん発作です。てんかん発作では発作を起こした領域の多くの神経細胞が同時に狂ったように活動するため神経細胞自身を破壊する危険な状態となります。以前はこのような危険な状態を避けるため、てんかん発作の起きる場所を切除する手術が行われていました。現在では良い薬が開発され、服薬によるコントロールができるようになったため、そのような手術は行われていません。

 このように考えると、「3%しか使われていない」から「使われていない残りの97%を使うことで脳の機能を高める」という考えは間違っていると言わざるをえません。脳にはべらぼうな数の神経細胞があります。脳の複雑な機能は多くの神経細胞が働くことによって実現しているのであって、3%の神経細胞では実現でできるものではありません。神経細胞の数は非常に多いのですが、それでも、その数は有限です。神経細胞の数が減っていくと複雑な処理ができなくなります。神経細胞の数が限界を越えて減ったことによって他人が見て分かるような症状があらわれたのが認知症です。

サルは考えるか?
 私は大学1年のとき「自然科学概論」という科目を履修した。その期末試験のときの衝撃を私は今でも鮮明に覚えている。この科目を担当した岡不二太郎教授の問題はただ1つ「犬は考えるか?」であった。私はとりあえず、犬は考えると解答することにした。試験は無事通過したが、私の書いた論理は今から考えればデタラメであった。禅問答にも、「猫に仏の心はあるか?」というのがあるらしい。どちらの問題も犬や猫がしゃべらない以上、なかなか決め手はない。とはいうものの40年近く脳の研究に取り組んできたのだから、もう一度この「問い」に挑戦してみても良いかもしれない。ここではイヌをサルに変えて、「サルは考えるか?」を考えてみることにする。

 われわれは考えるとき、言葉を使って考えるのが普通である。人間は、様々な概念に言葉をあてはめて、言葉によって考える。言い換えると、概念に対応した言葉を操作することによって、われわれは思考する。言葉を持たなくても、概念を持つことができ、概念を操作できれば、ある種の思考ができるはずである。このように考えれば、概念の形成は、言語的な思考の前提であり、概念の相互関係の操作は、言語的思考の端緒的な形態である。チンパンジーのレベルでは、この端緒的・原始的な「言語」を持ちそうである。いくつかの行動実験がチンパンジーに概念形成能力のあることを支持している。チンパンジーは、声道がヒトと違っていてために、ことばをしゃべることができない。しかし、記号や手話を用いた研究結果をみると、概念または概念に対応する記号の相互関係を理解し、短い文を作る程度の思考はできそうである。

では、ニホンザルやアカゲザルは、概念の形成や思考ができるのだろうか?概念形成は、具体的で断片的な知覚の集合、目の前の知覚像からの飛躍である。概念は、具体的な知覚を積み重ねて形成されたものではあるが、具体的な知覚そのものではない。その意味で具体的知覚から自由である。目の前のりんごのあれこれの知覚を集合し、それを過去の知識体系である概念と照合し、それが確かにりんごであると確認する過程は認識である。まだ見たことのない新しいくだものの場合も、過去の知識体系との照合の結果、様々な概念との比較のうちに位置づけられる。このように、次々と概念がわき起こり、それらが相互に関係づけられていく過程、いわば、概念の運動過程とでもいうべきものが思考である。一方サルも、様々な食べ物や、植物や、仲間のサルや、その表情や、ヒトなどの概念を持っていそうである。以前に霊長類研究所の心理研究部門でおこなわれた研究では、ニホンザルが、ニホンザル、アカゲザル、ベニガオザルといった種の概念を持つと考えて良い実験結果が得られている。そこで、私のとりあえずの結論は、サルはチンパンジーほどではないにしても、概念を形成でき、概念相互の関係を判断することができる。従って、原始的で端緒的な言語的思考ができる。また、たとえ概念形成に疑問があったにしても、現在進行形で得られる知覚像と過去の記憶とを照合し適切に判断し行動することができる。これも「思考」と呼んで良いであろう。 (「霊長類進化の科学」、京都大学学術出版会、2008年執筆から抜粋)

実は概念形成の問題の解明は私が脳研究を始めた動機のひとつであったので、類似の文章を以前にも書いた。以下は1991年執筆の新書からの抜粋である。
 認識の生理学的理解の問題は、認識へ至る情報の統合過程の解析というステップを飛び越えて、認識に直接関与するニューロンを捜そうとする試みが先行している。それは、脳における「認識」機能の局在を、一個のニューロンのレベルまで進めてみようとする試みである。現時点では、一個のニューロンのレベルでの機能局在を肯定することも、否定することもむづかしい。 (「脳はどこまでわかったか」(講談社現代新書)、1991年執筆からの抜粋)

化石人類の脳
 約6500万年前、恐竜の絶滅とともに哺乳類の時代がやってきた。そのとき、サルの祖先達はまだネズミのような形をした小型の夜行性の動物で樹上生活をしていた。その後、地球の温暖化に伴い広葉樹林の森が広がると樹上生活の場が広がり、霊長類の進化が始まった。ヒトと類人猿の共通の祖先であるプロコンスルも樹上生活の中で生まれた。約1800万年前と推定される。一方、1000万年前から700万年前の激しい地殻変動が起こり、アフリカ大陸の東側に1000-4000メートルの山脈が誕生し、さらにその中央が陥没することによってアフリカ大地溝帯ができた。その後、地球全体に起こった寒冷化と乾燥化の影響もあって、アフリカ東部の森林は消失し、草原となった。森林の残ったアフリカ西部に残ったグループは現在の類人猿に、森林から草原に降り立ったグループが現在の人類の祖先となった。その時期は約700万年前と推定されている。しかし、近年アフリカ西部でも化石人類の骨が見つかっておりこのストーリーは変わる可能性もある。

 人類の祖先は化石でしか見ることができないので、化石人類と呼ばれている。南アフリカや東アフリカで見つかっている400-300万年前に生きていたアウストラロピテクス・アフリカヌスの脳容量の平均値は、441mlであった。これは、チンパンジー(394ml)やオランウータン(411ml)とほぼ同じ容量である。アウストラロピテクスは、直立2足歩行をし、犬歯が小さく、彼らの先祖とは異なっていた。発掘した頭骸の骨のなかに、プラスチックを流し込んで満たすと、脳の模型を作ることができる。彼らの脳は、チンパンジーに比べて、脳の高さが高くなっており、その結果ブローカの運動性言語野に相当する前頭葉の領域も拡大したと考えられる。さらに、後頭葉にある月状溝が後方へ移動している。月状溝は、第一次視覚野と第二次視覚野の境界にほぼ対応している。その後方への移動は、視覚関連の連合野である頭頂連合野と側頭連合野の拡大を意味する。この結果、第一次視覚野は、脳の内側への押され、その点で現代人に一歩近づいている。

ホモ・ハビリスは、約250万年前にアウストラロピテクスから分岐し、160万年前まで大きな変化もなく南アフリカと東アフリカで生き続けた。ホモ・ハビリスの頭蓋容量は640mlあり、彼らの脳は彼らの祖先に比べてほぼ一様に拡大していた。次の世代の化石は、1890年代にジャワで見つかった。頭蓋容量が約850mlのヒト科の化石で、約70万年前のものと推定された。一方、1920年代に、北京で頭蓋容量、約1040mlのヒト科の化石が見つかり、こちらも80万年前から50万年前のものと推定された。その後、これとほぼ同じものがアフリカのオルドバイでも見つかった。推定年代は、150万年前と、ジャワや北京よりずっと古いものであった。これらの化石は、ホモ・エレクトスと名付けられた。同様の化石は、ヨーロッパでも見つかった。結局、ホモ・エレクトスは、約150万年前、東アフリカに誕生し、アフリカ、ヨーロッパ、アジアへと移動したと推定された。ホモ・エレクトスは、アシュレアンと呼ばれるユニークな石器文化を生みだした。

 次の世代の人類は、1856年、ドイツのネアンデルタールで発見されたので、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスの名前で呼ばれている。彼らの脳容量の平均値は、1450mlあり、現代人であるホモ・サピエンス・サピエンスの平均値1350mlよりも大きかった。ホモ・エレクトスからネアンデルターレンシスへの移行は、50万年前から12万年前にかけて起こったと推定されている。

 現代の人類であるホモ・サピエンス・サピエンスの最も古い化石は、パレスチナのクアフゼ洞窟で発見されている。年代は、6万8000年前から7万8000年前と推定されている。ヨーロッパで発見されているサピエンスは、3万4000年前から3万2000年前と新しく、ヨーロッパでは、4万年前から3万5000年前の年代のネアンデルターレンシスが見つかっているので、サピエンスのヨーロッパへの拡大にはゆっくりと進行したと推定されている。

人工盲点でも見えない情報を補う
 網膜は目の入力層なので網膜が損傷すれば見えなくなるはずである。しかし、損傷部分が小さければ時間が経過すると気にならなくなる。盲点と同じ現象が起きる。盲点は、誰もが生まれながらにして持っているが、網膜の損傷は後天的なものである。しかし、盲点と同じように、損傷周囲の情報が損傷部位に対応する大脳皮質領域に送られ損傷があたかもないかのように欠損部分の感覚を補う。

脳の進化
 様々な動物で脳を比較しようとするとき、最も単純な方法はその大きさを比較することです。脳の大きさを比較しようとするとき、問題となるのは体の大きさの違いです。脊椎動物の場合、体重は10グラム程度から100トン近いものまであります。脳の重さも1グラム程度から5キログラム近くのものまであります。一般には体重が重くなると、脳も大きくなるので,脳の重さの絶対値だけを比較するのは不公平です。そこで,脳の大きさを比較する場合,体重との相対値を用いることで、体重に比較して脳が大きいかどうかを見る方法が使われてきました。198種の脊椎動物を調べたJerisonのデータ(図1)によれば,魚類,両生類,爬虫類の脳重量は体重比で相対的に低く,鳥類と哺乳類は相対的に高い値を示します。恐竜の推定体重と脳重量を同じ図にプロットすると爬虫類とほぼ一致します。Hopsonが行った肉食恐竜と草食恐竜の比較では肉食恐竜の方が大きな脳を持ち,捕食のための運動能力の獲得の基礎に脳の発達があったのではないかと推定されます。

図1のように鳥類と哺乳類が体重に比較して大きな脳を持っていることが分かったわけですが、鳥類と哺乳類では脳の進化の仕方が違っています。鳥類の脳容量の増加は、爬虫類の脳の構造を基本的に維持しながら進行しました。そのため、鳥類は大脳新皮質を作らずに大脳半球が拡大していきました.一方,哺乳類の脳容量の増加は、大脳新皮質の発達によって脳が大きくなりました。
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大脳新皮質の進化
 ヒトの仲間である霊長類は視覚が良く発達した。ニホンザルと近い関係にあるアカゲザルで調べると、視覚に関連した大脳皮質の領域の総面積は、大脳新皮質全体の約55%にもなる。この面積は、聴覚関連の領域の総面積約3.4%を大きく上まわっている。視覚に関連した大脳新皮質の拡大は、外の世界をマップする視覚領野の数の増加と、個々の領野の拡大によって実現していった。

 このような歴史の中で現代のヒトの脳はニホンザルやアカゲザルなどマカカ属の脳に比べて約14倍の大きさを持つほど拡大した。また、体重あたりの脳容量も他の霊長類や哺乳類に比べて高い値を示す。  一方、進化の過程で比較的近い関係にあるサルの脳はヒトに脳と良く似た形をしている。また、哺乳類、特に霊長類では大脳新皮質が良く発達しており、大脳新皮質の発達が高次の脳機能の実現に寄与したことが分かる。大脳皮質の組織標本で見る特徴も、サルとヒトとで良く似ている。大脳皮質を組織像の特徴から区分した細胞構築学的分類でも類似の組織像を持つ領域が大脳のほぼ同じ位置に存在する。また、それらの大脳皮質領域の機能もサルとヒトとで類似している。

 図1は哺乳類で大脳新皮質の容量と体重を比較したものである。食虫類に比べて霊長類の大脳新皮質がよく発達していることが分かる。一方,系統発生的に古い皮質である海馬の容量はすべての脊椎動物で似通った分布を示す。さらに,嗅覚システムに属する嗅球の体重比率を見ると,食虫類で体重の増加とともに増加するのに対して,下等な霊長類である原猿亜目のサルは食虫類の平均より低く,高等な霊長類である真猿亜目のサルは食虫類よりも著しく小さいだけでなく,体重が増加してもあまり容量が増えていない。 ****** 脳波って何? 生物電気の発見と脳波の記録  1780年、イタリアのガルヴァーニ(1737-1798)は、銅と鉄の金属がカエルの脊髄に触れると筋肉の収縮が起こるのを観察しました。この発見からヒントを得て、彼は筋肉や神経から電気が発生するという考えを提案しました。それから1世紀近くが過ぎた1875年、イギリスのケイトン(Caton)は、露出したウサギの大脳皮質表面に2本の電極を置き、その間につないだ電流計に電気が流れるのを観察しました。ケイトンはこの電気活動は脳の働きと関係あると考え、実験をイギリス医学会で供覧しました。しかし、他の研究者の興味をほとんど引きませんでした。その後、イヌなどを用いた実験はいくつか行われましたが、ヒトの脳の電気活動を記録するまでにはさらに半世紀かかりました。1924年のことです。始めての脳波の記録を報告したのはドイツの精神科の医師ベルガー(Hans Berger, 1873-1941)でした、その成果は1929年に論文として発表されますが、彼の業績もその発表当時は注目されませんでした。脳波が学会から注目されるようになったのは1934年にイギリスの生理学者でノーベル賞受賞者のエイドリアン(Edgar Douglas Adrian)がベルガーの実験を追試してからのことです。その1年前にエイドリアンはベルガーの脳波記録をBerger Rhythmとして紹介していました。  このホームページにある「神経は電気を使う」で述べたように、神経は電気を使って情報を伝えます。脳にはたくさんの神経細胞があり、それらの神経細胞が網の目の様なネットワークを作り上げています。脳が働くとき、ネットワークを構成する神経細胞で電気的な活動が起こります。個々の神経細胞に発生する電気的な変化の一つは活動電位です。もう一つは活動電位が神経を伝わって、次の神経細胞に情報を受け渡すときに発生するシナプス電位です。シナプス電位は単独では活動電位を発生するほど大きくないのですが、たくさん集まって活動電位発生の基準値を超えると活動電位を発生します。たくさんの神経細胞で発生する活動電位やシナプス電位の総和を頭の皮膚の上から観察したのが脳波です。脳波には特にシナプス電位が大きく貢献しています。但し、頭の皮膚の表面に置かれた電極から記録される電気的な変化は数十マイクロ・ボルト(マイクロ・ボルトは1ボルトの100万分の1)程度と非常に微弱です。また脳波は、頭皮上から比較的広い範囲の電気的な変化を総合して見ているので、脳のどこに対応するかをそれほど細かくみることができません。  精神活動や意識の状態に伴って、脳波は規則的に変化します。目を閉じて安静な状態のときは30-60マイクロボルト、8-13ヘルツ(1秒間に8-13回)の波が左右対称に記録されます。これがα(アルファー)波です。目を開けて物を見たり、音に注意を向けたりするとα波は消え、電圧変化の小さなβ(ベータ)波に変わります。β波は14-25ヘルツの周期を持っています。逆にうつらうつらするときには、ゆっくりした周期のθ(シータ)波がでます。θ波も振幅が小さいのですが、周波数はα波よりも低く、4-7ヘルツです。眠りがやや深くなると、14ヘルツ前後の紡錘状の波がでます。眠りがもっと深くなると、大きな振幅のδ(デルタ)波が出ます。周波数は遅く、0.5-3.5ヘルツです。てんかんの場合は、発作に伴って棘波、鋭波など、特殊な波が見られるため現在でも有効な診断基準となります。その他、脳炎、睡眠薬中毒、脳腫瘍などでも特徴的な変化が見られますが、最近は他の検査法があり、それほど使われていません。 *******

