人類の歴史の部屋

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盛岡の偉人達
歴史学とは科学か

目次
パンゲア大陸 直立二足歩行 何故直立二足歩行?? 人類の進化
直立二足歩行の謎 直立二足歩行とは
ホモ属の狩り 火の使用 言語の起源
衣服の起源 家族の歴史 道徳の歴史 分かちあう心の進化
嫉妬する心 分業の起源 学習と教育の起源 教育の歴史
一騎討ち 神になった人類 芸術の起源 石器時代
遊牧の起源
アナサジの遺跡 青銅器の時代 長老支配の起源
文字の歴史 微生物が人類の歴史を決める 商業の歴史
世界の人口 マルサスの人口論 日本の人口
可笑しな進化論 人の先祖はアフリカ生まれ 人類はマンモスを食して生き延びた 人類は嘘をつく能力で猿から進化したのか
白雪姫と7人の小人達
禁断の実とは何だろう オーストラリアの人類史 ブッシュマン 有史以前
反穀物の人類史 紀元前10世紀まで

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人類の進化…化石からの発見

パンゲア大陸の分裂の仕方が人類の歴史を決めた

パンゲア大陸 アフリカを出発したホモサピエンスの子孫たちは、大型哺乳類を狩ることでみるみるうちに世界中に広まり、アフリカ、ユーラシア(アジア+ヨーロッパ)、南北アメリカ、オーストリアの各大陸に広まり、大型哺乳類を狩りつくした後は、定住して各々独自の文化を形成していく。この内、ユーラシアの文化だけが生き残り、他の文化はほとんど絶滅していってしまったのは何故か。世界を席巻したのは、最も早くから人類が活躍始めたアフリカでもなく、インカやマヤ帝国でもなく、どちらかというと後発のヨーロッパ諸国であったのは何故か。別に、彼らが遺伝的に優れていて適者生存で残ったわけではない。
 その、最大の原因は、地理的要因にあるようだ。農業や牧畜を発展させるためには、それを支える植物や動物が存在している必要がある。さらに、世界の各地で生まれた文明は、各々独自の展開をしてきているが、その相互の交流も非常に重要だった。
 このような観点から、ユーラシア大陸は他の大陸に比べて圧倒的に有利であった。人間が家畜化する動物、馬、牛、羊、豚、鶏、犬、これらがすべてそろっているのはユーラシア大陸だけ、インカやマヤの人々は、スペイン人が来るまで馬を知らなかった。小麦や米は、原始的なものでも食用になり品種改良も比較的容易に進められたが、南北アメリカで栽培されていたトウモロコシは相当長い期間をかけて品種改良がおこなわれたようだ。適切な作物も家畜も存在しなかったオーストラリアでは、現在に至るまで狩猟採集生活の段階にとどまっている。
 また、ユーラシア大陸は、他の大陸に比べて東西方向に長く伸びていることが利点でもある。つまり、人間の生活に適した地域が同じ緯度で東西方向につながっていて、異なった文明の人々が互いに交流してきたことだ。中国で発明された火薬はヨーロッパに伝わり、鉄砲になったのも一例だ。  それに比べて、アフリカや南北アメリカ大陸は南北に長く、途中にジャングルや砂漠といった障害があるため、人々の交流は行われず、インカとマヤの文明は全く独自に発達している。このような地理的条件がその後の技術的な発展を決定づけたようだ。
熱帯雨林 砂漠
上の写真は、アマゾン河の熱帯雨林とサハラ砂漠。これらの地理的な障害が両側の人類の交流を妨げてきたことは明かであろう。
以上の説明は、著名な人類学者ジャレド・ダイヤモンド博士が、パプアニューギニアの長老(知恵者)から問いかけられた疑問に対し探し求めていた答えでもある。「もし、あなた方の先祖がヨーロッパの僻地の移り住んでいて、白人の先祖がたまたまニューギニアに居住しておれば、君たちが世界の支配者になっていたかもね。」彼等が遺伝的に優秀であるという証拠など全くない。
 このような大陸の分布が決定づけられたのは、地球の歴史で中生代の初めに一つの大陸であったパンゲア大陸が、その後分裂を重ねて今の配置となったためである。人類の歴史も地球の環境に大きな影響を受けているという一例だ。

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言語の起源

人類の発達に「言葉」の役割が大変重要であったことには異論がないであろう。ただ言語の発生から発展にかかわる知見は、化石や遺跡として残らないため、その推測はなかなか大変なことだ。
人類学者たちは、原始的と言われている世界中の色々な部族社会の言語の研究を試みた。しかし、現存している言葉は、どれも体系的に完成しており、それなりのしっかりした文法を持っており、その中には言語の発展の鍵をとらえることはできなかった。 例外的に利用できたのは、ヨーロッパ人に強制的に奴隷として連れてこられたような人達の話す言葉だ。ピジン(鳩のさえずりという意味か)という学名で呼ばれているらしい。単語のもとは英語だったり、スペイン語だったりで、名詞と動詞ぐらいの単語を適当に並べるだけの原始的な言語が生まれたわけです。奴隷達は出身地も異なり、全く言語が通じない環境に置かれたため、生きるために必要な最低限の知恵です。ところが、これらの人達の子や孫の世代になると、しっかりした体系の言語として確立してくる。これらは、クレオールと呼ばれており、元の言語である英語やスペイン語とは似ているものの、全く新しい別の言葉となっている。つまり、ピジンの段階なら、例えば英語圏の人なら聞いて分かるだろうが、クレオールを理解するには通訳が必要になる。
一方、別の研究としては、赤ちゃんが生まれてからどのように言語を体得していくかを調べる方法もある。言語の体得は語彙を増やすことよりも、論理的な考え方を習得することがはるかに重要だ。「食べたいのか」「食べたのか」「食べているのか」「食べたくないのか」「食べたらどうなるのか」幼児は、自然と言葉の文法的な枠組を理解してしまう。このようなことから、人には生まれつき備わった、自然文法とでも言うべき能力があるのかもしれない。実験室で育てられたチンパンジーやボノボ達も絵文字や手話を使って、簡単な文を作ることが出来るらしい。そして、昔から、「言霊」ともいわれるように言葉には偉大なパワーがあるようだ。
ところで、人類(ホモ・サピエンス)の祖先がまだ、アフリカ大陸にいた、7万年位前にどうも人類が言葉を使うことを覚えたらしい。この時代を「人類大躍進の時代」と呼んでいるそうです。いくら土を掘っても言葉の化石は出ないのにどうしてそんな推定が出来るのか。

1.一つは解剖学的な視点で、喉仏(のどぼとけ)の位置が他の類人猿と比べ高い位置に移動している。このことは、気管と食道の分岐位置が高くなり、年配者の誤嚥性肺炎などの原因にもなるのですが、これが言葉を発するための重要な進化となったようです。これは、人類が火を使うようになって、固いものを噛み砕く必要が薄れたことも関係しているらしい。

2.二つ目は、この時代急に道具が高度化し、絵画や踊り等の文化が生じたらしいことです。例えば、石器でも木の取っ手をつけたり、槍や弓矢のようなものを集団で利用するには言語による伝達が不可避だというのです。

3.人は圧倒的の右利きが多いけど、これは人の左脳が右脳より優位に立ったためだという意見。多くの人では、言語をつかさどるのは左の脳であることが知られています。言葉を話すようになってから、右利きが圧倒的に増えた。他の類人猿には見られない特徴らしい。

4.この時代には人口が増えたこともあるでしょうが、集団の構成員の数が、急激に大きくなったらしい。これが可能になったのは、言語によるコミュニケーションが広まったからか。強いリーダより、賢い補助役の価値が高まってきたのでしょう。

音声を情報の伝達に使う動物は、自然界には数知れない。ほとんどの動物は多かれ少なかれ音を発し、仲間に危険や友好の意を伝える。これらの音声情報と言語の違いは何か。言語には文法があり、得られた情報を論理的に加工分析して、付加価値を付け加える。言語とは知恵の源泉だ。狩猟採集民の部族集団には、長老とか賢者とか呼ばれて皆から尊敬されている人がいて、皆の相談にのる。もめ事が生じると彼(彼女かも)は、自分の意見は言わずに双方の意見を辛抱強く良く聞き、結局集団として最適な解決策を見いだす。このような知恵はある程度は年の功に比例するだろう。このような知恵をもとにかなり規模の大きな大集団を維持し、アフリカを出発した人類は地球全体に拡散していったようだ。

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衣服の起源

虱 人は「パンツ」をはいた類人猿という人がいる。人類が服を着るようになったのは、約7万年前とみられる。衣類に付着するシラミの遺伝子を通じた研究をドイツ・マックスプランク進化人類学研究所の研究グループが発表した。研究者らは、3種類のシラミのうち、人間の衣類に付く衣ジラミに着目。シラミの細胞にあるミトコンドリアからDNAを採取し、他のシラミなどと比べて分析。衣ジラミが生まれた時期を人類がアフリカから欧州に移動し始めた約7万年前と特定した。人に特有の衣ジラミは体の接触によってうつり、人体を離れると24時間生存できないとされる。石器などと違い、衣類は長い年月を経て保存されないため、人類がいつ服を着始めたのかは研究者らの謎となっている。
何のために人は、衣類を着るようになったのか。氷河時代を生き抜いたネアンデルタール人も全身を毛皮の服で覆っていたのだろうと想像されている。寒冷地を生き抜くためには衣服の発明は不可欠だからだ。
しかし、衣服の起源を防寒だけに求めるのも無理があるような気もする。世界のどんな暑い地域の住民も、本当に完全に全裸の人々はいない。一方どんな類人猿も好んで衣服を身に着けるようなことはしない。つまり人前で裸でいることがタブーとなる人独自の習性を進化のどこかで獲得したようだ。

しかし、衣服の起源を求める前に大事な問題を避けて通るわけにはいくまい。何故類人猿の中でホモサピエンスだけに体の毛が無いのか。正確には毛が無いのでは薄いと言うべきなのだろうが。
体の大きな哺乳類、ゾウ、カバ、サイは皆毛が薄い。これは体内にたまった熱を積極的に逃がすためと説明がされている。でも、氷河時代が到来すると、彼らは毛長マンモス、毛サイ等は寒さに対応してちゃんと毛が長く進化している。
二足歩行に理由を求める論もある。ボノボやチンパンジーと比べて人の先祖がより沢山二足を歩行をしたようだ。森林が無くなり見通しの良い草地に追い出されてしまったからでしょう。でも、二足歩行が体毛を失っても熱を逃がす必要がある程過激な労働なのでしょうか。野生の肉食獣と対抗するためには集団で生活するようになったのでしょう。哺乳類のような知能の高い動物が集団で生活するには、群れのルールを造り互いのコミュニケーションを密にすることが不可欠です。特に後発組の種にとっては。

ヒントは、ボノボにおいて発達した、Sexを通じたコミュニケーションをより精巧に進化させたのではないか。人の女性が子供を産む間隔は、1~2年と短い。ところが他の類人猿たちはオランウータンが7~8年、ゴリラやチンパンジーも4~5の間隔。どれも少子化のため絶滅が危惧されている。つまり、人は他の類人猿たちと比べ異常なまでのsexマニアックで多産。「産めよ増やせよ地に満ちよ。」体毛が無くなったのもオスとメスが互いにセクシーに見せあうための進化でしょう。でも、最初のサピエンスが出現した頃は極めて数が少ない絶滅危惧種だったであろうことを忘れてはならない。集団で生活し、多産に変わることで絶滅を乗り越えたということではないでしょうか。「人はどうし毛がないの?」チコちゃんの答え「それは人間がスケベーだったから。ボート生きてんじゃねえよ。」

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直立二足歩行

大後頭孔 現在、最古の人類として最も有力なのが、サヘラントロプス・チャデンシスとされているらしい。新生代新第三紀中新世末期の約700万年から約680万年前のアフリカ大陸北中部(現在のサハラ砂漠の一角、中部アフリカの北部、チャド共和国北部)に生息していた霊長類。

実は人類の発生には、「イーストサイド・ストーリー」というのが一般に知られていた。つまり、アフリカ大陸を南北に貫く、有名な大地溝帯。これは現在も東西に分裂しているという。アフリカ大陸も将来は2つに分裂するのかも。この大地溝帯に両側には山脈が発達し、西側に雨を降らし森林を造り、東側は乾燥化して草原となる。森林を追い出されて草地に進出した類人猿が直立二足歩行を進化させて人類になったというのがこのストーリーだ。ならば、最古の人類化石はケニアとかタンザニアあたりで発見できると期待されていた。
ところがチャドは西アフリカで、化石が出た地層から当時の環境は、今チンパンジーたちがいる疎林に近い環境だったとか。直立二足歩行が草原に出てから進化したという前提が怪しくなる。

サヘラントロプスが、二足直立していたであろうことは、化石を解析することで分かっている。第一に、頭蓋骨の大後頭孔が下方にある。この孔は脊髄が通る孔で、これが下方にあるということは、脊髄が下に伸びていた、つまり、直立していた可能性が高い。直立はヒトの派生形質(人独自の形質)であるため、チンパンジーと分岐したのちのヒトの祖先(もしくはその近縁)であるということになる。また、ヒトを他の霊長類から特徴づける数多くの特徴のうち、直立は最も初期に進化した形質の一つということになる。

【化石人類を調べるポイント】
頭蓋骨から分かることは、大後頭孔が下方であれば、脊髄の真上に脳があることが分かり、直立二足歩行していた可能性が大である。脳の大きさは初期の人類は他の類人猿と大差がない後に急速に肥大する。 歯の犬歯がチンパンジーを比べて小さいことも特徴として挙げられる。チンパンジーの犬歯は長く鋭い。獲物の骨も噛み砕く。 人の犬歯が何故小さくなったのかも解明したい謎だ。 また、足の化石も直立二足歩行していた可能性を見るのの重要なポイント。類人猿の足の親指は他の4本と向かい合っている。つまり手と同じ。霊長類の先祖は4本の手を持った生き物だったから。土踏まずなどかあればこれも二足歩行だろう。また、足跡の化石も決め手になる。 他に、腰骨、股関節の付き方なども決め手になる。要は直立二足歩行をしていたかどうかが人類と類人猿を区別する決め手となり、サヘラントロプスが最初の人類だとすると約700万年位前にチンパンジーと共通の先祖から分岐したのだろうと推定されている。

しかし、サヘラントロプスの脚の化石や足跡化石は見つかっておらず、直立というのは仮説にとどまる。もし直立が否定されるなら、サヘラントロプスの系統的位置を確実にする証拠は無くなり、ヒトとチンパンジーの共通祖先(ヒト族の祖)、あるいは、ゴリラも含めた共通祖先(ヒト亜科の祖)の可能性もある。
サヘラントロプスの化石と同じ地層からクロコダイルの絶滅種の頭蓋骨化石が発見されており、当時はかなり湿潤な地域であったことが分かっている。当地の南西方向には現在もチャド湖が存在するが、完新世巨大チャド湖があったらしい。

トゥーマイ(サヘラントロプスの化石の名前)は男性で、推定身長は約1.20~1.30m、推定体重は 35kg前後。脳の容積は約350~380ccで、チンパンジーと同じぐらい。大後頭孔が頭蓋骨の下方にある。このことから、直立二足歩行していた可能性が高い。眼窩上隆起(目の上の出っ張り)が著しい。犬歯はやや小型である。

しかし、何故直立二足歩行と生き方が発生したのか。直立二足歩行が草原での生活に有利で適者生存で生き残ったとはとても考えられない。そもそも直立二足歩行は地球の歴史において、陸上動物が出現して以来、初めてのことなのです。人類と同じく草原にも適応した猿、ヒヒの仲間は4足に戻っている。直立二足歩行という方法は今までどの動物がやってもうまく行かなかった方法らしいのです。
恐竜たちは早くから二足方向を行っています。その子孫ともいえる飛べない鳥達、例えばダチョウは快速の持ち主だけど、直立ではない。ヤジロベー型というか。
直立二足歩行の最大の弱点は、瞬発力が弱く走るのが遅いこと。オリンピックの短距離選手だってカバには勝てない。直立二足の姿勢は遠くが見渡せるというが、逆に遠くからでも見つかってしまうということになる。しかも武器となる犬歯はやや小型していく。
しいて利点をあげれば、長距離移動、持久走には向いているらしい。野生動物がマラソンをすることは無いのだろうか。

これほど無力な、直立二足歩行の生き物が何故生き残ることが出来たのでしょう。一つだけ答えが提案されています。集団で暮らすことで多少攻撃されるリスクを減らすとともに、子孫を沢山作ることで対応したのではないか。確かにチョット昔なら、10人位子供のいる人沢山いましたね。食べられた分だけ子供を作る。日本神話に似た話があったね。黄泉の国に行ったイザナミが毎日100人ずつ殺してやると言ったら、イザナギがそれなら私は毎日150人ずつ産んでやると答えたとか。ホモサピエンスは、類人猿と比べると多産です。他の25種類と言われる人類たちが滅亡したのは少子化のせいだったのかも。

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何故、直立二足歩行??いいことあるのか??

