Kids' Room

勉強は本当はたのしいぞ。好きなところから読んでね。

                         管理人の所在地;埼玉県志木市館志木ニュータウン内 ;      © 2017 Studio Rabotati All Right reserved

 
  

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目次  
カボチャ トウモロコシ ヒョウタン ジャガイモ サツマイモ トマト
カラムシ 木綿(もめん) ムベ
つくし(スギナ) ラフレシア ショクダイオオコンニャク キャッサバ
朝顔 メタセコイア ケシ
コウホネ スイレン ハス オオオニバス

カボチャ

カボチャ

カボチャは、ウリ科カボチャ属に属する果菜の総称です。原産は南北アメリカ大陸。果実を食用とし、ビタミンA、ビタミンC、ビタミンEなどのビタミン類を多く含む緑黄色野菜。という訳で、カボチャは世界中で食べられている重要な野菜だね。

カボチャ ウリ科の植物といえば、ほとんどが巻(ま)きひげをもつつる性の草本。つまり、自分では立つことが出来ず、支柱などに巻き付いて上に伸びるんだ。だから、支柱が無いと地面を這(は)うように大きくなる。カボチャだって支柱があれば右のように育つ。ウリ科の植物の多くはもともと熱帯に分布し、人類の歴史上最も古い作物が沢山(たくさん)含まれている。ウリ科の植物には次のようなものがある。キュウリ、スイカ、カボチャ、ズッキーニ、ヒョウタン、ヘチマ、トウガン、テッポウウリ、ユウガオ、ツルレイシ(ニガウリ、ゴーヤ)、メロンなど多くの種が昔から果菜や果物として栽培されてきたんだ。縄文人も食べていたものも多いかもね。
**ツルレイシ(蔓茘枝)は、未熟な果実を野菜として利用するウリ科の植物である。また、その果実のこと。一般的にはニガウリ、ゴーヤーなどと呼ばれる。
カボチャ カボチャは、原産地がアメリカ大陸だったので、縄文人は食べられなかった。日本にはポルトガル人が持って来たんだろう。鉄砲やキリスト教と一緒にね。どうしてカボチャなんて名前になったの? 東南アジアにカンボジアという国があるでしょう。カンボジア→カボチャに訛(なま)ったんだという説が有力。当時の日本人はポルトガルなんて遠い国のこと知っているわけがない。それに当時の航海術ではイッキに日本には来(こ)れず、東南アジアなど南の国を経由して日本に来るんだ。中国語では南瓜 (ナングァ; nánguā)という。日本ではカボチャのことを南京(なんきん)なんて言うこともある。南京(なんきん)は中国の南の方の都市の名前だね。カボチャは他にも唐茄子(とうなす)なんて呼ばれることもある。中国のナスという意味。どう見てもナスとは似(に)てないけど。ポルトガル人が中国から持ってきたと思ったでしょうね。唐はもともと中国という意味だ。中国には昔「唐」という大帝国があったのは君達知っているね。
カボチャ 英語では、pumpkin (パンプキン)とsquash (スクウォッシュ)の2つがある。果皮がオレンジ色の種類のみが pumpkin で他はsquash 。ハロウィーンで使うカボチャはみな橙(だいだい)色なのでpumpkin 。日本のカボチャは、普通皮が緑色なのでkabocha squash (カボチャ・スクウォッシュ)などと呼ばれているそうだ。 中国語では南瓜 (ナングァ; nánguā)、ロシア語ではтыква(トィークバ)。世界中で親しまれている野菜ですね。 ところで、君たちはカボチャが好きですか。お母さん方の中にはカボチャは皮が固いから料理が大変なので嫌(きら)う人もいるらしいけど。でも、カボチャは大変栄養価も高く、中南米の人たちは、トウモロコシの品種改良に成功するまで主食として食べていたらしい。

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トウモロコシ

トウモロコシ 君達は、トウモロコシが好きかな。ホップコーンとか醤油(しょうゆ)をつけた焼きトウモロコシなんかおいしいかな。家畜の餌(エサ)や工業原料としても大量に使われている。今や小麦や米を抜いて生産量は三大穀物のナンバー1だろう。

トウモロコシ でも、トウモロコシの原産地はアメリカ大陸で、コロンブスの新大陸発見以降に旧大陸に持ち込まれたものなんだ。荒地でも育ち、丈夫で手間のかからない作物なので今や世界中に広まり、貧しい国の人々のお腹(おなか)を満たしているんだ。 トウモロコシの先祖にあたる植物はまだよく分かっていないようです。テオシントという雑草みたいな草が起源らしいのですが、実も小さくて本当に食用になるの??という感じなんだそうだ。1万年位前に栽培化が始まったらしいのですが。小麦や稲と異なり農作物として品種改良を行うためには多大な時間と労力がかかったらしい。でも、紀元前5000年ごろまでには大規模に栽培されるようになり、南北両アメリカ大陸の主要農産物となっていたようだ。トウモロコシ以外の作物としてはジャガイモやカボチャもあったようだ。ジャガイモもカボチャもトウモロコシも西洋人が日本に持ち込むまでは、全く知られていなかった作物だ。いわゆる帰化植物だね。帰化植物にも勝手にはびこる迷惑な雑草もあるけど役に立つ作物も沢山あるんだね。
トウモロコシ マヤ文明やアステカ文明においてもトウモロコシは大規模に栽培され、両文明の主食として生活の根幹を成していた。 マヤ文明やアステカ文明は、スペイン人によって滅ぼされてしまったけれど、農業技術の発展という点では人類に多大な貢献(こうけん)をしてくれているんだね。

トウモロコシ 【新世界(南北アメリカ大陸)から旧世界に伝搬した作物】
→トウモロコシ、ジャガイモ、カボチャ、トウガラシ、トマト、サツマイモなど。ただし、これらは総てスペイン人が持ち帰ったというわけでなく、太平洋諸島の海洋民族達によってもっと早くから伝えられていたものも多いことが分かってきています。

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ヒョウタン

ヒョウタン

ヒョウタンも、ウリ科の植物。漢字では瓢箪(ひょうたん)と書く。ひさご、ふくべともいう。 この植物の果実は食べるよりももっぱら道具として使われてきたようだ。アフリカの狩猟民族の中には今でもひょうたんを半分割にして食器として使っている。もともと原産地はアフリカで、世界中に広まったらしい。土器の無かった縄文時代より前の時代には日本でも食器として使っていたのかも知れないね。

ヒョウタン 戦国時代の侍たちは、ひょうたんを水筒(すいとう)の代りに使っていた。でも、ひょうたんの中身、割らないでどうやって取り出すのでしょうか。ほっておけば中が腐って外側だけが残るのかも。そのうちひょうたんを売っているお店の人に聞いてみたいと思います。君たちも水筒の代りに「ひょうたん」を持って歩きたいと思いませんか。ちょっと格好(かっこう)いいですね。
かんぴょう 「ひょうたん」の仲間の「ゆうがお」の実は「干瓢(かんぴょう)」の原料になります。ひょうたんとよく似ているけど、中央のくびれが少ないね。かんぴょうとは「のり巻き」の中に入っている茶色い紐(ひも)みたいなもの。「あさがお」と「ひるがお」はヒルガオ科の同じ仲間なのに、「ゆうがお」はウリ科で先祖が異なるんですね。植物の分類も見た目だけで判断はできないんですね。
ところで、少し国語の勉強だ。ところで、皆さんはことわざで、「ひょうたんから駒(こま)」なんてて大人の人が言うのを聞いたことがありませんか。「瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)、とは予想もしていないこと、あり得ないことが起こる。または冗談で言ったことが本当に起こる という意味です。「嘘(うそ)から出たまこと」も同じように使われます。ここで駒(こま)とは馬のことです。将棋の駒ではないよ。ひょうたんの口はとても小さいだろ。そんな小さな口から馬が出てくるわけがない。つまり、ありえないことが起こるという意味だ。「アラジンと魔法のランプ」でも小さなランプから大男が現れるね。これもお話だからで本当はあり得ないよね。

ヒョウタンひょうたんの花も結構きれいでしょう。キュウリも、カボチャも、スイカもみんな綺麗(きれい)な花を咲かせるね。綺麗な花で虫を呼び寄せて花粉を運んでもらうためだね。めしべの先に花粉がつかないと実がならないから。

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ジャガイモ

ジャガイモ   ジャガイモ  

ジャガイモ(馬鈴薯〈ばれいしょ〉、potato)は、ナス科ナス属の多年草の植物。地面から上は枯れちゃっても、土の中にはイモが残っているから、次の年も茎や葉が伸びて来るんだ。デンプンが多く蓄えられている地下茎がイモとして食べられる。
品種改良なんかで、ナスの実がなって土の中にはジャガイモなんてことも可能なんでしょうね。ポマトといいって、トマトの実がなってジャガイモが出来る作物の実験ではできるらしい。トマトもナス科の植物なのです。
ジャガイモ ジャガイモの原産地も南米アンデス山脈の高地といわれる。16世紀にスペイン人が旧大陸に持ち帰って世界中に広まりました。日本には、1600年頃にオランダ船によりジャカルタ港(インドネシア)から運ばれたのでジャカルタイモ→ジャガタライモ→ジャガイモとなったと言われています。 ヨーロッパでも、小麦などが育ちにくい所でも良く育つため主食として栽培されるようになります。イモから分裂して育つので、基本的にみな同じ遺伝子を持ったクローンであり、病害虫に対して同時に被害を受けるため、壊滅的(かいめつてき)な飢饉(ききん)となることがある。アイルランドで起こったジャガイモの不作による飢饉は有名で、この時アイルランドから米国に大勢の人が難民となって流出した。 ジャガイモは、おいしいけど食べるときに注意することがある。イモから出てきた芽や緑色に変わった塊茎(これがジャガイモの食べるとこと)には毒性成分ポテトグリコアルカロイド(ソラニンなど)が多く含まれ、中毒するので気をつけて下さい。ジャガイモは茎が大きくなったもの。サツマイモは根が大きくなったもの。他のイモはどちらでしょう。サトイモ、ヤマイモなども調べてみて下さい。