生物の世界

両生類

脊椎動物の進化
両生類(りょうせいるい)とは、脊椎動物亜門両生綱 (Amphibia) に属する動物の総称である。両生類は、古生代の石炭紀頃以降、多くの化石種が知られている。つまり古生代の始めには陸上(といっても水の近くだが)では大いに繁栄していた。
しかしながら、現生の(現在でも生息している)ものは、長い尾を持ち、短い四肢のある有尾目(サンショウウオなど)、尾がなく体幹が短くまとまって四肢の発達した無尾目(カエル類)、それに四肢を失い、細長い体の無足目(アシナシイモリ類)の3群のみである。
両生類は、約3億6000年前に陸上においての生活も始めたと考えられており、これが脊椎動物の中では初めて陸上生活が可能となった事例だと考えられている。ただ陸上生活が可能とは言っても、その身体の構造、生活史、生理、生殖などにおいて、陸上生活への適応を示しながらも不充分であり、水辺への依存度が強いという特徴を持っている。特に幼生は、一般に水中生活をしているなど、基本的に水中環境が欠かせない。

現生の種は、ほぼ全てが淡水域を生活の場としている。海生の種は無いようだ。原始的な形では卵を水中で産卵し、幼生は四肢を持たない形で生まれ、鰓呼吸で水中生活を行う。その後変態を経て肺呼吸で陸上生活の出来る成体になる。ただし、多くの例外があり、その生活は多様である。基本的に皮膚呼吸に頼る面が多いことから乾燥に弱く、水辺などの湿った環境が生息域の中心。陸上で活動可能な体を持ちながら、生活や繁殖を水に依存した生涯を送ることからこの名がある。「両生」類の名は、水中生活と陸上生活の両方が可能という意味ではなく、両方の環境が必要な動物であるという意味である。

20世紀後半から、世界的に両生類の減少が著しく、多くの両生類が絶滅しつつある。カエルツボカビ症をはじめとする感染症や吸虫の被害のほか、粘膜に覆われた脆弱な皮膚が、環境変化への対応を困難にし、個体数の減少をもたらす原因になっていると考えられている。一説に因ればこのままのペースで減少が続くと、100年以内に全ての両生類が絶滅するとも言われている。 両生類の皮膚は分泌腺や毒腺が多くなめらか。爬虫類のように、体表を覆うような鱗は持っておらず、また、体表のほとんどは角質化していない。これは皮膚が呼吸器としての役割を占めているから。それゆえ乾燥に弱い。

アミノ酸の代謝などによって生ずるアンモニアは、両生類にとっても有害な物質だ。 幼生(オタマジャクシ)の時は鰓からアンモニアのまま大半を排出するが、変態後はアンモニアを尿素に変えて腎臓から排出する方が主流となる。生涯を水中ですごす種類の場合は幼生・成体共にアンモニア排出のまま。水を潤沢に利用できるのか、そうではないのかが関係する。

系統関係
四肢動物はデボン紀後期の約3億6000万年前に肉鰭綱から進化した。ハイギョ類とシーラカンス類のどちらに近いかは未だ決着がついていない。デボン紀後期になり、両生類が初めて陸上に適応した脊椎動物として現れた。
カコプス デプロディクス エオラエ
上図3種は化石種。
最初期の四肢動物であるアカントステガやイクチオステガは曲がりくねった大河川に住んでいたと思われるが、やや時代が下ったチュレルペトンのように海生と思われる種もいた。この時期の四肢動物は、まだ少なくとも一部は鱗に覆われた魚類のような皮膚と、6本以上の指を持つ水を掻くのに適した四肢を持つ、ほとんどを水中ですごす動物であったらしい。

石炭紀になるとペデルペスのように陸上生活に適応した四肢を獲得し、二次的に水中に戻った種も含め多様な種が生まれた。石炭紀後期にはすでに有羊膜類が枝分かれして行き、これら迷歯亜綱に分類される動物たちは徐々に水中生活にウエイトを戻していく。これら古いタイプの両生類は、中生代になっても三畳紀には世界中の淡水系に数mにも及ぶ巨大な種が繁栄していたが、三畳紀末の大絶滅以降急激に衰えていき、白亜紀前期に絶滅した。

現生両生類である平滑両生亜綱に属する無尾目・有尾目・無足目の起源と関係は未だはっきりとわからないが、すでに約2億9000万年前のペルム紀前期に無尾目・有尾目・迷歯亜綱分椎目の特徴をモザイク状に有するゲロバトラクスが存在した。
オオサンショウウオ ムカシガエル インド
三畳紀のマダガスカルには現生のカエルにある程度近い姿のトリアドバトラクスが生息し、ジュラ紀になると今と外見上は変わらないカエルが世界中に分布を広げていた。
有尾目はジュラ紀中期にはキルギスタンから Kokartus、イギリスからネオテニー的な水生種 Marmorerpeton の化石が発見されている。これらはもっと後の種の解剖学的特徴のいくつかを持たなかったが、ジュラ紀後期には現在のトラフサンショウウオに似たカラウルスやオオサンショウウオ科のチュネルペトンが生息していた。
無足目はジュラ紀初期のまだ四肢が残っているエオカエキリアの化石が見つかっている。また三畳紀の分椎目キンレステゴピスはエオカエキリアといくつかの特徴を共有しており、類縁関係があるのではないかという説がある。現在の両生類は基本的に淡水域を生活の場としているのにもかかわらず地球上の陸地に広く分布していることなどから、遅くともパンゲア大陸が完全に分裂したとされている白亜紀までに、現生の目は全て誕生していたはずだが、詳しいことはわかっていない。

プリオノスクス **プリオノスクス
プリオノスクス(Prionosuchus)は、約2億7,000万年前(古生代ペルム紀後期)に生息していた原始的両生類。絶滅した迷歯亜綱中の分椎目-アルケゴサウルス科に分類される。現在知られる限りで史上最大の両生類。化石はブラジル北東部のパルナイーバ盆地(Parnaiba Basin)から断片的なものが発見されている。 この動物はワニの仲間でも爬虫類でもなく、両生類。細長い吻部はワニを連想させるが、これは収斂進化による相似。発生順から言えば、プリオノスクスと同様のニッチ(生態的地位)を得た後代の水生爬虫類がプリオノスクスに類似の進化した。
正基準標本とされる断片的な頭骨は頭長50センチメートルと推定されているが、より断片的な標本にはこの3倍ほどの大きさのものがあり、頭長160センチメートル、全長はおそらく9メートルに達するであろうと見積もられている。 形態は、現生ワニ類のガビアルとの間で非常に高い相似性が見られる。多数の小さな歯が並ぶ細長い顎と、吻端にある瘤(りゅう)状の盛り上がり、細長い体と、陸を歩き回るのには不向きな小さく細い貧弱な四肢、そして、遊泳に適した縦に扁平した尾を具えていて、どれをとってもガビアル様である。生態的にもガビアルと同様、ほとんど陸に上がることなく水中で過ごす、水際の待ち伏せ型捕食者であったと思われる。

生物の世界

ベリャーエフ

銀キツネ ドミトリー·コンスタンチノヴィッチ·ベリャーエフ (ロシア語:Дмитрий Константинович Беляев; 1917年7月17日~1985年11月14日)はロシアの遺伝学者。
ベリャーエフは、田舎の牧師コンスタンチン·ベリャーエフと彼の妻イェヴストリア·アレクサンドロヴナの4人の子供の末子として生まれる。彼の兄弟(遺伝学者、のちにスターリンによって投獄され死亡)の仕事と環境がりベリャーエフに影響を与えたる。1934年、彼はイヴァノヴォ農業大学に入学、1939年に卒業した。そののち、かれは毛皮動物の繁殖の方法と遺伝学に取組む。
1941年から1945年まで、彼は第二次世界大戦に将校としてソ連軍に従軍し、2回負傷。 戦後、彼は再びモスクワの毛皮を作る動物の飼育のための研究室で彼の仕事を再開。1950年代のはじめ、かれは野生動物の家畜化で最も重要な因子は“おとなしさ”の選択的繁殖であるという仮説をたてた。1953年と1954年の間に、彼はロシア科学アカデミーシベリア分院のノヴォシビルスクの細胞学遺伝学研究所で、キツネの飼育実験を始め、1958年に彼はモスクワからノヴォシビルスクへ移る。 スターリンの迫害を逃れてシベリアに行ったのか、シベリアに左遷されたのか。
ベリャーエフ この間、彼は研究所の評判を高め、ソ連での科学としての遺伝学の発展に尽くす。彼は多くの国の大学の名誉学位を受け、1978~1983国際遺伝学連合の総裁を務めるまでに。

【キツネの選択交配と家畜化】
1950年代に、ドミトリ・ベリャーエフと共同研究者は銀キツネ(Vulpes vulpes)のうち人を恐れず噛み付かない個体を何代も選択交配した。 その結果、彼らの振る舞いだけでなく、その外観が野生のキツネと異なるキツネの群をつくりだした。約10から20世代そのような選択交配したキツネは、人を恐れず、尻尾を振りなついた。 見かけも著しく変わった。毛皮の色が変わり、耳が垂れるようになり、しっぽが巻きあがるようになる。2019年では50世代を超え犬の様に芸をするものも現れた。

当時、生物学者は、なぜ犬の毛色がオオカミと違うか調べていた。 ベリャーエフは彼のキツネの研究がこの疑問に関わりがあるのに気がついた。彼と彼の共同研究者は生化学的な測定をし、選択交配した狐のアドレナリンの水準が野生のキツネに比べて大幅に低いことを発見した。 それによって、飼いならされたキツネの振る舞いだけではなく、毛皮の色も説明できることになる。

科学者たちは、アドレナリンがメラニン色素の生産を変え、野生の動物ではアドレナリンの高い濃度のために抑えられていた遺伝的変異の発現のカスケードが、ホルモンレベルの低下のために起こるという理論を出した。 したがって、ストレス(高いアドレナリン)の役割は、遺伝子発現の調節もあると認識された。

その他、ベリヤーイェフの他の研究のテーマは多岐に渡っている。致死的な変異の抑制、 光周性の豚の不妊治療への役割、 ミンクの毛皮の色 、放射線による作物の突然変異、シベリアに適した穀物の亜種、抗ウイルス剤の製造等。
ベリャーエフは科学教育も重んじたらしい。 1961年以後、彼はノヴォシビルスク大学細胞遺伝学の講座だけでなく、学校の生物学のクラスでも教えた。 彼は教師のためのガイドを発行し、1985年、中等教育のための生物学の教科書の編集を指導したということです。生きていればノーベル賞ももらえたかも。残念ながらお亡くなりなっているようだ。

生物の世界

ウィルスとの共存

世界の統計  新型コロナウイルスの報告の中で米ジョンズ・ホプキンズ大学の名前を目にする機会が多い。世界の新型コロナウイルス発生状況のデータベースを公開したことによるらしい。 日本ではあまりなじみがない名前だが、ジョンズ・ホプキンズ大学は医学においては世界ナンバー1と称され、諸外国では最も知名度の高い大学らしい。潤沢な資金があるらしい。確かに色々な情報を公開しているみたいだ。
上のグラフは、世界の主要国の新型コロナウイルスによる死亡者の推移。横軸が時間の経過で、縦軸が死亡者の数を対数で表わしている。これを見ると、死亡者の推移は明かに2つのグループに大別出来る 。欧米諸国とその他の国だ。
現時点での死亡者数。多い国は ドイツ 7,754名、米国 83,082人、イタリア 30,911人、フランス26,991人。この数値はGoogleでも確認できる。
一方、日本 678人、韓国 259人、ロシア 2,212人、中国 4,633人、インド 2,415。
グラフは対数で表わされているのでこの差は大きい。米国は日本の100倍以上だ。 死亡者数が多いのは、総て緊急事態と称して都市封鎖を実施した国ばかりだ。感染者見つけ出すためPCR検査も多く実施。
一方の、日本は自覚症状のあるものを優先して、PCR検査も適切な治療なためだけに限定して実施。医療崩壊を防ぐ対策を取って科学的な対処を実施していた成果のようだ。つまり、緊急事態と称して行った都市封鎖もstay homeも明らかな政策のミス。
緊急事態は国民に多大な犠牲を強いる国の権利の濫用。口が裂けても間違いを認める訳にはいかない。緊急事態を実施たことを正当化しなければいけない。でも、この100倍近い差、あなたならどう説明できる? あなたは欧米人ならアジアの国は何かズルしてると思うよね。
アジア人とヨーロッパ人の人種的な遺伝子の差? でも、今の欧米にはアジア系の人も多く感染率に差はないらしい。BCGの接種率?(これはまだ検証はされていないらしい。)。どうもこの差を説明する明確な理由は見つかりそうもない。つまり対策の差?
緊急事態正当化の口実を作る助け船を日本に頼みこんだのが実態のようだ。オリンピックの延期が決っていこう、東京都知事が感染が拡大している大変だと大騒ぎ。PCR検査を増やせば、感染者を増やすことは簡単。マスコミは感染者の数にだけ注目させて大騒ぎ。でも本当の対策は感染者でなく死者の数を減らすことのはずだ。かくして簡単に緊急事態宣言を勝ち取ることに成功。欧米諸国は大喜び(政治家は)。

でも、誰が見ても、日本が緊急事態宣言をこんな状態で出す何んて明らかに不自然でしょう。日本の厚生労働省は当然これには抵抗。だから、日本で専門家の意見というのがどうも、JH大学のアドバイスの様な訳です。