人類と大型の他の類人猿との分岐の第一歩は、人類の先祖たちが直立二足歩行を始めたことが発端であることはが分かって来た。これは多くの化石人類が発見されてきたことで、系統的な進化の道筋が少しずつ解明されて来たためだろう。頭蓋骨と脊髄のつながり方(頭蓋骨の大後頭孔の位置)、足の構造の(親指の向き、土踏まず有無、骨盤の形等)進化等。

しかし、直立二足歩行という人類独自の特徴が何故形づくれたかの理由については説明がつかない。人類の発生には、「イーストサイド・ストーリー」というのが一般に知られている。アフリカの大地溝帯の東西で気候が変わって来て、東側は乾燥化してきて森林が草地に変化した。森林から草地に追い出された人類の先祖達は、直立二足歩行を発明し適応していったとする考えだ。どうも原初の人類化石が東アフリカの方で多く発見されたことも影響しているようだ。でも、直立二足歩行が適者生存の理に合わないことは明白ではないか。

ところが、当初の人類化石の発掘地点をつぶさに調べると、草地ではなく疎林か森林で、直立二足歩行を始めても、すぐには草地に進出したわけでもなく、脳の肥大化も始まっていないようだ。 そもそも、草地に進出する上で、直立二足歩行が有利だという主張が無理だったようだ。生命の歴史で草地に進出するのに直立二足歩行を採用した生き物は人を除いて一例もない。恐竜は最初から二足歩行の生き物。バランス型の二足歩行。ティラノサウルスだって巨体の割には活動的で結構早く走れたようだ。その子孫となるダチョウも結構俊足ランナーだ。ところが何故か、直立二足歩行は速く走るのは得意でないらしい。オリンピックの短距離選手だってカバには勝てないということらしい。何故そうなのかの説明は、専門の方に説明を任せたいが、草原での走り比べは、哺乳類にとっては圧倒的に四足歩行が有利らしい。しいて言えば、長距離には直立二足歩行が有利だとか。マラソン選手はチータに勝てるということか。足が遅いことは草原では、致命的なハンディになる。逃げるという選択肢が無くなる。 また、直立二足歩行の利点として、視野が高くなり遠くまで見渡せるという主張もあるが、これも逆に遠くからでも見つかってしまう欠点にもなる。

長距離を歩くのが有利という特徴は、一つ利点がある。疎林では森林と比べ、餌の入手が難しい可能性がある。多少危険はあるものの遠くまで、餌探しに出かけ、開いた両手に食料を抱え仲間のために持ち帰れるということが可能になる。

ヒヒ 草地に進出した霊長類には、ヒヒの仲間がいる。猿の仲間ではあるが、集団で生活し、立派な犬歯を持って、外敵には集団で立ち向かう。草地に進出するためには、直立二足歩行に加えて更に何か別の周到な準備が必要だったようだ。

直立二足歩行と並行して、化石人類たちの特徴として、犬歯が縮小していることが挙げるれる。長い犬歯は、食べるためよりも相手を突き刺す武器として重要なようだ。この武器は集団内のオス同士がメスを獲得するためにも使われるらしい。つまり強いオスが子孫を残せる。でも、何らかの理由で集団内の激しい競争が減って、長い犬歯が必要なくなったのではないかとの説もある。進化の事実は犬歯が縮小しているのだから、何らかのメリットがあったのかも。例えば、乱暴なオスは嫌われ、仲間から排除されるとか。集団の結束が強まる等。

「食料運搬仮説」というのがある。オスがメスや子のために食料を手で運んでくるために直立二足歩行を始めたというものだ。食料が不足がちの環境なら集団としてこういう行動もあるかも。しかし、たまたま一頭のオスがメスや子のために食料を運んできてもこれが遺伝として子孫には伝わらないぞ。獲得形質は遺伝しない。それと直立二足歩行が出来てもそれだけでは、草原へと進出する要因にはならない。

もう一つ、「繁殖能力拡大説」と言えそうなものもある。草原が危険とは言え、疎林だってさほど安全な訳ではない。ようは、捕食される可能性の大きさの問題だ。捕食される分、子供をたくさん産むことで補えばよい。事実、類人猿の母親は数年母乳を与え続け、その間は子供を造らない。つまり彼らは少子化社会だ。一方、人類は子供が10人以上いる母親も珍しくない。つまり、多産社会だ。人口が増えすぎて疎林では収まり切れなくなったので、草原にでた。しかし、草原に進出しても絶滅の運命が待っているだけでは。

人類は急に増え始め、脳が大きくなったのはホモ属が出現しはじめてから。200~300万年位前頃か。石器を使い始める。石器は狩りをするためではなく、草食動物の死骸(或いは肉食動物の食べ残し)から、肉を削ぎ落したり、骨を割って中の骨髄を取り出すのに使ったものと考えられている。しかし、石器を作る能力というのはそう簡単に身につくものではないらしい。脳が大きくなったのは、肉食をするようになったからだと考えれている。脳はエネルギーを大量消費する器官であるので、低栄養な食料では、脳の発育に回すエネルギーが足りないということらしい。しかし、大量の肉を消費するライオンや虎はさほど脳が大きくはなっていないので、脳を大きくする別な理由がいる。石器を造ったり、仲間と会話したり、脳を頻繁に使う機会が増えたということでしょう。ホモ属が石器などの高度化とともに脳を高度化し、文化を作り上げてアフリカを出ることにも成功したのか。

ところで、最初の石器は本当に狩りをするためでなかったと言えるのでしょうか。肉食獣を相手にハンドアックスで立ち向かうことは勇気もいるし、勝つことも難しそうだ。しかし、石を投げるという方法がある。これも集団でやったらすごい威力だ。しかも、これは河原に落ちている石で十分。石器とは言えないが有効な石の利用法だ。人は元来臆病な動物だ。出来れば至近距離で戦いたくない。直立二足歩行も石を集めるために発達したのかも。
しかし、投石は直立二足歩行の人間にしか出来ない技だろう。たくさんの石を拾ってきて一か所に集め、皆で利用する。現代人も球技が好きだ。オリンピック競技にも砲丸投げ、円盤投げ、やり投げと投擲競技が多い。オーストラリアにはブーメランもある。襲う側の肉食獣の立場に立ったら、経験もないしとても嫌な防御術ではなかろうか。
石を投げるという方法は、死体の周りに集まっている他の捕食者たちを追い払う目的で行われたのでしょう。石器は、その場で肉片をこそぎ取るために使ったのでは。さっと持ち帰って、安全な場所でゆっくり食べる。このようにして、肉を食べることが習慣になり、そのことが、道具の進化と脳の巨大化をもたらしいたのではないか。
しかし、投石技術も化石には残らない。将来、貝塚ならぬ石塚でも発見されるといいのだが。

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直立二足歩行の謎

今までの定説では、人は約700万年前にチンパンジー等と分岐して、森林から草地へと進出し直立二足歩行を始めで知能を獲得し、進化したと単純に考えられていた。でも、実際にはその後500万年近く特別な進化は見られない。そもそも、森林から草地へ進出すれば、直立二足歩行を止めて四足歩行に戻るのが普通に道筋のはず。
ここからは、生物の筋肉や骨格とその機能など専門にしている方のご意見が欲しい所ですが、直立二足歩行は走るのが苦手、オリンピックの短距離選手も四足のカバといい勝負らしい。草原で肉食獣に襲われたら逃げるしかない世界で、この欠点は致命的だ。 また、直立二足歩行は頭の位置が高くなり遠くが見渡せるという利点があるが、逆に遠くからでも見つかってしまうという欠点もある。となると、直立二足歩行は絶滅へ道でしかなく、適者生存という観点からはあり得ない選択だ。
しかし、直立二足歩行も全く利点がない訳でもない。

① 短距離走には不向きでも長距離走には大変有利らしい。英国で実際、馬とマラソンの競争を実施しているらしい。当初は馬が勝っていたが最近は五分五分らしい。ただ馬には人が乗っているけど。馬は4足で走る哺乳類では最強のマラソンランナーらしい。人は走る時に汗をかいて体の中に熱が貯まるのを防いでいるが、馬は例外的に汗をかくことが出来るらしい。
これは、獲物を取る側に立てば、たいていの草食動物は逃げても逃げても足跡などを元に追いかけて来られたら、体の中に熱が貯まって倒れてしまうらしい。

② 両手が使える。これに道具を組み合わせると強力な武器になる。また、石を投げつけたり、遠くから離れて戦える利点がある。もし、先祖が安全な樹上生活を送っていたのなら人は基本的に憶病な生き物だ。獲物と素手で戦うような戦略は取らないだろう。

ただ、いずれにしろこのような能力が発揮されるのはアウストラピテクスの時代は無理で、ホモ属の出現まで待たねばならない。
ここまで見ると、森林から疎林や草地へと最初に進出したのは、ヒトの方ではなく、チンパンジーやゴリラの方だったのではないだろうか。ヒトの先祖は相変わらず樹上で暮らし、直立二足歩行は樹上で発達させたという可能性の方が大きくないだろうか。

今の人は、デスクワークになれていて、人はチンパンジーよりも木登りが下手だと感じるかもしれないが、体操の選手やサーカスの技を見ていれば、ヒトの方がゴリラやチンパンジーよりも樹上生活に適している可能性すらある。
ゴリラもチンパンジーも分岐してから700万年以上経過している。相当進化して形も変わっているはずだ。人だけが進化したと考える方が可笑しい。そうなると共通の先祖はどんな姿だったのか。 そうなるとヒントは樹上生活に特化した類人猿、オランウータンやテナガザルに見いださねばならないだろう。つまり類人猿の先祖を更に遡ってみる必要があるということだ。

テナガザルは、2足歩行ならぬ、2手歩行の名人だ。木にぶら下がった姿勢は直立になるだろう。木の上を綱渡りのようにバランスを取りながら歩いたり、遠くの木へジャンプするには足の筋肉も大事だろう。樹上の良さは例え木から落ちても木の枝に落ちるので危険がないことだ。テナガザルは、ホモ・アスリートとでもいえる特殊能力がありそうだ。
オランウータンは、体が大きいだけに動作はやや緩慢であるが似たような能力はありそうだ。しかし、樹上生活では体が大きいことは余り有利にならない。事実化石人類たちは、初めに頃は30~50kg程度、身長も1m強と子供の体型に近い。

このようにして、直立二足歩行と柔軟な身体能力を確保し、草原で草食動物を狩れる(死体でもいいが)能力を身に着けてから、先に草地に出たチンパンジーやヒヒの仲間を横目でにらみながら草地に進出していったのではなかろうか。

そこで、一つ疑問がある。ゴリラもチンパンジーもヒヒも総て集団生活、つまり群れで暮らしている。ところが樹上生活に特化した類人猿、オランウータンやテナガザルは皆単独生活だ。草地のライオンは小集団で暮らすが、密林の虎は単独生活。
類人猿はもともと樹上生活に特化して進化してきた生き物だ。オランウータンやテナガザルの子育ては母親一人。子育てに期間だけオスが手伝うことは、他の生物にもみられる変化。ここから人類が一夫一婦的な家族を作るようになった可能性はある。ただ、一夫一婦的な家族というのが人類固有の本来の在り方なのか、資本主義革命以降につくられた理念なのかは検討の余地はあるでしょう。

ただ、集団で生活するということは、大変大胆な試みだったはずだ。皆、単独生活指向の個人主義者の集まりだから。だから、集団を維持するために言葉を発明し、色々なルールを試し、試行錯誤の連続だったんでしょう。

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直立二足歩行とは

直立二足歩行とは 外見上、直立二足歩行を行っているように見える動物にペンギンがあるが、これは体の厚みのためそう見えるだけで、実際にはペンギンの大腿骨は脊椎に対してほぼ直角であり、下腿骨のみが垂直(従って、常に膝を曲げた状態)となっているため、実際には直立二足歩行ではない。その他、常時二足歩行を行う動物に鳥類やカンガルー、一時的な二足歩行を行う動物にイヌやクマ、サル(特に類人猿)などがあるが、いずれも骨盤と大腿骨の構造上、大腿骨を脊椎に対して垂直に立てることはできず(無理にやれば脱臼する)、直立二足歩行とは言えない。ヒトの直立二足歩行とは、極めて特殊な歩行法で運動学的にそのメリットやデメリットをもっと解明していく必要がありそうだ。

人類と、その祖先である人類以外の類人猿は、生物学的には直立二足歩行ができるか否かによって区別されているのが現状だ。たとえば、400万年前のアウストラロピテクスは、脳容量がチンパンジーとほとんど変わらないため、知能的にはチンパンジーと大同小異だったと推定されているが、骨格化石や足跡化石から直立二足歩行が行われていたことが明らかなことから、人類の一員に分類されている。アウストラロピテクスの骨盤や下肢の形が二本足で直立していたことを示していた。またヒトと同じように大後頭孔(脊髄の出口)が頭蓋骨の真下に開口しており、これも直立二本歩行を意味していた。

実は、人が直立二足歩行を進化させた進化要因については、さまざまな仮説があり、まだ結論が得られていない。直立二足歩行は、適者生存の原理から言って、メリットもあるし相当のデメリットもある。過去の多くの化石人類の兄弟たちは直立二足歩行を選択した結果、絶滅の運命を受け入れて来た。しかし、人は自然選択の過程を通して結果的に直立二足歩行を確立したことは事実であるから、直立二足歩行が何故進化して生き残って来れたのかは人類進化の歴史を解明するための大きな課題であろう。
直立二足歩行の進化要因については、さまざまな仮説がある。ここでは、いくつかの仮説を紹介したい。読者の皆さんも一緒に考えて欲しい。
たとえば、移動効率、両手を自由にして食料を運ぶことができたこと、長距離を見通すこと、性淘汰、体温調節、水中を歩くため(水生類人猿説)などがあるが、決定的なものはない。オランウータンの観察から、ヒトの二足歩行は地上に進出するより前に、樹上での移動において起源したとする説もある。

直立二足歩行の進化要因の仮説
① 草原進出説
分子系統学の観点から、人はチンパンジーと共通の先祖から、700万年ぐらい前に分岐したらしいと分かって来た。ゴリラやチンパンジーの観察から、彼らがナックルウォークという手の外側をつけて歩くのを見て、これが二足歩行の原点で、だんだんと二足歩行へ進化したというのだ。しかし、ゴリラやチンパンジーだって700万年もの年月で相当の進化をしているはず。草原での直立二足歩行はどうも欠点が多すぎてメリットがなさそうだ。ナックルウォークも四足への後戻りの可能性は無いか。
② 樹上生活説
オランウータンやテナガザルの観察からこのような可能性もありそうだ。霊長類は基本的に樹上生活に適応して進化した生き物だ。樹上では豊富な果実という餌がある。最初の霊長類は、ネズミなどと同じく果実を口で齧っていた。でも、猿たちは果実を手でもぎ取って食べることを習得する。両手を使うためには樹上での二足歩行は不可欠だ。
③ 水生類人猿説
とてもユニークな考えで、チョットSFぽい。霊長類は雑食なので、肉も食べる。となれば魚を取った可能性もある。水中を歩くなら直立二足歩行は便利だ。縄文人も食べた貝類なんかもいいね。水辺に棲む古代人類。外敵が来たら川(海)へ逃げる。人類の先祖は、水泳は得意だったのかね。
④ 性淘汰説
孔雀のオスの綺麗な羽。これが適者生存で子孫を残しやすい?一見進化の法則と矛盾するようなこんな進化をダーウィンは、性淘汰と名付けた。直立した姿勢の良い個体はオスにもメスにも好まれた。となると直立二足歩行は偶然の産物。まあ、あり得ない説でもないか。
⑤ 手の利用促進説
ヒトの特徴は、何と言っても道具を作る器用な手だ。手があれば食事を運んで別の場所で食べたり、皮をむいたり、仲間と半分ずつに分けたり色々な技を使える。仲間とのコミュニケーションに手話が使えれば、一緒に声を出すうちに言語が発生するかも。
となると直立二足歩行は、移動時の手の負担を減らすための必要な進化だったのか。
⑥ 高度な身体能力獲得説
直立二足歩行というものは、草原で走る短距離走には向かないが、四足歩行と比べ体の他の部分への負荷が小さく、長距離走には適しているという。つまり、体の足以外の部分を上手く使って高度な身体能力を有することが可能だ。体操の選手を見ても人の体は色々な技を繰り出すことが出来る。高度な身体能力は、人がサバイバルしていくうえでもかなり有利な性質だったかも。
⑦ 食料運搬説
類人猿の子育ては時間がかかり、メスは大変だ。オスが子育てを手伝うようになって、オスが家族に食料を両手で抱えて歩くため、直立二足歩行が進化したというものだ。そのような習性を持った個体が子孫を残す可能性が高く、直立二足歩行が促進されたという説。チョト筋が通らない。直立二足歩行が出来るようになったので食料を両手で抱えて歩くようになった。これなら分かる。進化とは努力して達成できるものではない。
子孫を残す可能性だけからいえば、たくさん子供を産む種も生き残るということもなる。でも、魚なんかはものすごく沢山の卵を産んでもほとんど食べられてしまう。
それと人類の先祖がどのような子育てをしたかは、分かっていない。ゴリラやチンパンジーはある程度の群れ(集団)を作って生活している。でも、森林生活のオランウータンやテナガザルは単独生活。ヒトが何時から集団(群れ)を作って暮らすようになったかは分かっていない。ホモ属が出現した時は、集団生活であることは自明だ。
⑧ 投擲能力説
マンモス狩り マンモス狩り 人類は、大型の草食動物を狩ることで氷河時代を乗り切ったようだ。鋭い爪も牙も持たない人類がどのように狩りをしたのか。ハンドアックスや木の槍で、マンモスや毛サイの集団に襲い掛かった。確かにそんな想像図も沢山みられる。木の槍で立ち向かってゆけば、当然マンモスだって反撃してくる。人はそんなに勇敢なのだろうか。
直立二足歩行の最大の利点は手が自由なこと。例えば、マンモスが集団でも、大勢で石を投げれば、マンモスだって逃げる。石とは喧嘩できない。人は、それを大声を出して追いかけるんだ。当然マンモスは人より走るのが速い。しかし、マラソンランナーとしての人は凄い。足跡をたどって、いずれ追いつく。そこでまた大声を出して、石投げだ。今度は石が飛んでこなくてもマンモスは逃げる。人は足跡をたどって追いかける。これを繰返せば、そのうちマンモスに落伍者が出る。体に熱が貯まって窒息状態になるらしい。ほとんど闘うこと無く、一頭仕留めることが出来る。たぶん、当時の大型の草食動物を狩るということはこんな有様だったんでしょう。 ヒトが飛び道具を好むのは、先祖からの知恵ですかね。でも、石投げの技は何時から始まったんでしょう。少なくとも石器の利用よりは前だと思われるんですが。