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サツマイモ

サツマイモ   サツマイモ サツマイモ(薩摩芋)は、ヒルガオ科サツマイモ属の植物です。養分を蓄えている肥大した根の部分を食用として食べます。甘藷(かんしょ)とか唐芋(からいも、とういも)と呼ばれることもある。 花は咲くがめったにお目にかかることは無いようだ。
16世紀に頻繁に南アメリカ大陸にやってきたスペイン人あるいはポルトガル人により東南アジアに導入され、ルソン島(フィリピン)から中国を経て1597年に宮古島へ伝わり、17世紀の初め頃に琉球、九州、本州と伝わったようです。だから、アジアにおいては外来植物ということになる。中国(唐)から伝来した由来により、特に九州では唐芋とも呼ばれる場合が多い。薩摩(さつま)イモの薩摩とは、今の鹿児島県のこと。
ニュージーランドへは10世紀頃に伝播し、「クマラ」(kumara) の名称で広く消費されている。西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広く栽培されていたため、古代ポリネシア人は南米までの航海を行っていたのではないかと推測されている。 イギリスではエリザベス朝の頃に、その甘さから好意的に受け入れられた。18世紀末に甘くないジャガイモ (potato) が一般化するにつれ、サツマイモはsweet potato(スィート・ポテト)と呼ばれるようになる。

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トマト

トマト ポマト トマト(tomato)は、南アメリカのアンデス山脈高原地帯(ペルー、エクアドル)原産のナス科ナス属の植物。ジャガイモといっしょだね。根っこにジャガイモ、実がトマトのポマトなんていうのもつくれるらしい。でも、根がトマトで実がジャガイモだったらどうしましょう。日本では1年で枯れてしまうけど、熱帯地方では結構大きな木になることもあるらしい。

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カラムシ

カラムシ茎 みなさん。カラムシと言う植物のこと知っていますか。カラムシなんていう名前ですが虫ではなくて、チャンとした植物の名前。それも、日本中どこにでもある極(きわ)めてありふれた雑草(ざっそう)だったんです。だから、日本では縄文(じょうもん)時代からずっと使われていたそうです。何に使ったでしょう。食料、医薬品にも使ったでしょうが、最もよく使われたのが衣類を造る繊維(せんい)です。つまり糸を造って織物(おりもの)を作るのです。

カラムシ カラムシは、イラクサ目イラクサ科の多年生植物。南アジアから日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古くから植物繊維をとるために栽培されたため、たくさんの別名を持っています。紵(お)、苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)、山紵(やまお)、真麻(まお)、苧麻(まお)、カツホウ、シラノ、シロソ、ソロハ、シロホ、ヒウジ、コロモグサ、カラソ等々。漢字では「苧」と書くんですね。
けっこう背が高く、子供の背丈位、つまり1~1.5mに達します。葉は大きくて、縁(ふち)に細かい鋸歯(ギザギザ)があります。花は咲きますが、風によって花粉を運ぶ風媒花だから花はあまり美しくありません。多年生植物で冬になると地上部は枯(か)れても、春には新芽が出てきます。本来は雑草なので丈夫で簡単には駆除(くじょ)できませんが、畑にも植えられていたこともあり品種の改良も見られ色々なお変種があるようです(栽培植物が野生に帰ることもあるからね)。

ところで、皆さん衣類の繊維としてはどんなものが使われているでしょう。
1. 動物(哺乳類)の毛
一番使われているのが羊毛。羊さんの毛。英語ならwool(ウール)。ヤギのこともある。カシミアウールはヤギ。他にも、駱駝(ラクダ)なんかも。他にもあるかな。

2. 絹(きぬ)
蚕(かいこ)という虫の蛹(さなぎ)から作るんだ。蚕の幼虫が蛹(さなぎ)になる時、自分の体の周りに糸を紡いで家を造るんです。その家のことを繭(まゆ)と言います。繭の中で変態(へんたい)して、ガに変身する。でも、人間はその繭をバラして繊維を取ってしまうんです。カイコにとってはいい迷惑。でも人が飼ってくれることでカイコは生き延びてきている面もあるんだ。カイコの食料は桑(くわ)の葉っぱ。人間は畑で桑の木を育ててカイコに食べさせている。繊維を取ることが出来る虫はカイコ以外にも沢山いるので調べてみたら面白いかも。英語ならsilk(シルク)。
カイコ カイコ カイコ

綿 3. 綿(わた) アオイ科ワタ属の植物。綿の実の種の周りの繊維を頂くのです。英語ではcotton(コットン)。昔は日本でも沢山作られていたけど、外国から安い綿が輸入されるようになってすたれてしまった。

4. 人工繊維
化学的に合成したもの。多くは石油から出来る。ナイロン、レーヨン、アセテート等色々ある。人工繊維に対して自然の材料を使ったものは天然繊維と言っている。

5. 植物の葉や茎(皮も含む)の繊維
昔から使われているものとして麻(あさ)がある。他に繊維は紙の原料にもなるね。

6. その他
何があるかは分からないけど、自然界にはまだ利用されていない便利な材料があるかもしれないからね。各自考えて見て下さい。

ここで、問題だ。繊維の麻(あさ)の原料は何でしょう。ヒント。麻は縄文時代から使われてきています。つまり、どこにでも生えている雑草を利用したのでしょう。 答えは分かりましたか。カラムシこそ麻の主要な材料(他にも似たような植物が使われていた)なのです。

カラムシ カラムシは、縄文の昔からずっと栽培(栽培)されてきていました。古代には天皇が民に栽培を奨励すべき草木の一つとして「紵(カラムシ)」を挙げています。越後国は日本一のカラムシの産地で、戦国大名・上杉謙信は衣類の原料として青苧(あおそ)座を通じて京都などに積極的に売り出し、莫大な利益を上げたと言われています。何故このような文化的・伝統的に優れた産業や技術が現在では衰退(すいたい)してしまったのでしょうか。

実は、カラムシは今農作物として勝手に栽培出来ないように法律で定められています。この法律は、日本だけでなく国際的な約束事になっています。大麻と言うのを知っていますか。大麻より精製(せいせい)されたものはマリファナとも言われています。いわゆる違法薬物です。勝手に栽培できないように法律や条例でも規制されています。

カラムシ なぜ、このような違法薬物に対しての国際的な禁止協定が出来たのでしょうか。キッカケは、1840年に起こった阿片戦争です。阿片は依存症になると人格を失うまでに至る危険な薬物です。でも、阿片も医療薬としては古代から使われて来たもの。何故、当時の中国だけ人々がこのように阿片に依存するようになってしまったのでしょうか。阿片を求めたのは当時の中国の社会事情も考慮する必要があるでしょう。でも、阿片撲滅(ぼくめつ)運動をキッカケに多くの依存性のある薬物が禁止されるようになります。
大麻もどうも道連れにされた面も否定できないようです。現在見直しも進められています。カナダやカリフォルニア州などでは、既に合法化されています。合法化される地域が増えれば、取り締まりも難しくなってくるでしょう。

人間、依存症の危険は、どこにでも転がっているものです。阿片やマリファナに限らず、タバコ、アルコール(お酒)もそうです。アルコール依存症というのも大変な病気です。最近では薬物に限らず、スマホ依存症、ネット依存症も大問題。眼病や脳の萎縮(いしゅく)など恐ろしい後遺症も心配されているね。本来、依存症のリスクは個人の責任で回避すべき問題のはずだ。しかし、依存症の人が増えすぎると、国が法律で禁止しようということになってしまう。でも、法律で禁止するとかえって犯罪を増加させてしまうという逆効果の面があることも忘れてはいけないね。

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桑 クワ(桑)は、クワ科クワ属の総称。カイコの餌(えさ)として昔から重要な作物で、また果物として実が食べられることもある。蚕が食べるのはヤマグワといわれる種。
落葉性の高木で、大きいものは15mに達するが、普段見かけるのは数m程度のものが多い。雌雄異株だが、同株のものがある。春に開花。雄花は茎の先端から房状に垂れ下がり、雌花は枝の基部の方につく。果実は初夏に熟(じゅく)す。熟すと赤黒くなり、甘くて美味しい。
桑を栽培する桑畑は地図記号にもなったほど、日本で良く見られる風景であった。養蚕業が最盛期であった昭和初期には、桑畑の面積は全国の畑地面積の4分の1に当たる71万ヘクタールに達したという。しかし、現在、養蚕業が盛んだった地域では、生産者の高齢化、後継者難、生糸産業全般の衰退の中で、普通の畑に転用されたり、放置された桑畑も多い。
養蚕業が盛んだった頃は、定期的に剪定等の手入れが行われていたクワ畑であるが、養蚕以外でのこれといって有益な利用法が無かった。放置された結果として、現在、森の様になっている畑も多い。しかも、こうなってしまった以上、前述の様に高齢化した管理者にとっては、これを管理することが物理的に更に難しくしく、毛虫がつきやすい樹種でもある為、憂、利用される桑畑も減少し、平成25年2万5千分の1地形図図式において桑畑の地図記号は廃止となってしまった。

桑 桑 桑
近年、クワの実が郷愁を呼ぶ果物として、注目を浴びてきてもいる。ちなみに蚕が食べるのはヤマグワである。スーパーなどでも売ってくれればいいのにね。ブルーベリーなんかと似ている。英語で桑の実はマルベリー(mulberry)と言うんだ。欧米でも食べているんだね。また、木材としてのクワも木質はかなり硬く、磨くと美しいので、しばしば工芸用に使われて来たようだ。国産材の中ではむしろ最高級材に属するとのこと、是非利用を促進して欲しいね。

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ムベ

【果実のムベ】
ムベ(郁子)は、アケビ科ムベ属の常緑つる性木本植物。別名、トキワアケビ(常葉通草)。方言名はグベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)、ウンベ(鹿児島県) イノチナガ、コッコなど。色々な名前があることからして結構昔から食べられていたらしい。 関東以西、台湾、中国に生える。木の感じはアケビと似ている。不老長寿(ふろうちょうじゅ)の実として昔から使われていたらしい。皇室では大嘗祭(おおなめのまつり)や新嘗祭(にいなめのまつり)で用いられていたというので調べて見ませんか。

ムベ ムベ ムベ
花が咲くのは5月。花には雌雄(オスとメス)があり、芳香を発し、花冠は薄い黄色で細長く、剥いたバナナの皮のようでアケビ(アケビも最近食べることは少ない)の花とは趣が異なる。自然状態ではニホンザルが好んで食べ、種子散布に寄与しているようである。 主に盆栽や日陰棚にしたてる。新芽と果実は食用となる。日本では伝統的に果樹として重んじられ、宮中に献上する習慣もあったらしい。 しかしアケビと比べて果実が小さく、果肉も甘いけど食べにくいので、あまり売れないのかな。現在でも生産農家はあって、皇室のほか、天智天皇(ムベが大好きだったらしい)を祭る近江神宮、靖国神社に献上している。