ところで、何故緊急事態宣言がが100害あって一利無しか。新型コロナウイルスの特徴を見るとよく分かります。
人口比率
新型コロナウイルスで亡くなった方の年齢の分布。これもジョンズ・ホプキンズ大学がまとめたもの。年齢が50歳以上の方が99%以上。多くは70歳以上の高齢な方ばかり。だったら、60歳以上の方のみstay homeをしてもらっていれば、残りの若い人たちはその分、外でしっかり働いてもらわないといけません。 新型コロナウイルスはどうも、とてもfriendly なウィルスで、感染しても1~2週間の潜伏期間を経た後、何事もなく陰性に転じて事なきを得る人が大部分らしい。ごく一部が治るまでに高熱を出したりして、入院、運の悪い人だけが肺炎などで死に至る(特に高齢者)。
いま、世界中の報告書で、国民の60%が感染を済ませ、抗体を持つことが唯一の解決策とされています。感染しても発症のリスクの微小な若い人たちが率先して抗体を持たないと先は見えません。マスクをかけたり、三密を避ける等している場合ではないはずです。stay heme は百害あって一利なしです。
マスクをかけたり、三密を避ける、人との面会を8割。そんなこと日本の厚生労働省の技官や現場の医師達は言っていません。何も言えない雰囲気だから皆口にマスクをしているだけ。新型コロナウイルスがどのように感染するのかは何も分かってないはずです。感染した証拠はPCRで陽性となる以外にはありません。
今後、緊急事態を解除すると、爆発的な感染が発生するという根拠も、上のグラフを見ると可能性がないことが分かります。PCR検査も、感染ルート見つけるためなら考えものです。潜伏期間の方が検査して陽性になったら、隔離病院に入れられ、院内感染やストレスが重体化してしまう恐れがあります。感染数が多少増えても、死亡件数が増えていなければ、大騒ぎしてはいけません。
中国武漢での対応は、ペストやコレラなどの感染症を対象にした古典的なやり方。新型コロナウイルスとは共生の道を歩むしかありません。中国政府も当初はテロリストの仕業と思ったからに相違ありません。

【日本が感染者が少ない真の理由】
何故、PCR検査を多数辞した国ほど死亡者数が多いのか。実はPCR検査は非常に感度の高い検査らしい。つまり、無症状の人は実際には感染していないらしい。例えば、ガン検診で大腸がんの検便検査を実施する。検査で潜血が発見されるとガンんと疑いがあるとされ、再検査。たいていの人は癌ではなく異常なしだ。PCR検査の陽性者もこれと同じで、本来陽性ではない者も陽性者と判断される。本来は精密検査が必要だ。国としては感染防止のためこの方が安全側と主張するのだろうが、この方法だと本当の感染者の何倍もの人を強制隔離することになり、隔離施設がパンクする。つまり、死亡者が多いのは医療崩壊が原因で感染者に適切な対応を取れなかったためと推察できる。 中国では、この方法ではあまりにも感染者多すぎるので、密かに再検査して感染者の数を絞り込んでいるらしい。その結果、中国は感染者の数を大幅に減らすことに成功し、経済再開に。でも実際には感染の拡大は密かに広がっているのだ実態らしい。

生物の世界

『猿の惑星』

『猿の惑星シリーズ』は、ピエール・ブールによる同名のSF小説に基づく一連の創作物を指す。映像作品はいずれも20世紀フォックスを中心にして作られている。そのほか、これらに関連したノベライズやコミカライズが存在するらしい。
猿の惑星 1963年、フランスの作家ピエール・ブールは『猿の惑星』を出版した。彼は動物園でゴリラの「人間のような表現」を観察し人間と動物の関係を熟考した後、6か月間かけて小説を執筆した。『猿の惑星』はジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』の影響を強く受けており、人間の本質やテクノロジーへの批判を描くためにSF小説の体裁をとった作品の一つである。しかし、ブールは『猿の惑星』をSF小説に分類されることを拒否し、「ソーシャル・ファンタジー」と分類したとか。

物語では、進化した猿が支配する惑星が登場し、人間は知能のない動物として猿に狩られ奴隷とされる。小説の根底には、「人間の知性は固定されて備わっているものではなく、知性がなくなれば動物と変わりがない」というメッセージが込められている。ブールは小説がヒットするとは思っていなかったが、『猿の惑星』はベストセラーになり、サン・フィールディングが翻訳した英語訳も『Monkey Planet』(イギリス)、『Planet of the Apes』(アメリカ)としてそれぞれ出版され人気を得た。

原作を読んだことはないが、人が知性を失うのは、ウィルスとの戦いに負けて、都市を封鎖し、マスクをかけてstay homeの籠城戦を行ったことが原因らしい。人の脳は互いの「分ちあいの心」を育て、人と人の「話し合いの」「共感の心」を育むために大きくなったらしい。AIに知恵を預けて考えること止めた人間は、やがて言葉の能力を失い、知能のない動物として猿に狩られ奴隷とされても抵抗できない存在に。

1963年に書かれた? なんだか今の新型コロナウィルスに包囲された世界を予言しているみたいだ。マスメディアに至っては、「stay homeの生活スタイルと確立しましょう。」「ウィルスには絶対感染しないで。」学校は休校、人とは接しない。どんどん知恵が退化していく。人類はマスクをかけた八頭身の小さな脳を持った類人猿に進化するのかも。

生物の世界

脂肪と筋肉

NHKスペシャル「人体」驚きのパワー!“脂肪と筋肉”が命を守るの放映があった。 タレントのタモリさんとノーベル賞受賞者の山中伸弥さんのその他スタッフの軽妙な語りが分かり易くとても面白い内容であった。(更新日 2017年11月5日)

脂肪と筋肉。脂肪はただのアブラのかたまり?筋肉は体を動かすための装置?そんな思い込みが、最新研究で大きく覆されつつある。どちらも全身に向けて“メッセージ”を伝える特別な物質を放出し、命に関わるさまざまな病気の発症と密接に関わっている。

私たちの体には、どこにどれほどの脂肪と筋肉が付いているのか。それを明らかにするため、MRIという装置でとらえた全身の詳細なデータを元に、最先端の技術で立体的に映像化。これほどくまなく健康な人の体内をMRIで撮影したデータはとても貴重で、山中さんも驚いていた。
そのデータに基づいて割り出すと、体重56kgのHさんの体には、およそ18kgの脂肪と、およそ21kgの筋肉が付いていることが分かりました。2つを合計するとおよそ40kgにもなります。脂肪と筋肉は、合わせると体の7割をも占める、まさに“人体最大の臓器”だったのです。

脂肪細胞 ただのアブラの固まりに思える脂肪ですが、その実体は、「脂肪細胞」と呼ばれる生きた細胞が無数に集まったものです。脂肪細胞は、その内部に、食事からとった糖やアブラを中性脂肪として蓄える「油滴」と呼ばれる貯蔵袋を持っています。内部に脂肪が蓄えられるにつれて、脂肪細胞はどんどん膨らんでいきます。まさに「エネルギー貯蔵庫」のような細胞なのです。

最新研究から、この脂肪細胞が、驚くことに全身に向けてさまざまな“メッセージ”を伝える物質=「メッセージ物質」を放出していることが分かってきた。しかもそのメッセージは、脳の働きにまで影響を与えている。
それを裏付けるのが、「脂肪萎縮症」という、生まれつき体に脂肪細胞がない病気の人に現れる、特別な症状です。いくら食べても食欲が満たされず、もっと食べたいという衝動を抑えられません。

メタボ 健康な人の体内では、脂肪細胞に中性脂肪が蓄えられるにつれて、「レプチン」と呼ばれるメッセージ物質が放出されます。この物質は、いわば「エネルギーは十分たまっているよ!」という、脂肪細胞からのメッセージを伝える働きをします。放出されたレプチンは、血液の流れに乗って、脳の中心部にある視床下部というところに到達し、そこの神経細胞の表面に並んだアンテナのような“受容体”と呼ばれる装置で受け取られます。すると、脳は「もう食べなくていい」と判断し、食欲を抑える指令を伝えるのです。こうして、レプチンの働きによって、私たちの食欲は適切にコントロールされています。

ところが、脂肪萎縮症の人は、脂肪細胞が出すレプチンがない。そのため、たとえ体を維持するのに十分なエネルギーをとっていても、脳が「エネルギーは十分」と認識できず、食欲が止まらなくなる。

マッチョ牛 一方、筋肉の細胞も、さまざまな「メッセージ物質」を放出していることが分かってきた。最初に発見されたのは、「ミオスタチン」というメッセージ物質。筋肉は、必要以上に増えすぎると、体のエネルギーを浪費してしまいます。そこで筋肉には、周囲の筋肉の細胞に向けてミオスタチンを放出し、「成長するな」というメッセージを伝える仕組みがあります。いくらトレーニングをしても際限なく筋肉が増えたりしないのは、ミオスタチンの作用によるものだったのです。つまり筋トレしてムキムキの体になっても必ずしもいいことばかりでないということか。

筋肉 筋肉から出るメッセージ物質は総称して「マイオカイン」と呼ばれ、ミオスタチンの他にも、次々と発見が続いてる。中でも興味深いもののひとつが、運動すると筋肉から出てくる「カテプシンB」というメッセージ物質。これが脳に働きかけて、なんと“記憶力が高まる可能性がある”という研究報告が、アメリカ国立老化研究所から出されています。マイオカインの研究はいまとてもホットな研究分野となっているのです。

いまや世界中でおよそ6億人以上もの人が「肥満」だという。健康な人では、脂肪細胞に蓄えた脂肪が増えるほど、食欲を抑えるメッセージ物質「レプチン」が大量に放出されて、食欲を抑えてくれる。なのになぜ、食べ過ぎて太ってしまうのでしょうか?

じつは、肥満して食べ過ぎている人の体内では、レプチンが出ていても、そのメッセージに脳が正しく反応できない「レプチン抵抗性」と呼ばれる状態が生じていると考えられており、そのメカニズムはまだよく分かってない。血液中を漂う過剰な脂肪が邪魔をして、レプチンが血管から外へ出て脳へと向かうことができないとか、脳の神経細胞がレプチンを受け取っても反応を起こしにくくなっているという説がある。

そのような肥満状態が進むと、やがて陥るのが「メタボリックシンドローム」です。メタボというと、お腹でっぷりの体型の問題と思われがちですが、その体内では大変なことが起きています。体を守る免疫細胞が“暴走”しているのです。

「免疫の暴走」とは何?メタボの人の脂肪細胞は、「敵がいるぞ」という警告を伝えるメッセージ物質を誤って放出している。それを受け取った免疫細胞は、活性化して「戦闘モード」に変化し、自らも「敵がいるぞ」という誤ったメッセージを拡散する。 こうして暴走状態となった免疫細胞が、突然死も招く動脈硬化や心筋梗塞、さらには糖尿病など、さまざまな病気を引き起こしうるというのです。

”メッセージ物質” IL-6が「免疫の暴走」を鎮める!?
免疫細胞の暴走をどうやったら食い止められるのか。じつはそのカギが、筋肉が放出する“メッセージ物質”にあると考える研究者がいる。デンマーク・コペンハーゲン大学のペンデ・ペダーセン博士。運動をすると筋肉から放出されるメッセージ物質・IL-6に、免疫の暴走を抑える作用があるという。

IL-6とは、もともと日本人が発見したメッセージ物質で、むしろ免疫を活性化する物質として知られていた。ところがペダーセン博士の実験では、IL-6の働きによって、メタボの人の体内で異常放出されている「敵がいるぞ」というメッセージ物質・TNFαの量を大幅に抑えるという結果が出たのです。山中さんも、「IL-6は、状況に応じて、免疫の暴走の促進と抑制という両方の作用をもつ可能性が指摘されている」と語ります。IL-6の多面的な作用が少しずつ知られるようになってきた。

運動で筋肉を動かすと、エネルギーを消費して過剰な脂肪を燃焼させる効果や、血流が良くなる効果があることは知られていますが、その他にも、メッセージ物質を出すことによって「体の状態を正常に保つ」という未知のパワーが秘められている可能性が、注目されているのです。

【脂肪細胞】
脂肪細胞 脂肪細胞(adipocyte)は、細胞質内に脂肪滴を有する細胞。単胞性脂肪細胞(白色脂肪細胞)と多胞性脂肪細胞(褐色脂肪細胞)とに分類される。単胞性脂肪細胞は大型の脂肪滴が存在し、核や細胞小器官が辺縁に圧迫されている貯蔵型の細胞であり、多胞性脂肪細胞は小型あるいは中型の脂肪滴が多数存在し、細胞小器官が発達している代謝型の細胞である。
**脂肪細胞には白色脂肪細胞と褐色脂肪細胞の2種類がある?

冬眠する動物では多胞性脂肪細胞を主体とする脂肪組織を冬眠腺と呼ぶ。近年、脂肪組織に多くの脂肪幹細胞が見出され、脂肪幹細胞移植など再生医療のセルソース(細胞源)として、その価値に注目が集まっている。
脂肪細胞は、2種類ある。「白色細胞」と「褐色細胞」
この2つの脂肪細胞は、同じ脂肪ですが、まるで対照的な特徴を持っている。
白色脂肪細胞は細胞内に栄養を脂肪として貯蓄しますが、褐色脂肪細胞は脂肪を分解し、熱を産生することで体温の調節をします。特に寒い環境下では、交感神経の活動が高まるにつれて褐色脂肪細胞が活性化し、体温が下がりすぎないよう熱を産生します。

●白色細胞は、蓄積した体脂肪で白っぽく見え、中性脂肪を蓄積するタンク。
●褐色細胞は、体脂肪の蓄積とは正反対の燃焼!!体脂肪を空焚きして熱に変える。
褐色細胞は、筋肉量の少ない赤ちゃんに多く、大人になると筋肉が熱を作るため、少なくなる。
褐色細胞を活性化して増やせたら、体脂肪が燃えて、痩せられことに。そのために、役立つのが「筋トレ」だと言われている。筋トレで刺激すると、筋肉から「イリシン」というホルモンが分泌される。このイリシンは白色細胞に働きかけて、褐色細胞のように体脂肪を燃やす性質に変えるらしい。筋トレによって白色脂肪細胞が褐色脂肪細胞に似た働きをするようになることが分かってきた。完全に褐色脂肪細胞に変化するのではなく、近い働きをするベージュ細胞へと変化するとのこと。

【マイオカイン】
現在、筋肉から見つかっているマイオカイン(筋肉が分泌するホルモンの総称)は30種類以上あるが、大部分は、何の働きをするのか分かっていない。マイオカインは、まだ未知の領域が多い。だが、研究が進んだ物質の中には、いくつもの病気を食い止める効果があるらしい。
 骨格筋が体重に占める割合は約40%。以前は体を動かすための組織だとしか考えられていなかったのが、実はホルモンを出すことが分かったのだから、言うなれば最大の内分泌器官ということになる。医学者や科学者がマイオカインに注目する理由は、そこにある。
 現在、効用が分かってきているマイオカインを挙げると、
「SPARC」
「IL―6」
「FGF―21」
「アディポネクチン」
「アイリシン」
「IGF―1」
① 「SPARC」:男性ではがんは死因の第3位、そして女性ではトップの大腸がんは転移しやすいがんでもある。マイオカインの中でも代表的なホルモン「SPARC」は、大腸がんのがん細胞を“自殺(アポトーシス)”させる働きがあることが知られている。 「もともと運動が好きな人は大腸がんになりにくいというデータがあったのです。一方でSPARCは大腸がんの抑制因子であることが分かっている。筋肉から分泌されることが判明してくると、運動とSPARCの密接な関係が注目されるようになった。

② 次に「IL―6」。このホルモンは体内の糖を取り込み、肝臓では脂肪を分解する。つまり、肥満や糖尿病を抑える効用があるらしい。

③ 「FGF―21」も、肝臓で脂肪を分解。また脂肪細胞に作用し、燃焼させると考えられている。肝硬変につながる脂肪肝を改善するマイオカインだ。

④ 「アディポネクチン」は、もともと脂肪細胞や肝臓から分泌されることが知られており、脂質を分解する作用がある。これは、糖尿病や、脂質異常から来る動脈硬化を防ぐ効能があるが、10年ほど前、筋肉からも分泌されていることが判明。

⑤ 「これも動物実験ですが、ハーバード大学の論文ではアイリシンも脳に影響を及ぼすとしている。筋肉から分泌されたアイリシンが脳に入ると、認知機能を改善する効果があるとしている。

⑥ 「IGF―1」も脳神経に作用すると見られている。このホルモンは、もともと筋肉や骨の成長促進に欠かせない物質として知られていた。この物質が神経細胞を作り、シナプスの結合、さらには血管新生を促す可能性がある。

生物の世界

人類を悩ませた天然痘

先人たちの底力 知恵泉(NHK):
天下泰平とされる江戸時代、実は度々災厄にあっている。江戸時代の危機管理を探る第二弾、後編は幕末に人々を悩ませたはしかとコレラを前に、格闘した人たちから、その知恵を考える。有史以来、人々を悩ませたはしか。そして開国を機に海外から入り大流行したコレラ。この時期は、それまでの日本の医療体制では解決できない感染症の“パンデミック”が相次いだ。この難問に医師はどう対処したか?その後の日本に残した知恵にも迫る。
番組を見た。「はしか」と紹介していたが、実際は天然痘が主役。上の文は単なる間違いか?