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ホモ属の狩り

ヒトは何故言葉を話すようになったか。人は直立二足歩行を始めて、森から草地へ進出し、肉食になり、脳が大きくなって、道具を使うようになり、言葉を発明した。人の起源はアフリカで、アフリカ大陸の東側が乾燥化したので人は草地へ追い出された。いわゆる「イーストサイド仮説」だ。どういうわけか化石人類の発掘はアフリカ大陸の東側が多かったことも。
しかし、化石の発掘地点をつぶさに調べると、その場所は疎林のような場所で必ずしも大草原のような隠れ場所の無い所ではなかったようだ。それと、直立二足歩行という移動形態は、草地での生活には不向きで、危険極まるものらしい。どうも人の先祖も樹上生活を通して直立二足歩行を獲得し、プラスアルファの能力を身に着けてから、初めて草地に乗り出したようだ。つまり、実際には樹上生活が主体で、たまに木から降りて草地に出たのでしょう。
共通の先祖から分岐して、森から草地へ進出を先に試みたのは、むしろゴリラやチンパンジーたちの方かも知れない。彼らの行うナックルウォークというのは、共通祖先が身に着けて来た直立二足歩行から四足歩行へ戻る過程なのかもしれません。

類人猿は、ホモ属が出現して、初めて脳が大きくなり、石器の使用が始まる。言葉が生まれたのその頃だろうと考えれている。その大きな原因は肉食を始めたことではないかと想像されている。脳はエネルギー効率が悪い器官で、大きな脳を持つことは必ずしも生き残るうえで有利な選択ではない。たくさん食べる必要が出て、食料が無くなれば先に絶滅する。
肉食の起源は? 一つ考えなければならないのは肉食自体は樹上生活でも発達する可能性はあるかも。木の上には沢山の猿たちがいる。昆虫や鳥や小動物もいる。先に肉食の味をしめ草地へ進出した可能性はある。
  最初は多分肉食獣たちが食べ残した死体を食べたのかも。石器を使って骨の骨髄までしゃぶったとか。でも、石器の前にもっと有効な石の使い方。そう、石をぶつけることだ。チンパンジーと異なり、人は立派な牙(犬歯)を持っていません。チンパンジーは集団で狩りをしてヒヒなど別の霊長類も捕食する能力があります。人は他の大型の哺乳類と素手やこん棒のようなもので戦うことはしなかったはずだ。

だから、ホモ属の狩りは、多分肉食獣たちが食べ残した死体に群がる捕食者たちに集団で石をぶつけて横取りすることではなかったのでしょうか。弓矢が発明されるまでは、投石は最も有効な遠隔攻撃法だ。ホモ属が出現して、急に石器が発見されるようになるのは、石を集めて狩りをする習慣があったためではないでしょうか。石を集める習慣が出来れば、形の良い石を選定したり、そのうちに加工する知恵も出で来るでしょう。石を投げるときは大声で叫び、何かを叩いて大きな音を出せば効果はてきめん。哺乳類達は条件反射で、次からは大声を聞くだけで逃げ出してしまうことことも。
これは生きている草食動物とっては更に大変な攻撃だ。彼らの防御手段は基本的に逃げること。ところがここで、直立二足歩行の利点が最大限に発揮される。直立二足歩行は短距離走は不得意だけど、長距離走は得意。これは汗をかいて発熱する熱を逃がすことも可能だから。草食動物たちは大声を聞いて一旦は逃げるのに成功するが、足跡をつけて何時までも追いかけて来る。最後には体に熱が貯まって動けなくなるらしい。
このようにして、ホモ属は草原で最も優秀な狩人に変身したようだ。この能力を持って、ホモ属たちはアフリカを出て世界中に広がることが可能になったんでしょう。 しかし、このような狩猟方法は、集団の協力が不可欠だ。石を投げる名人、石運びを行う人達、大声で脅しをかける役目。獲物は集団で均等に分ける原則もこの辺にルーツがある。

言葉の発達もこの時代だろう。最初は手話だったかも。手話と一緒に発声すれば、そのうち声だけで意味が伝わるように。言葉が役に立つ道具になればみんなが学ぶ。急に文明が進歩したみたいだ。

オルドワン石器 アシュール石器
**オルドワン石器
オルドワン石器は堅いハンマーで打撃を加えて製作された剥片やチョッピング・ツールを特徴とする石器文化。略して「オルドワン」ともいう。 製作は、250万年前に始まりアフリカやアジアの各地で2万年前まで続く。
アフリカの大地溝帯(オルドヴァイ峡谷など)で遺跡とともに最古の石器が発見されている。これらの石器は、礫を打ち欠いて制作した簡単な礫器や剥片からなり、解体された動物骨とともに見つかっている。 ホモ属(ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトスなど)はもとより、アウストラロピテクス猿人などにより製作された可能性がある。
**アシュール石器
Acheulean is an archaeological industry of stone tool manufacture characterized by distinctive oval and pear-shaped "hand-axes" associated with Homo erectus and derived species such as Homo heidelbergensis.
主にホモ・エレクトス等によってつくられたらしく世界中に分布している。

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火の使用

火の使用 人が何時から火を使うようになったかははっきりした証拠があるわけではないので、明確な答えは分からないが、多分50~100万年前には、ホモサピエンスよりも前の人類たちが使っていたものと想定される。 言葉は化石や遺跡には残らないが、火は焼け跡のようなものが洞窟内に残っていたりするので、全く調査が不能な訳でもなさそうだ。それと、人がもし火を使うことが出来なければ、自然界で生き残ることすら困難であったことも、かなり早い時期に火が使われたはずと考える根拠にもなっている。

1.火を使うことで調達できる食料の範囲が広がった。
本来肉食でない人が肉を食べるには熱を加えた調理が欠かせないようだ。野菜も熱を加えることで食べれられる素材が飛躍的に拡大する。火を使った調理は、ヒトがタンパク質や炭水化物を摂取するのを容易にしたようだ。

2.森林からサバンナの草原に出た際に、身を守る手段が他にない。また、火を使うことで夜も活動することが可能になった。また、火により寒くて暗い夜間にも行動ができるようになる。あるいは寒冷地にも住めるようになる。ヒトを襲う獣から身を守れるようになる。

3.当初は火は起こしにくく、大きな集団の共有物として大事に使われたはずだ。最初の火は山火事のような自然の火を皆で大事に消えないように管理して用いたのかもしれない。このようにして集団で生活する方法を身に着ける。

ところで、最近の研究で、人類は7万年前には全世界でわずか2000人にまで激減、絶滅しかけていたらしいことがわかってきた(米スタンフォード大学の研究者等による)。つまり、絶滅の一歩手前まで来ていたということです。 2005年に開始された、遺伝学によって人類学を研究するこのプロジェクトによると、ミトコンドリアの追跡によって、現在の人類は約20万年前にアフリカに住んでいた「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれている単一の母親の子孫であることがわかっており、約6万年前から全世界へ人類の分散が始まったそうだ。しかし、このミトコンドリア・イブと全世界への分散までの間に何が起きたかについては今までほとんどわかっておらず、謎に包まれていました。何はともあれどこかの時点で飛躍的な進化があったようだ。このような進化の原動力としては、①道具の進化、②火の使用、③言葉の進化と論理的思考、④集団生活の仕組みの変化、おそらくこれらの要因が相互に関連し合って、飛躍的な発展をもたらしたのでしょう。

縄文の火 では、人はどのようにして火を起こしていたのでしょうか。これについてはもっと分かっていない。ただ、縄文人や現在の狩猟民達の火を起こす方法から考えて、それより高度な方法を取っていたとは考えられないでしょう。
1.まず、最初に考えられるのは自然界の生じた火をそのまま利用する方法でしょう。山火事、雷、火山等。一度、種火を取得すれば、集団で大事に守っていけば結構使えるかも。
2.木や石をこすって摩擦熱を発生させる。これが一番普通の考えだろう。
3.火打石のように火花を発生させる。ただ、この火花をどのように大きな火にするか。これは、2の方法でも問題だ。こういう技術は現代人にもかえって難しいかも。
4.太陽光を集めるレンズや反射鏡を用いる。これは、レンズや鏡を平たんに研磨する技術が必要だが、可能性はある技術だ。ただし、これが使われていたという証拠はないようだ。
ただ、火は簡単に起こせるものではなさそうだ。基本的には一度起こした火は消さないで大事に使うのが原則ではなかったのだろうか。
人が比較的大きな集団で生活するようになったのは火のある所に人が集まり、集団で火を守っていこうとしたからかもしれない。

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家族の歴史

人のふり見てわがふり直せと言うけど、家族と言うものを考える際にも現代人以外の他の人達の家族がどうなっているのかを考えて見るのが良い。伝統的社会に生きる人々、古代人(記録が乏しい)、ボノボ、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンと言ったヒト科の家族はどうなっているのか。何故家族と言う概念や実態が生まれたのか。

オランウータン 森の人、オランウータンは普段は大きなテリトリーに大抵は一人で生活している。子供を産むのはメス(当たり前だ)で、交尾の時点だけ夫婦が出来る。類人猿の中では例外的に一夫一婦をかたくなに守り、浮気などしない理想的な夫婦か。でも、オスの役割は種付けだけ。
妊娠期間は260~270日。出産間隔は通常6年で、短くても3年。食物条件の良い環境では出産間隔が長くなる。授乳期間は3年。幼獣は母親と4~5年は一緒に生活するが生後3~ 7年で母親から離れて行動し始めるようになり、生後5 ~10年で思春期を迎えたり母親が次の幼獣を産むことがきっかけで独立する。メスは生後12年で初産を迎える。
つまり、オランウータンは完全な母子家庭。しかし、子育ての期間は相当長いね。人の母親なら育児ノイローゼになりかねない。研究者に言わせると、オランウータンの社会の弱点は少子化にあるという。でも、オランウータンの赤ちゃんは大人しくてとても育てやすい面もあるとか。でも子供連れの母親同士が森の中の食べ物の前でばったり出会うと、仲良く食べ物を分け合い子供どうしを仲良く一緒に遊ばせるということもするらしい。子供が互いのコミュニケーションのツールになるのは人も同じ。ママ友の起源ですね。
類人猿の仲間4種で群れをつくらないのはオランウータンだけ。またアジアにいるのも彼等だけ。現代社会は、社会の制約を嫌いやたらと個人の自由を主張するが、オランウータンの生活はその理想形だ。でも彼らの家族は核家族ではなく母子家庭のようだ。

テナガザル 【注】実は、アジアにはオランウータンの他に、テナガザルがいる。テナガザルは小型ではあるが類人猿の仲間。ヒト上科に属するヒト科から分岐したのは2000万年から1600万年前と言われている。つまり先祖をたどると人と共通の先祖に行きつく。人が森林から地上へ下りて二足方向を進化させたの対し、彼らは二手歩行を進化させて樹上での生活を続けて進化してきた。自由になった足を使って道具を使うこともできようが、森林内は食料が豊富でそんな必要性は無いのでしょう。テナガザルもオランウータンと同じで一夫一婦で縄張りを守る。歌を歌うサルとしても有名で言葉の起源を探る研究もされているようだ。(2019.12.16)

【ape達の出産間隔】
子供を産んで次の子供を作るまでの間隔。オランウータンが7~8年。ゴリラが約4年、チンパンジーが約5年。どれもみな長い。魚や昆虫達は卵を沢山産んで、子孫を繁栄させる選択をしてきたが、哺乳類たちは少ない子供を大切に育てる選択をして来た。ところが何を血迷っか人類は子の生まれる間隔を著しく短縮してしまった。2~3年と偉く短い。場合によっては年子(としご)なんて1年少ししかない場合もある。一体全体どうやって子育てするんだろうね。でも、これが人類が大繁殖した一つの理由にもなっていそうだ。 哺乳類(多分他の生物も)は、食料が豊富で豊かな環境では少子化になる傾向がある。人は森林を追い出され過酷な環境を耐え抜くため多産化の道を選んでしまった。今後人類が自ら絶滅することを免れるためにはいかに少子化社会を達成していくことが重要な課題だ。


ゴリラ ゴリラの父親はとても優しくて頼りがいがある。1頭のオスと複数のメスが家族を構成している。ゴリラの父親は群れのために懸命に働き、メスや子供達には対等に尽くす。メスにとってはとても住み易い社会かも。でも、結婚できないオス達が沢山出来てしまう。独身オスたちは、戦いを仕掛け父親を追い出し取って代わろうと虎視眈々を技を磨いている。
1頭のオスと複数のメスが家族を構成するのは、社会生活をする哺乳類の基本パターン。ライオンだって1頭のオスと複数のメスが家族を構成している。家族=社会ですね。リーダオスが交代になった時、有名な子殺しが行われる。子供がいるメスライオンは、新たに妊娠できない。だから新規の親となったオスはリストラを断行するわけです。オスが社会の中であぶれるのは集団生活する霊長類のどの社会でも共通の悩み。なぜならオスは子ともを産む能力が無いから。

シロアリ 同じ社会生活をする生き物でも、昆虫のアリ、ハチ、白アリの夫婦の在り方はずいぶん異なっている。社会は一匹の女王と、複数のメスからなる。子供を産むのは女王だけなので、集団の構成員は総てクローンだ。1年の決まった時期に複数の女王と多数のオスが生まれ、交尾の後、新しい家族が生じる。この場合もオスはほんの少数の運のいいオスだけが交尾の機会に恵まれる。後のオスは野垂れ死に。気の毒な話であるがオスの役割はそれだけだ。

チンパンジー チンパンジーでは社会の在り方がもう少し複雑なようだ。集団の規模が大きくなり、オスにもメスにもサブグループのようなものが生まれる。集団に一人のリーダーがいるが、彼一人ですべてを仕切っているようでもない。子供達も必ずしもリーダーの子達とも限らない。厳格な順位制が生じたのは複数のオスが共存するために必要だったかる。群れには厳しい順位性があり、年齢差による順位に加えて母親の社会的順位など、極めて複雑なルールを守りながら生活をしている。

人類の先祖が、森林を追い出されて、草原での生活を余儀なくされた時期、多くの哺乳類たちも同じ運命をたどる。草食動物達は大型化して、集団で行動する。集団といっても元を正せば家族だ。知らない者同士が「この指止まれ」で集まるはずも無い。
大型化した草食動物たちを肉食動物が単独で襲うことはほとんど不可能。逆襲されて痛い目にあうのが落ちだ。肉食動物で集団生活を始めたの犬科の仲間、狼やハイエナ、ネコ科ではライオンだけか。とにかくライオンは進化に成功した生き物でインドからアフリカまで地球上の広い範囲に生息するようになる。人類が出てくるまでは。

雑食のチンパンジーも相当強力な攻撃者で防御者だ。力強い上半身とともに、その犬歯は相手の手足の骨も噛み砕くという。集団のチンパンジーにはライオンでも単独では襲うには相当勇気が必要だ。