【むべなるかな】
ところで、「むべなるかな」という言葉がある。古めかしいイメージ。どういう意味なのでしょうか。現在「むべなるかな」は、原因・理由と結果が結びついたときに「それはもっともだな、いかにもその通りだな」と言いたいときに使います。例えば、草野球で上手い人が実は甲子園出場メンバーだったことを知ったときに「それはむべなるかなだね」と使います。 もともとは「本当にそうだ、もっともだ」を意味する「うべ」(宜べ)という古語で、これに断定の「なり」、「~だなあ」という意味の「かな」の2つがくっついてできた言葉だそうです。つまり、「うべ」+「なり」+「かな」→「うべなるかな」→「むべなるかな」という変化をとげてきたということのようです。なお、「うべなるかな」でも間違いではありません。話を聞いて「なるほど」や「納得」と言いたいときに、「それはむべなるかなですね」と言うと、一味違う会話ができるかもしれません。

アケビ アケビ アケビ
良く似た果物にアケビかある。種子を包む胎座が甘みを持つので、昔から山遊びする子供の絶好のおやつとして親しまれてきた。果皮はほろ苦く、内部にひき肉を詰めて油で揚げたり刻んで味噌炒めにするなど、こちらは山菜料理として親しまれている。主に山形県では、農家で栽培され、スーパーで購入することができる。また、東北地方などでは、新芽(山形県や新潟県などでは「木の芽」と呼ぶ)をやはり山菜として利用している。その他、成熟した蔓は、籠を編むなどして工芸品の素材として利用される。また、秋田県では、種を油の原料としている。江戸時代から明治時代にかけては高級品として珍重され、明治以降生産が途絶えていたが、近年復活した。昔は簡単に手に入る食材が今は返って入手が難しくなってきた。 こういう昔から日本人に親しまれて来た伝統の味はもっとスーパーなどで簡単に手に入るようになるといいですね。

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つくし(スギナ)

土筆 スギナ(杉菜)は、シダ植物門トクサ綱(こう)トクサ目トクサ科トクサ属(ぞく)の植物の1種です。日本に生育するトクサ類では最も小柄(こがら)です。浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂します。生育には湿気の多い土壌が適していますが、畑地にも生え、防除するのは大変です。つまり根絶(こんぜつ)は難しいということか。その栄養茎(えいようけい)をスギナ、胞子茎(ほうしけい)をツクシ(土筆)と呼び、ツクシの方は食用とされる。でも、土筆は昔に比べると見ることが減ったように思うのですが。子供達には取っては土筆を取るのは楽しい思い出なのにね。

スギナは、春に地下茎からツクシ(土筆)と呼ばれる胞子茎を出します。ここから胞子を飛ばすのです。ツクシの成長後に、それとは全く外見の異なる緑の草が出てきますね。栄養茎(えいようけい)と言います。栄養茎は茎と葉からなり、光合成を行います。だから、鮮(あざ)やかな緑色。全体を見ると杉(スギ)の樹形(じゅけい)に似て見える。だからスギナと呼ばれるんでしょう。
食材「ツクシ(土筆)」は春の山菜として親しまれている。袴を取って茹でて灰汁を抜き、だしで軟らかく煮たり、佃煮にしたりして食用とする。しかし、若干の有毒成分も含まれており、大量に食べることはあまり推奨されないという。
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木賊 木賊
トクサ(砥草、木賊)は、シダ植物門トクサ科トクサ属の植物です。スギナもトクサ属だ。チョット土筆と似ているでしょ。
日本では北海道から本州中部にかけての山間の湿地に自生しますが、観賞用などの目的で栽培されることも多い。日本的な感じからお蕎麦(そば)屋さんの店の前の小さな庭に植えてあったりしますね。茎(くき)表面がチョット固いですね。表皮細胞の細胞壁にプラントオパールと呼ばれるケイ酸が蓄積していて、砥石(といし)みたいに物を研ぐことができるのです。砥石みたいな草だから、砥草と呼ばれのです。
地下茎があって横に伸び、地上茎を直立させる。同じトクサ科のスギナと異なり、枝分かれせず、中空で節がある。つまり1本の棒(ぼう)みたいな形。茎は触るとザラついた感じがし、引っ張ると節で抜ける。節の部分にはギザギザのはかま状のものがあって、それより上の節の茎がソケットのように収まっています。このはかま状のぎざぎざが葉に相当します。茎の先端にツクシの頭部のような胞子葉群をつけ、ここに胞子ができる。土筆の親玉みたいだね。
トクサは、花の咲かない隠花植物(いんかしょくぶつ)ですが、古生代に大森林を造った仲間(なかま)の面影がありなんか格好いいと思うのですがいかがでしょうか。

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木綿(もめん)

綿織物 木綿・木棉(もめん)は、ワタの種子から取れる繊維(せんい)です。英語ならコットン(cotton)。機織り(はたおり)の音みたい。
ワタとはアオイ科ワタ属の多年草の植物。いくつかの種類があるらしい。木綿は種子の周りにフワーと付いている。繊維としては伸びにくく丈夫で、吸湿性があって肌触りがいい。現代では下着などによく使われるが、縮みやすいという欠点もある。
漢字にも気をつけて。摘み取った状態までのものが、種子を取り除いた後の状態のものが綿らしいが実際には区別しない。 "きへん"と"いとへん"がある。綿で覚えておこう。

綿の花 ただし、「綿」と書いて「わた」と読むのは、本来は塊状の繊維全般を指す語である。布団や座布団の中身を繊維の種類を問わず「綿(わた)」と呼ぶが、これはその本来の用法である。古くは、中でも真綿(絹の原料)を意味することが多かった。
現在までに見つかっている木綿栽培の最古の証拠はメキシコにあり、約8000年前に遡るらしい(出典;Foods and Nutrition Encyclopedia)。その種類はアメリカ栽培綿で、現在世界で栽培されている木綿の89.9%(ほぼ9割)がこの種。野生の木綿の種はメキシコで最も多様であり、それにオーストラリアとアフリカが次いでいる。
旧世界で最も古い木綿栽培の痕跡は約7000年前(紀元前5千年紀から紀元前4千年紀)のもので、インド亜大陸の北西の広大な領域で発達したインダス文明の住民によるもの。インダス川流域の木綿産業はかなり発展し、そこで生まれた紡績や機織りの技法はインドで比較的最近まで使われ続けていた。西暦が始まる以前に木綿の布はインドから地中海、さらにその先へと広まっていた。インドが世界一の綿の産地だった訳だね。
ギリシャ人はアレクサンドロス3世のころまで木綿を知らず、ほぼ同時代のメガステネスが『インド誌』の中でセレウコス1世に「(インドには)羊毛が生える木がある」と教えている。羊毛とは羊の毛だ。そんな木があるわけがない。

紀元1世紀にアラブ商人がモスリン(本来は綿織物)やキャラコをイタリアやスペインにもたらした(出典;コロンビア百科事典第六版)。ムーア人がスペインに木綿栽培法をもたらしたのは9世紀のこと。14世紀にヴェネツィアやミラノでも織られるようになる。当初イングランドには15世紀以前に少量輸入され、ろうそくの芯(しん)等に使われた。17世紀にはイギリス東インド会社がインドから珍しい綿織物をもたらした。アメリカ先住民は木綿を紡いで衣服や染色したタペストリーを作っていた。ペルーではインカ帝国以前の墓から木綿の布が見つかっている。染色や織り方の面で、ペルーやメキシコの綿織物は古代エジプトの墓から見つかったものとよく似ている。
イラン(ペルシャ)での木綿の歴史はアケメネス朝(紀元前5世紀ごろ)まで遡る。しかし、イスラム化する以前のイランでの木綿栽培に関する文献は非常に少ない。13世紀のマルコ・ポーロはペルシャの主要産品として木綿も挙げている。17世紀フランスの旅行家ジョン・カルダンはサファヴィー朝を訪れ、その広大な綿花農場を紹介している。
ペルーでは、モチェ文化やナスカ文化といった海岸に沿った文化の発達の基盤として Gossypium barbadense というワタ属の原生種の栽培があった。綿花を川の上流で栽培し、それを使って漁網を作り、海岸の漁村との交易に使った。スペイン人が16世紀初めにメキシコに到達したとき、原住民は綿花を栽培し、綿織物の衣服を着ていた。
中国への伝来は晩唐とも北宋とも言われている。朝鮮半島へは1364年に文益漸が国禁を犯して元から伝えたという記録が残されている。

中世末期には、木綿が貿易によって北ヨーロッパにもたらされたが、それが植物性だということ以外詳しい製法は伝わらなかった。ウールに似ていることから、北ヨーロッパの人々は羊のなる植物があるのだろうと想像した。1350年、ジョン・マンデヴィルは今となっては奇妙な話だが、「(インドには)枝先に小さな子羊がなる素晴らしい木が生えている。枝はとてもしなやかで、子羊が空腹になると枝が屈んで草を食むことができる」と書き残す。この考え方はヨーロッパ各地の言語での木綿の呼称に痕跡を残している。

18世紀から19世紀初めにかけてイギリス領インド帝国が確立することでインドの綿織物産業は徐々に衰退していった。これはイギリス東インド会社の植民地運営方針によるものである。インドは原綿だけを供給することを強制され、イギリスで製造した織物を購入することを強制された。
紡績機 16世紀以降、交易を通じてインド産などの綿が、主にイギリスにもたらされ、18世紀ごろにはイギリスの羊毛業をおびやかすまでになる。1780年代になると、自動紡績機や蒸気機関が相次いで実用化され、イギリスは綿輸入国から一気に世界最大の輸出国に転換した。この綿産業の発展を主軸にした産業構造の変革は、産業革命ともいわれる。
1738年、バーミンガムのルイス・ポールとジョン・ワイアットが2つの異なる速度で回転するローラーを使った紡績機を発明し、特許を取得した。1764年のジェニー紡績機と1769年のリチャード・アークライトによる紡績機の発明により、イギリスでは綿織物の生産効率が劇的に向上した。18世紀後半にはマンチェスターで綿織物工場が多数稼動し、輸出拠点にもなったため、「コットンポリス (cottonpolis)」の異名で呼ばれるようになった。イギリスとアメリカ合衆国の綿織物生産量は、1793年にアメリカ人のイーライ・ホイットニーが綿繰り機を発明したことでさらに増加した。テクノロジーの進歩と世界市場への影響力が増大したことから、植民地のプランテーションから原綿を購入し、それをランカシャーの工場で織物に加工し、製品をアフリカやインドや中国(香港および上海経由)といった植民地市場で売りさばくというサイクルを構築した。