天下泰平とされる江戸時代、実は度々災厄にあっている。江戸時代の危機管理を探る第二弾、後編は幕末に人々を悩ませたはしかとコレラを前に格闘した人たちから、その知恵を考える。有史以来、人々を悩ませたはしか。そして開国を機に海外から入り大流行したコレラ。この時期は、それまでの日本の医療体制では解決できない感染症の“パンデミック”が相次いだ。この難問に医師はどう対処したか?その後の日本に残した知恵にも迫る。
出演:加藤寛幸 、秋元才加 、大石学、司会:新井秀和 ;2020年7月21日放送(C)NHK

ネットでは、このように紹介されていたが、実際の番組を見たら「はしか」ではなく、天然痘が主役であった。も一方の主役「コレラ」は後で調べるとして、以下は天然痘の概要について。

**知恵泉: 社会の中核層に向けた番組。人々が組織や社会の中で直面している様々な課題は、先人達が取り組んできたものと通じているという意図のもとに、現代人の課題や関心事項を毎月1つのテーマに設定して、歴史上の人物の知恵と行動から解決のヒントを探っていく。番組名の読みの“ちえいず”は、松平信綱の別名「知恵伊豆」にちなむ。

天然痘は、疱瘡とも呼ばれ、世界史上大変な感染症だった。天然痘(smallpox)は、天然痘ウイルス(Variola virus)を病原体とする感染症。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)とも。医学界では一般に痘瘡の語。疱瘡の語は平安時代、痘瘡の語は室町時代、天然痘の語は1830年の大村藩の医師の文書が初出。ヒトに対して非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率が平均で約20%から50%と非常に高い。仮に治癒しても瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残す。天然痘は人類史上初めてにして、唯一根絶に成功した人類に有害な感染症(2020年現在)。

天然痘ウイルス (Variola virus) は、ポックスウイルス科オルソポックスウイルス属に属するDNAウイルス。直径200ナノメートルほどで、数あるウイルス中でも最も大型の部類に。天然痘の原型となるウイルスはラクダから人類へと入り、そこで変化を起こして天然痘ウイルスが成立した可能性が高いと考えられている。ヒトのみに感染、発病させるが、膿疱内容をウサギの角膜に移植するとパッシェン小体と呼ばれる封入体が形成される。これは天然痘ウイルス本体と考えられる。また、牛痘やサル痘、ラクダ痘といった近縁種の病気が存在する。サル痘はしばしば重篤化して人の命を奪うことがあるが、牛痘やラクダ痘などほかの近縁種の病気は人類に感染しても軽い発熱や水疱が出る程度で、非常に軽い症状で済むうえ、できた免疫は天然痘と共通する。この性質を利用して、牛痘をあらかじめ人類に接種する種痘法が確立され、天然痘の撲滅が達成されることとなった。天然痘は独特の症状と経過をたどり、古い時代の文献からもある程度その存在を確認できる。奈良の大仏ができたのも天然痘の撲滅を祈願してのことらしい。

大まかな症状と経過は次のとおり。飛沫感染や接触感染により感染し、7 - 16日の潜伏期間を経て発症。40℃前後の高熱、頭痛・腰痛などの初期症状。発熱後3 - 4日目に一旦解熱して以降、頭部、顔面を中心に皮膚色と同じまたはやや白色の豆粒状の丘疹が生じ、全身に広がっていく。
7 - 9日目に再度40℃以上の高熱になる。これは発疹が化膿して膿疱となる事によるが、天然痘による病変は体表面だけでなく、呼吸器・消化器などの内臓にも同じように現われ、それによる肺の損傷に伴って呼吸困難等を併発、重篤な呼吸不全によって、最悪の場合は死に至る。
2 - 3週目には膿疱は瘢痕を残して治癒に向かう。治癒後は免疫抗体ができるため、二度とかかることはないとされるが、再感染例や再発症例の報告も稀少ではあるが存在する。
天然痘ウイルスの感染力は非常に強く、患者のかさぶたが落下したものでも1年以上も感染させる力を持続する。天然痘の予防は種痘が唯一の方法であるが、種痘の有効期間は5年から10年程度である。何度も種痘を受けた者が天然痘に罹患した場合、仮痘(仮性天然痘)と言って、症状がごく軽く瘢痕も残らないものになるが、その場合でも他者に感染させることはある。
「種痘」というワクチン接種による予防が極めて有効。感染後でも3日以内であればワクチン接種は、発症あるいは重症化の予防に有効であるとされている。また化学療法を中心とする対症治療も確立されているらしい。

天然痘の正確な起源は不明。最も古い天然痘の記録は紀元前1350年のヒッタイトとエジプトの戦争の頃であり、また天然痘で死亡したと確認されている最古の例は紀元前1100年代に没したエジプト王朝のラムセス5世。彼のミイラには天然痘の痘痕が認められる。

イスラームの聖典『クルアーン』の「象の章」では、西暦570年頃にエチオピア軍がマッカを襲撃する様子が記述されている。エチオピア軍はマッカの守備隊より軍事力で勝っていたが、アッラーフが鳥の群れ(アバビール)を遣わし、エチオピア兵の頭上に石を落とすと当たった者には疱瘡ができて疫病が蔓延し、撤退したという記述がある。これはエチオピア軍の間で天然痘が蔓延したことが神の奇跡として描かれているという説。

古代ギリシアにおける紀元前430年の「アテナイの疫病」は「アテナイのペスト」とも呼ばれたが、記録に残された症状から天然痘であったと考えられる(他に、麻疹、発疹チフス、あるいはこれらの同時流行とする説も)。165年から15年間にわたりローマ帝国を襲った「アントニヌスの疫病(アントニヌスのペスト)」も天然痘とされ、少なくとも350万人が死亡。その後、12世紀に十字軍の遠征によって持ち込まれて以来、流行を繰り返しながら次第に定着し、ほとんどの人が罹患するようになる。ルネサンス期以降に肖像画が盛んに描かれるようになったが、天然痘の瘢痕を描かないのは暗黙の了解事項であった。

アステカ 天然痘の被害を伝えるアステカの絵(1585年)。パイプによる治療を試みている。コロンブスの上陸以降、白人の植民とともに天然痘もアメリカ州に侵入し、免疫のなかったアメリカ州の先住民族に激甚な被害をもたらす。白人も奴隷としてアフリカ大陸から移入された黒人も感染源となる。

旧大陸では久しく流行状態が続いており、住民にある程度抵抗力ができて、症状や死亡率は軽減。しかし、牛馬の家畜を持たなかったアメリカ・インディアンは天然痘の免疫を持たなかったため全く抵抗力がなく、所によっては死亡率が9割にも及び、全滅した部族もあった。他にも麻疹や流行性耳下腺炎(おたふく風邪)などがヨーロッパからアメリカに入った。
しかし天然痘の被害は最大。白人の北アメリカ大陸征服を助ける結果となる。新大陸の二大帝国であったアステカとインカ帝国の滅亡の大きな原因の一つは天然痘であった。アステカに天然痘が持ち込まれたのは1520年頃、エルナン・コルテスの侵攻軍によってであると考えられているが、天然痘は瞬く間に大流行を起こし、アステカの滅亡の原因となった。さらにスペインの占領後も天然痘は猛威を振るい、圧政や強制労働、麻疹やチフスなど他の疫病も相まって、征服前の人口が推定2500万人だったのに対し、16世紀末の人口はおよそ100万人にまで減少し、中央アメリカの先住民社会は壊滅的な打撃を受ける。また、インカ帝国においては侵攻を受ける前に、既にスペイン人の到達していたカリブ海沿岸地域から天然痘が侵入し、現在のコロンビア南部において1527年頃に大流行を起こす。この大流行によって当時のインカ皇帝であるワイナ・カパックと皇太子であるニナン・クヨチがともに死去し、空位となった王位をめぐってワスカルとアタワルパの二人の王子が帝国を二分する内戦を起こした。この内戦はアタワルパの勝利に終わったものの、インカの国力は疲弊し、スペインのフランシスコ・ピサロによる征服を許す結果となった。さらにインカ帝国においても征服後は同様に天然痘をはじめとする疫病が大流行し、先住民人口の激減を招いた。

北アメリカでは白人によって故意に天然痘がインディアンに広められた例もあると言われている。フレンチ・インディアン戦争やポンティアック戦争では、イギリス軍が天然痘患者が使用し汚染された毛布等の物品をインディアンに贈って発病を誘発・殲滅しようとしたとされ、19世紀に入ってもなおこの民族浄化の手法は続けられた。モンタナ州のブラックフット族などは、部族の公式ウェブサイトでこの歴史を伝えている。ただし、肝心の英国側にはそのような作戦を行った証拠となる記録は無い(隠滅された?)。

中国・朝鮮半島:
中国では、南北朝時代の斉が495年に北魏と交戦して流入し、流行したとするのが最初の記録である。頭や顔に発疹ができて全身に広がり、多くの者が死亡し、生き残った者は瘢痕を残すというもので、明らかに天然痘である。その後短期間に中国全土で流行し、6世紀前半には朝鮮半島でも流行を見た。

日本:
渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミックが見られたと考えられている。折しも新羅から弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇が仏教の普及を認めた時期と重なったため、日本古来の神をないがしろにした神罰という見方が広がり、仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下するなどの影響が見られた。『日本書紀』には「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられる(麻疹などの説もある)。585年の敏達天皇の崩御も天然痘の可能性が指摘されている。

735年から738年にかけては西日本から畿内にかけて大流行し、「豌豆瘡(「わんずかさ」もしくは「えんどうそう」とも)」と称され、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した(天平の疫病大流行)。四兄弟以外の高位貴族も相次いで死亡した。こうして政治を行える人材が激減したため、朝廷の政治は大混乱に陥った。この時の天然痘について『続古事談』などの記述から、当時新羅に派遣されていた遣新羅使の往来などによって同国から流入したとするのが通説であるが、遣新羅使の新羅到着前に最初の死亡者が出ていることから、反対に日本から新羅に流入した可能性も指摘されている。奈良の大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行である。「独眼竜」の異名で知られる奥州の戦国大名、伊達政宗が幼少期に右目を失明したのも天然痘によるもの。
16世紀に布教のため来日したイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは、ヨーロッパに比して日本では全盲者が多いことを指摘しているが、後天的な失明者の大部分は天然痘によるものと考えらている。

ヨーロッパや中国などと同様、日本でも何度も大流行を重ねて江戸時代には定着し、誰もがかかる病気となった。儒学者安井息軒、「米百俵」のエピソードで知られる小林虎三郎も天然痘による片目失明者であった。上田秋成は両手の一部の指が大きくならず、結果的に小指より短くなるという障害を負った。天皇も例外ではなく、東山天皇は天然痘によって崩御している他、孝明天皇の死因も天然痘との記録が残る。

天然痘を擬神化した疱瘡神は悪神の一つとして恐れられ、日本各地には疱瘡神除けの神事や行事が今も数多く残っている。疱瘡神は犬や猿、赤色を苦手とすると考えられたため、赤いものや犬の張子、猿の面などをお守りとして備える地域も存在。福島県会津地方の郷土玩具「赤べこ」や岐阜県飛騨地方の「さるぼぼ」など、子供向けの郷土玩具に赤いものが多いのは天然痘除けを目的としているらしい。

北海道:
パヨカカムイ 北海道には江戸時代、本州からの船乗りや商人たちの往来にともない、肺結核、梅毒などとともに伝播。伝染病に対する抵抗力の無かったアイヌの人々は次々にこれらの病に感染。なかでも特に恐れられたのが天然痘。アイヌは、水玉模様の着物を着た疱瘡神「パヨカカムイ(パコロカムイ)」が村々を廻ることにより天然痘が振りまかれると信じ、患者の発生が伝えられるや、村の入り口に臭いの強いギョウジャニンニクやとげのあるタラノキの枝を魔除けとしてかかげて病魔の退散を願った。そして自身は顔に煤を塗って変装し、数里も離れた神聖とされる山に逃げ込んで感染の終息を待ち続けた。江戸期を通じて天然痘の流行が繰り返され、アイヌ人口が減少する一因と。ミントゥチはこれらに関連する伝承とされる。幕末の1857年にアイヌを対象に大規模な種痘が行われ、流行にようやく歯止めがかかる。

天然痘が強い免疫性を持つことは、近代医学の成立以前から経験的に古くから知られ、紀元前1000年頃には、インドで人痘法が実践され、天然痘患者の膿を健康人に接種し、軽度の発症を起こさせて免疫を得る方法が行なわれていた。この場合、膿を乾燥させてある程度弱毒化させたのちに行われることが普通であった。この人痘法は18世紀前半にイギリス、次いでアメリカ合衆国にももたらされ、天然痘の予防に大いに役だった。しかし、軽度とはいえ実際に天然痘に感染させるため、時には治らずに命を落とす例もあった。統計では、予防接種を受けた者の内、2パーセントほどが死亡しており、安全性に問題があった。

ジェンナー 18世紀半ば以降、ウシの病気である牛痘(人間も罹患するが、瘢痕も残らず軽度で済む)にかかった者は天然痘に罹患しないことがわかってきた。その事実に注目し、研究したエドワード・ジェンナー (Edward Jenner) が1796年、8歳の少年に牛痘の膿を接種させた後に天然痘の膿を接種させ、発病しないことを突き止めた。(なお、ジェンナーが「我が子に接種」して効果を実証したとする逸話があるが、実際にはジェンナーの使用人の子に接種。我が子に接種というのは、この手の発見によくある作り話か?