ボノボ 最近、ボノボの社会が注目を浴びている。争わない猿?。猿と言ってはまずいだろう。遺伝子の研究からは人として取り扱わねばならない。ヒトとチンパ、ボノボとの遺伝子の相違は1~2%という。どうやって計ったのかね。彼らが人と分岐した後、彼らは2つに分岐したらしい。人はボノボとチンパとの共通の先祖から遺伝子を受け継いでおり、それはゴリラの先祖から引き継がれたものだ。
ボノボとチンパは外見は良く似ているものの社会的な性格はかなり異なっているようだ。ボノボの世界は女系社会らしい。邪馬台国の卑弥呼みたいなものか。メスのグループが集団行動についての決定権があるらしい。何故かオスはバラバラで団結しない。一見敵対しそうな他集団との遭遇も、両グループからリーダーのメスがしゃしゃり出てきて、二人でイチャイチャしながら話し合いで解決してしまうらしい。何とボノボの社会では、互いの共感を得るのに sex を用いるというのだ。コミュニケーションの手段として sex を使うという方法を進化させたらしい。色仕掛けという訳か。LGBT と言った異性間ではない sex もボノボの世界では異常ではなくごく通常の行為らしい。人にもこのような行動は若干は引き継がれているのかもしれない。
だから、ボノボの家族は、複数のメスと複数のオスが仲良く暮している群れ。子供たちは共有の財産で皆で仲良く育てる。子供が大きくなるとオスは群れに居残るが、メスは家出して他の群れに嫁ぐらしい。メスのボノボはコミュニケーション能力が高く、すぐに他の群れに溶け込むことが出来るが、オスはマザコンで人見知りが強く、他者と共感する能力が劣っているらしい。
人の結婚にもこの伝統は受け継がれている。女性が男性の家に嫁ぐのであって、その逆ではない。姓(せい)も変わり、最初は苦労しても年を取れば最後には家の全権を支配する存在に。 核家族になれた工業化社会に住む現代人の目から見たら、何となく淫らで不道徳な世界のようだが、伝統社会に住む人達から見たら、ボノボは素晴らしく賢い選択をしていることが分かるだろう。

ブッシュマン 狩猟採集民たちの生活は、ボノボに近いのではないか。群れのリーダはいても独裁者はいない。私有財産らしいものがほとんどなく、食べ物も平等に分け合う社会では、権力を発揮しようものなら皆からつまはじきにされるのが落ちだ。力の強い男が必ずしもリーダになれるわけでもなく、経験豊富な長老が村をまとめているケースが多いようだ。村全体が一つの家族。だから村と村の間には争いが絶えないが、婚姻を通じて女性を交換することで友好関係を築くようだ。これは日本の中世の武士の世界にも引き継がれている。
しかし、人類の歴史の圧倒的大部分は狩猟採集生活であったことを忘れてはならない。

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道徳の歴史

狩猟採集民族の狩りに参加した人類学者。住民の一人の男が大活躍して、大きな獲物をしとめる。狩りは大成功だ。さっそくインタビュー。「大きな獲物をしとめたね。」「いや、とても小さい。」「でも、あなたの活躍はすごい。」「いや、何も大したことはしていないよ。皆が頑張ってくれたんだろう。」
絶対に自分の手柄は口にしない。これが狩猟民族のリーダーのようだ。狩りの獲物は原則公平に分配される。まず、最優先は小さな子供達、そして母親達。群れには昔から厳然とした掟があり、これを墨守することはリーダの務めであるようだ。
リーダーは絶対に自分の功績を誇ってはいけない。「謙譲の美徳が大切だ。」 つまり、リーダーと言うものはとても割に合わない者であり、皆に推薦されて仕方なく引き受ける性質のもの。中国の神話の先帝、堯、舜、禹は孔子や孟子らにとって理想の政治家だったようだが、いづれも帝の位を禅譲によって次に譲っている。世襲制などは全く論外で古代中国に限らず、古代ギリシャや古代ローマでも行われていない。

堯 舜 禹
つまり、人類は長い進化の道のりにおいてずっと、道徳規範をしっかりと守って来た。これが少しづつ乱れて来るのは、人がエデンの園を追い出されてから、つまり農耕を始めて、私有財産や階級、差別を造り出してからだ。

道徳規範といっても当初は、簡単明瞭なもんで誰でも守れそうなもの。でも、実際に行うのは難しいようだ。
1.人や動物をむやみに殺してはいけない。
2.食料や戦利品は平等に分配すること。
3.人を差別してはならない。
4.弱者を助けよ。
5.仲間に暴力は絶対に振るわない。

しかし、狩猟民族達がこのような道徳基準をしっかりと守って暮らしているということは、そのルーツを求めるにはは更に古い時代に遡る必要がある。実はそのヒントは、我々の兄弟の現生の類人猿4種を学べは分かって来るという。

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分かちあう心の進化

本書の著者は松沢哲郎さん。NHKのラジオで講演した内容をまとめ直したものらしい。口頭で講演したものが元のせいか大変読みやすく一気に読めます。京都大学霊長類研究所を卒業したらしい。京都大学霊長類研究所は、野生の類人猿たちの研究では世界のトップクラスで、松沢さんの他、そうそうたる大御所が揃っている。

人類学上の発掘で有名なリーキー(Louis Seymour Bazett Leakey、1903年8~ 1972年)のもっとも大きな遺産の一つは霊長類を自然の生息地で観察するフィールドワーク研究を促したことのようだ。彼は人類の進化の謎を解く近道であると考えていた。リーキーは個人的に三人の女性、ジェーン・グドール(チンパンジー)、ダイアン・フォッシー(ゴリラ)、ビルーテ・ガルディカス(オランウータン)を選ぶ。彼女らはそれぞれチンパンジー、ゴリラ、オランウータン研究の重要な研究者となり、「リーキーの天使、リーキーの三姉妹」と尊敬されている。研究の成果を上げるには彼女等の後継者達との交流も欠かせない。何故彼が男性ではなく女性を選んだのか、考えて見て下さい。

ジェーン・グドール ダイアン・フォッシー ビルーテ・ガルディカス
松沢哲郎さんは、文学部哲学科のご卒業ということもあるが、人の「分かち合う心の進化」の起源をずっと求めて研究を続けていたそうだ。人の心を理解するには相手の立場に立って考えないと理解できない。類人猿側の立場に立って、その目線で見ると世界は変わって見える。つまり、研究者側に最も求められるのが「分かち合う心」なのだ。だから本当の研究の現場は彼らが社会生活をして暮らしている自然の中であり、実験室での研究は補助的なものでしかない。

人工的な保育された人(チンパンジーは)は、自然の中で育った人と比べ、人格の形成が同じではない。なんとチンパンジーのメスは子供を産んでも子育てできないらしい。赤ちゃんを抱きあげて乳を与えるということが理解できない。ゴリラも他の類人猿たちもどうもそうらしい。
ということは、人間も同じではないか。核家族の密室保育で育てられ、都会に出てきて夫婦二人暮らし。周りには友達もいない。さあ、どうやって子育てするんだ。子育て放棄、虐待、子殺し。このような事件が増える。ある意味当然の成り行きかも知れない。

人の将来を考えるには、宇宙人のような知的生命体を考える必要は無い。多分近い将来に彼らと遭遇するチャンスは無いし、あったとしたら大変危険なことだ。それより、我々の傍(かたわら)に、十分な知性を備えた知的生命体が、我々とは異なった人生観を持って生活している。彼等から学べる知見は人類の将来を考えるうえで大いに参考にすべきでしょう。

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嫉妬する心

松沢博士の本に出ていた。別々の檻(おり)に入れられ、お互いに二人の様子が観察できる二人のチンパンジー。各檻にボタンを押すと餌(えさ)が出てくる仕掛けがある。ところが餌が出て来るのは相手の檻の中。自分の檻の中の餌は相手がボタンを押してくれないと出て来ない。分かちあう心で互いにボタンを押し合えば互いに happy になれる。ところがどちらのチンパンジーもボタンを押すのを止めてしまう。松沢先生は、チンパンジーは「分かちあう心」の進化が未発達なのかもしれないと推察しておられた。
では、檻に入れられたのが二人の囚人(ヒト)だったらどうだろう。相手が気心の知れた親友なら、こちらがボタンを押せば、相手もお返しに押してくれると推察できる。でも、相手が敵対するライバルならどうだろう。相手だけが得をする状態が許せないという気持ちが働くのでは。
自分が得をする可能性があっても、相手がそれ以上に得をすることは許せない。自分が損をしても、相手がもっと損をするなら大歓迎。チンパンジーにも「嫉妬する心」があるようだ。多分人は更に嫉妬深い。「人の不幸は蜜の味」嫉妬は身を亡ぼすと昔から言われているが、多くの諍い(いさかい)や戦争は当事者の嫉妬心が原因であった例は数知れない。

別々の檻(おり)に入れられ、お互いに二匹の様子が観察できる二頭の猿。二頭に公平にキュウリを与えると喜んで食べるのに、一頭だけにバナナ等もっといいものを与えると、きゅうりを投げ出して大騒ぎするという話があった。これも公平をモットーとする正義感のあらわれとも取れるし、いわれなき差別への抵抗とも取れる。また、相手の猿への嫉妬心とも取れる。「人は貧しきを憂えず、等しからざるを憂う。」これは論語から出た格言らしい。

「等しからざる」に気づいた時、人はどのように振舞えばいいのか。いわゆる劣等感の起源だ。劣等感は成長へのバネという努力を促す考えもある。でも、大抵の課題は努力だけでどうにもならない。人は一人で暮らしていれば劣等感など無縁だ。でも、人は社会で、集団の中で暮らしている。劣等感は自己と他者を比較することで発生する。劣等感を克服しようと努力しているうちは嫉妬の心は生じない。嫉妬の心は自己には向かず、他者や社会に向けられる。嫉妬の心にどう当対処するか。現代社会にも向けられている大きな課題だ。その起源は古そうだ。

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分業の起源

類人猿のヒトとチンパンジーやゴリラが分岐の袂を分かった最大の原因は、前者は見晴らしの良い草原に進出したのに対し、後者は森林に舞い戻ったか、とどまったことのようだ。共に集団生活を始め社会を構成し始めるまでは同じ。子供の世話も母親がメインかもしれないが、集団全体で助け合って子育てを行う。集団を維持するため、オスもメスも厳しい順位制社会のルールに従って生きる必要がある。メスが人間のママ友集団と同じように比較的フラットで子供を通して平等なグループでまとまることが出来たのに比べて、オスの場合は大変だ。自分の居場所を確保するため、毎日厳しい競争社会のストレスにさらされ続けたことになる。

森林が減り、草地が増えたということは寒冷化が進んだため。氷河時代の到来も近い。食料も森でたわわに実る果物と違い、大型草食動物を狩るには集団で手分けして行う必要がある。動物発見する役割、追う役割、待ち伏せして捕らえる役割、道具を造る係、火を起こす係、調理する係。集団内の人々は自分の得意分野を見つけて、そこにニッチを発見し居場所を確保する。「働かざるもの食うべからず」だ。集団から排除されたら草地では生きていけない。ひたすら仕事を探し、集団内の居場所を確保しようとする動機付けになる。その結果、自己の専門の分野の技術はどんどん高度化していく。

「私がやらなければ誰がやるんだ。」「どうしてもこれはあなたにやって欲しい。」と言った、分ちあいの精神、一種の職人魂の起源だ。人類がアフリカを出発する7万年前前後か遺跡から急速に道具の進歩の跡が見られるようになるらしい。文化的大革命なんでしょう。 分ちあいの精神は、言い換えればお互いを認め合う精神にも繋がる。狩猟採集民のリーダーは絶対に手柄を独り占めにしない。獲物は集団全員で公平に分け合う。常に集団の利益を最優先にして謙譲の美徳を保ち続ける。中国の神話の堯舜禹の世界だ。「どうしても、あなたにリーダーをやって欲しい。」「いや、私なんかとても」「いや、あなたがやらなければ誰がやるんだ。」
集団内の分業は発展すると、やがて集団間の分業になってくるはずだ。このような集団が集まって古代都市が誕生したのではないか。日本でも縄文時代には既に、かなり遠い地域の間にも交流が行われていた。
しかし、このように築き上げた文化、技術や知識の集大成は、集団内で守り育っていかないと断絶してしまうものです。ヒト(ホモサピエンス)遺伝子は10万年以上前からほとんど進化をしていません。どんな人間も生まれた時は、ほとんどまっさらの状態です。総ての能力は、生後学習によって獲得されるものです。もし、核戦争が起こって人類の文化が破壊されてしまったら、残された人たちは、ひ弱の猿に戻って一から文化を作り直さないといけません。
ジャワ原人 人類の先祖としては、20余りの化石人類が発見されています。ネアンデルタール人はヨーロッパや小アジア、デニソワ人というのあります。インドネシアにはジャワ原人と言われている人たちが沢山見つかっているようです。ジャワ原人はアフリカから旅をしてたどり着いたホモ・エレクトスと言われる人たちのようです。今までは、ネアンデルタール人はホモサピエンスが狩り殺したように描かれていたようです。でも、実際には彼らは互いに協力したり学び合ったりの交流はあったのではないでしょうか。それでも生き残れなかったのは、やはり環境の変化に対応しきれなかったからではないでしょうか。

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学習と教育の起源

学習や教育と言うものが人間だけに与えられた特権だという考えは、人間が勝手に考えた独断と偏見であることはもう生物学では常識だろう。心と感情も人だけの特性ではないことも類人猿達の調査から次々と明らかにされている。 ダーウィン 人と動物が全く別のものだというのは、キリスト教的世界観に起因しているようだ。イスラムではどうかは調べたことはないが。仏教では輪廻の思想もあり、人も動物も一体のものとして考える。ダーウィンの進化論がなかなか受け入れられなかった原因の一つが、人の先祖がチンパンジーのような類人猿だったかも知れないという事実を否定したかったためだ。

学習とは、経験を通して新しい行動様式を獲得することだろう。 池の鯉に餌(えさ)をやる際に毎回手を叩くことにする。すると鯉は手が叩かれたときは餌がもらえると思って集まって来る。つまり、鯉は「手を叩く」というシグナルの意味を理解し学習し、手を叩いた行為者は鯉に教育を施したことになる。

しかし、生物学では、このような鯉の行為を条件反射と呼んで学習とは区別しているようだ。条件反射とは、動物において、訓練や経験によって後天的に獲得される反射行動のことで、ソビエト連邦の生理学者イワン・パブロフによって発見され、パブロフの犬の実験で有名である。 「パブロフの犬」のような唾液分泌の条件付けは、長い間、哺乳類などの高等生物にのみ起こると考えられていたが、モデル生物としてアメフラシやゴキブリにも起こることが分かって来た。2014年には扁形動物であるプラナリアでも条件反射が獲得できることが判明した。この研究は脳や記憶のメカニズムにも再考をせまる研究となっている。

条件反射で記憶を持ったプラナリアは二分割されても共に再生し、どちらも記憶を保持しているという驚くべき結果が出た。どうも動物の情報処理の機能は脳だけにあるのではなさそうなのだ。更に、植物でさえ情報処理機能を持っているとする植物の研究者もいる。脳の中央処理型でなく、体全体に分散配置されたネットワーク脳ということらしい。

動物と人言う二分法にこだわりたい研究者は、条件反射を学習とは区別したいのでしょうが、それでは学習とは何かを明確にしないといけない。「学習とは、知識、行動、スキル、価値観、選考を、新しく獲得し、修正していくこと。生理学や心理学においては、経験によって動物(人間を含め)の行動が変容することを指す。繰り返し行う学習を練習という。」どうも条件反射も学習の一部に入れて置いた方が後の議論が分かり易そうだ。

熱いヤカンに触ると、思わず手を引っ込めるのを無条件反射、梅干を見ると思わず唾が出て来るのが条件反射。でも、一度熱いヤカンに触ると次から触らない。また、梅干を食べたことが無い人は唾も出ない。つまり、どちらも学習の一過程だ。小中学校の算数や国語の漢字の書き取り。どれも条件反射の応用だね。考えずに手が動くようにならないと良い点は取れない。

プラナリアや植物の学習になると現在どこまで研究が進んでいるのかも分からないので、まずは人とチンパンジーの学習と教育について比較するのが面白い。ボノボやゴリラ、更にはオランウータンとの比較も面白いだろう。これらの類人猿と人の遺伝子の差は数パーセントぐらいしかないらしい。チンパンジーも人も生まれたての赤ちゃんは、一人では何もできない存在。生活の総てを学習によって獲得しないといけない。そしてハードウェアとしての脳の構造も互いに良く似ており、どちらも数万年前以上前からは全く進化はしていない。これは社会としては進化しても遺伝的な意味では変わっていないという意味。そして、類人猿達の心の問題が解明されて来たのはかなり最近のことなのだ。特にこの分野では日本の科学者たちの活躍が大変大きいようだ。

オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボと言った類人猿達は今では人と共通の先祖を持った兄弟(総てヒト科)であることが分かって来た。だから今までの生物学的手法をそのまま適用してもうまく行かない。大腸菌やショウジョウバエ、ラットで培われた技術が生きるのはかなり限定的。文化人類学、心理学、精神医学、脳科学等、人間の研究と全く同じ方法のアプローチが必要になって来る。

生まれたての赤ちゃんが最初に接触するのはその母親だ。ところが知能のある動物は逆に子育ての能力すら学習によって獲得する必要がある。森に棲み単独生活するオランウータンの母親はたくましい。母一人で子供を保育するらしい。ただ、子供の方もできたもので自分の方から母親にしっかり捕まり大人しくしており、ギャーギャー泣いたりしないらしい。出来の良い育てやすい子供なのだ。 ゴリラ、チンパンジー、ボノボは皆社会生活。子供は集団で育てる。だから人によって集団から隔離された母猿は子育てすら出来ない。赤ちゃんを抱きあげもせず、ミルクも与えず餓死させてしまう。核家族で育った人も同じ。日本では近年子供の虐待死など不幸な事件が頻発している。

チンパンジーの母親は、子供に手取り足取りで物を教えない。子供が自分で考えてどうしても分からないからと母親におねだりすれば、初めて教えることもあるらしい。他の大人たちもそうだ。頼まれれば何度でもやって見せる。でも、分かる。技術と言うもの、そもそもは人まねをして盗むもの。日本の物づくりの精神だってそうだ。師から弟子への技術の伝達。これこそ学習の基本中の基本だ。技術と言うものは教えるものではなく盗むもの。 「スズメの学校、メダカの学校。チーチーパッパでみんな一緒に。」こんな教育法を人間が始めたの産業革命以降。江戸時代の日本の寺子屋も、米国の最初の入植者の入った頃の学校も複式学級、つまり一人一人は自習で、分からないことがあれば初めて先生か上級生に聞く。でも実際はこの方法の方がうまく行くようだ。江戸末期の識字率は世界のトップクラス。主体的学習、考える学習だから。

チンパンジーやボノボに言葉を教えるプロジェクトがある。彼らは言葉を話せない。だから、パソコンに絵文字や記号を使って言葉の代りにする。また、手話を使う方法もある。人と同じ環境なら彼らは、かなりの言葉で意思の伝達が出来る。言語を話す能力は、声帯の進化より前に我々の先祖の遺伝子の中に既に組み込まれていたもののようだ。でも、この実験は研究者も大変だろう。まずは彼らと仲良くなって、好奇心を継続できるようにしてやらないといけない。 地球上の人類ならいかに原始的と思われる生活を送っている人たちも必ず、言語を持っている。また、どんな言葉もそれなりの文法があり、それなりの複雑な構造を持っている。でも、どんな子供も2~3歳ぐらいになると、自分たちの言葉をある程度話せるようになる。チンパンジーやボノボ達もその程度の能力を人と共通の先祖から引き継いでいる可能性がある。

野生のチンパンジーは道具を使う。ただ、道具の種類や使い方は群れ毎の違いがあり、これが文化となっている。固い木の実を割るには、石の上に木の実を置いて別に石で叩いて砕く。例えば、木の実がA、B、Cとあった時、ある群れはAしか食べない。別の群れはBしか食べない。Aの実を砕く猿に、例え観察者がB、Cを見えるように置いてやっても、見向きもしないらしい。ところが皆がAを食べる群れで一人だけ木の実を割らないメス猿がいた。どうも他の群れから嫁に来たらしい。試しにBを与えるとチャンと石で割る。子供の猿は、最初は母猿の様子を観察しそのうちにマネをするが、やがて他の子供達や大人たちのまねをするようになる。先の母猿の子は、AもBも割るようなり、更に進んで食べたことのないCの実まで割るように。実が無くても石と石を打ち合わせて遊ぶんだそうだ。抽象的な思考の芽生えか。遊びの中に発見がある。このような行動が他の子供達に伝わると新しい次世代の文化となるようだ。

学習のスタイルにアイデンティフィケーション(identification)というのがある。今西錦司先生の提唱らしい。要は猿真似だ。子ザルは対象とする大人の一挙一同マネをする。古代中国でも孔子が言っている。「偉い人になりたければ、まずは偉い人のマネをしなさい。朝から晩まで一挙一同すべてをまねするんだ。そうすれば自分でも気がつかないうちに偉い人になっているよ。」

どうもチンパンジーの子供への教育方法は、ある意味で我々が理想としている教育法に近いのではないか。マスプロ的な学校教育は人の歴史の中でもほんの最近登場してきたもので、本当に必要な技術は子弟制度の方が効率良い面もある。結局どこまで学習を続けられるかは環境に左右され、学ぶことへのインセンティブ、つまりどこまで子供の好奇心を継続できるかにかかっている。

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教育の歴史

下記は、ある教育者の反省の文だろうか。
☟教育の限界の認識とは、言い換えれば「教育は何をすべきでないのか?」「教育は何ができないのか?」を認識することです。教育万能主義は、教育の限界を認識していない、あるいは限界があるという前提を設けない考え方であり、その高邁な理想がかえって教育を非常に抑圧的で支配的なものにしてしまうのです。
確かに教育に限界があることは当然のこと。水を飲みたくない馬をいくら川辺に連れて行っても水を飲むわけがない。上の教育者は、義務教育を念頭に置いているんでしょう。生徒は学校や先生を選ぶ権利がない。だから、教師は理想的な教育を行う責任と義務がある。良い教育をする権利があるということでしょう。しかし、実際にはそんな権利があるはずもなく、あくまでも教育とは教わる側の権利であることを忘れてはならない。

まずは、教育の起源から探ろう。哺乳類や鳥類のように脳を持って判断をすることのできる生き物は、生まれた時の脳は完全ではなく、成長しながら学習することで一人前の大人になる。鶯は鳴き方を学習し、ライオンは遊びながら狩の技術を習得する。幼児が言葉を覚え、遊びを通して社会性を学んでいくのはまさにこの延長として説明できる。子供の好奇心を刺激して楽しく学ばせることが教育の技術であろう。教育する側は親であったり、祖父母であったり、子供をまとめてみることを任されている専任の大人だったりするが、目的はみな一緒、社会の一員として早く独り立ちし、社会の他の成員のために貢献できるようにすることだ。教育の専門家とはどのような役割を果たす人なのだろうか。

ソクラテス ギリシャやローマでは、裕福な家庭の子弟には家庭教師がつくことが多くなる。アレキサンドロス大王にはかの有名なアリストテレスがついていた。世界で最初の教育家といえる人は、ソクラテス、あるいは論語で有名な孔子があげられる。

ソクラテスは、卓抜な考えを持った良き教師でこう言った。「人に教えることは自分も学ぶことだ。」「人にうまく説明できないということは、自分が分かってないからだ。」と。ただ、ソクラテスの考えには一つ欠点(現代人から見れば)があって、自分の考えを文字で文章として残すことを嫌ったらしい。文章を書くことは記憶力を悪くするということらしい。確かに一理はある。ソクラテスは弟子たちと討論を通して知恵を互いに高めることを実践し、その教えは弟子のプラトンやその弟子のアリストテレス、その弟子アレキサンダー大王を通して後世に伝わることになる。

吉田松陰 孔子も、本人は政治家としては成功したとは言えないでしょうが、沢山の弟子を育てた功績は非常に大きいでしょう。孔子の偉いところは、生徒を選ばないこと。孔子の一番弟子の子路は任侠上がりで、義侠心が強く気が短い。しかし、孔子は自分にない長所を見出し大変かわいがったようだ。孔子の晩年の弟子たちは、政治の世界にも進出して優等生が増えてくる。孔子は「昔の弟子たちの方が粗削りで面白かった。」と嘆いている。自分も弟子と一緒に成長してきた孔子には、素直に不躾な質問を浴びせてくる初期の弟子たちの方が、模範解答しか答えてくれない後半生の秀才達よりも可愛かったのでしょう。孔子学園も後半は出世のためのエリート養成所になっていたらしい。
時代を下って、日本。幕末の吉田松陰なんかも、根っからの教育者というべきか。罪を犯したということで獄舎につながれている間も囚人達相手に学問を教える。高杉晋作、久坂 玄瑞等長州藩の人材を輩出する。
以上、3人に共通する点は、
  1.自分自身が常に学んでいく姿勢をつづけていること
  2.常に疑問を持ち続け自分の頭で考え、他人にもそれを進めること
 3.弟子たちの個性を尊重し、長所を伸ばすことを第一とすること
  4.人生の目標を高く設定し、学ぶことの大切さを理解させること
  5.弟子たちはすべて自分から進んで弟子入りしていること

このような、塾の形式の学問の集団は昔から存在している。もちろん子供たちを対象とした塾もあった。ただ、古代ローマでは、「国は教育と医療」といった個人的な領域に口をはさむべきでないといった不文律があったようで、いわゆる学校というような制度ができるのはずっと、後世になってからだ。

 このようにしてみると、学ぶという行為は、極めて個人的な行為であり、権利として自由に学べばいいのだから学校なんて言う制度は必要無いはずである。江戸時代の末期でも、日本の子供たちは寺子屋で読み書き算盤といった教育を受けており、国民の識字率は世界でもNo.1に近い状態であったはずだ。

 今学校で問題なのは、生徒の著しい自主性の不足と学校への不信感、不登校やいじめ。塾通いや社外カルチャーの増加。義務教育という制度そのものの疲労ではないかと思える。
 義務教育は本来、富国強兵とナショリズム精神を涵養するために創設されたものだ。だから、国民一体、平等で画一的なことが前提として最初から組み込まれている。出来過ぎも困るが落ちこぼれは困る。「みんな一緒に仲良く行進しましょう。」でしょう。自由で独創的、個性を生かした教育とは初めから根本理念が全く相反している。いま、教育の目指すべき理念を再構築し、義務教育の制度を見直し、抜本的な改革を進めないと、世界の趨勢に大きく後れを取ることになってしまいます。

あるSF作家によると;
今の学校はベルコン式の養鶏場と同じだね。餌の代りに教材がドンドン送られてきて、先生はマニュアル通りに餌を食べさせる(指導要綱に従ってその通り授業をする)。時々品質検査(テスト)をし、不良品は手直しするが、実際は労力が追いつかずそのまま見て見ぬふりして進級させてしまう。もちろん別のベルコン(学習塾)で補強する手段はある。このようなベルコンに乗って、比較的うまく成長したものは大学にまで進学できる。ゆとり学習なんてとんでもない。考える暇があったら餌を食え。

大学も同じような勉強法で、運よく企業に入ったら?今の上司達も同じように教育された者達だ。昔は良かった。ただガムシャラに働けばよかった。経済は右肩上がり、文句を言わず体力だけが取り得の運動部の学生は特に尊重された。でも、今は違う。なんでも自己責任、「自分で何をやるべきか考えろ。」だって。上司達だって、分かっていれば教えるさ。自分でやって何とか成功しても褒めてはもらえない。失敗すれば大目玉。企業内での出世も遅れてしまう。今までは企業も官庁もベルコンだから。いつベルコンからふるい落とされるか分かったものでない。
でも、ベルコンからこぼれ落ちても更に大変かも。企業に正社員で入社できなければ非正規社員として転々と職場を変える羽目になるかも。
今、若者たちに真に求められている勉強は、企業に頼らず将来独立して食べて行けるような能力を身に着けることだろう。本当の能力を身につければ、会社を興すことも、企業と個別に契約して仕事をもらうことも可能になる。自由で独創的で自分だけの能力。「僕がやらなくって、誰がやるんだ。」、「この仕事はどうしても君にやって欲しいんだ。」、こういう人達があふれる社会。自由で独創的、個性を生かした自主的主体的な学習。こういう学習ができる人間を育てることが教育の目標ではないか。孔子もソクラテスも吉田松陰も実践して来たではないか。

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一騎討ち

一騎討ち(いっきうち)とは、戦争状態にある戦場において戦士同士が一対一を原則として決着をつける戦闘手法である。「討ち」を「打ち」表記してもいいようだ。一騎打ちで決す!武士の技と誇り。戦記物では名場面として語られるところだろう。有名な例から示そう。
【平安の物語】
平安時代は中ごろのこと。東国に源宛(みなもとのあたる)と平良文(たいらのよしふみ)という二人の武者が名を馳せてた。二人はいずれ劣らぬ見事な武士で、双方、思慮深く胆力もある。でも、郎党たちの仲が悪く、互いに相手方の主人を何度も悪しざまに罵り合ったため、 いつしか主人同士までいがみ合うようになってしまった。 源宛一派と平良文一派は何度となく小競り合いを繰り返す。やがて一触即発となり、ついに合戦に及ぶ事態となる。双方軍勢をそろえ、命知らずの郎党たちが火花を散らし合うところへ──。
◆良文「こたびの合戦は、互いの軍勢を戦わせ合ったところでつまらぬ。わしかおぬしかいずれが武芸に優るか知れればすむこと。弓をもって、一騎打ちにて勝敗を決しようではないか」
◇宛 「それは面白い。もののふたる者、弓での決着は望むところ。さればさっそくに始めようぞ」
二人の棟梁は、互いの使者にこう言わせ、馬にまたがる。両者の郎党たちが冷や冷やしながら見守る。 良文と宛は弓をひきしぼって間合いを待ち、数度馳せ違いました。
先に射たのは平良文。宛の体の真ん中を狙い、確かに命中したと見えた。しかし、とっさに身をかがめた宛の太刀のさやに矢は当たって落ちた。
次に射たのは源宛。良文の体の真ん中を狙い、確かに射抜いたと見えまた。が、間一髪、身をよけた良文の腰当てに当たって矢は落ちた。
◆良文「わしの矢をよけるとは。大したつわものじゃ」
◇宛 「わしの矢を避けた貴殿もなかなか」
二人はこのとき、互いの腕前を身をもって認め合う。 平良文と源宛は、その後無二の友になりました。はるかいにしえの武士は、日々おのれの武芸を磨き、誇るがゆえに、相手の武芸を讃えることもできたのだと語り継がれている。(脚色 江幡店長 出典『今昔物語集』)
近代に入ると大規模な兵力動員や集団戦術の採用、戦闘集団の組織化が進み一騎討ちは廃れる。しかし、一騎討ちは偶発的なものにせよ、示し合わせたものにせよ、条件が整えば起こりうる。平安時代後期から戦国時代にかけて多くの一騎討ちが行われたという。一対一の戦いは騎乗の場合以外にも起こりうるので、騎乗の状態であることは前提としなくてもいいだろう。

一騎打ち  一騎打ちは、日本だけでなく洋の東西を問わず世界中に例があるようだ。使われる武具は、弓の他、刀や銃、或いは素手で行われる。決闘とも類似の面がある。ただ、決闘は戦場で行われるとは限らないし、私闘も含まれるため必ずしも同意ではない。  集団同士の戦いでもリーダ同士が和解できれば解決というケースは封建制の時代には結構あったのかもしれない。無駄な殺し合いが防げるなら懸命な解決法だ。先の一騎打ちの例では、互いに示し合わせてわざと的を外したか、偶然かは分からないが結果はhappy endに終わっている。しかし、もしいづれか一方が倒れたらどうなっていたでしょう。 多分、勝者の側は敗者の健闘を讃え、結局集団同士は和解し合い、解決したのでしょう。武士道も騎士道も「一騎打ち」という問題解決法には道徳的に高い価値を見いだしていたようだ。
**Поединок Пересвета и Челубея=ペレスベットとチェルビーの決闘;タイトルはロシア語
「雌雄を決する」という言葉がある。猿のオスは一騎打ちでリーダの地位を決める。仲間のオス達は見ているだけ。たいていは殺し合いまで行かない。勝ったオスは負けたオスの背中にまたがり、いわゆるマウンティングと言う行為を行うことが知られている。これはオスとメスの性交の行為であり、負けた側がメスの役割を演じている。まいりましたのサイン。多分類人猿でも似た行動が行われているのでは。
ボノボという類人猿がいる。チンパンジーと外見は似ているがよく調べるとかなり異なっていることが分かって来た。このボノボの2つの集団が森の中ではちあわせ。オス達の血液にはアドレナリンがどっと放出されて、いざ戦闘か。この時両集団からメスのリーダが出てきて、互いにセックスし合う。もちろんメス同士だから先のマウンティングと同じで疑似的なもの。互いに雌の役割を示すことで「あんたはすごい。」「あんたこそ。」とやっている訳だろう。ボノボが母系社会だとされている根拠のようだ。これも一種の一騎打ちとも言えそうだ。