黒人奴隷 1840年代になると、インドの木綿繊維の供給量だけでは追いつかなくなり、同時にインドからイギリスまでの運搬に時間とコストがかかることも問題となってきた。そのころアメリカで優れたワタ属の種が生まれたことも手伝って、イギリスはアメリカ合衆国と西インド諸島のプランテーションから木綿を買い付けるようになっていく。19世紀中ごろまでに綿花生産はアメリカ合衆国南部の経済基盤となり、"King Cotton" と呼ばれるようになった。綿花栽培作業は奴隷の主要な仕事となった。黒人奴隷をたくさん使って生産する。
南北戦争が勃発すると、北軍が南部の港を封鎖したため、綿花輸出が激減した。これは連合国側(南部)が意図的に輸出を減らしたという側面もあり、それによって主要輸出先であるイギリスに連合国を承認させ、あわよくば戦争に介入してもらおうと考えた結果。しかし、イギリスとフランスはエジプトの木綿へと目を向けてしまった。イギリスとフランスはエジプトのプランテーションに多額の投資をし、エジプト政府のイスマーイール・パシャはヨーロッパの銀行などから多額の融資を獲得した。1865年に南北戦争が終わると、イギリスやフランスはエジプトの木綿から再び安価なアメリカの木綿に戻り、エジプトは赤字が膨らみ1876年に国家破産に陥った。これはエジプトが1882年にイギリス帝国の事実上の保護国となる原因となった。
ガンジー この間、イギリス帝国ではアメリカ南部から入ってこなくなった綿花を補うため、特にインドからの綿花輸出を推進した。関税や他の制限を加えることで、イギリス政府はインドでの綿織物生産を抑制し、原綿をイギリス本国に輸出するようにしむけた。マハトマ・ガンディーはこの過程を次のように説明している。
1. インドの労働者が1日7セントの賃金で摘んだ綿花を、イギリス人が独占的に購入する。
2. この原綿はイギリスの船に積み込まれ、インド洋、紅海、地中海、ジブラルタル海峡、ビスケー湾、大西洋を経由する3週間の航海を経てイギリスに運ばれる。この貨物輸送で綿花の値段は少なくとも倍になる。
3. 木綿はランカシャーで綿織物になる。工場労働者にはインドのペニーではなくシリングが支払われる。イギリスの労働者は賃金が高いだけでなく、織物工場を建設したり、機械を納入するといった経済効果の派生がある。これらの賃金や利益はすべてイギリス国内でのものである。
4. 最終製品は再びイギリスからインドへ船で運ばれる。このときに賃金を得る船長や船員もイギリス人である。このとき利益を得る数少ないインド人は下働きのインド人水夫で、船上の汚れ仕事を1日数セントで担っている。
5. この綿織物を買うのはインドの王族や地主で、その金は貧しい小作農を1日7セントで働かせて得たものである。

ロシアの綿花栽培 南北戦争の勃発によるアメリカ産綿花の輸入減少は、ロシアにも影響を与えた。当時のロシアは紡績や織物といった木綿工業の成長が著しく、綿花の供給不足は大きな問題となった。イギリスがエジプトからの輸入に切り替えた一方で、ロシアは国内で生産する道を模索し、その産地として併合して間もない中央アジアのトルキスタン(現在のウズベキスタン)に着目した。南北戦争後にはアメリカからの綿花輸入も復活したものの、1880年代以降はアメリカから導入したワタの品種改良や灌漑農法によって国内生産量を増やし、1915年にはロシアが必要とする綿花の7割近くをトルキスタンが供給するまでに成長した。一方、綿花栽培の中心地となったフェルガナ盆地では、人手や資金を必要とする綿花栽培が急激に拡大したことによる農民の経済的困窮や、綿花への転作によって地域的な飢饉が発生するなどの社会不安も生じた。中央アジアでの綿花栽培はソ連時代にも拡大を続け、ソ連から独立したウズベキスタンは21世紀現在も世界有数の綿花生産国となっている。しかしながら、乾燥地に灌漑農業を強引に普及させたことはアラル海の枯渇や農地の塩害等環境破壊も引き起こしている。大規模なプランテーション農業は大規模な環境破壊も引き起こす懸念も大きいことを人々に警告する。

アメリカ合衆国では、南部の綿花生産が北部の開発の資金源となった。アフリカ系アメリカ人奴隷による綿花生産は南部を豊かにしただけでなく、北部にも富をもたらした。南部の木綿の多くは北部の港を経由して輸出された。 1865年の南北戦争終結と奴隷解放宣言の後も、南部の経済基盤は綿花生産だった。南部では小作農が増え、解放された黒人農夫と土地を持たない白人農夫が裕福な白人地主の所有する綿花プランテーションで働いた。綿花プランテーションでは綿花を手で摘む必要があり、多数の労働力を必要とした。収穫用機械が本格的に導入されるのは1950年代になってから。20世紀初頭になると、徐々に機械が労働者を置き換え始め、南部の労働力は第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に漸減した。今も木綿はアメリカ合衆国南部の主要輸出品であり、木綿生産量の大部分はアメリカ栽培種が占めている。

にほんの綿花栽培 日本へは799年三河国に漂着した崑崙人(インド人??)によってもたらされ栽培が開始されたが成功しなかったようだ。この崑崙人は各地を廻り、栽培法を伝えたとされている。 主にこの後、綿は明や朝鮮からの輸入に頼ることになり、故に長い間高級品であった。その後、連続して栽培され一般的になるのは、16世紀以降とされる。戦国時代後期からは全国的に綿布の使用が普及し、三河などで綿花の栽培も始まり、江戸時代に入ると急速に栽培が拡大。各地に綿花の大生産地帯が形成され、特に畿内の大阪近郊などにおいて生産が盛んになった。木綿問屋も形成され、綿花産業は大きくなり、綿を染める染料の藍や綿花栽培に欠かせない肥料となる干鰯や鰊粕製造などの関連産業も盛んとなった。
明治以降、政策により綿布の生産が強化されたこともあり、1930年代には綿布の輸出量が世界一となった。その後安い原料が日本に入るようになり、日本の綿花栽培は衰退する。第二次世界大戦時は綿布の輸出は停止したが、戦後復活し、再び世界一になった。ただしその後は安価なアジア産の綿布に押され、生産量は減少している。個人やグループ単位での生産はあるが、統計上の国内自給率は0%となっている。でも、やはり農産物を過度に輸入に頼るのは歴史を見れば明らかなように健全な経済ではないようだ。国産の綿花栽培の復活が望まれている。

合成繊維との競合
人造繊維は1890年代にフランスで開発されたレーヨンから始まる。レーヨンは天然セルロースからできているので合成繊維ではないが、製造工程は複雑化しており、天然繊維より安価。その後、合成繊維が次々と開発され、産業化されて行く。アセテート繊維は1924年に開発された。石油化学による最初の合成繊維はデュポンが1936年に開発したナイロンである。その後1944年には同じデュポンがアクリル繊維を開発した。これらの合成繊維は女性用靴下などに使われたが、木綿と合成繊維が本格的に競合するようになったのは、1950年代になってポリエステルが出回るようになってからのことである。1960年代にはポリエステルを使った衣類が急激に広まり、木綿輸出に依存していたニカラグアで経済危機が発生する。安い合成繊維と競合することでニカラグアでは木綿生産額が1950年から1965年の間に10分の1に低下した。木綿生産量は1970年代に回復しはじめ、1990年代初めには1960年代以前のレベルにもどる。 しかし、合成繊維のほとんどは、枯渇資源である石油を利用。しかも安価に製造するには大量生産が前提。破棄しても腐らないので土に戻らない。今後の工業は多品種少量生産が前提だ。天然繊維への回帰が良いというエコロジー的な視点もある。

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ラフレシア

ラフレシア 皆(みな)さん。ラフレシア(rafflesia)の花って知ってますか。世界一大きな花として有名ですね。東南アジアの島やマレー半島にあるそうだ。ラフレシア科ラフレシア属の植物で、どれも完全な寄生植物で、十数種程度あるそうだ。どれも多肉質の大形の花をつけ、中でもラフレシア・アルノルディイ(日本語で「ラフレシア」と呼ぶ場合、たいていこの種を指す)の花は直径90cm程にも達し、「世界最大の花」としてよく知られています。
この花の花粉を運んでいるのは、ハエでです。腐った動物の死体や汲み取り便所(昔のトイレだ)の臭いに喩(たと)えられる腐臭を発します。すごく臭いんですね。この臭いで送粉するハエを引き寄せるんです。見た目もあまりきれいじゃないね。でも、ハエにはとても美しく見えるのかな。花言葉は「夢現」(ゆめうつつ。夢と現実の区別のつかない状態のこと)ということらしいが。
ヨーロッパ人で、この花を始めて発見したのは、シンガポールを建設したトーマス・ラッフルズの調査隊。同行したメンバーは「人食い花ではないか?」と恐れたそうだ。ラッフルズはそんな迷信を恐れず、花に触って無害であることを証明したとのこと。ラッフルズさんが発見したのでラフレシアになったんですね。
ラフレシア この植物の生態がまたとても奇妙なんだ。他の植物の根(ブドウ科植物)に寄生し、そこから栄養分を奪い取る。ここから直接花を出して茎も根も葉もない。花は雄花と雌花に分かれいる。雄花の葯(やく)からは粘液に包(つつ)まれクリーム状になった花粉が出て、花の奥に入り込んだハエの背面に付着する。このハエが雌花に誘引されて花の奥に入り込み、めしべの柱頭に背中が触れると受粉が成立します。花弁(かべん)は発泡スチロールのような質感(しつかん)で、踏(ふ)むと乾いたようなパキパキという音がするそうだ。残念ながら日本でラフレシアが見れる植物園は無いようです。飼育が難しく現地でもなかなか見るのは大変らしい。

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ショクダイオオコンニャク

ショクダイオオコンニャク(燭台大蒟蒻)は、サトイモ科・コンニャク属の植物。別名スマトラオオコンニャク。インドネシア、スマトラ島の熱帯雨林に自生する。最短でも2年に一度2日間しか咲かない、世界最大の花として有名になった。ショクダイは燭台(ショクダイ)、つまり蝋燭(ろうそく)の台だね。蒟蒻(コンニャク)という字は凄(すご)く難しいね。世界最大の花としてラフレシアがあったね。こちらは花序(かじょ)として最大。タンポポの花みたいに沢山の花が集まって一つの花に見えるものを花序というらしい。単独の花としてはラフレシアの地位は変わらないそうだ。こちらは日本の植物園でも見られるらしい。
ショクダイオオコンニャク   ショクダイオオコンニャク   ショクダイオオコンニャク