これによって人類初のワクチンである天然痘ワクチンが開発され、この牛痘接種(種痘)によって天然痘を予防する道が開かれる。この方法をジェンナーは論文にして王立協会に送付したものの無視される。1798年に『牛痘の原因と効果についての研究』を刊行し、種痘法を広く公表。医学界の一部からの反対は根強く残ったものの、牛痘の接種はそれまでの天然痘の直接接種に比べはるかに安全性が高いうえ効果も劣るものではなかったため、この方法はイギリスのみならずヨーロッパに瞬く間に広まり、以後この方法が主流となる。その後1930年代以降の研究で種痘に用いられているウイルスはワクチニアウイルスというウイルスであり天然痘ウイルスとも牛痘ウイルスとも違うことが判明しワクチニアウイルスの由来は一体何か様々な研究がなされてきた。この中で牛痘ウイルスが継代されていく間に変異しワクチニアウイルスとなったと考えられていた時期もあったが、2013年モンゴルで採取された馬痘ウイルスのゲノム解析をした結果、種痘に用いられているワクチニアウイルスと馬痘ウイルスが99.7%同一のゲノムであることが判明しワクチニアウイルスとは馬痘ウイルスもしくはその近縁のウイルスである事がわかった。つまりジェンナーの種痘は牛痘ウイルスではなく馬痘ウイルスがたまたま牛に感染したものを種痘として利用したものであり種痘には一度も牛痘ウイルスは使用されていなかったことに。種痘は当時のヨナ中のニーズに合致し、その後急速の普及する。

アメリカ合衆国で最初に接種を受けた人物のなかに第3代大統領のトマス・ジェファソンがいる。1805年にはナポレオンが、全軍に種痘を命じる。さらにスペインは1802年に遠隔地のスペイン領に痘苗をもたらす航海計画を実施。これによってラテンアメリカやフィリピンなど多くの地域に痘苗がもたらされた。安全性が高く確実な予防方法が確立。それ以降は天然痘の流行は徐々に消失する。また、この種痘の開発はワクチンおよび予防接種という疫病への強力な対抗手段を人類にもたらすきっかけとなる。

普及した種痘であったが、この時期の痘苗は人間の腕から腕へと接種する方式であり、痘苗が絶える危険性や、接種の際に別の伝染病に感染する危険性もあるものだった。これを避けるために、1840年にはナポリで子牛によって痘苗を生産する方式が開発され、1864年にフランスに伝えられたのをきっかけに世界各国へと広まっていったことで、種痘の安全性は大幅に改善。

日本の医学会では有名な話として日本人医師による種痘成功の記録がある。現在の福岡県にあった秋月藩の藩医である緒方春朔が、ジェンナーの牛痘法成功に遡ること6年前の寛政4年(1792年)に秋月の庄屋・天野甚左衛門の子供たちに人痘種痘法を施し成功させている。福岡県の甘木朝倉医師会病院にはその功績を讃え、緒方春朔と天野甚左衛門、そして子供たちが描かれた種痘シーンの石碑が置かれている。

日本で初めて牛痘法が行われるのは文化7年(1810年)のことで、ロシアに拉致されていた中川五郎治が帰国後に田中正右偉門の娘イクに施したのが最初である。しかし、中川五郎治は牛痘法を秘密にしたために広く普及することはなく、3年後の文化10年(1813年)にロシアから帰還した久蔵が種痘苗を持ち帰り、広島藩主浅野斉賢にその効果を進言しているが、全く信じてもらえなかった。その後、1823年に出島にやってきたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが牛痘法の知識を伝えたものの、種痘苗が手に入らず知識の伝達にとどまる。

その後、日本で本格的に牛痘法が普及するのは嘉永2年(1849年)に佐賀藩の依頼によって出島のドイツ人医師であるオットー・ゴットリープ・モーニッケがワクチンを輸入し、佐賀藩医の楢林宗建の息子に接種してから。それまでも何度か種痘苗の輸入は試みられていたが、ヨーロッパから直接輸入を試みていたために輸送途中で種痘苗が効力を失ってしまっていた。しかしモーニッケは既に種痘が普及していて日本からほど近いオランダ領インドネシアのバタヴィアから種痘苗を輸入したため、移入に成功。いったん種痘苗が移入されると、蘭学医の間で種痘苗が融通され、種痘は瞬く間に広がっていった。大阪・適塾の緒方洪庵は、治療費を取らず牛痘法の実験台になることを患者に頼み、私財を投じて牛痘法の普及活動を行う。1857年にはアイヌの間の天然痘流行を阻止するため、箱館奉行の村垣範正が幕府に種痘の出来る医師の派遣を要請し、桑田立斎らが派遣されて大規模種痘が行われる。1858年には江戸において、伊東玄朴・戸塚静海・大槻俊斎らの手によって神田お玉が池に種痘所が設立。1876年(明治9年)には天然痘予防規則が施行され、幼児への種痘が義務付けられた。

この時期、幕府の医療専門家達、つまり漢方医等は蘭方医の普及に脅威を抱き、幕府に蘭学禁止令を出させる。種痘は蘭方医の横のネットワークから江戸を除いた全国に広まり、最終的には江戸でも可能に。
天然痘の撲滅:
種痘の実施は徐々に世界中に広まっていき、20世紀中盤には先進国においては天然痘を根絶した地域が現れる。日本においても1955年に天然痘は根絶された。以後ワクチンの接種は行われていない。1958年に世界保健機関 (WHO) 総会でソ連の生物学者ヴィクトル・ジダーノフの提案によって全会一致で「世界天然痘根絶決議」が可決され、根絶計画が始まる。当初は世界全住民への種痘が方策として考えられていたが、医療組織や行政が整っていない発展途上国や人口密集地においては困難であり、南アメリカ、南アジアおよびアフリカにおいては流行が続いていた。中でも最も天然痘患者が多かったインドでは、根絶が困難と想定された。こうしたことから1967年にWHOは方針を転換し、皆種痘に代わって、まず天然痘患者を発見したものに賞金を与え、患者の発見に全力を挙げることとした。天然痘患者が発見されると、その発病1か月前から患者に接触した人々全てを対象として集中的に種痘を行い、ウイルスの伝播・拡散を防いで孤立させる事で天然痘の感染拡大を防ぐ方針を取る。いわゆる隔離作戦。作戦の期限は10年間とされ、この封じ込め作戦が功を奏してインドで天然痘患者が激減。

この方針は他地域でも用いられ、1970年には西アフリカ全域から根絶、翌1971年に中央アフリカと南米から根絶。1975年、バングラデシュの3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのエチオピアとソマリアが流行地域として残った。
1977年のソマリア人青年のアリ・マオ・マーランを最後に自然感染の天然痘患者は報告されておらず、3年を経過した1980年5月8日、WHOは地球上からの天然痘根絶宣言を発するに至った。現在自然界において天然痘ウイルス自体が存在しないとされている。天然痘は、人間に感染する感染症で人類が根絶できた唯一の例である。なお、ヒト以外を含む感染症全般ではウシなどに感染する牛疫が2011年に撲滅宣言された。

1978年にイギリスのバーミンガム大学メディカル・センターにおいて、微生物学研究室からウイルスが漏洩し、研究室の上階で働いていたジャネット・パーカーが天然痘を罹患して1か月後に死亡。彼女は天然痘により死亡した世界最後の患者である(「バーミンガム事件」と言われる。漏洩させてしまった研究者は、責任を感じて自ら命を絶った)。
1984年にWHOでなされた合意に基づいて、アメリカ疾病予防管理センター (CDC) とロシア国立ウイルス学・生物工学研究センター (VECTOR) のレベル4施設以外の研究所が保有していた株は全て廃棄された。この2施設における天然痘株についても破壊することがWHOの会議で一旦決定されたが、実際の作業は数度に渡り延期され、2001年にアメリカが株の廃棄に反対する姿勢を明確にしたことで中止となった。 しかし近年レベル4施設の設備を備えない不適切な場所においても生きた天然痘ウイルスが発見されており、その管理・取り扱いが非常にずさんであることが発覚しているらしい。
WHOによる根絶運動により、1976年以降予防接種が廃止されたが、アメリカでは2011年時点でワクチンを備蓄し続け、またその製造が可能な状態を維持し続けている。細菌兵器に使われる可能性もあり、その是非は議論があるだろう。さらに、米国以外にも天然痘ウイルスを保持している可能性のある国もあり細菌兵器への転用の危険は残されているようだ。

テロの危険:
根絶されたために根絶後に予防接種を受けた人はおらず、また予防接種を受けた人でも免疫の持続期間が一般的に5~10年といわれているため、現在では免疫を持っている人はほとんどいない。そのため、生物兵器として使用された場合に、大きな被害を出す危険が指摘されており、感染力の強さからも短時間での感染の拡大が懸念されている。 WHO専門家会議は2015年に、天然痘ウイルスの人工合成は技術的に可能になったと結論し、天然痘が再び発生するリスクがなくなることはないと報告。2018年にはカナダのグループが、メール注文したDNA断片を用いて、天然痘ウイルスに近縁の馬痘ウイルスの人工合成に成功。同年にアメリカ食品医薬品局(FDA)は、初の天然痘治療薬を認可した。動物実験で有効性が証明され、健康な人に服用してもらう試験で安全性が確認されたため、テロから国民を守るために認可したとFDAは説明。 米国CDCでは生物兵器として利用される可能性が高い病原体として、天然痘ウイルスを最も危険度、優先度の高いカテゴリーAに分類。なお、カテゴリーAには天然痘ウイルスの他、エボラウイルスなどの出血熱ウイルス、ペスト菌、炭疽菌、ボツリヌス菌、野兎病菌も指定されている。新型コロナウィルスは、生物兵器として利用される可能性はなさそうだ。 日本において天然痘ウイルスは感染症法により特定一種病原体(国民の生命及び健康に「極めて重大な」影響を与えるおそれがある病原体)に指定されており、所持、輸入、譲渡し及び譲受けは一部の例外を除いて禁じられる。運搬には都道府県公安委員会への届出が必要である。所持者には帳簿を備える記帳義務が課せられる。 天然痘ウイルスは世界保健機関(WHO)のリスクグループ4の病原体に指定されており、実験室・研究施設で取り扱う際のバイオセーフティーレベルは最高度の4が要求される。 天然痘そのものは根絶宣言が出されたが、サル痘などの類似したウイルスの危険性を指摘する研究者がいる。研究によれば、複数の身近な生物が類似ウイルスの宿主になりうることが示されており、それらが変異すると人類にとって脅威になるかもしれないと警告している。1950年にオーストラリアで野ウサギを駆逐したウイルスは天然痘の親類であったとも。新型コロナウィルスも、他のコロナウィルスが変異したものらしい。

生物の世界

ペストの歴史

ペストは歴史においては、過去に3度のパンデミックが確認されている。
第一のパンデミックは、西暦541-750年。エジプトから地中海(ユスチニアのペスト)、ヨーロッパ北西部まで広がった。

第二のパンデミックは、西暦1331-1855年であり、中央アジアから地中海、ヨーロッパ(黒死病)に広がり、おそらくは中国にも伝わったとされる。

第三のパンデミックは、西暦1855-1960年であり、中国から世界の様々な場所に広がり、とりわけインドと米国西海岸に広がった。

ただし、中世の黒死病は、第二のパンデミック初期ではなく、第一のパンデミック末期とみなされることも。その場合は二番目のパンデミックの始まりは1361年となる。また第二のパンデミック収束日も、文献によりさまざま。つまり、流行した期間が長くはっきりした区分は出来ない。

古代
ペロポネソス戦争のさなかの紀元前429年、篭城戦術を用いてスパルタ軍と対峙していたギリシャ最大のポリス、アテナイ(アテネ)を感染症の流行が襲い、多数の犠牲者を出した事がトゥキュディデスの『戦史』2巻に記載されている。この疫病は、発熱、発疹を症状とする致死性の疾患で、かつて「アテナイのペスト」と呼ばれていた時期もあったが、様々な感染症の可能性も。具体的な疾病名の推測は不可能。但し、記録に残る症状の分析により、今日では痘瘡(天然痘)または発疹チフス(あるいはそれらの同時流行)と考えられており、ペスト説はほぼ完全に否定されている。これは有名な歴史家トゥキディデス自身がかかり回復した記録から判明(激しい頭痛、目の炎症、喀血、咳、くしゃみ、胸痛、胃けいれん、嘔吐、下痢、高度の発熱)。 なお、古代ギリシャ最大の民主政治家として知られ、アテナイにおいてペロポネソス戦争を主導したペリクレスもこの疫病で死亡。この戦争でのアテナイの敗北およびデロス同盟の解体を招いた。つまり、キーパーソンを失った。

なお、トゥキディデス著『戦史』によれば、「アテナイのペスト」はペロポネソス戦争時に流行したため、アテナイでは敵のスパルタ側が貯水池に毒を投げ込んだという噂がながれたという。 いずれにしろ、この時の疫病はペストとは認められていないようだ。

第一のパンデミック=ローマ帝国の疫病
165年から180年に流行が起こり、感染した人の25%から33%が死亡し、350万から700万人ほどの人々が死んだとされる。「アントニヌス帝(マルクス・アウレリウス・アントニヌス、五賢帝の一人)のペスト」とも呼ばれる。 記録に残る歴史的な感染症の流行のうち、現代医学で言うところのペストと同じ症状と推定される感染症の最初の流行は、542年から543年にかけてユスティニアヌス1世(在位527年-565年)治下の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)で流行したペストであり、現代の病態分類では腺ペストと推定されている。
東ローマ皇帝ユスティニアヌス自身も感染したため「ユスティニアヌスの斑点」ないし「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれた。エジプトのペルーシウムからパレスティナ地方へ、さらには帝都コンスタンティノープルへと広がって多くの死者が発生し、人口の約半数を失って、帝国は一時機能不全に陥るほどであったという。この時期のヨーロッパ文明の中心は、コンスタンティノープルであったことは忘れてはいけない。

542年には旧西ローマ帝国の領域に侵入し、ブリテン島周辺には547年に、フランスへは567年に広がって、ヨーロッパ、近東、アジアにおいて最初の発生から約60年にわたって流行し続けたと記録されている。ユスティニアヌス自身は感染したものの軽症で済み、数ヶ月で回復したといわれている。コンスタンティノープルでは、流行の最盛期には毎日5,000人から10,000人もの死亡者が出て、製粉所とパン屋が農業生産の不振により操業停止に陥ったといわれる。