集団同士の戦争という無駄な殺し合いを避けるため、社会生活をする動物たちは進化の途上で色々な工夫をしてきたのだ。ところがヒトは武器と言う強力な道具を造り出してしまったため、戦争という無駄な殺し合いを避ける手段を失って行く。
日本各地で邑同士の小競り合いが行われるようになった弥生時代(鉄器の利用が始まる)から、ヤマト王権が確立・発展した奈良時代までの戦争は、歩兵主体の集団戦闘であり一騎討ちという概念はあまり発達しなかった。平安時代に入ると国内外の軍事的緊張は緩和したことから、朝廷が直接持つ軍事力は縮小されていき、代わって、各地に血縁的・地縁的なつながりを持つ源姓、平姓、藤姓などに代表される大小の武士団が台頭した。いわゆる封建制だ。しかし、軍記物語を精査した結果、現在では一騎打ちの例はむしろ少数であることが判明している。

ただ、一騎打ちと言う方法は、武士道精神に合致した理想的な解決法で高い評価を得て来たことは事実。遡って神話の世界に戻ると古代の英雄たちの一騎打ちの話は沢山存在しているのではないか。現代の核戦争もあり得る時代、一騎打ちに変わる合理的な戦争回避の手段を考える必要があるかも知れない。

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神になった人類

恐竜が滅んでから新生代、数百年前に人類の先祖たちが次々と現れてきます。その後地球は何度も氷河期に見舞われたようです。最終氷期はおよそ7万年くらいに始まり、1万年くらい前には終了したとされています。人類の先祖たちはゴリラ、チンパンジーを含めて20種類以上もいたと見られてますが、多くの仲間たちは氷河期を生き延びることができずに絶滅してしまったようです。でも、ホモサピエンスたちはこの時期ベーリング海峡(この時期は海面が低下して繋がっていた)を越えて世界中に拡散して行くのです。
寒冷化が進むにつれ、森林が減少し、多くのご先祖たちは森林から草地に追い出されていきます。でも、そこは肉食の猛獣の待ち構えている恐ろしい世界。そのため火や道具や言葉がどれだけ役に立ったか。でも、人類だって身を守るだけでなく、小動物を狩ったり肉食を取り入れ食料を確保する必要があります。
草食動物だって負けてはいません。巨大化の道を選んで集団で生活することを学ぶ。また、草原で新しく進化して来たイネ科の植物はたいていは消化が悪く、体内の微生物の助けを借りないと利用出来ない。だから食料の摂取効率が良い大きな体は理にかなっています。また、食料を求めての長距離の移動にも大きな体は役立ちます。
困るの人類だけでなく、肉食猛獣だって同じでしょう。獰猛な剣歯虎だって、マンモスや毛サイには太刀打ちできないでしょう。ところが、人類はそこに新しいニッチを求めたんですね。言葉を使って集団で協力し、火を使って脅して狭い所に追い込んで仕留める。大型動物を追って世界中移動しまくり。化石に残る大型の哺乳類、大部分の種は絶滅して、今では大型の動物(ゾウ、サイ、キリン等)は限られた地域、例えばアフリカ等にしか見られなくなりました。結局人類が滅ぼしてしまったのが真相らしいですね。もちろん地球が再度温暖化して環境が変わってことも影響しているでしょうが、環境だけならそれなりの生き残りも可能でしょうから。
結局、氷河時代を生き延びたのは、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人とその兄弟達。最後は、ホモ・サピエンスだけになってしまいます。でも、最近の研究では現生人類の遺伝子の中には3%程度入り込んでいるとか。ネアンデルタール人は、現生人類よりも体が大きく、脳の容量も大きいようですが、喉仏の位置が現生人類よりもやや下の方にあるため、言語を発声する能力が多少劣っていたのかも知れないと推測する学者もいます。
 マンモスや毛サイを倒した人々は、高揚感を持ってこう考えたに違いありません。「人類こそ自然界の覇者だ。」。これらの勇者たちの活躍は、そのやり方のノーハウとともに末永く、尾ひれがついて美化されて子孫達に伝えられていったことでしょう。英雄神話の誕生です。

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芸術の起源

ダイヤモンド博士がEテレで行っていた公開講義。ダイヤモンド博士は芸術の起源をホモサピエンス以前から遺伝子に組込まれていた性質に求めます。人は何を見て美しいと感じるのでしょう。野に咲く花。色とりどりの蝶々や鳥。花は虫や小鳥、その他の動物達を寄せ集めるために美しい花を咲かせます。鳥は、どうでしょう。オスの美しい羽根は,メスを引きつけるため。自分は優秀な遺伝子を持っているというメッセージを発しているのです。クジャクのオスも生存のためならばあの大きな美しい羽根のメッセージは邪魔ですが、それがメスに対する大切なメーセージなのでしょう。
アマミホシゾラフグは2012年に発見されました。直径2mほどの円形の幾何学的な模様が海底に存在することは1995年頃から知られていたものの、誰が何のために作っているのかは長らく謎のままだったのです。(『ダーウィンが来た! ?生きもの新伝説?』では、ミステリーサークルと呼ばれていた)。後に、この海底の模様は本種(アマミホシゾラフグ)のオスが作った巣(産卵床)であったことが判明する。このような素晴らしい産卵巣をつくるオスの能力は、優秀な遺伝子を持っていることの重要なアピールなのでしょう。
アマミホシゾラフグ アマミホシゾラフグアマミホシゾラフグ
オーストラリアに住むアオアズマヤドリは、ブルーの美しいあずまやを作ることで有名です。枯れ枝を集めて見事な小屋を作った後、近くの民家などから青い色のものを手当たり次第に集めて巣を飾ります。まるで芸術家のようです。
アオアズマヤドリ アオアズマヤドリアオアズマヤドリ
鳥は美しい声でさえずります。これって音楽の起源なんでしょうか。鳥は本能で鳴くので自らの意志で学習したのでないからこれはアートではない? でも、鶯(うぐいす)なんかも最初は鳴くのが下手くそで、周りの鳥たちの鳴き方を学んでだんだんうまくなるようだ。オウムや九官鳥は人間の言葉をまねします。鳥類や哺乳類のように脳の発達した生き物では、その行動が本能なのか学習なのかの線引きは非常に微妙です。

それでは、アートとは何なのか。人がアートに熱中する目的は何なのか。博士はそのカギを古代人類の残した石器に見出します。二つの石器があります。一つは無造作に石を打ち砕いて作ったもので、鋭利な刃と取っ手の部分があり、今でもすぐ実用に使えそうです。もう一つは、きれいに左右対称に造られており両側の刃の部分が薄く加工されており、実用的ではなくあくまでも見せるために作られています。両側に刃があったら危なくて持つこともできません。つまり、この石器の作者は、「私は、こんなに器用でこんなに美し良いものを作ることができる優秀な遺伝子を持っているんだ。」ということを他者に伝えるメッセージの役割を果たしているのだということです。

ラスコー ラスコーの壁画(フランス)は先史時代(旧石器)の壁画。現代美術にも通じる写実性。これも作者は自己の絵を描く能力を仲間たちに伝えるメッセージだろう。当時の人々にとって狩猟は重要な生活手段だ。この画伯はケガなどして狩猟への参加が出来なり、このような手段で集団の中に自分の居場所を確保したのでしょう。アートと言えども生き残りのため、つまり集団の中で自分の居場所を獲得するための壮絶な戦いだった可能性もある。

ヨーロッバ近世に花開く、美術、音楽等も王侯、貴族たちスポンサーの権力を誇示するメッセージという面があったことも見逃せない。スポンサーに気に入られるため画家たちも必至だ。なんせ生活が懸かっている。

【動物達の絵画】
抽象画 抽象画 抽象画
なぜ、わたしたちは絵を描くことが楽しいのでしょう? なぜ、描かれた絵に心を揺さぶられるのでしょう?
霊長類研究所のチンパンジーたちは、絵筆を渡すと絵を描きます。描いても報酬がもらえるわけではありません(実際には研究者達は態度で褒めていて彼らはそれを察しているようですが。)。でも、 ヒトと同じように、描くこと自体がなんだか楽しいみたいです。描かれた絵は、こどものなぐりがきのようでもあり、美術館に飾られている抽象絵画のようでもあり。 また、ひとそれぞれ画風があるのも興味深いところです。
ここでは、アイたち霊長類研究所のチンパンジーのほかに、チンパンジーのワショー、ボノボのカンジ、ゴリラのココに描いてもらった作品なども、紹介しています。どうぞ、ごゆるりとご鑑賞ください。
「京都大学霊長類研究所」
ゴリラもチンパンジーもボノボも人の仲間。この程度のことでは驚くに当たらない。訓練すればもっともっと上手な絵が描けるようになるでしょう。

象画伯 タイのチェンマイをはじめ、絵を描くことのできる象がおり、お絵描きショーで観光客を楽しませているそうだ。なんでも訓練次第で2%ぐらいの象が芸術に目覚めるのだそうだ。  数年前からテレビで取り沙汰されるようになり知っておられる方も多いかもしれないがどうも本当の可能性がある。
象が描く絵が進化している
象は哺乳類として最も成功していた仲間。集団で社会生活しているため知恵も感情も豊かな生き物。その潜在能力は計り知れない。
  しかし、象が象(自分自身)を描くのは驚きだろう。大きな鏡を見せれば象はそれが自分自身を映していることにすぐに気がつく。人の幼児も同じだろう。チョット手足を動かして見れば瞬時に分かることだ。鏡が無くても川で水を飲む際に水面に映る姿や、仲間の姿を見て入れは既に周知のことでしょう。でも、自画像や風景画を描くとなるとこれは明かに芸術といって良い。ただこの話の真偽は簡単ではない。どうも象の視覚は色彩感覚が乏しいとの研究結果があるようだ。色彩感覚があるのは霊長類の特徴。綺麗な色のついた筆を持たすのは像使いの人。筆を鼻で取りあげてからは象の役目。二人の共同作業という訳だ。でも色は別にしても輪郭(りんかく)を描けるのはやはり大したものだ。

では、なぜこんなに熱心に絵を描くのか。答えは一つだ。それは周りにいる人が褒(ほ)めてくれるから。他者を喜ばせて仲良くなりたい。結局、芸術とは人に見られてナンボの世界だ。独りよがりは許されない。

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石器時代

石器時代は大別して、旧石器時代と新石器時代に分けられる。
1.旧石器時代
旧石器旧石器
旧石器時代(きゅうせっきじだい、Palaeolithic Age)と言うのは非常に長くとらえどころが難しい。というのはいわゆる、ホモ・サピエンスが登場する前の人類達(チンパンジーも含め)も石器を使っていたから。
日本における旧石器時代は、後期については、北海道から九州にかけて5000カ所を超える遺跡が確認されているらしい。前期/中期についても、数こそ少ないがいくつか確認されているようだ。 しかし、前期旧石器遺跡については実は全て捏造であったことが判明してしまった(旧石器捏造事件を参照)。だから、捏造事件発覚以後に新しく発見された遺跡については多くの議論がある。
多分一番の問題は石器の年代測定なのでしょう。自然に存在している石か、人が加工したものかは、加工の断面などを調べれば分かるでしょう。しかし、石器自体の年代を測定する方法は無いようだ。唯一の決め手は、その石器が埋まっていた地層の年代を調べることだが、ここの部分を騙してしまえば、後は決め手がなくなってしまうらしい。

2.新石器時代
新石器
新石器時代になると石器の製造技術が画期的に進化する。その一つが磨製石器。磨製石器(polished stone tool)とは製作技術で分類したときの石器の種類。打製石器と同じ方法で作ったものを、最後に磨いてなめらかに仕上げた道具であると言われいる。でも、最初からやすりみたいなもので磨いて作ったものもあるんじゃないか。子供の遊びも兼ねた体験学習の「勾玉づくり」では、初めから滑石をサンドペーパーで磨いて作る。磨製石器には、石皿・磨石・石斧・石錐・石棒・石剣などがある。石皿や石棒なら調理道具だろうから柔らかい加工しやすい石材を使えばいい。磨製石器の最古の例はオーストラリアで、4万7千年前にさかのぼるという。オーストラリアでは、白人達が到達するまで、石器時代に近い生活をする狩猟採集民の世界であったが、この時代はまだどの民族も技術的にはそれほどの差はなかったのかも。
なぜこのような進歩が生じたのかは諸説あるようだ。一つは農耕の開始を関連付ける説。これはオーストラリアには当てはまらない。だから、必ずしも農耕が直接関連しているとも限らない。ただ、人々が定住して住むようになり、一つ一つの集団の規模が大きくなったことがあげられそうだ。人は言語と論理を操り、互いにコミュニケーションを取り合うことで、技術が大きく進歩したのだろう。

一方、これらの石器を製作することは、現在の技術をもってしてもそんなに簡単なことではない。例えば、石の包丁を考えてみよう。肉の筋や野菜の堅い皮を切り取るには、それなりの強度と粘りが必要だ。まずは、包丁に適した石材を確保しないといけない。だいたいこのような石材はとても偏在して分布しており、だいたいは身近には得られないと考えた方が良い。探検隊を派遣して近辺の地質調査を行い、それでも入手不可能なときには周辺の部族から物々交換で確保して手に入れないと入手不可能だ。運良く原石を確保しても、次は加工の問題が控えている。まずは、1次加工で石材を討ち欠いて包丁の原形を作る。貴重な石材なので無駄がないように、討ち欠いた部分は細石器として利用する。さて、今度は1次加工した石包丁をより堅くザラザラした石で磨き上げないといけない。現代人がサンドペーパーで磨くのと同じで、最少は粗い目のもので、最後は細かい目のやすりでピカピカに光沢が出るまで磨き上げる。相当高度な研磨技術が必要だ。つまり、1本の石包丁を作るのに必要な人件費を今風に見積もると大変なものになりそうだ。これなら材料を供給する人たちもできた製品の一部と交換することで互いに利益を得ることが出来そうだ。つまり、新石器時代には色々な道具を作る専門家集団が育っていたのではないか。専門家集団が育つには相手の立場を尊重し互いに助けあう精神が不可欠だ。人は言語と論理を操り、互いにコミュニケーションを取り合うことで、技術が大きく進歩したのだろう。
【追記】
ボノボ アフリカ・コンゴの密林に住むボノボ達、チンパンジーとは良く似ているけど、体系的には体型的にはややほっそりしていて人類に近い。チンパンジーと異なり、かなりの平和主義者で人類の進化を研究する上でも参考になる。
ところがボノボはチンパンジーと比べ石器の利用が少ない。コンゴ盆地は過去には大きな湖底であったらしく、どこを見渡しても石ころが落ちていない特殊な地形らしい。気の毒なことだけどこれでは石器文化は発達しようがない。
ボノボは、チンパンジーよりも二足歩行が得意なので、おそらくボノボ達の先祖も森林を追い出され草地(サバンナ)に進出しようとしたのでは。でも、生存競争に勝てず森林に逃げ込んだようだ。
人の先祖も危うく絶滅しかけたらしいが、何とか生き延びて繁栄することが出来た。でも石器を作るのだってどんな石でも言い訳でもなかろう。黒曜石などという固い石は極めて限られた地域でしか取れない。発掘された石器の原石がどこから来たのかということも大事な研究ではないだろうか。

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遊牧の起源

農業の開始については色々と研究がありますが、牧畜と遊牧の起源についてはあまり研究がおこなわれていないようです。中国の漢の歴史資料やギリシャの歴史家ヘロドトスの資料には、既に遊牧民匈奴の猛威について書かれていたので、遊牧民が巨大な勢力として認識されていたようです。歴史書というものは大部分が農耕民の立場から書かれているので遊牧民の存在は過小評価されがちですが、人類の歴史において遊牧民の存在はとてつもなく重要です。
フン族
中国の歴史では、中国の王朝の交代にはたいてい遊牧民の存在がかかわっています。漢―匈奴に始まり、元帝国や最後の清朝も遊牧民的ですね。だいたい保守的な農耕民と比べ、開放的で国際派、商業や鉱工業に力を入れます。いわば中国社会の活力として大きな力となって来たようです。ヨーロッパの民族大移動にも遊牧民フン族(匈奴との関係は?)の移動が原因、元帝国は一時的に旧世界の統一(全部ではないが)を成し遂げます。マルコポーロが中国に来たりしたのもこの時代。ほか、インドや中東でも歴史上、遊牧民が大活躍しています。ロシアの版図拡大に寄与したコサック騎兵も遊牧民。

 さて、遊牧の起源ですが、今までの西欧での主流の考えは、遊牧の農耕社会起源説(1)で、西アジア南部のオアシス地帯で定住を始めた狩猟民が農耕技術を身に付け、食料源であるオアシス周辺の狩猟動物を捕獲して食料としていたが、その内若干の飼育を始めるようになった。オアシスの人口が少しずつ増加し始めると動物に対する需要が大きくなり、乳製品を確保する為に牧畜技術の発明を行った。さらに人口が増え、狭いオアシス内ではまかなえなくなると、周辺の牧草を求めてオアシスから草原に進出する人々が出てくる。動物との生活を専門にした遊牧民の登場である。彼らは搾乳、去勢、騎馬の技術を身に付け独自の遊牧社会を構成する。→どうも西欧人はメソポタミア起源説が好きですね。