ショクダイオオコンニャク 【小石川植物園】
小石川植物園は東京大学の付属施設(ふぞくしせつ)となってますが、桜やツツジ、モミジの頃など一年中散策(さんさく)が楽しめます。元は徳川幕府の薬草園(やくそうえん)だったのです。
小石川植物園の改修された温室にショクダイオオコンニャクを見つけました。今は、葉だけですが、何時花が咲くのか楽しみですね。(2019.12.8)
モミジ イチョウ
色々な木が見れるよ。

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キャッサバ

キャッサバ キャッサバ(cassava)は、トウダイグサ科の熱帯低木。皆さんの大好きなタピオカの原料は、イモだったんですね。原料は安そうなのでこれだけ普及したんでしょうね。 キャッサバは、もともとは南米、北東ブラジルが原産。キャッサバ芋(いも)はタピオカの原料であり、多くのデンプンを持つことから世界各地で重要な作物として栽培されていて、食用や工業原料として広く利用されているんだ。

栽培はとても簡単で、茎を地中に挿すだけで発根、そのまま生育するらしい。作付面積あたりのカロリー生産量はあらゆる芋類・穀類より多く、デンプン質の生産効率は高い。素晴らしい夢の作物みたいだね。
しかし食用とするためには毒抜き処理が必要。毒抜きのために皮や芯を除去しても、その場で加工しなければ腐ってしまう等利用の制約も大きい。

食用以外の利用範囲も広く、葉を発酵(はっこう)させて毒抜きし飼料として利用するほか、アルコール発酵によるバイオ燃料(バイオマスエタノール)製造も注目を浴びている。農作物としては、悪環境下(乾燥地、酸性土壌、貧栄養土壌)でも生育可能など、これまで農地とされなかった場所での栽培ができ、食糧問題や地球温暖化問題の解決への期待も大きい。 さらに、熱帯の都市では緑地帯の植え込みにも利用され、室内での観葉植物としても利用価値がある。観賞用の斑入り(ふいり)の葉の品種もある。丈夫で育てやすいんだね。

キャッサバ キャッサバ キャッサバ
タピオカ (tapioca) は、トウダイグサ科のキャッサバの根茎から製造したデンプンのこと。菓子の材料や料理のとろみ付けに用いられる他、つなぎとしても用いられる。紙の強度を上げるための薬剤の原料としても重要。
キャッサバデンプンをタピオカと呼ぶのは、ブラジルの先住民のトゥピ語で、でんぷん製造法を「tipi'óka」と呼ぶことによるらしい。タピオカにはグルテンがなく(小麦粉には大量に含まれる)、タンパク質もほとんどない。水分を加えて加熱すると糊化しやすく、抱水力が強いのが特徴である。

**グルテン
グルテン (gluten) あるいは麩質(ふしつ)は、小麦、ライ麦などの穀物の胚乳(はいにゅう)から生成される二つのタンパク質グルテニンとグリアジンが水を吸収して網目状につながったもの。料理では小麦粉に水を加えてこねる事でこれら2つのタンパク質が絡みあってグルテンができる。グルテンは食物アレルギーの原因となるタンパク質でもある。アレルギー体質の人はパンやウドンやスパゲッティが食べられないのでとても気の毒だね。

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朝顔

『万葉集』巻十にあるアサガオの。 「朝がほは朝露負ひて咲くといへど、ゆふ陰にこそ咲きまさりけれ」。この時代今の朝顔は日本に伝わってなかったらしい。夕暮に際して特に眼をひいた花の風情を愛でたものか。

万葉集に登場する「朝顔(あさがほ)」は、私たちが良く知っているあのヒルガオ科のあさがおとは違います。当時は、朝に咲くきれいな花を「朝顔(あさがほ)」と呼んだようです。桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)などとする説があります。現在では、桔梗(ききょう)であるとする説が有力。写真は、桔梗(ききょう)と木槿(むくげ)です。
桔梗 桔梗 桔梗 桔梗

朝顔 アサガオ(朝顔、Morning glory)は、ヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物。日本で最も発達した園芸植物。古典園芸植物。中国語で牽牛。日本では「蕣」の漢字も当てられる。
葉は広三尖形で細毛を有する。花は大きく開いた円錐形で、真夏に開花。 自生種が存在することから、ヒマラヤかネパールから中国にかけての地域のどちらかが原産地であるとする説が有力。しかし近年になって、熱帯アメリカ大陸が原産地であるとする説も出されている。 日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされる。アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けにごし、けんごし)」と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていた。朝顔の葉を細かに揉み、便所の糞壺に投じると虫がわかなくなる。再びわくようになったら再投入。

世界的に見ても、これほど形態が多種多様に変化した園芸植物は他にない。ほとんどの変異は江戸時代に生まれたものである。変異の著しいものには種子を作る事ができないものもある。
この変異が著しいために、種子ができない、または非常に結実しにくいものは「出物(でもの)」と呼ばれる。不稔である出物の系統を維持するためには、変化が発現しなかった株(「親木(おやぎ)」と呼ばれる)により遺伝的に伝えて行くしかない。したがってたくさんの種をまき、小苗の内に葉の特徴から変化を有している株は出物として鑑賞用に育成し、残りの株の中から出物の変異を隠し持っている親木を鑑別し、こちらは出物の採種用として育成することになる。そのため江戸時代の人々は経験的にメンデルの法則を知っていたとも言われる。

品種改良の歴史
変形朝顔 江戸時代の2度の朝顔ブームを機に品種改良が大きく進んで観賞用植物となり、木版の図譜類も多数出版される。この時代には八重咲きや花弁が細かく切れたり、反り返ったりして本来の花型から様々に変化したものが生まれた。これらの朝顔を現代では「変化朝顔」と呼ぶ。変化朝顔は江戸、上方を問わず大きく流行し、特に珍しく美しいものは、オモトや菊などと同様、非常に高値で取り引きされた。「大輪朝顔」も「正木(まさき)」と呼ばれる結実する変化朝顔の一種である。江戸時代の変化朝顔ブームは、文化・文政期(1804年-1830年)、嘉永・安政期(1848年-1860年)にあり、幕末には約1200系統が作られた。ブームの発端は、文化3年(1806年)の江戸の大火で下谷に広大な空き地ができ、そこに下谷・御徒町村付近の植木職人がいろいろな珍しい朝顔を咲かせたことによる。その後、趣味としてだけでなく、下級武士の御徒が内職のひとつとして組屋敷の庭を利用して朝顔栽培をするようにもなった。
 上記とは別に、熊本藩では武士たちによる園芸が盛んで、朝顔も花菖蒲や菊、芍薬、椿、山茶花などと共に愛好されており、盛んに育種されて独自の系統が生まれた。本来の朝顔の花型を保ち、大輪であり、「肥後朝顔」と呼ばれる。これが後世の大輪朝顔の祖先の一つになった。これら熊本の六種類の園芸植物は現在「肥後六花」と総称され、熊本に伝えられている。
戦後は大輪朝顔が主流を占めるようになり、直径20cm以上にもなる花を咲かせることのできる品種も現れた。もちろんそのためには高度な栽培技術が確立されたことも重要である。変化朝顔は維持が難しいためごく一部でのみ栽培されているが、最近再び注目されつつある。
アサガオは色彩も豊富である。原種は薄い青色だが、品種改良によって白、紅色、ピンク、紫、濃紺、浅黄色等の品種が生まれた。また、茶色、灰色、黒鳩色、紅鳩色、葡萄鼠色など通常の花色としてはかなり特異な品種も存在する。

黒朝顔 黒朝顔 「黃色の朝顔」と「黒色の朝顔」の両者は「幻の朝顔」と呼ばれる。このうち、「黄色の朝顔」については昭和40年代に再現が試みられ開花に成功し、NHKのニュース番組でも報道。その後は定着せずに絶えた模様。一方、「黒色の朝顔」の作出も試みられている。現在、黒色に最も近いといわれるものとして「黒王」という品種がある。
おおよそは、江戸時代に突然変異により作られた品種をベースに交配を重ねて新しい品種がつくられている。これを育種と呼ぶ。 
高温を好む植物で短日性のため、イギリス等の高緯度地域での栽培は難しく欧米ではあまり品種もないが、庭園用の多花性品種として鮮紅色中輪の「スカーレット・オハラ」などが作出されている。なお近縁種のマルバアサガオは比較的早くから欧米で栽培され、花色の変異も色々見られる。
さらに「ヘブンリー・ブルー」などのソライロアサガオは近縁の別種である。ソライロアサガオやマルバアサガオはまとめて「西洋朝顔」と呼ばれることもある。

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メタセコイア

メタセコイア 界 : 植物界 Plantae
階級なし : 維管束植物 Tracheophyta
門 : 球果植物門 Pinophyta
綱 : マツ綱 Pinopsida
目 : マツ目 Pinales
科 : ヒノキ科 Cupressaceae
属 : メタセコイア属 Metasequoia
種 : メタセコイア M. glyptostroboides
学名:Metasequoia glyptostroboides、和名:アケボノスギ 、英名:dawn redwood

メタセコイア メタセコイアは、ヒノキ科(またはスギ科)メタセコイア属の落葉樹。1属1種。和名はアケボノスギ(曙杉)、イチイヒノキ。和名のアケボノスギは、英名 dawn redwood(または、学名 Metasequoia)を訳したもの。
当初は日本を含む北半球で化石として発見されるのみで、絶滅した植物と考えられていたが、1946年に中国四川省(現在の湖北省利川市)で現存していることが確認された。
樹高は生長すると高さ25-30 m、直径1.5 mになる。葉はモミやネズに似て線のように細長く、長さは-3 cm程度、幅は1-2 mm程度で、羽状に対生。秋に赤茶色に紅葉した後、落葉する。雌雄同株で、花期は2-3月。雄花は総状花序、あるいは円錐花序となって枝から垂れ下がる。 結実は多く、秋から冬にかけて無数の種が地表に落ちる。
**東京大付属の小石川植物園で見たメタセコイアは背が高くまっすぐ伸びていてなかなか美しい。生きた化石ということで興味を持って調べて見た。恐竜の餌にもなったのかもしれない。セコイアと言う樹もあるけど、こちらは常緑樹。メタセコイアの人気には敵わないようだ。アケボノスギと言う名もなかなか化石っぽくて捨てがたいね(アケボノゾウとかもあった)。