一説ではあるが、ペスト流行による東地中海沿岸地域の人口の急減のために「東ローマ帝国による統一ローマの再建」というユスティニアヌスの理想は挫折を余儀なくされ、アルプス山脈以北の西ヨーロッパ世界はいまだ交通網が未発達で、ゲルマン民族大移動以後の荒廃もあって自給自足経済の要素が強く、ペストの流行が相対的に軽くすんだ。それ以降の発展が可能になったともいわれている。歴史に「もし」は無いとは言われるが、感染症の大流行は、世界の仕組みを大きく変化させ、歴史の流れをとんでもない方向に導く力を持っているようだ。第一のパンデミックの結果はローマ帝国を滅亡に導き、西欧世界の自立を促したということか。
第二のパンデミック
14世紀のヨーロッパで猛威をふるったペストは、感染すると、2日ないし7日で発熱し、皮膚に黒紫色の斑点や腫瘍ができるところから「黒死病」(Black Death)と呼ばれた。カナダ出身の歴史家ウィリアム・ハーディー・マクニールによれば、「黒死病」は、中国の雲南省地方に侵攻したモンゴル軍がペスト菌を媒介するノミと感染したネズミを中世ヨーロッパにもたらしたことによって大流行したものとする。マクニールの説(『疾病と世界史』、原著は1976年)では中国の雲南省~ビルマから拡がったか、あるいは満州~モンゴル高原の草原に生息する穴居性齧歯類が感染源であろうと推測。しかし、歴史家のウィンストン・ブラックによれば、2000年代から始まった当時のペスト犠牲者の人骨のDNA研究やペスト菌の遺伝子分析の結果から考えると中国起源説は可能性が低く、おそらく中央アジアが起源であろうとしている。NHKの番組では中央アジアのキルギス地方が特定されているとしていた。 いずれにしろ、ペストはアジア地域のエピデミックだったものが、モンゴル軍の大活躍でグローバル社会が確立したことから、ペストはパンデミックとして世界中に大流行したようだ。

ヨーロッパにおけるペストの伝播
この病気が14世紀のヨーロッパ全体に拡大したのは、モンゴル帝国によってユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが背景になっている(マルコポーロの時代だ)。グローバル社会が成立したということ。当時、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサなどの北イタリア諸都市は、南ドイツの銀、毛織物、スラヴ人奴隷などを対価とし、アジアの香辛料、絹織物、宝石などの取引で富を獲得していた。こうしたイスラムとヨーロッパ交易の中心となっていたのは、インド洋、紅海、地中海を結ぶエジプトのアレクサンドリアであり、当時はマムルーク朝が支配。
中央アジアでの流行
近年の遺伝学等の研究成果により流行の発信地だと目されているものの、残された記録が乏しい。NHKの番組ではキルギスのある村は流行によってほとんど無人化したらしい(多数の人骨)遺跡がある。
中国での流行
マクニールによれば、「1331年に河北で疫病が発生し人口の9割が死んだ」という記録があることから、早ければ1331年に(ヨーロッパに先んじて)中国でペストの流行が始まった可能性を指摘。また、1353~1354年にかけて中国内の8か所の遠く離れた別々の場所(山西、湖北、河北、江西、湖南、広東、広西、綏遠)で流行し、一部地域では住民の3分の2が死亡。伝統的な中国の編年史はモンゴル人の蛮行を強調しようとするが、1200年と1393年の間の中国の人口半減をよく説明し得るものはモンゴル人の蛮行ではなくペストの蔓延であったようだ。 つまり、第二のパンデミックは、モンゴル帝国による世界のグローバリゼーションの副作用として生じたものと言えそうだ。

ヨーロッパへの上陸
1347年10月、ペストは、中央アジアからクリミア半島を経由してシチリア島に上陸し、またたく間に内陸部へと拡大した。コンスタンティノープルから出港した12隻のガレー船の船団がシチリアの港町メッシーナに到着したのが発端といわれる。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミに寄生し、そのノミによってクマネズミが感染し、船の積み荷などとともに、海路に沿ってペスト菌が広がったのではないかと推定されている。ペストはまず、当時の交易路に沿ってジェノヴァやピサ、ヴェネツィア、サルディーニャ島、コルス島、マルセイユへと広がった。最初はイタリアの諸都市、それが瞬く間に北上する。1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。正確な統計はないが全世界で8500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2000万から3000万人前後、イギリスやフランスでは過半数が死亡したと推定されている。場所によっては60パーセントの人が亡くなった地域もあったとされる。

この疫病がヨーロッパに到達した数か月ののち、ローマ教皇クレメンス6世は、当時のカトリック教会の総本山のあったアヴィニョンより逃亡したが、そのいっぽうで教皇の侍医長であった外科医ギー・ド・ショーリアックはアヴィニョンに留まる勇気を示す。また、腺ペストに特徴的なリンパ節の腫瘍は「腫れ物」と称され、人類のみならずイヌやネコ、鳥やラクダ、ライオンさえをも苦しめた。 つまりヒト→他の哺乳類への感染も。

このときのペストの流行ではユダヤ教徒の犠牲者が少なかったとされている(何故?)。ユダヤ教徒が井戸へ毒を投げ込んだ等のデマが広まり、ジュネーヴなどの都市では迫害や虐殺の対象となる。ユダヤ教徒に被害が少なかったのはミツワーにのっとった生活のためにキリスト教徒より衛生的であったという説がある一方、実際にはゲットーでの生活もそれほど衛生的ではなかったとの考証もある。 つまりユダヤ教徒の犠牲者も少なくなかったのが本当らしい。しかし、当時から差別があったようだ。

黒死病は、ヨーロッパの社会、特に農奴制(領主の側からみれば荘園制)に大きな影響をおよぼす。農村人口の激減は封建領主に対する農民の地位を高めるこに。たとえば、イギリスでは労働者の不足に対処するため、国王エドワード3世が1349年にペスト流行以前の賃金を固定することなどを勅令で定めている。それ以外にも、領主は地代を軽減、農民保有地の売買を認めるなど、農民の待遇改善に努力するようになったという。

一方では、労働力不足を経済外的な強制力で補おうとする領主による封建的反動も起こる。危機に直面すると正反対の行動がとられる見本。フランス北東部では、1358年に百年戦争とペストの流行による農村の荒廃、領主の農奴制強化に対する反抗などを背景としてジャックリーの乱が起こり、また、イングランドでも1381年にワット・タイラーの乱が起こっており、いずれも、当時の封建反動に抵抗して起こった農民反乱。

イングランド、フランス両国においては百年戦争によって封建領主が没落するいっぽう王権の伸張がはかられ、中央集権国家へと脱皮していった。聖職者を失った教会も混乱し、人手不足による賃金の急騰、ヨーロッパ全体における戦争の停止など「黒死病」の政治的・社会的影響は多岐に渡る。

また当時は、黒死病が蔓延したことを、神が下した罰ととらえ贖罪のため身体に鞭をあてて各地を遍歴する行者も多数出現。医師のなかには、腫れ物を切開したり、毒蛇の肉を薬と称して与えたり、また、予防として香草や酒精を用いることを勧める者も少なくなかったという。色々なデマが流行する。免疫をつけるために便所や下水にかがみこんで悪臭を吸い込もうとする人びとまであらわれた。黒死病の流行は、「死の舞踏」はじめ絵画や文学のテーマにも大きな影響をあたえる。

ルネサンス初期の著名な文学者ジョヴァンニ・ボッカッチョが1349年から1353年にかけて著した『デカメロン』(十日物語)は、
***さて神の子の降誕から、歳月が、1348年目に達したころ、イタリアのすべての都市の中ですぐれて最も美しい有名なフィレンツェの町に、恐ろしい悪疫が流行しました。ことの起こりは、数年前東方諸国に始まって無数の生霊を滅ぼしたのち、休止することなく次から次へと蔓延して、禍災(わざわい)なことには西方の国へも伝染して来たものでございました。***
で書き出されており、ペストの流行についてふれている。『デカメロン』は、ペストを逃れて郊外に住んだフィレンツェの富裕な市民男女10人が、10日間にわたり、1日1話ずつ語り合うという設定で著されており、社交・機知・ユーモア・エロスに富む人文主義の傑作とされているが、ペストの恐怖からの心理的逃避が背景となっている。

前掲マクニールに師事したジョン・ケリーは、黒死病の拡大に重要な役割を果たしたのは、13世紀にモンゴル人がユーラシア大陸に巨大な帝国(モンゴル帝国)をつくりあげたことであると述べ、これにより、広い範囲での貿易や旅行が可能になってジャムチ(駅伝制度)など通信網の発達が格段に進んだことに起因するとの見解を表明している。つまり、グローバル社会の負の側面か。今の新型コロナウィルスと同じだ。

北アフリカでの流行
北アフリカでもヨーロッパと同時期に流行が始まった。1348/1349年にはハフス朝のチュニスで勉学の身であったイブン・ハルドゥーン(当時16歳)はチュニスでのペスト流行により少年時代に習った教師のほとんどが死亡し、自身の両親も死亡したため孤児となった。また、マムルーク朝下の学者であったマクリーズィーは『エジプト地誌』の序文で、1403-1404年にかけて起こったペストの流行で自身も感染を経験し、多くの住民が死亡したり都市や農村が荒廃したことを述べた上で、自分の力の及ぶ限り現在に伝わっているマムルーク朝の状態を伝えておきたいと述べている。

その後も、ペストは何度か流行しているが、17世紀は、14世紀とともに小氷期によりヨーロッパの気候が寒冷化し、ペストが大流行して飢饉が起こり、英蘭戦争や三十年戦争をはじめとする戦乱の多発によって人口が激減したため、「危機の時代」と呼ばれた。いっぽう、中国の歴史地理学者曹樹基によれば、16世紀から17世紀にかけての明末清初期の華北では、合計1000万人がペストで死亡し、人口動態の面でも大変化があったとしている。

ペスト菌の存在がわからなかった時代には大流行のたびに原因が特定の人びとにおしつけられ、魔女狩りが行われたり、特にユダヤ教徒をスケープゴートとして迫害する事件が続発した。清教徒革命を経て王政復古後のロンドンで1665年に流行したペストでは、およそ7万人が亡くなっており、のちに『ロビンソン・クルーソー』を刊行して有名になったダニエル・デフォーは、『疫病の年』("A Journal of the Plague Year", 1722年)を著して当時の状況を克明に描写している。

第三のパンデミック
19世紀末、中国を起源とするペストが世界中にひろがった。これは、雲南省で1855年に大流行した腺ペストを起源とするものであり、1894年(明治27年)の香港での大流行をきっかけとして世界的に拡大した。ロベルト・コッホに師事した北里柴三郎は日本政府により香港に調査派遣され、腺ペストの病原菌を共同発見した。同じ年のほぼ同時に、パスツール研究所の細菌学者で、スイスとフランスで活躍した医師アレクサンダー・イェルサンもペスト菌を発見し、これを発表した。こうしてペストの原因が、はじめて確定された。

北里柴三郎
こののち、北里の研究により腺ペストを治す方法は抗血清によって確立されたが、出血熱に関してはいまだ有効な治療法が確立されていない。
このときの中国発の腺ペストは、20世紀初頭、中国の東部沿岸地域や台湾、日本、ハワイ諸島をはじめ、さらにアメリカ合衆国、東南アジアから南アジアの各地にも広がった。ペストの世界的な広がりの背景にあったのは、植民地主義の展開のもとでなされた交通体系の整備や商品流通の活性化、人間の移動などにより互いに各地が緊密な関係をもつにいたったことがあげられる。その一方で、感染症の有無によって「清潔」「不潔」の観念が生じ、また、その観念が一般化して、中国人に対する差別的な検疫や入国制限などもおこなわれた。1902年(明治35年)、東京・横浜地方でもペストが発生したため、役所がネズミ1匹を5銭(のち3銭)で買い上げるという措置を講じ、媒介者たるネズミの駆除に乗り出している。ネズミの買い上げは、横浜市の場合、市役所の衛生課、衛生組合事務所、警察署、巡査派出所、巡査駐在所が管轄しており、当時の『国民新聞』によれば1905年(明治38年)3月の時点ですでにネズミ買い上げ金総計が4万円を突破している。

1910年から翌1911年にかけては、清朝末期の満州で肺ペストが流行した。ロシア帝国と日本は、ペスト対策の実施を口実として満州進出の拡大を企図するが、清朝政府は1911年、奉天で国際ペスト会議(奉天国際鼠疫会議)を開き、日露に限らずアメリカ合衆国やメキシコ、英・独・仏・伊・蘭・墺など数多くの外国代表をその会議に招くことで日露両国の影響力の低減をはかった。これは、帝国主義のもと、感染症とその対策が政治問題化した好例である。 新型コロナウィルスの対策も極めて政治問題化していることに気をつけた方が良い。

第3次の流行で最大の被害を受けた国はインド。第二次世界大戦までに死亡者は1200万人以上に達した。また、インドでは1994年にもペストが発生し、パニックが起こるほどであった。日本では、明治になって国外から侵入したのが初のペスト流行であるとされている。第二次世界大戦後はしばらくのあいだ流行は沈静化していたが、1960年代のヴェトナムでペストが大流行し、死者が年間1万人に達する年もあったといわれる。ベトナム戦争等による社会秩序の混乱が伝染病の蔓延を促進した典型例といわれる。
なお、アルベール・カミュによって、ペストに襲われたアルジェリアのオラン市を舞台とした小説『ペスト』が発表されたのは1947年のことであった。

WHO(世界保健機関)の報告によれば、1991年以降ヒトペストは増加し 1996年の患者3017人(うち死亡205人)、1997年には患者5419人(うち死亡274人)。ただし、WHOに報告された人のペスト患者数は、概して、実際の患者数よりも少なく、実態はさらに深刻。

WHOによれば 2004-2015年の感染者は56,734名で、死亡者数は4,651名(死亡率 8.2%)であった。このうち86%(48,699名)は、マダガスカル(19,122名)、コンゴ民主共和国(14,175名)、タンザニア(6,448名)などのアフリカ諸国である。マダガスカルでは2017年にも流行し、患者2,348名、死亡202例であった。 2000年代ではアジアでも流行し、ベトナム(3,425名),インド(900名),ミャンマー(774名),中国(584名)が報告されている。2011-2015年では中国5名、モンゴル5名、キルギスタン1名、ロシア1名。

全世界での平均発生数は、依然として発生する地域的なアウトブレイクによる増減は見られるものの、1998年以降、大きな変化はない。つまり、ペストの感染はまだ終わったわけではなさそうだ。

日本におけるペスト発生

日本においてペストは、明治以前の発生は確認されていない。つまり、江戸時代はペストとは無縁。最初の報告は、1896年(明治29年)に横浜に入港した中国人船客で、同地の中国人病院で死亡した。大小の流行は複数回あり、1899年(明治32年)11月が最初の流行で、台湾から門司港へ帰国した日本人会社員が広島で発病し死亡、その後半月の間に神戸市内、大阪市内、浜松で発病、死者が発生した。1899年は45人のペスト患者が発生、40人が死亡した。翌年より東京市は予防のため、ネズミを1匹あたり5銭で買い上げた。この時のネズミの霊を供養するための鼠塚が、渋谷区の祥雲寺境内にある。1901年(明治34年)5月29日、警視庁はペスト予防のため、屋内を除き跣足(裸足)での歩行を禁止した(庁令第41号)。最大の流行は1905-1910年の大阪府で、958名の患者が発生し、社会的に大きな影響を与えた。この際、紡績工場での患者発生が続いたことから、ペスト流行地のインドから輸入された綿花に混入したネズミが感染源というのが通説になった。1899年から1926年までの日本の感染例は2,905名で、死亡例2,420名が報告された。
1927年(昭和2年)以降は日本では国内感染例はないと言う。