もう一つの説は、遊牧の狩猟社会起源説(2)で、遊牧民を狩猟民の間から発生したものと考える。この説によるとアジアの森林地帯で狩猟生活を送っていた人びとが、やがてその森林周辺で草原に野生する動物、なかでも群を成す本能をもった有蹄類の動物に目をつけ、はじめはこれらの動物の後に従っていく形で彼らとの関係を持ち始めた。しかし、やがてこれらの人々は搾乳、去勢、騎馬の技術を獲得し、動物の群をほぼ完全に自らの支配下に置くことに成功した。 あるいは、(1)と(2)の折衷案。動物の中でも馬の飼育は狩猟民によって、羊、山羊は中央アジアの半農半牧民によって始められた。そしてこの両者が婚姻や交易で結合することによって両方の技術が融合し遊牧民が成立したという説。
マサイ族マサイ族 トナカイの群れトナカイの群れ ベドウィンベドウィン サーミ―サーミ―(トナカイ遊牧民)
でも、旧石器時代の人類の生き方を見ると、遊牧の起源はもっと古そうだ。大型動物を追って生活するうちにこれらの動物達をうまくコントロール技術を身に着ける。犬を使ったり、火を使ったりして行動を制限したり、適当に生かしておいて必要な時だけ狩るとか。あるいは、生きたまま囲いに入れて飼う。こちらは牧畜の起源か。
 遊牧民は、基本的に農耕民と比べて独立精神が強く、プライドが高い。彼らの神様(マンモスハンターだったご先祖)の教えを守って、定住生活を拒否しているからだ。ジンギス・カーンは帝王になってからも生活はテントのままだったらしい。
いまでも、世界には遊牧生活送っている人たちは大勢いる。モンゴルやカザフスタン、ウズベキスタン、中東でラクダを飼育するベドウィンもそうか。アフリカのマサイ族は牛、北方でトナカイを追って暮らしている人もいる。これらの人達にとって現在の世界は暮らしにくい。国と国の境の国境なんて言うのも邪魔だ。そもそも国に何かを頼る訳ではないのでろくに税金も払っていない。どの国の政府も「君たち定住しなさい。」と言う。「何言っているんだ。歴史的には俺たちの方がずっと以前からこういう暮らしをしているんだ。新参者にとやかく言われる筋合いはない。」
 遊牧生活と言う生き方、なかなか面白く味がある。今後の人類の将来を考える上で色々なノーハウが詰まっているかもね。都市生活者の中にも「都市ノーマッド」等と自称して定住を拒否する人たちもいるとか。それって、ホームレスのこと??(nomadとは遊牧民のこと)。

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アナサジの遺跡

アナサジ1アナサジ遺跡 アナサジ2アナサジ遺跡

古代プエブロ人は、アメリカ先住民文化を残した人々。現在のアメリカ合衆国南西部のチャコキャニヨンに遺跡が残されていて調査が行われた。スペインの探検家がたどり着いた時には、木の生えていない砂漠の中に巨大な多層階の住居跡が残されてた。彼らの出現の時期は紀元前1200年頃ではないかと推定されている。
プエブロ(スペイン語)は、メキシコ北部とアメリカ合衆国南西部、特にニューメキシコ州やアリゾナ州に残るインディアンの伝統的な共同体、集落を指し、またそこに住むインディアンを集合的に呼んだ言葉。現在およそ35,000人のプエブロ・インディアンがいる。住宅はアドベと呼ばれる今でも使われている一種の日干し煉瓦でつくられている。
アナサジ文化とは、プエブロ人(アメリカ・インディアン)の祖先と考えられる人たちが作り出した先史農耕文化で、乾燥した山間部地方で、トウモロコシ栽培を主とする農耕を営んでいた。紀元前300年ごろから紀元後1700年ごろまで続いた。巧みな籠(かご)細工で知られる前半のバスケットメーカー期から、切石造りの大建造物に特色のある後半のプエブロ期へと発展した。
しかし、古植物学という古代の環境を推定する研究から、実はこの先住民が住み着いた当時は緑豊かな森に囲まれた土地であったことが分かってきた。でも、科学者たちはどうのようにして当時の花粉や植物繊維を手に入れたのでしょうか。一つの方法として、どこにでもいそうな小動物が作る地下の「溜め山(ためやま)」というものを発見したんだそうです。齧歯(げっし)類というネズミの仲間の中には食料を一か所に備蓄する生き物がいて、このため山が50~100年位で放棄されるらしい。でも、ため込んで残された食料がその後、格好の保存状態で残されているのだそうだ。チャコキャニヨンではバックラットというげっ歯類が遺物を残してくれたのだそうだ。学者たちは放射性炭素法で年代測定をして、森林の花粉がいつ頃のものかを測定すればその時代の環境が分かるということです。
農業を行うことで過密になった集落の人々は、森林を切り払い、水資源や農地を乱用することで、結局自分たちの生活環境を自ら破壊し、自分たちの文化を見捨ててしまったようです。

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青銅器の時代

銅鐸 人類が石器から進歩して、最初に使うようになるのが、青銅器。青銅は銅と錫の合金を指すのですが、何故最初から合金を利用して、銅そのものを使わなかったか。それは、多くの銅鉱石は錫を同時に含むので自然に青銅が得られたようだ。銅と錫を分けるにはより高度な精錬技術が必要だから、当然の結果だ。最初の青銅器は、紀元前3000年頃、初期のメソポタミア文明であるシュメール文明で発明されたらしい。イラン高原は、銅と錫、燃料の木材が豊富であった。そのころの中東は、森林があって、今みたいな一面の砂漠ではなかったらしい。今の中東が砂漠地域になっているのは、農業と金属生産(主に鉄)に伴う自然破壊と文明の崩壊の結果だろう。

「青銅」は、本来は、錫を含む銅合金の意味だが、錫の含有の有無にかかわらず銅合金一般の代名詞(アルミニウム青銅・マンガン青銅・シルジン青銅等)としても用いられる。また、多くの銅鉱石は錫を同時に含むので、産地によって錫などの配合比が決まっており、また錫と同時に添加されることの多い鉛の同位体の比率が産出鉱山ごとに異なるので、分析によりその原産地を推定できるらしい。要は自然にある鉱石をそのまま利用したのだろう。

青銅といえば緑色と思われがちだが、本来の青銅は黄金色や白銀色の金属光沢を呈し、古代において金銀に準じる貴金属として利用されたようだ。銅鏡の反射面は使用時点では、白銀色に輝いていたようで、弥生時代の国産鏡では、錫の含有量を意図的に下げ、黄金色に鋳造し太陽を模しと考えられるものもあるらしい。
【青銅器時代】
青銅は、適度な展延性と、鋳造に適した融点の低さ、流動性のため、鉄が普及する以前は、もっとも広く利用されていた金属であった(というより他に選択肢はなさそうだが)。その時代は、鉄が、銅よりも安価かつ大量に供給されるようになるまで続く。金属の融点と硬度はほぼ比例するので、青銅は鉄と比べて硬さや硬度でははるかに劣る。鉄と比べての利点は、加工性に優れて錆びにくいことがあげられる。鉄の生産のためには、より高温を得る技術が必要だっため、そのハードルを越えるまでは青銅が主役とならざるを得ない。

しかし、鉄は銅よりも採掘可能な量が多く、その結果、青銅より安価に製造できるようになり、金属が貴重品としての祭器から普段使う農具や兵器にも利用されるようになって、青銅は金属としての主役の座を降りることになる。
技術の歴史から見ると、人類がいかにして高い温度を作ることが出来るか。技術∽高温技術の関係が見られそうです。低温には絶対零度という限界があるけど、高温のほうは限界がないようで、現在の挑戦は、地上で核融合の利用を実現することかも。原発(これは核分裂)なんかでゴチャゴチャやってる場合ではない。

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長老支配の起源

人類の遺伝的な性質は、基本的には約7万前にアフリカを出発する前に、すべて決まっていしまっているらしい。人間は総てホモサピエンスという同じ種で全く対等だ。その特徴は、文法と論理をもつ言語を獲得したこと。それが、その後の飛躍的な発展をする要因となった。世界には、髪の色、皮膚の色等の違いで、色々な人種がいるが、これもダーウィンが主張した「性淘汰」で説明できる。つまり生まれ落ちた時点では、人は1万年前の縄文人も宇宙船の中で出産された赤ん坊も全く対等ということです。後は、育った環境と学習によって、はじめてその人の個性が作られるという訳です。
oden   ところで、人は高齢まで生き続ける極めて不自然な生き物です。すべての動物たちは、結婚して子孫を残すと役割を終えて死を迎えます。一部の動物達は、子供たちがある程度成長して独り立ちできるまで子育てを行います。子供たちの成長が終わるまで、死なせてもらえない。でも、人の場合は例外的に長い。長生きすれば孫や曾孫、場合によってはやしゃ孫??なんていう人もいたとか。この、人が長寿だという遺伝的な性質は、ホモサピエンスの特徴ですから当然、自然淘汰の結果得られた有利な性質と考えるべきでしょう
狩猟採集民の観察からは、出産を終えた母親は、子供を集団の他の成員に預け、従来の仕事に戻ります。子育ては専門家集団がまとめて行う。特に閉経を終えた女性がリーダー格で率先して子育てに当たっていたのでしょう。人の先祖たちはずっとこのようにしてきたようです。最近の医学の研究で、女性が出産するとき、出産の前後で脳から出るホルモンが変化するそうです。NHKの番組でも言っていた記憶があります。人間は集団で子育てを行うことで環境の激変を乗り越えてきたようです。
ところで、人の人生は学習の連続です。育児だって学習です。人類は、言葉を使うようになって道具を進歩させたようです。学習の結果は、集団内の構成員が互いにコミュニケーションを取り合うことで急速に進化するはずです。まさに、言葉は神の力「言霊」です。そして学習の結果が知恵。知恵が貯えられるのはまさに、老人の頭脳の中です。
こう考えれば、人の男も女も長寿であることは、社会集団全体にとっても大変望ましいこと。でも、厳しい環境の中で長寿を全うできるのは限られた数の人達だったでしょう。だから、昔の人達は、老人を特別な敬意をもって大切に扱ったのは、自分たちのため。当然のことだ。老人たちもそれに答えて知恵で報いる。喧嘩やもめ事の仲裁。話し合いのとりまとめ。これは現代社会で言われる「長老支配」とは、全く次元の異なる話ですね。
今の、社会では老人に希少価値は無い。極端に言えば掃いて捨てるほどいる。特別な敬意や尊敬を持ってもらえる老人は限られている。西欧型の世界観では、老後の生活は「余生」。ハッキリ言って、今の社会は老いることに価値を見出さない。人の長寿は遺伝的に与えられた。それによって人は厳しい環境を乗り越えてサバイバルして来た。老人に生きがいと活躍の場を与えない高齢化対策は、自滅への道と心得ねばなるまい。

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文字の歴史

言葉の歴史は、ホモサピエンスがアフリカ大陸を出発し、全世界に拡散する前に存在したことはほぼ明らかになっている。ただ、言語は、人が集団で暮らせばその集団毎に独自の言語が発達するので、最初から複数の言語が存在していたことはほぼ明らかだ。 それに比べ、人が文字を使うようになるのはかなり後で、現在でも狩猟採集民族の中には自らの言葉を表す文字を持たない人たちは多数存在している。例えば、日本でもアイヌの人達は、話し言葉だけで文化を継承してきている。一方、世界の貧しい国々の多くでは、識字率が大変低く、文字の読めない人たちが今でも沢山いるという事実も忘れてはならない。そもそも文字がなくても、日常の生活にはさほど不便はない。ただ、現在の科学技術には文字がなければ成り立たなほど必要な道具でもある。
文字   文字   文字   文字
四大文明は総て独自の文字を持っている。上の図は左からメソポタミアの楔形文字、エジプトの絵文字、インダス文字、漢字だ。米大陸でも独自の文字を発展させている。左はマヤ文字。キープのように縄に印をつけて並べたものも一種の文字と言えるのかも。
文字   文字
文字の起源もまだよく分かっていなことのようだ。起源の話をすれば必ず、出てくるのが単一起源説と複数同時発生説。ホモサピエンスの誕生はアフリカ発の単一起源説が優勢だ。言語は複数同時、自然発生的に出現したのだろう。農耕牧畜の起源は?、金属器の使用は? 欧米の研究者たちは、単一起源説を好む傾向がある。すべての文明はメソポタミアの肥沃な三日月の地域から始まったと主張するのだ。
では、そもそも文字とは何か。鳥や動物の鳴き声が言語と言えないように、記号の羅列で文字とは言えないだろう。言語は、文字、単語、文、文法体系から出来おり、更に重要なことはそれが論理と密接に結びついていることだ。
絵でも、いくつかの絵を並べるとそこにはストーリーができ、新しい情報や意思を表明することが可能になる。これを簡略化していけば絵文字が誕生する。単純な記号でも集団内の合意があれば、これも新しい文字と考えられるかも知れない。 しかし、文字の発明が人類の歴史に大きな影響を与えるようになるには、文字が話し言葉を文章として補完し、しかも保管に便利な道具とならないと単なる支配者の権威を示すだけの物にしかならない。
お隣の朝鮮半島では、ハングルという文字が独自に発明された。1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が「訓民正音」(훈민정음)の名で公布した。しかし、この文字は日本が朝鮮半島を占領するまではほとんど使われなかった。何故なら朝鮮半島の支配者たちは庶民が文字を読み書きできるようになることを好まなかったから。一方の日本では、平安時代に仮名文字が発明される。こちらの方は成立の過程は今一つはっきりはしないが、仮名文字はどんどん普及し、江戸時代の末期には、日本は世界でもトップクラスの識字率を誇っていたという。 最古の文字は、日本人から見れば中国で発見された甲骨文字であろう。少なくともメソポタミアで使われていた粘土板の楔形文字が、中国に伝わって漢字になったなんていう説は信じようがない。おそらく、文字は世界のいくつかの地域で個別に発達したんでしょう。しかし、文字体系はどうも自然発生的に成長はしないようだ。どこかの地域で文字が使われていることが分かれば周辺の地域はそれをそのまま借用するのが最も手っ取り早い。でも、元になる言語が異なれば、当然それに合わせて独自の改良が付け加えられる。日本では仮名が生まれ、大陸の西側では、フェニキア文字、ギリシャ文字、ローマ字等いろいろな文字が誕生している。アメリカ大陸でも独自の文字が発達している。