メタセコイア 分布
メタセコイアの化石は日本各地の新生代第三紀層に見られ、カナダ北部・シベリア・グリーンランドなど北半球の北極周辺に広く分布していた。1939年に日本の関西地方の第三紀層で、常緑種のセコイアに似た落葉種の植物遺体(化石の1種)が発見された。発見者の三木茂により、セコイアに「のちの、変わった」という意味の接頭語である「メタ」をつけて「メタセコイア」と命名され、1941年に学会へ発表された。それまで発見されていたヌマスギやセコイアと異なると考え、メタセコイア属を設けた。また、落葉樹であることも推定した。
日本では2016年1月に福島県広野町の中生代白亜紀の地層から発見された化石が国内最古のメタセコイアの化石とされている。

現生種の発見: 当初、「化石」として発見されたために絶滅した種とされていたが、1946年に南京大学の鄭万鈞から北京の静生生物研究所の胡先驌のもとに送られた植物標本が三木論文にあるメタセコイアであることが判明した。これは中国四川省磨刀渓村(現在は湖北省利川市)の「水杉(スイサン)」と呼ばれたもので、「生きている化石」と呼ばれることも多い。
1948年、アメリカのチェイニー(Ralph W. Chaney)が、湖北省から苗を持ち帰り育成。その一部が1950年に三木が結成したメタセコイア保存会に送られ、保存会により日本国内の研究機関や自治体に配布された。

メタセコイア 1949年に日本政府と皇室がそれぞれメタセコイアの挿し木と種子を譲り受け、全国各地の公園、並木道、校庭などに植えられている。
愛媛県伊予市の市の木に指定されている。滋賀県高島市のメタセコイア並木が日本紅葉の名所100選に選定されている。
種子は英国などの種苗会社からインターネット通販などで入手できる。何故、日本では種子は生産できないのか? タネは直径2~3mmの淡黄色のおがくず状で、日本の気候にはよく合い生育は早いと言われる。
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ケシ

芥子 ケシ(芥子、罌粟、Opium poppy)。ケシ科ケシ属に属する一年草の植物。
日本語の「ケシ」は英語の「poppy(ポピー)」と同じと見なされている。しかし、英語で単に「poppy」といえばイギリス各地に自生しており、園芸種としても盛んに栽培されているヒナゲシ(corn poppy(コーン・ポピー))を指す。一方日本語で単にケシといった場合、それが種指定をも包含している場合はもっぱら本種を指す。英語では本種を「opium poppy(オピウム・ポピー)」と呼び「poppy」とは明確に区別している。日本語でも、他の園芸用ケシ属植物と区別するため、特に本種を阿片ケシ(アヘンケシ)と呼ぶことがあり、学会などでは種小名を用いソムニフェルム種と呼ぶ。

ヒナゲシ 【ヒナゲシ】
ヒナゲシは、ヨーロッパ原産のケシ科の一年草。グビジンソウ、コクリコ、シャーレイポピー とも呼ばれる。他のケシ科の植物も含めて単にポピーということもある。フランスやポーランドなどの国花として有名である。ケシにあるような麻薬成分は含まれていない。

グビジンソウ→グビジンソウ(虞美人草)の名は、中国の伝説に由来している。秦末の武将・項羽には虞と言う愛人がいた。項羽が劉邦に敗れて垓下に追い詰められた時に、死を覚悟した項羽が詠った垓下の歌に合わせて舞った。
力拔山兮氣蓋世 (力は山を抜き、気は世を覆う)
時不利兮騅不逝 (時利あらずして 騅逝かず)
騅不逝兮可奈何 (騅の逝かざる 如何すべき)
虞兮虞兮奈若何 (虞や虞や 汝を如何せん)
— 垓下歌(垓下の歌)『史記』巻7項羽本紀 第7 司馬遷
この舞の後に彼女は自害した。彼女を葬った墓に翌夏赤くこの花が咲いたという伝説から、こう呼ばれる。なお虞美人の自害云々については、女性の貞操がとやかく言われるようになった北宋代からであり、『史記』、『漢書』ではそのような記述は無い。

芥子という表記は本来カラシナを指す言葉であるが、ケシの種子とカラシナの種子がよく似ていることから、室町時代中期に誤用されて定着したものであるとされる。
日本では「opium poppy」など「opium」産生植物はあへん法で栽培が禁止されている種に指定されており、政府の許可を得ずして栽培してはならない。「opium」とはアヘン、麻薬の意味である。

カラシナ 【カラシナ】
カラシナ(芥子菜、辛子菜、Brassica juncea、英: Mustards)はアブラナ科アブラナ属の越年草。「芥」でカラシナを意味し、「芥子」はカラシナの種子の意味。 別名ともされるセイヨウカラシナは、カラシナの原種である野生種が、明治期以降に帰化植物となったもの。英語名のマスタードと言えばあれかなと分かる。花は菜の花と似ている。芥子の花とは全然似ていない。

藤圭子 【芥子の花】
藤圭子さんの歌に、「赤く咲くのは芥子の花 白く咲くのは百合の花 どう咲きゃいいのこの私 夢は夜開く」等有名な歌があったね。この芥子の花はどうも園芸用の「poppy」だろうね。栽培に政府の許可を得ているとは思えない。綺麗な花だね。

【阿片(あへん)】
アヘン(阿片、鴉片、opium)は、ケシ(芥子、opium poppy)の実から採取される果汁を乾燥させたもので、いわゆる麻薬。ケシの実から採取されるアルカロイドはオピエートと呼ばれ、そこから合成されるものがオピオイド。麻薬(narcotic)とは、本来このようなオピエートやオピオイドを指す。
ケシから採取されたアルカロイドや、そこから合成される化合物は、鎮痛、陶酔といった作用があり、また高用量の摂取では昏睡や呼吸抑制を引き起こす。このようなアルカロイドや、合成化合物には、モルヒネ、ヘロイン、コデイン、オキシコドンを含む。

ケシの実 【アルカロイド】
アルカロイド(英: alkaloid)とは、窒素原子を含み、ほとんどの場合塩基性を示す天然由来の有機化合物の総称。一部のアルカロイドには中性や弱酸性を示すものもある。また、似た構造を有する一部の合成化合物もアルカロイドと呼ばれることも。アルカロイドは、炭素、水素、窒素の他酸素や硫黄、その他稀に塩素、臭素、リンといった元素を含む。
アルカロイドは、微生物、真菌、植物、両生類などの動物を含む非常に様々な生物によって生産され、天然物(二次代謝産物とも呼ばれる)の中の一群を成している。多くのアルカロイドは酸塩基抽出によって粗抽出物から精製できる。多くのアルカロイドは他の生物に対して有毒である。しばしば薬理作用を示し、医薬や娯楽のための麻薬としてや、幻覚儀式において使用される。基本的に多種の生物が自衛のために開発した化学兵器なんだろうね。

現在、近似種を含め約数千種があるといわれている。古くからアルカロイドは抽出されてきたが、近代的な研究の元祖は、ドイツの薬剤師ゼルチュネルが1804年にアヘンから分離抽出したモルフィン、つまりモルヒネであるとされている。

【モルヒネ】
モルヒネ(morphine)は、ベンジルイソキノリン型アルカロイドの一種で、チロシンから生合成されるオピオイド系の化合物。ケシを原料とする。脳内や脊髄に作用し、痛みを脳に伝える神経の活動を抑制し、鎮痛作用を示す。外科の手術では患者さんを痛みから救う不可欠の薬剤だ。極めて強力な鎮痛作用を持ち、日本では薬機法に定められた、重要な処方箋医薬品。とくに持続する鈍痛に効果が高く、一般的な鎮痛薬が効きにくい内臓痛をはじめ、各種がん痛や手術後にも適応する。有効限界がないのも特徴で、より強い痛みに対しては用量を増やすことによる対応が可能。
その一方で適切に使わねば強い中毒性・常習性を持つため、(医療の鎮痛目的には使用方法が確立されており、適切に使えば依存することはない)毒薬(薬機法)・麻薬(麻向法)として規制されている。
アルカロイドとその他の窒素を含む天然化合物との境界は明確ではない。アミノ酸、ペプチド、タンパク質、ヌクレオチド、核酸、アミン、抗生物質のような化合物は通常アルカロイドとは呼ばれない。環外の位置に窒素を含む天然化合物(メスカリン、セロトニン、ドパミン等)は、通常アルカロイドよりもアミンと呼ばれる。しかし、一部の研究者はアルカロイドをアミンの特別な場合であると考えている。

【アミン】
アミン(amine)とは、アンモニアの水素原子を炭化水素基または芳香族原子団で置換した化合物の総称。 置換した数が1つであれば第一級アミン、2つであれば第二級アミン、3つであれば第三級アミンという。
阿片 アヘンの名の由来は、英語名opiumの中国語の音訳である阿片(拼音: a piàn アーピエン)を音読みしたもの。明代の中国、江戸時代の日本では阿芙蓉(あふよう)と書いた。
ケシの実の汁は古代から鎮痛・鎮静作用が知られ、医薬品として用いられてきた。しかし同時に習慣性や、濫用による健康被害など、麻薬としての特性があり、阿片戦争を引き起こすなど、重大な害悪も引き起こした。
現在では、1912年のハーグ阿片条約、これを引き継ぐ1961年の麻薬に関する単一条約において国際統制下にある。日本でもあへん法によって規制されている。

アヘンは極めて古くからその存在が知られている。紀元前3400年頃にはメソポタミアでケシが栽培されていたと考えられており、紀元前3000年頃に記述されたと見られるイランで見つかった石版にはシュメール人の乳液の採取について記述されている。紀元前2000年頃には、ヨーロッパや、中央アルプスにケシ栽培は伝わった。紀元前1500年頃にエジプトにてアヘン製造がされていた事がわかるパピルスの文献が見つかっている。英語名opiumは、この時代のラテン語名opiumを引き継いだもの。古代ヨーロッパにおけるアヘンの使用は、西ローマ帝国の滅亡により、一時廃ることとなった。 5世紀前後、イスラム圏の交易網が発達し、インドや中国、アフリカの中部などの各地にアヘンはもたらされた。アラブ商人は医薬品としてのアヘンを商品とみなしていた。東アジアにも伝来した。11世紀前後、イスラム圏との接触を経て、アヘンはヨーロッパに再伝来した。再び、医薬品として用いられた。15世紀頃からは麻酔薬としても用いられた。20世紀初頭までは民間療法の薬剤として用いられた。