生物の世界

血液

血液とはそもそも何なのだろう。
血液(けつえき、blood)は、動物の体内を巡る主要な体液で、全身の細胞に栄養分や酸素を運搬し、二酸化炭素や老廃物を運び出すための媒体である。だから植物には血液は無い。また、単細胞の動物には血液は無いはずだ。
ヒトの血液量は体重のおよそ 1/13(男性で約8%、女性で約7%)。例として、体重 65kg の男性の場合、約 5kg が血液の重さ。

動物一般について言えば、血液は体液とほぼ同意である。血液の流れを血流もしくは血行という。血液が管状の構造の中を流れている脊椎動物においては、この管を血管という。このしくみを「血管系」あるいは「循環器系」という。
血管系には開放血管系と閉鎖血管系がある。ヒトをはじめとする脊椎動物は閉鎖血管系であり、特に外傷などが無い限り、血液は血管の内部のみを流れる。血管の外には組織液があり、液体成分と一部の血球は血管の壁を越えて出入りする。血管の周囲にある細胞は、組織液に浸っていると考えてよい。甲殻類や昆虫など開放血管系の動物および循環器系のない動物においては血液は血管外にも流れ出すので、血液と組織液の区別はなく、体液はすべて血液と見なして良い。
以下はヒトの血液を考える。血液の主な役割は次のようなものであろう。

1.呼吸(血液ガス、すなわち酸素および二酸化炭素の運搬)
血液は肺胞(酸素分圧100mmHg程度)の毛細血管を0.75秒ほどで通過する間に、ほぼ平衡に達し動脈血の酸素分圧も約100mmHgとなる。肺で酸素を取り込んだ血液は血液循環で末梢組織に循環するが、体組織の細胞周囲の酸素分圧は20~30mmHgであり動脈血と酸素分圧に差があることと、組織液内で発生している二酸化炭素を赤血球内に取り込み炭酸脱水酵素が炭酸に変換することによる酸性化でボーア効果が起きることによって、酸素が血液から組織液に移る。こうして酸素が体組織に運ばれている。酸素を運び終えた静脈血の酸素分圧は、40mmHg程度である。血液は一般的な液体に比べると、同じ酸素分圧でもはるかに多くの酸素を含んでいる。これは赤血球内に高密度で存在する血色素ヘモグロビンが酸素と結合することによる。
2. 栄養(糖、脂質、アミノ酸、タンパク質等のエネルギー基質)の運搬
3. 各種ホルモンなど作用物質の運搬(全身の情報・指令伝達)
4. 防御…外傷に対しては血小板の凝集や血液凝固因子によるフィブリン塊を形成し止血や傷を塞ぐ作用を起こす。細菌への免疫機能発露や異物に対する抗体生成も行う。体温調整
。 5. 排出…組織で産生された代謝老廃物を肺、腎臓・肝臓・皮膚・腸管などの器官に運搬する。
6. 代謝産物運搬
体内に分布する化学受容器、圧受容器に適合刺激を与える。体内の酸と塩基の平衡を維持してpHを調節する。 7. 水分代謝を調整し、血圧や組織液の浸透圧などをコントロールする。

血球成分(細胞性成分、血液細胞)と血小板、これらを浮遊させる血漿成分(液性成分)からなり、その比率は およそ40~45 : 60~55である。また、血球成分(血液細胞)は重量比で赤血球96%、白血球3%、血小板1%で構成される。血漿成分は水分90%、血漿蛋白質7%、そのほか微量の脂肪、糖、無機塩類で構成される。
血の色
色はヒトを含む脊椎動物の場合、赤く見える。これは赤血球に含まれるヘモグロビン(鉄を含むタンパク質)という色素に由来。ヘモグロビンは多くの無脊椎動物においても血液中の酸素運搬に寄与する。ゴカイやミミズ等の環形動物の血液も赤いが、これはヘモグロビンと同じく鉄系ではあるがエリスロクルオリンという成分による。ただし、補欠分子族や機能面で大きな差異が無い為、これもヘモグロビンの一種と取り扱うことができる。 無脊椎動物である頭足類または軟体動物やカニ・エビなど甲殻類は銅系タンパク質のヘモシアニン(血青素)のために青みがかっていたり、ホヤなどではバナジウムを含むポルフィリン化合物のヘモバナジン(バナドクロム、バナドヘモクロモーゲン、ヘモバナジウム)のため緑色に見えるものなど多数の血色素が存在し、同じような色であっても異なる色素成分によることも多い。また、呼吸色素の種類により、酸素の運搬能力(効率)も異なる。
造血
哺乳類の場合、血球(血液細胞)はいずれも骨髄で造血幹細胞から分化・成熟したものである(造血の場は哺乳類と鳥類では主に骨髄、魚類では主に腎臓、両生類では脾臓である。爬虫類は種によってさまざまである)。健康人では未熟な細胞は骨髄から血液内に移動することは出来ず、血液内には赤血球、白血球、血小板のみが存在する。
●ヒトの血液物性や成分は以下の値となる。
比重 男1.055 - 1.063 女1.052 - 1.060
赤血球数 男500万/mm3 女450万/mm3
白血球数 5000 - 8000/mm3
血小板 20万 - 50万/mm3
ヘマトクリット値 男42% 女37%
血漿タンパク質 7% (うちアルブミン56%)
pH 7.4
この他、各種イオンや有機酸、グルコース、脂質、尿素などを含む

血液を抗凝固剤と共に遠沈管に入れて遠心分離すると、血液中の細胞成分が底の方に移動するが、大部分が暗赤色の赤血球部分で、赤血球部分と上澄みの間に白血球部分ができる。
中央がやや凹んだ直径約7.5µm、厚さ約1 - 2µmの円盤状で[13]、ヘモグロビン量が体積の1/3に相当する。酸素の運搬を担い、細胞核やミトコンドリアを持たない。膜は弾性に優れて容易に変形できるため、毛細血管など細いところも通りやすい。
赤血球 【赤血球】
赤血球は成人男子で430万 ~570万/mm3、女子で380万 - 500万。全身細胞の1/3に相当する。全血液中容量中の赤血球容量の割合をヘマトクリットという。正常値は成人男性約45%、女性約40%であり、貧血時に下がり、脱水症状になると上がる。
ヘモグロビンは酸素と結びつくと鮮やかな紅色となり、分離すると暗い赤色になる。これがそれぞれ動脈血と静脈血の色を特徴づける。仮にヘモグロビンが血漿中に溶けた状態にあると、血液は粘度が非常に高く、流れにくくなる。また、ヘモグロビンそのものもすぐに分解され、酸素を運搬できなくなる。

【白血球】
形態や染色性から顆粒球(好中球、好酸球、好塩基球)、単球、リンパ球の5種に分類できる細胞種の集合体で、細胞核を持つ。殺菌作用を持ち、免疫機能にも作用する。血中の数は5000 - 9000/mm3であり、好中球が全体の50 - 70%、次いでリンパ球が約30%、単球が約5%である。
形態や染色性から顆粒球(好中球、好酸球、好塩基球)、単球、リンパ球の5種に分類できる細胞種の集合体で、細胞核を持つ。殺菌作用を持ち、免疫機能にも作用する。血中の数は5000 ~ 9000/mm3であり、好中球が全体の50 ~70%、次いでリンパ球が約30%、単球が約5%である。

【血小板】
直径2 - 3µmの細胞核を持たない細胞で、血管が損傷を受けると粘着・凝集反応を起こし止血に重要な作用を担う。血中数は15万~40万/mm3。
血管が破壊されると露出した膠原繊維(コラーゲン繊維)と反応して、血小板が粘着する。さらに変形してセロトニンやアデノシン二リン酸などを含む粒を放つ。これらが血管収縮やさらなる血小板の凝集を促し、血栓を形成して出血を止める。

造血と破壊
ヒトは誕生以前の胎生時に当たる発生の極めて初期には卵黄嚢造血管組織(血島)で造血がされるが、これは体外造血に当たる。その後肝臓や脾臓で造血され、胎生5ヵ月頃には造血組織は順次萎縮する。その後、誕生するまでには造血の場は成人期造血器官である骨髄のみに移る。

発生生物学的には造血には2つの段階がある事が知られている。「一次造血」は、発生初期に胚体外の卵黄嚢組織で起こり一時的に胚に血液を供給し、生涯全身に血液を供給する「二次造血」は、胚のAGM (aorta-gonad-mesonephros) 組織で起る。この、二次造血を行う細胞がどこから来たのか明らかでなかったが、理化学研究所の研究グループは、卵黄嚢にある造血細胞が二次造血にも関与していることを突き止めた。

子供の時期には脛骨のみがほとんどの造血能を担うが、20代の頃には失われ大腿骨や肋骨などの造血比率が高まる。成人では体躯の胸骨、肋骨、脊椎、骨盤、リンパ組織などで造血が行われる。さらに年齢を重ねると胸骨や椎骨・骨盤での産出比率が高まる。

骨髄のうち、造血を起こす部分は赤色骨髄のみで、黄色骨髄にその能力は無い。すべての血球は幹細胞(造血幹細胞)を元に作られる。これが造血因子を受けながら分裂による増殖を繰り返し、様々な血球へ分化・成熟する。まず、造血幹細胞はリンパ系幹細胞か骨髄系幹細胞のいずれかになる。リンパ系幹細胞はリンパ芽球を経て白血球のうちリンパ球になる。骨髄系幹細胞は複数の分化を辿り、前赤芽球・赤芽球を経て赤血球、骨髄芽球を経て白血球(好中球、好酸球、好塩基球)、単芽球を経て白血球(単球)、巨核芽球・巨核球を経て血小板となる。

破壊
赤血球は老化すると柔らかさを失う。こうなったものは脾臓で細胞内皮系細胞による食作用で分解される。ヘモグロビンは分解し黄色色素のビリルビンとなり、肝臓で水溶性化を受け胆汁の中に含まれた形で十二指腸へ排出される。これは細菌作用でウロビリノゲンへ変化し、ほとんどは糞便に混じって、一部は腸の吸収を経て腎臓から尿中に含まれて排出される。分離した鉄は肝臓や脾臓から骨髄へ送られ、新たな赤血球形成に使われる。白血球や血小板も老化すると脾臓で破壊されるが、白血球の寿命は種類によりまちまちで、顆粒球が2 ~ 14日に対し、リンパ球はときに数十年もの寿命を持つ場合がある。

血漿
血漿は血液の液体成分で、その90%を占める水は物質の運搬を担う。電解質は細胞へミネラルを補給したり、体液の浸透圧や緩衝作用に影響を与える。血漿タンパク質は浸透圧や緩衝作用調整のほかにも、アミノ酸やホルモン・ビタミン類の運搬や、フィブリノゲンが血液凝固に作用したり、抗体として免疫作用に関係したりと、多様な機能を持つ。
循環
血液が流れている身体部分を特に循環器系と呼ぶ。循環器系は心臓と血管などから成り、ヒトの場合、血管は閉鎖回路を成している。 血液は心臓によって加圧され、動脈を通じて全身へ送られる。毛細血管に達すると細胞間質液に栄養分, 酸素等 放出をし、静脈を経て心臓へと戻る。
閉鎖回路の循環器系の場合、この経路には大別して2経路あり、1つは心臓と肺の間における肺循環(小循環)、もう1つは心臓と肺以外の全身との間における体循環(大循環)である。従って、血液は以下の経路で全身を循環する。
体循環 心臓→動脈→肺以外の全身→末梢部毛細血管→静脈→心臓(肺循環に続く)
肺循環 心臓→肺動脈→肺→肺胞部毛細血管→肺静脈→心臓(体循環に戻る)
(血液が上記のように全身を循環している事は、ウィリアム・ハーベイにより1628年に提唱された) 血液のうち、血球成分は骨髄内の造血細胞で生産される。血球毎に寿命は異なるが、赤血球の場合、約120日で寿命を迎え、老廃した赤血球は肝臓、脾臓で壊され、体外に排出される。ただし赤血球中のヘモグロビンは排出されず、再利用される。
緩衝・平衡
血液には緩衝液としての機能があり、内部環境(cf. ホメオスタシス)維持のために、様々な平衡を保っている。「主な役割・機能」で述べた事柄は、基本的には内部環境の平衡のためのものと言ってよい。

生物の世界

胸腺

胸腺 胸腺 胸腺
腺(きょうせん、thymus)は胸腔に存在し、T細胞の分化、成熟など免疫系に関与する一次リンパ器官。胸小葉とよばれる二葉からなっており、胸骨の後ろ、心臓の前に位置し、心臓に乗るように存在する。子牛の胸腺はフランス料理などの食材として使用されるらしい(シビレ)。

胸腺には以下のような細胞が存在する。
   1.上皮細胞:各種のホルモンを分泌する。
   2.胸腺細胞(リンパ球)
   3.大食細胞(マクロファージ):胸腺内に散在し退化リンパ球を食べる。
   4.樹状細胞

胸腺の構造について、下記はWikipediaの説明だけど少し分りにくい。人体の免疫機能に大きな役割を果たす組織のようだ。
発生の過程において胸腺の原基は第3咽頭嚢に由来しており、これが下に降りてくる。はじめ胸腺の原基は上皮細胞のみから構成されているが、ここに血流を介してリンパ球の前駆細胞が割り込んで入り上皮細胞を押しのける形で猛烈に増殖する。そのため最初立方形であった原基は伸展・扁平化し網目構造をつくるようになる。 成熟した胸腺において外側の部分である皮質は、上皮細胞が形成する網目の中にリンパ球(胸腺細胞)が詰まっている。このリンパ球は免疫応答をおこせない未熟なものがほとんどである。一方内側の髄質は皮質に比べて上皮間の結合が粗く、リンパ球成分は少ない。しかしこれらは成熟したリンパ球でやがてT細胞として末梢に出ていくものである。髄質にはリンパ球のほかに、マクロファージ(大食細胞)や樹状細胞といった抗原提示の細胞や上皮細胞の変化した胸腺小体(ハッサル小体)が認められる。
生理的機能
胸腺では正の選択と負の選択によって適切なリンパ球のみを末梢に送り出している。正の選択では皮質の上皮に発現する主要組織適合遺伝子複合体(MHC)とこれに結合した自己ペプチド抗原に対して、適度な親和性があるTCR(T細胞抗原レセプター)を有する胸腺細胞が選択的に増加する。負の選択では自己MHCと自己抗原に強い親和性をもつ自己反応性の細胞が髄質内で消去される。こうした一連の選択は一般に「教育」とよばれる。T細胞は主として感染細胞を破壊する細胞性免疫にかかわる。先天的な胸腺不全(ディジョージ症候群など)があると細胞性免疫に欠陥が生じ、感染症にかかりやすくなる。