阿片戦争 大航海時代を経ての西欧諸国による海上貿易において、アヘンは重要な商品となった。中国では、西欧諸国、特にイギリスによりアヘンがもたらされ、アヘン禍に陥る。イギリスは交易において三角貿易の構造を構築し、アヘンを用いて資産を獲得した。このアヘン貿易は、規模や対象、時代こそ違うものの諸国においても同様の交易が行われた。

清国では、上海など都市の河沿い地域に使用者が多く、当初は運搬船の停泊船内や宿場などで煙草に混ぜて吸入されていた。19世紀、このアヘンの蔓延に危機感をつのらせた清国がイギリス商人のアヘンを焼却したことが、イギリスと清国の間で、アヘン戦争(1840年-)の引き金となった。しかし、この紛争後もアヘン流入量が縮小されず、市中では次第に半固形の阿片膏を煙管(キセル)に入れて吸入するようになっていた。この携行しやすい阿片膏によって、より清国内の広域へアヘンが浸透、アヘン窟も伝播した。20世紀初頭の清末には、清国の上流層にもアヘンが一部流れていたとされており、清滅亡後の1930年代においても、煙管など吸引用品の取扱店や「大煙」と看板を掲げた煙館など、アヘン関係の店が各地でみられた。

ヨーロッパにおいては、「アヘンの危険性の認知」や「アヘンの習慣を持つ者が多い中国人の各地への移住とそれによる中国人コミュニティーとの接触」に伴い19世紀には反アヘン運動が高まった。また、アメリカ・カナダへの中国人労働者の流入ともに、特にサンフランシスコをはじめとする地域でアヘン窟がみられるようになり、1875年に至り反ドラッグ法制定など対策が行われた。

20世紀初頭から、国際間におけるアヘンの統制が始まる。1912年にはハーグ阿片条約が調印され、アヘン貿易が制限された。1920年に国際連盟が成立してからは、連盟が統制に関する職務を負い、国際機関が設置された。1926年の第一・第二阿片会議条約では、アヘンの使用等に関しても統制され、1928年の麻薬製造制限条約においてアヘン貿易は完全に禁止された。国際連合に移行後も、同様の統制体制が持続し、現行の1961年の麻薬に関する単一条約においてもアヘンは統制されている。

芥子の話に戻る。
草丈は1-2メートル程度で、葉の形は長楕円~長卵形で、上の葉ほど小さくなる。葉に関して他のケシ属とは、①葉柄がなく茎を抱く。他のケシ属は葉柄がある。②切れ込みが浅く縁が波打つ。他のケシ属は深く切れ込み細かく裂けるものが多い。③色がロウで覆われたような緑灰色である。他のケシ属は緑が鮮明なものが多い。④表も裏もほとんど無毛である。葉に限らず、本種はほぼ無毛である。
といった点で区別できるが、これらの特徴は品種によってかなり差がある。

播種後半年ほどで開花する。通常は前年の秋に播種するので開花期は4-6月頃になる。花は茎の先端に一つだけ付き、つぼみのときは下向きで開花と同時に天頂を向く。また2枚ある萼(がく)は開花と同時に脱落する。一日花であり翌日には散る。大きさは10-15cmと草丈に比較して大きく、悪臭がある。花弁は一重咲きの品種では4枚で、色は基本色として紅、白、紫があり青と黄はない。単色の品種も多いが、園芸種はこれらの中間や、これらが混じった「絞り」など様々な変化を見せる。だがOpium poppyは基本色に黄を欠くことから、他のpoppyには多い黄やオレンジ系の花を作ることは不可能である。八重咲きの品種では花弁の縁が細裂するものがある。なおアヘン採取用に品種改良されたOpium poppyはどれも一重咲きである。

花が枯れて数日すると、芥子坊主と呼ばれる独特の形の鶏卵~握りこぶし大の果実を実らす。この芥子坊主の形も品種によって真球に近い球形や楕円球形と、様々に変化する。八重咲きなどの園芸種も結実するが、実の大きさやモルヒネ含有量はアヘン採取用の品種には遠く及ばない。どの品種も未熟果の表面に浅い傷をつけると麻薬成分であるモルヒネを含む白色~淡紅色の乳液が浸出し、しばらくすると粘性を示し黒化する。これをへらでかき集め乾燥したものが生アヘンである。果実が熟すと植物体は枯死し、熟した果実の天頂に穴があき、径 0.5mm に満たない微細な種子が飛び出す(非常に細かい物を「ケシ粒のような~」と表現するのは、これが由来)。種子は腎形であり、表面には網目模様があるが、肉眼では確認しにくい。色は品種により白から黒まで変化するが、食用に売られているものは象牙色と黒が多い。
栽培植物としての歴史は古く、紀元前5000年頃と考えられるスイスの遺跡から本種の種子が発見されている。四大文明が興った頃には既に薬草として栽培されていたとされ、シュメールの楔形文字板にも本種の栽培記録がある。本種の薬用利用はそこから古代エジプトを経て古代ギリシアに伝わったと考えられ、ローマ帝国を経てヨーロッパ全土に広まった。その間に帝国の退廃を映して利用法も麻薬用へと変貌を遂げ、大航海時代を経てアヘン原料として世界各地に広まった。特にイギリスは植民地であったインドで本種の大々的な栽培を行い、生産されたアヘンを中国(当時は清)へ輸出して莫大な利益をあげた。

日本では、室町時代に南蛮貿易によってケシの種がインドから津軽地方(現在の青森県西部)にもたらされ、それが「ツガル」というケシの俗称となったという伝承がある。その後現在の山梨県、和歌山県、大阪府付近などで少量が産出されたがいずれも少量で高価であり、用途も医療用に限られていた。明治の半ば、大阪府の農民二反長音蔵がケシ栽培を政府に建白。地元の大阪府三島郡で大規模生産に乗り出すとともに、品種改良に尽力し、モルヒネ含有量が既存種の数倍に達する一貫種と呼ばれる優良品種を作出した。日本は台湾統治開始後、台湾においてアヘンの製造と消費が一大産業になっていることを知った。台湾総督府衛生顧問だった後藤新平は台湾のケシ栽培を課税対象とし、段階的に課税を厳格化することで、40年をかけ台湾のケシ生産を消滅させた一方で内地では二反長音蔵のケシ栽培を積極的に後援し、日本国内のアヘンの生産と台湾への輸出・販売を台湾総督府の専売制とし、莫大な利益を得た。1935年頃には全国作付けが100haに達し、5月の開花期には広大なケシ畑に雪白の花が広がり、非常な壮観を呈した。当時のアヘン年間生産量は15tに達し、全国産額の50%は和歌山県有田郡で、40%が大阪府三島郡がそれぞれ占めた。昭和に入ると日本は日本統治時代の朝鮮や満洲の一部(熱河省。現在の河北省、遼寧省、内モンゴル自治区の一部)でケシ栽培を奨励し、第二次世界大戦中は満洲国、蒙古聯合自治政府、南京国民政府などで大規模栽培を行い、生成されたアヘンに高額の税をかけ戦費を調達した。太平洋戦争後の1946年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)がケシ栽培を禁止し、国内生産は途絶した。あへん法が1954年に制定され、翌1955年から栽培が再開された。しかし戦前のような大規模栽培は復活することなく、現在の栽培量は実験室レベルに留まっている。

多くの国がケシ栽培に何らかの規制をかけている一方で、園芸用としてのケシ栽培については規制していない国も多い。アメリカ合衆国ではモルヒネ原料となる種を含むケシの栽培も種子の販売も自由で、ネット通販で種子を安価に購入できる。英国などヨーロッパでは、一面に咲きほこるケシ畑が春の風物詩になっている。なお、先進国においては乾燥させた本種の植物体を有機溶媒に浸してアルカロイド成分を浸出させる方法で効率的にモルヒネを回収している。原始的なへら掻きによる採取は、モルヒネの回収率が非効率なこともあり、形としてアヘンを生産する必要のあるアヘン輸出可能国か、非合法生産下でしか行われていない。現在、国際条約下でアヘンの輸出可能な国家はインド、中華人民共和国、日本、北朝鮮の4ヶ国に限定されているが、現在も輸出を継続しているのはインドのみであるため、国際条約下においては、インドが本種の最大の栽培地といえる。このほか国際的に紛争が起きている地域で、住民が手っ取り早く現金収入を得るために国際条約を無視して本種を栽培するケースが多い。旧ソ連の中央アジアや、長年内乱が続いたアフガニスタン、カンボジア、中米などが新たな非合法栽培の中心地となっている。このケースにおいて、20世紀に非常に有名だったのが、いわゆる黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)としても知られるミャンマー・タイ・ラオスの国境にまたがる地域であるが、2002年以降は同地域での紛争が沈静化し、ようやく同地の支配権を確保できた政府によって他の換金作物への転作が奨励されるようになったため、低調化している。ミャンマーでは政府や国連薬物犯罪事務所が代替作物としてコーヒー栽培への転換を進めており、仕入れなどで外国企業も支援している。

21世紀に入ってから条約無視の不法ケシ最大生産国はアフガニスタンで、2014年時点で全世界生産量の70%が同国産となっており、タリバンなど同国反政府組織の重要な資金源となっている。国連薬物犯罪事務所の発表では、2013年の世界の不法なケシの作付け面積は約29万7000ヘクタールに及ぶ。

日本でも、あへん法によってアヘンやモルヒネに対する規制がかけられている。同法は太平洋戦争前の満州や朝鮮で大規模に行われた戦費調達のためのアヘン生産の反省に基づき、国内での大規模栽培を例外なく禁止する意図の元に策定されている。ゆえにその内容は他国に比較して非常に厳しい。現代の日本において、あへん法に基づく栽培許可を受けるには、栽培地の周囲に二重の金網を張り巡らせ門扉には施錠する、夜間はレーザーセンサーを用いて警備するといった非常に厳しい条件を満たさなければならない。ゆえに実際に許可を得て栽培しているのは国や地方自治体の研究機関や、薬科大学や総合大学の薬学部の薬草園(東京都薬用植物園、日本大学薬学部や京都薬科大学の付属薬用植物園など)、および国の研究機関から委託されて栽培している数軒の農家が北海道にあるだけで、国内のアヘン生産量は実験室レベルに留まっている。これではとても国内需要を賄えないため他国からアヘンを輸入している。一方、前述した個人輸入や他の植物に種子が付着して(ケシとは知らずに)日本で栽培・自生してしまう例が少なからずある。

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コウホネ

昔から日本人には親しまれて来た水草のようだ。甕に植えて観賞用にも。河川の遊水池なんかにどこにでも自生していたのが、河川改修などで絶滅の危機にある県も。つまり、日本全体とすれば絶滅の危機は心配ない。

コウホネ コウホネ コウホネ コウホネ

コウホネ (河骨、学名: Nuphar japonica) はスイレン科コウホネ属に属する水草の1種。底泥中を横に這う地下茎から葉を伸ばし、ふつう水面より上に葉を立ち上げるが (抽水葉)、水面に浮かべる浮水葉をつけることも。また水中の沈水葉は細長い。夏になると、長い花柄の先に直径3–5センチメートルほどの黄色い花を咲かせる。抽水葉、浮水葉、沈水葉と葉の形が変化するのも面白い。日本固有種ともされ、北海道から九州の浅い池や沼に生育する。

「コウホネ (河骨)」の名の由来は、底泥中を這う白い地下茎が骨のように見えるためとされることが多い (異説もあり)。この地下茎を乾燥させたものは川骨せんこつとよばれ、生薬とされる。

コウホネ 多年生の水生植物。地下茎 (根茎) は白くて太く肥大しており、直径1~3センチメートル (cm)、水底の泥中を横に這い、茶褐色の葉痕があり、古い部分は黒褐色をしている。根茎の先端部から葉柄が束生し、葉には沈水葉と水上葉がある。冬季には水上葉は枯れ、水中葉のみを残す。

花期は6~10月。長い花柄 (直径 3~6 mm) が地下茎から生じて水上へ伸び、その先端に直径 3~5 cm で上向きに咲く黄色いカップ状の花を1個つける。数日開花し、雌性先熟 (雌しべが成熟した後に雄しべが成熟する)。萼片は5枚、黄色 (まれに橙色) 。

果実は液果、緑色でつぼ形、長さ 3~6 cm、水中でくずれて多数 (26–130個) の種子を放出。種子は倒卵形で長径 5~6 mm。染色体数は 2n = 34。

日本の北海道 (南西部)、本州、四国、九州に分布。韓国、沿海州、サハリンからも報告されているが疑問視され、日本固有種とも。水深が浅く泥深い湖沼や河川、水路に生育する。

コウホネは日本全体としては絶滅危惧等に指定されていないが、河川改修、圃場整理などによって激減し、地域によっては絶滅危惧種に指定されている。

人間との関わり
池沼の泥中にある肥大した地下茎 (根茎) を掘り上げ、細根を切り捨て、根茎を縦割りにして天日乾燥もしくは火力乾燥したものは川骨せんこつとよばれ、日本薬局方に収録された生薬。鎮咳、去痰、利尿、消炎、浄血、止血、強壮、解熱などの作用があるとされ。含有成分としては、アルカロイドであるヌファリジンやヌファラミンなどが知られている。

食用
アイヌ民族はコウホネをカパト (kapato) とよび、地下茎をアク抜き・乾燥したものを保存食とし、水で戻して汁の実として利用した。なお、北海道空知総合振興局の樺戸郡(かばとぐん)の名称はこれに由来。
家紋 鑑賞
コウホネは、庭園の池などで観賞用に栽培される。またアクアリウムで沈水葉を鑑賞対象とすることもある。コウホネは生け花に使用されることもある。
家紋
日本の家紋の中には、コウホネの葉を模した紋として、丸い円の中にコウホネの葉を1枚だけ配した「丸輪に一河骨まるわにひとつこうほね」や、コウホネの葉を3枚放射状に配した「三つ河骨みつこうほね」などさまざまなものがある。

文化
「河骨」は夏の季語であり、下記のような俳句がある。

河骨の 終にひらかぬ 花盛り — 山口素堂
河骨の 金鈴ふるふ 流れかな — 川端茅舎
花言葉は「崇高」「秘められた愛情」「その恋は危険」。

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スイレン

スイレン属 (スイレンぞく、学名: Nymphaea) は、スイレン科に属する属の1つ。多年生の水草であり、地下茎から長い葉柄を伸ばし、水面に浮水葉を浮かべる。花は大型で水面上または水上に抜け出て開花。4枚の萼片と多数の花弁・雄しべ、1個の雌しべをもち、花弁の色は白色、黄色、赤色、紫色など。被子植物スイレン科スイレン属〇〇スイレンということになる。

睡蓮 睡蓮 睡蓮 睡蓮

スイレン属は世界中に分布し、50種ほどが知られる。日本にはただ1種、ヒツジグサ(未草)のみが自生する。さまざまな種が観賞用に栽培され、また多数の園芸品種が作出されている。園芸用のスイレンは、温帯スイレンと熱帯スイレンに大別される。スイレン (睡蓮) の名は本来はヒツジグサの漢名であるが、日本ではスイレン属の水草の総称として用いられる。英名では water lily (water-lily, waterlily) とよばれるが、一部の種は lotus ともよばれる。属名の Nymphaea は、「水の妖精」を意味するギリシア語の νυμφαία (nymphaia) に由来。では、私が富士見市の難波田城公園の池で見た白いスイレンは何だったんだろう。日本固有のヒツジグサか外来の園芸種か。この日は古代蓮を見るのが目的だったけど、未だ開花前であった。こちらはピンク色の大きな花で蓮だからlotusだろう。つまりこれもスイレンの一種?

多年生の浮葉植物であり、地下茎から根を張り、そこから長い葉柄が生じ、浮水葉が水面に浮かんでいる。地下茎の発達程度は種によって異なり、無分枝または分枝、短い地下茎が直立するものから、長い地下茎が底泥中を横走するものまでいる。ときに匍匐枝による栄養繁殖が見られ、また地下茎の分断による栄養繁殖を行う種もいる。葉は水中に留まる沈水葉または水上に突き出る抽水葉であることもあるが、多くの葉は葉身が水面に浮かぶ浮水葉である。つまり、葉の形態として①沈水葉(水の中)、②抽水葉(水面上に突き出る)、③浮水葉(水面に浮かぶ)の3通りがある。

**匍匐茎(ほふくけい、ストロン/stolon): 植物において、地上近くを這って伸びる茎のこと。匍匐枝(ほふくし)。走出枝(ランナー/Runner) と呼ばれる場合もある。厳密にはstolonとrunnerは異なる物であるが、実際上、両語を明確に区別して使用される場面は少ない。
匍匐茎の節から、新しい植物体(ラメット)が形成される。なお、匍匐茎などで一つながりになっている個体全体のことは、ジェネット(栄養繁殖集合体)という。匍匐茎によって生まれる新しい芽は、基本的に受精によらないクローンということだ。

スイレンは美しい花をもつため、広く観賞用に栽培されており、またさまざまな栽培品種が作出されている。スイレンは古代エジプトの昔から人間の関心を引き、装飾に用いられたり、信仰の対象ともなっていた。クロード・モネはスイレンの絵を数多く描いたことが知られている。

睡蓮 睡蓮 睡蓮 睡蓮
【ヒツジグサ】
ヒツジグサ(未草、学名: Nymphaea tetragona)は、スイレン科スイレン属に属する多年生の水草の1種。水底に根を張った地下茎から長い葉柄を伸ばし、水面に円形の葉を浮かべる (右図)。花期は6月から9月、長い花柄の先についた1個の花が水面上で咲く (右図)。花の大きさは直径3–7センチメートル (cm)、萼片が4枚、多数の白い花弁と黄色い雄しべがらせん状についている。
ヒツジグサの名の由来は、未の刻 (午後2時) 頃に花が咲くためとされることが多いが、この頃に花が閉じ始めるためともされる。中国名は睡蓮または子午蓮であるが、日本語での睡蓮 (スイレン) はスイレン属の総称として用いられる。

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ハス

ハス(蓮、学名:Nelumbo nucifera)は、インド原産のハス科多年性水生植物。地下茎は「蓮根」(れんこん、はすね)といい、野菜名として通用する。被子植物ヤマモガシ目ハス科ハス属ハス。ハスは種名。明らかにスイレンとは全く別種。でも英語でlotusはハスまたはスイレンとなっていた。
日本での古名「はちす」は、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのが通説である。「はす」はその転訛。水芙蓉(すいふよう、みずふよう)、もしくは単に芙蓉(ふよう)、不語仙(ふごせん)、池見草(いけみぐさ)、水の花などの異称をもつ。 ハスの花と睡蓮(スイレン)を指して「蓮華」(れんげ)といい、仏教とともに伝来し古くから使われた名である。
蓮 蓮 蓮 蓮

英名 Lotus(ロータス)はギリシア語由来で、元はエジプトに自生するスイレンの一種「ヨザキスイレン」 Nymphaea lotus を指したものという。7月の誕生花であり、夏の季語。花言葉は「雄弁」。結局、英語でLotusと言えば、ハスもスイレンもどちらも指すことになる。

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オオオニバス

オオオニバスは、スイレン科の水生植物。直径3m以上になる大きな丸い葉をもち、水面にその葉(浮葉)を浮かべている。アマゾン川原産。花は夕方から咲き始め、はじめは白色で、翌朝にはピンク色に変化する。花の直径は約40cm。送粉者は主に甲虫。被子植物スイレン目スイレン科オオオニバス属オオオニバス
浮葉は円形で2~3mの長さがあり、子供が乗っても大丈夫。縁(ふち)が10-15cmほど反り返って、盆形になっているので乗っていて安定感がある。しかし、実際は葉の縁に切れ込みがあるため、葉に水はたまらない。花は直径20-40cm、夕方頃から白い花弁を展開させて芳香を発し、夜のうちにコガネムシなどの送粉者が訪れる。そして翌朝になると一度花弁を閉じ、花の中に送粉者を閉じ込める。そのように閉じ込めている間に雄しべが開いて、花の中で動きまわる送粉者に花粉が付着する。その次の朝に再び開花して、送粉者は外に放たれ、別の花に飛び移って受粉する。その間に白色であった花の色はピンク色に変化し、芳香も少なくなるため、他の甲虫類があまり寄り付かなくなる。このような機構によって自家受粉を防いでいるものと考えられている。
果実は楕円形で、全体に刺が生えている。その中に大きさ1cmほどの黒色の種子が詰まっており、熟したあとに水中に落下する。種子は1-3ヶ月後に発芽することもあるが、環境条件が悪ければ2-3年の間休眠することもある。
観賞用として、植物園などで栽培される。大型になったオオオニバスの葉は浮力が強く、子供を葉の上に乗せるといったイベントが開かれることもある。
オオオニバス   オオオニバス   オオオニバス

植物園も面白い
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