胸腺は放射線や副腎皮質ホルモンなどに曝露されると萎縮するが特にT細胞を盛んに産出している時期は感受性が高い。胸腺中のリンパ球が最も多いのは思春期(10代前後)でピーク時の胸腺は30~40gに達する。その後は急速に萎縮し脂肪組織に置き換わる。この胸腺の退縮は70歳までにほぼ完了する。そのため胸腺は最も老化の早い器官といわれる。逆にいえば胸腺は発達が早く、たとえば、出生直後のマウスで胸腺摘出を行うと、マウスは免疫不全に陥るが、成熟マウスで摘出をしても免疫系に影響は少ない。これは、成熟した個体では十分なT細胞のプールができ、末梢でもリンパ球が生理的増殖を行うようになるからである。

胸腺の血管系
胸腺において血管は皮質から入り髄質の方へと向かうが、皮質側において細動脈・毛細血管は上皮性細網細胞による細胞突起で囲まれているうえ、毛細血管は無窓性の内皮と厚い基底膜をもっており、特にタンパク質はここを通りぬけられない。これらの構造はT細胞産出の場である皮質に余計な抗原が侵入するのを防ぐのに役立っており、血液-胸腺関門 (blood-thymus barrier) と呼ばれる。

その他
胸腺の近くには横隔神経や反回神経が通っているので、胸腺の摘出を行う際これらの神経を傷つける恐れがある。横隔神経が麻痺すると横隔膜が上がったままになり息切れしやすくなり、反回神経が麻痺すると嗄声になる。 子供が虐待を受けると胸腺が高度に萎縮することが知られている。法医学で被虐待児を判別する一つの指標となっている。

西洋医学における胸腺の機能の理解不足と加害の歴史
子供の胸腺はもともと肥大しているものなのだが、当時は、胸腺の機能が理解されておらず、幼児期における肥大を何らかの病気の兆候であると誤って判断されていた歴史があるらしい。 "子供のときにだけ役目を果たして、大人になると無用のもの"などと、医学部では教えていたことも。現在では、免疫機構で重要な役目をするT細胞というリンパ球が胸腺の中で成熟していることが判っている。そして、「本来、人体には、"いらないもの" などというものは無いのではないか、ただその作用が、「現在の科学」の未熟なレベルでは検出できない、というだけのことではないか」との警告も発せられた。近代医学においては、"何の役にも立っていない"などと説明される臓器がいくつもあるが、そういった臓器が、後の時代になって、実は非常に大切な役目を果たしていた、と判明するようなことはよくあることでらしい。例えば盲腸、扁桃腺なんかの摘出手術も良く行われているが。

生物の世界

白血球

白血球(はっけっきゅう、White blood cell)は、生体防御に関わる免疫担当細胞。単球(マクロファージ)、リンパ球、好中球、好塩基球、好酸球の5種類がある。この細胞成分は外部から体内に侵入した細菌・ウイルスなど異物の排除、腫瘍細胞・役目を終えた細胞の排除を役割とする。造血幹細胞由来。血液検査ではWBCと表される。 大きさは6~30µm(マクロファージはそれより大)。数は、男女差はなく、正常血液1 µLあたり、3500~9500個程度。

白血球の種類 白血球の種類
末梢血内には顆粒球(好中球、好酸球、好塩基球)・リンパ球・単球があり、顆粒球はギムザ染色による染色のされ方の違いによって好中球、好酸球、好塩基球の3つに分類される。

顆粒球(好中球、好酸球、好塩基球)は骨髄で産出され、末梢血内の白血球の半分から3/4程度を占める。細胞質には殺菌作用を持つ顆粒が存在する。リンパ球は末梢血内の2~40%、単球は3~6%を占める。
組織内には単球(マクロファージ)の分化が進み組織ごとに適応し、異物の呑食・不要になった体細胞の処理、体液性免疫細胞への抗原提示、サイトカインの放出などさまざまな役割を果たすマクロファージが存在する。

好中球
好中球 好中球(好中性白血球)(Neutrophil)は末梢血内では白血球全体の50~70%を占め、顆粒球では約90~95%を占める。細菌や真菌などの感染には好中球が最初に集結し、かつ主に好中球が対処するが、好中球は体液性免疫細胞への抗原提示は行わない。好中球が処理し切れなかった細菌などの異物をマクロファージなどが貪食し、抗原提示を行い、体液性免疫を獲得する。怪我などをした後に傷口から発生する膿は、細菌との戦いで死んだ好中球の死体を主としている。つまり、膿(うみ)の主成分は好中球の死骸。
無色半透明、おおむね球状。しかし、偽足を出し、盛んにアメーバ様運動をするので、形は定まらない。標準の血液細胞染色であるギムザ染色で中性色素に染まる殺菌性特殊顆粒を持ち、成熟すると核が分かれる(分葉)ので多核白血球といわれる。最終完成形の好中球は分葉核球と呼ばれ、核は分かれるが、核の間は核糸で繋がっている。分葉核球になる前には核が大きく曲がったジェリービーンズ様の桿状である段階がある(桿状核球)。殺菌性顆粒はリソソームの一種であり、ゴルジ体(内網装置)で作られる。直径は12〜15µmであり、白血球の中ではリンパ球より大きく、単球・マクロファージより小さい。

好酸球
好酸球(好酸性白血球)(Eosinophil, Acidophil)は、末梢血内の白血球の2~5%を占める。普通染色でエオジン親和性のピンクから橙黄色に染まる均質・粗大な顆粒(好酸性顆粒)が細胞質に充満し、核は多くは2分葉で細いクロマチン糸でつながれ、細胞周縁に偏在。
好酸球も弱い遊走・貪食能力を持つが、主な役割では寄生虫・寄生虫卵の傷害あるいはアレルギー反応の制御を行う。I型アレルギー、寄生虫の感染などで増殖する。また、ストレスや副腎皮質ホルモン分泌時に減少する。

好塩基球
好塩基球(好塩基性白血球)(Basophil)は、末梢血内の白血球の1%以下。普通染色の塩基性色素により、暗紫色に染まる大型の顆粒(好塩基性顆粒)を持つ。
肝臓の肥満細胞と似ており、細胞表面にIgEに対するレセプターをもち、抗原刺激によって脱顆粒反応を起こし、血管作動性タンパク質であるヒスタミンを遊離し、凝固阻止因子であるヘパリンを分泌することにより血液の血管内凝固を防止している。
生体の免疫機能に関与していると考えられるが、はっきりとした存在意義は不明。

リンパ球
リンパ球 リンパ球(Lymphocyte)は、末梢血の白血球のうち20〜40%。比較的小さく6〜15µm。細胞質の少ない白血球。その大きさから小リンパ球(6〜9µm)と大リンパ球(9〜15µm)とに分類されることもあるが、この分類に絶対的な基準はない。抗体(免疫グロブリン)などを使ってあらゆる異物に対して攻撃するが、特にウイルスなどの小さな異物や腫瘍細胞に対しては、顆粒球ではなくリンパ球が中心となって対応。NK細胞、B細胞(Bリンパ球)、T細胞(Tリンパ球)などの種類がある。体液性免疫、抗体産生に携わるのはB細胞とそれをサポートするヘルパーT細胞で、腫瘍細胞やウイルス感染細胞の破壊など細胞性免疫に携わるのはキラーT細胞やNK細胞である。寿命は数日から数箇月、時には年単位である。骨髄で未熟な状態で産出された後、胸腺(T細胞)や骨髄など(B細胞)で成熟し、さらにはリンパ節に移動し、そこでも増生・成熟が行われるなど、複雑な経過をたどる。 新型コロナを含め、インフルエンザや風邪のようなウィルスによる感染症に対して、体が抵抗する免疫系の主力部隊ということのようだね。

単球
単球(Monocyte)は骨髄で産出され、末梢血の白血球のうち3〜6%を占める。白血球細胞の中で最も大きく(20〜30µm)、切れ込みの入った核を持つことが多い。単核白血球ともいう。単球は、感染に対する免疫の開始に重要であり、アメーバ様運動を行って移動することができ、細菌などの異物を細胞内に取り込み、細胞内酵素を使って消化する。断片化した異物を、もともと細胞質内に持っていたクラスII MHC分子と結合させ、細胞表面に提示し、これをヘルパーT細胞が認識する。こうして免疫反応が開始される。また単球は血管外の組織や体腔に遊走し、そこで組織固有のマクロファージ(大食細胞)、樹状細胞、破骨細胞に分化する。あるいは、単球とは血管内に存在しているマクロファージ/樹状細胞と考えることもできる。マクロファージ/樹状細胞は存在する組織ごとに適応し、異物の呑食、体液性免疫細胞への抗原提示の他に、不要になった体細胞の処理、各種サイトカインの放出、骨髄において赤血球の育成などさまざまな役割を果たす。寿命は血液中では1日以下から数日、組織中では数日から数か月、時には数年である。

生物の世界

脾臓

脾臓 脾臓(ひぞう)は、循環器系内に組み込まれた臓器。ヒトの脾臓について調べて見よう。
五臓六腑(五臓:肝・心・脾・肺・腎)の1つであるのにあまり注目されることのない臓器だ。
人体の左の上腹部にあり、上方は横隔膜に、内側は左の腎臓と接している。前方には胃が存在する。肋骨の下に隠れており通常は体表からは触れない。 脾臓の大きさは長さ12cm、幅7.5cm、厚さ5cm程度で、腎臓のようなソラマメに似た形をしている。重量は100~200g程度と、内部に流れ込んでいる血液量で変化する。柔らかく、色は暗赤色、赤紫色、煉瓦色である。
左胃大網動脈が胃の後で膵臓の上縁に沿って左側に入り脾動脈となる。このため膵臓ガンなどで膵臓の尾部を摘出する際は栄養動脈である脾動脈が失われるため脾臓もいっしょに摘出されることがあるという。

脾臓の機能
① 免疫機能:白脾髄でB細胞(Bリンパ球)、Tリンパ球、形質細胞を成熟させ、血液を増殖の場とする病原体に対する免疫応答の場となる。循環血中の莢膜を持つ細菌の濾過とIgMオプソニン抗体を産生する場でもある。脾摘された人が肺炎球菌やインフルエンザ菌、マラリアなどに感染すると重症化しやすい。
**莢膜:莢膜(きょうまく、capsule)は、一部の真正細菌が持つ、細胞壁の外側に位置する被膜状の構造物。細菌が分泌したゲル状の粘質物が、細胞表面にほぼ均一な厚さで層を成したものである。白血球による食作用などの宿主の免疫機構によって排除されることを回避する役割を持ち、病原菌の病原性に関与している。

② 造血機能:骨髄で造血が始まるまでの胎生期には、脾臓で赤血球が作られている。生後はその機能は失われるが、大量出血や骨髄の機能が抑制された状態では再び脾臓での造血が行われることも(髄外造血)。ラットやマウスでは出生後も造血が行われる。

③ 血球の破壊:古くなった赤血球の破壊を行う。赤血球中のヘモグロビンを破壊し鉄を回収する働きもある。

④ 血液の貯蔵機能:血液を蓄える機能がある。人間ではそれほど多くの血液の貯留はされないが、犬や馬などの動物では大量の血液が貯留されている。筋肉が大量の酸素を必要とするような運動時には、脾臓から貯蔵されていた血液を駆出することで充分な酸素を筋肉へ送り届けることが出来る。 こうした重要な機能も、循環器系の一部で機能の代替が行えるため、手術等によって脾臓を失ってもただちに致死することはないといわれる。

脾臓の表面は白く厚い被膜で覆われている。この皮膜が脾動脈にそって脾臓の内部まで入り込み脾柱という構造を形成する。この脾柱はさらに脾臓の実質内で柱網と呼ばれる網目状になり、間隙を脾臓実質である白脾髄、赤脾髄が埋めている。脾柱内を通る動脈は、白脾髄の中心を通る脾髄動脈へ分岐する。白脾髄は白い斑状組織で、細網線維組織の間に血液中を移動してきたリンパ球など免疫を司る血球が集まっている。動脈は更に細くなり末梢が赤脾髄に入る。赤脾髄は細網線維組織である脾索(ビルロート索)と、細長い袋状に見える毛細血管の脾洞からなる赤い組織で、脾洞には赤血球が充満している。脾洞の内皮には細網内皮系(マクロファージなど)が集まり、これらの活動によって赤脾髄にはヘモジデリンの沈着が見られる。脾洞中には時には造血幹細胞が見られる(後述)。脾洞中の血液は静脈血となって脾柱静脈,脾静脈を経て門脈へ流れるが,一部の血液は中心動脈から直接脾洞へ入っている。

東洋医学における「脾」
いわゆる五臓六腑(五臓:肝・心・脾・肺・腎)の1つである「脾」は「脾臓」とは異なる。五臓の脾は主に消化吸収などを担っており、解剖学的に対応する臓器はむしろ「膵臓(すいぞう)」である。これは脾臓と膵臓を別の臓とは考えず、ひとつの臓(脾臓+膵臓=脾)と考えられていたのではないかという説もあるが、正確な理由は現在もわかっていない。膵臓は黄色い組織であるため、脂肪と考えられて脾臓に膵臓の機能が割り当てられた可能性もある。

生物の世界

膵臓

膵臓(すいぞう、英: pancreas)は、脊椎動物の器官のひとつで、膵液と呼ばれる消化酵素を含む液体を分泌し、それを消化管に送り込む外分泌腺である。
また、魚類以外の脊椎動物の膵臓の中には、ランゲルハンス島と呼ばれる球状の小さな細胞の集塊が無数に散らばっている。ランゲルハンス島は、1個1個が微小な臓器と考えられ、インスリン、グルカゴンなどのホルモンを血液中に分泌する内分泌腺である。なお、魚類のランゲルハンス島は膵臓ではなく肝臓近辺に散在。 したがって膵臓全体として見ると、両生類以上の脊椎動物の膵臓は、2つの機能を持つといえる。

内分泌機能 - いくつかのホルモンを分泌する内分泌器
外分泌機能 - 膵液を小腸(十二指腸)に分泌する消化器
ランゲルハンス島を、膵臓の内分泌部とも呼び、これに対し、ランゲルハンス島でない部分(膵液を分泌する部分)を外分泌部とも呼ぶ。
ただし、魚類では、ランゲルハンス島は、膵臓とは別の場所に分かれて存在しているので、魚類の膵臓は、内分泌腺としての機能は持たない。

ヒトでは外分泌機能としては,一日約800-1000ml(0.8~1ℓ)にもおよぶ膵液を分泌。 分泌量は必要により調節される。 膵液はアルカリ性で,多数の消化酵素を含んでおり,食物の消化吸収に使われる。 内分泌機能としては,インスリンやグルカゴンが膵で産生され,血糖値の調整に利用される。

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