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微生物が人類の歴史を決める

天然痘
ダイヤモンド博士の著書『銃・病原菌・鉄』において、ヨーロッパ人が新大陸の文明を滅ぼした最大の原因は、ヨーロッパ人が旧大陸から持ち込んだ病原菌であろうと推測し、インカやマヤ以外の北米大陸のインデアンたちも病原菌によって急速に人口が減少しているという事実をもとに、説明している。確かに、白人達が持ち込んだ銃や火薬、馬と言った技術の力は大きいだろう。しかし、技術というものは比較的簡単に受け入れられるので一つの文明の崩壊までには至らないのではないかとも考えられる。スペイン人たちは意図したかどうかは不明だが、生物化学兵器を使った歴史的なジェノサイドを行ってしまったようだ。
しかし、この仮説はどうももっと普遍的に拡大され、人類の歴史更には生物の進化にも病原菌としての微生物が大きな働きをしているようにも思われる。
大仏 日本の歴史では、仏教の伝来の頃、蘇我氏と物部氏がその受け入れを巡って争う。ちょうど朝鮮半島の動乱期で沢山の難民が帰化人として日本にやって来る。船を仕立ててやってくる人達だから、当然政権についていたエリート達で武器も技術も持ってくるはずだ。帰化するための土地をくれということだ。その時に、技術や仏教の他に大陸から疫病も持ち込んできたようだ。動乱期の朝鮮では食料も不足し体力が弱って来るので疫病が蔓延していたのでしょう。そのことも日本へ脱出する要因でもあったのでしょう。
微生物は本来、宿主と共生することで子孫の繁栄を図る。だから大抵の病原菌は時間の経過とともに受け入れる人間側にも免疫がついてきて、病原菌に対する抵抗力がつく。だから、たいていの場合、帰化人たちの方が現地の人達より持ち込まれた病原菌に対する耐性があり、生き残るチャンスが多くなる。結局、仏教は受け入れられ、大量の帰化人たちが日本人として同化することになってしまった。
同じような経過が何度も繰り返されてので、日本人の先祖は縄文人と弥生人の混血で、やや弥生人の系統が強くなったのでしょう。
ひょとしたら、ネアンデルタール人クロマニヨン人の接触もそんなものだったのかもしれませんね。アフリカを出たクロマニヨン人達は、今までの人類と比べて集団の規模が大きくなってきたと考えられています。集団の規模が大きくなり、食事や排泄を共にするようになると新たな病原菌が発生するようになります。ただ、このような被害が連続しているうちに人々に段々耐性がついて来るようになります。 ネアンデルタール人とクロマニヨン人の出会いは、今まで想像されていたような狩りの場所を巡っての敵対関係ではなかったのかも。最近の遺伝子レベルの研究では、多少の混血もあった関係が指摘されています。ただ、比較的小さな家族単位で生活していた人たちの中に集団生活の中で強化された強力な病原菌が感染したら彼らアッという間に犠牲になってしまうでしょう。
農耕民と狩猟民の間にもこのような関係があったかもしれない。農耕民たちは集団で一箇所に定住し、お互いの病原菌を分け合って生活しています。場合によっては家畜の菌も一緒かも。狩猟民達は、食料が調達可能なうち手間のかかる農耕などするはずがない。特にモノカルチャー農業は、栄養価の点からも問題が多い。だから、農耕民とは物々交換程度の接触で農作物を手に入れようとしたのでしょう。人が接触すれば当然、病原菌も感染する。狩猟民達は、耐性が無いのであっという間に社会が崩壊してしてしまう。生き残った彼らは考えるでしょう。何故、我々は絶滅して、彼らは生き残ったのか。やはり農業をやる方が良いのだろう。先ほどの仏教の例なら、何故仏教を排斥しようとした我々が疫病で死に、仏教を信じている帰化人たちが生き残っているのか。やはり、仏教はいいものなんだと思ったかもね。
確かにそう考えたようで、仏教は日本では国家鎮護のための道具になる。東大寺の大仏建立も疫病が広がる(天然痘ではないかとの推定も)のを食い止めるだったとか。
剣歯虎 剣歯虎 剣歯虎 剣歯虎
病原菌が生物の進化に多大な影響を与えてきたのは、どうも一般的な法則として成り立ちそうだ。哺乳類の進化を見てみよう。哺乳類は大きく分けて、有袋類と有胎盤類の二つがある。共通祖先と考えられる単孔類等の例外もあるが。有袋類は、現在はほとんどオーストラリア大陸だけにしか見られず、象もキリンも有胎盤類だ。しかし、南北アメリカ大陸がまだパナマ地峡でつながっておらず、別の大陸だった頃、南米大陸は有袋類の王国だったことが分かっている。有胎盤類とほとんど同じ形の有袋類が闊歩していたわけ。パナマ地峡が繋がると、南北両大陸の動物たちが互いに反対側に拡散していく。その結果、有袋類はオッポサムのような一部の例外を除き、ほとんどが絶滅する。 上の4枚の絵の左2つはティラコスミルス(thylacosmilus)いう有袋類、右の2つはスミロドン(smilodon)、いわゆる犬歯虎のもの。ティラコスミルスに限らず、ほとんどの有袋類は絶滅の憂き目にあってしまう。多分ティラコスミルスは北からやって来た美味しそうな有胎盤類の動物たちを沢山食べてその時に一緒に病原菌も摂取してしまい、しかも耐性を持たないため簡単に絶滅してしまったのではないか。
この事実をダーウィン流の適者生存で説明できるのだろうか。これも有胎盤類と有袋類が保有していた病原菌同士の戦いではなかったのだろうか。有胎盤類はユーラシア大陸の広い地域で進化したので種々の病原菌に対してもそれなりの耐性を獲得していたのに対し、有袋類は比較的孤立した大陸で進化してきたので、有胎盤類が保有していた病原菌にやられやすかったのかもしれない。卵生の鳥類が特に不利益も被らずに進化してきたことをみると、有袋類という子育ての方法が生存にさほど不利とは思えないのですけど、いかがなものでしょうか。
病原菌の影響は互いの種族が時間的に長期に渡って隔離されているほど大きい。新大陸への旧大陸の病原菌の侵入がこれほど破壊的な威力をもたらしたとすれば、有袋類への有胎盤動物の侵入やネアンデルタール人社会へのクロマニヨン人(新人)の侵入は更に破滅的な影響があったのでしょう。

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商業の歴史

商業という言葉のもと、商はもともと古代中国の国の名前から来ているらしい。4大文明発祥の地、中国で最初に知られている国は殷(いん)という国。殷(拼音: Yīn、紀元前17世紀頃~紀元前1046年)これは殷墟の発掘調査から実在したことは明らかとなった。伝説では、殷の前には夏(か)という国もあったとされている。殷の人々は、自らの国を商(しょう)と呼んでいた。紀元前11世紀に周という国によって滅ぼされた(殷周革命)。殷墟から出土した甲骨文字には、王朝名および「殷」の字は見当たらないが、周は先代の王朝名として「殷」を用いたとある。殷後期の首都は出土した甲骨文字では「商」と呼ばれたらしい。
周によって国を追われた商の民は、その後、自分の国を持つことが出来ず、各地を流浪する民となり、その人たちが生計の手段として商業を起こした。だから、商業を営む人たちを商人というとのことだ。
生活に必要なものを互いに交換し合うという行為は、人類の歴史の中では更に昔にさかのぼることが出来そうだ。縄文人の遺跡からは、その地では取れない貴重な石なども見つかっており、相当広い範囲で文化的な交流があったことも分かっている。糸魚川のヒスイ(翡翠、jade)や固い石器が出来る黒曜石、縄文土器なども製作を行う専門家集団がいて、取引の重要な手段となっていた可能性もある。
商業という行為は、非常にハイリスク、ハイリターンな行為である。しかし、歴史を見れば商業に成功した民は皆豊かであることも事実だ。また、互いに必要な物を交換し合うという行為は、当事者同士から見れば満足がいくものでも、地球環境から得られる資源の分配という観点から見れば、大変不公平で不平等なものでもあるようだ。例えば、あなたの集落の近くの河原で貴重な石(例えば、翡翠など)が発見されたとしよう。これを自分の家に飾っておくだけでは何の富も生まない。しかし、これを近隣や更に遠隔地で売り裁くことが出来れば、収穫した分を全部富に変えることが出来る。畑仕事など馬鹿らしくてやっていられない。そして、このような資源は枯渇するまで取りつくされてしまうでしょう。しかし、目先の利く商人なら、得られた富を資本に今度は別の商品を開発できるのです。富が富を生む。資本主義の原点がここにあるわけです。農業は集団内の格差を生むが、商業は集団間の格差を助長する可能性があるわけです。

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有史以前


歴史時代とか有史時代とか言う言い方がある。あまり感じのいい呼び方ではない。一般的には、文字が成立し、文献資料によって歴史事象を検証することが可能な時代を指し、それ以前は先史時代というのだそうだ。世界にはいまだに文字を持たない人たちもいるし、文字というものが文明にとってそれほど必然的なものでもなさそうだが。インカ帝国にみられるように、文字文化のみられなかったところでも天文学や建築技術など他の分野が高度に発達した例もみられ、また結縄のような文字によらないコミュニケーション・記録方法もある。要するに、歴史を学ぶ上でかなり古い時代と一括してくくった分類としておきましょう。

2万年以上前に遡ると、ネアンデルタール人とかデニソワ人なんて、現生人類の親戚だけと、どうも絶滅してしまったらしい人達の歴史も考えないといけない。あるいは若干ながら現生人類にも遺伝子が引き継がれているかも知れない。クロマニョン人というのは後期旧石器時代にヨーロッパ、北アフリカに分布した化石人類なのですが、これが現生人類と全く同じものかどうか。とりあえず、今地球上に生活している人類は新人、ホモサピエンスとして皆同じただ一つの種であるとされています。2万年前以降は新人の文化と考えて差し支えないようです。アフリカで誕生して、7万~4万年頃ユーラシア大陸に進出してきた新人は、強力な伝染病も一緒に持ち込んで先住民を絶滅させたという可能性(進化論における細菌兵器仮説)も否定できない。 2万年前から1万年までには、いろいろと文化の発展が目立ってきます。ほぼ、紀元前200世紀~紀元前100世紀となります。新人達は世界各地の洞窟に洞窟壁画を残しています。アルタミラ、ラスコーの壁画は有名。どちらもヨーロッパのもの。
   地図
1万2000年前の日本では、縄文土器が出土しており、今のところこれが世界最古の土器と認められている。土器というものは適切な粘土材料を確保し、高度な細工を施し、高温で焼き固めるなど高度な技術が必要であり、そのための専門家集団が存在したことを示唆している。洞窟壁画もかなりの高度な技術が必要なのかも知れない。 日本列島がいつから文字文化をもつようになり、文字社会に入ったかについては、多くの議論があるが、おおむね古墳時代(3世紀中頃から)が日本の先史時代と歴史時代の境となるらしい。文字そのものは弥生土器に墨書・刻書されている漢字、日本に関する中国の記録として、前1世紀の『漢書』「地理志」などがある。人類史としては、初めて文字が発明されたのは約6,000年前と推定されている。 人類は紀元前150世紀(約1万5000年前)には南米のチリまで到達していたことが判明しており、各地域の文明の格差というものはさほど大きくなかったのではないかと推定されている。
チャド共和国 先史時代の岩絵がアフリカのチャド共和国(ンジャメナ(N'Djamena))でも見つかっている。紀元前50~20世紀のものらしい。この洞窟が見つかったチャド北東部は今はサハラ砂漠だけと、絵が描かれた時代は緑豊かで多様な動物がいたのだろうと推測されます。このような壁画はアフリカ、アジア、オーストラリア、南北アメリカと世界中に分布しているようで、、美術品としても価値が高そうだ。

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紀元前10世紀まで


縄文の大集落とされる青森県の三内丸山遺跡は紀元前5000年頃と推定されているので、紀元前50世紀頃だ。最盛期には5000人ぐらい住んでいたと推定されている。都市とは言えないかもしれないけど。
時期的には、世界の4大文明が含まれる。ティグリス・ユーフラテス河に囲まれた肥沃な三日月地帯に都市文明を形成するのが紀元前3500年頃。紀元前35世紀。エジプト文明(BC27世紀頃)、黄河文明(BC50世紀頃)、インダス文明(BC27世紀頃)と世界各地で都市文明が発生する。何故このような文明が発生したのかは興味のあることだが、石の建物の遺跡しか残ってないので多くの謎に包まれている。黄河文明と並行して長江文明というのもあったことが判ってきた。これらの文明に共通する特徴はいずれも大河の流域。つまり、大規模な灌漑農業の発達と関係がありそうだ。基本的にはイネ科の植物、多分小麦と米だ。長江文明だけは稲作が主体ということがはっきりしている。他の4大文明は小麦だ。これらの文明とは別に新大陸ではトウモロコシやジャガイモを主とした農耕が起こる。農耕→都市国家→巨大帝国と言った流れがなぜ起きたのかは解明したい。

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反穀物の人類史

朝日新聞で見た本の紹介から。まだ、読んではいません。著者によれば、わたしたちはとかく「農業の優越性」を信じてしまいがちだ。すなわち、(当時の世界では)農業こそが抜群にすぐれた生業戦略だったと。「ひとたび農業が生まれると、人びとは待ちかねたようにきっぱりと移動を捨てて、定住生活を始めたのだろう」とそう考えてしまう。でも、そう簡単には考えられない。未だに世界には狩猟採集民もいる。縄文文化は1万年以上も続いてから稲作モノカルチャーに変化する。

確かにそうした考えは「神話」というべきものだ。まず、いまや多くの文献で指摘されているように、初期の農業は人びとに栄養面でむしろマイナスの影響をもたらしている。初期の農民と当時の狩猟採集民の骨を比較すると、じつは前者のほうがよっぽど厳しい健康状態にあったことが判明する。縄文人の方が弥生人より健康で文化的な生活を送っているようだ。だから、むしろ事実は反対で、「人口圧がかかるか、なにかのかたちで強制されないかぎり、ほとんどの環境では、狩猟採集民が農業に移行する理由などない」ことになる。

通常、人類の定住と穀物栽培の開始が、国家の誕生を促したと考えられている。「国家誕生のディープ・ヒストリー」を論じた本書は、第一に、そのような定説を否定する。例えば、最初に発見された作物栽培と定住コミュニティの遺跡はおよそ12,000年前のものであったが、メソポタミアのティグリス川とユーフラテス川の流域に見いだされた最古の国家の遺跡は、紀元前3,300年ごろのものだ。つまり、作物栽培が始まってから、国家ができるまでに4,000年以上もかかっている。なぜか。

 そもそも、人類は定住しても本格的な農耕には向かわなかった。それが重労働であったからだけではない。さまざまな疫病、寄生虫など多くの障害をもたらしたからだ。実際、最初期の国家の大半は、疫病や黒死病のような流行病によって崩壊した。それに、人々が定住しても狩猟採集を続けたのは、そもそもそれが可能な場所を選んで定住したからだ。また、狩猟採集をしているかぎり、人口が増えすぎることはなく、トラブルが生じても、すぐに移動できた。

 要するに、定住そのものは、農業の発展も国家の形成ももたらさない。むしろ国家の形成は、「反穀物」、つまり穀物栽培への抵抗によって阻まれてきた。穀物栽培が大規模化したのは、国家が生まれ灌漑がなされてからだ。ならば、国家こそが「農業革命」をもたらしたというべきである。つまり、国家が生まれることで農業が生まれた。従来の発想とは真逆だ。では、何が国家をもたらしたのか。コペルニクス的発想の転換が必要だ。

ただそれにしても、農業という基盤なしに定住はどうやって可能だったのか。その点の理解を促すべく、続けて著者は、メソポタミア南部沖積層に出現した最初の大規模定住地のイメージを示す。そのイメージは、わたしたちの固定観念を覆すものであり、読者を心の底からワクワクさせてくれるものだという(本当にそうかどうかは??)。
湿地と最初の大規模定住地
ウバイド期(紀元前6500年〜3800年)の早い段階で、ティグリス=ユーフラテス川流域にはいくつかの大規模定住地が出現している。それらに関して重要(かつ驚き)なのは、「乾燥環境ではなく湿地帯で発生した」ことと、「そうした定住地が生業のために依存したのは、圧倒的に湿地の資源であって、穀物ではなかった」ことだ。
縄文遺跡ならまず目につくのは、貝塚だ。うず高く積まれた貝殻を見て、彼らが生活の糧を米に頼っていたことは想像することは出来ないでしょう。農業ではなく漁業か。
ふたつの大河に挟まれたエリアは、現在、そのほとんどが乾燥地帯として知られている。だが、ジェニファー・パーネルらの近年の研究にしたがえば、当時のペルシャ湾の海面は現在よりはるかに高かった。他方、当時の沖積層は(年々の堆積物が重なる前のことゆえ)現在の水準より10メートル以上も低かった。それゆえ、当時は大幅な「海進」が起こっていて、「ペルシャ湾の水は、今はずっと内陸にある古代ウルの門前を洗い、満ち潮になれば、塩水が北に広がってナーシリーヤやアマーラまで達していた」。どうも貝類のようだ。日本以外にも貝塚は沢山発見されるのでしょうか。まだ、本のほうは読んでないので分かるのはここまで。でも、この仮説は定住化を可能にしたのは農業だけでないということ。

国家の形成が農業に不可欠なら、国家の形成の仕組みを知らねばならない。それに関しては、古代社会で国家を可能にしたのは奴隷化ではないかという仮説を提案する。奴隷は氏族社会の段階からあったようだ。それは部族間戦争の捕虜でもあった。そのような奴隷は、モーガンが『古代社会』で注目したように、北米の部族社会にもあったが、それは国家の形成にはつながらなかった。部族社会のたえまない争いは、逆に国家の成立を妨げたのだ。
 スコットは奴隷をより幅広い意味で捉えた。通常、奴隷制というと、古典古代(ギリシアやローマ)の社会が例にとられる。一方、それ以前にメソポタミアに成立した「アジア的専制国家」については、奴隷制の印象が薄い。しかし、そこでは、都市国家間の戦争の結果として、捕虜が生じたが、彼らは奴隷にはならず、臣民として受け入れられたのである。また、征服されたコミュニティ全体が強制的に移動されたりもしたが、彼らも臣民となった。のみならず、古代の国家では、ウェーバーが指摘したように、国家機構の要にある官僚も、宦官(かんがん)や奴隷であった。その意味で、国家は人民の隷従化、すなわち「臣民」の形成によって生じたといって良い。

奴隷とは何か。戦争の捕虜の場合、最初は敵方につかまった味方の捕虜を交換する目的があって生かしていたのだろう。さもなければ殺されてしまう。しかし、生かして置けば食料を消費してしまう。でも、逃げられたら食料を与えた分だけ損だ。だから自由は拘束する。しかし、奴隷の方も自由を奪われても逃走さえ企てなければ食料と安全は確保される。貧しい生活なら奴隷の方がましかも。奴隷を使う方も食料や生活の費用以上に働いてくれれば、経済的にメリットが大きい。奴隷の中にも能力の格差がある。ギリシアでは家庭教師や医者をになう奴隷すらいたとか。でも、大勢の一般奴隷は、特に知識や技術で食べて行くことは不可能だろう。必然的に農作業、土木工事、兵隊といった、監督の指示のもとに絶対服従で出来る仕事に就くことになる。奴隷が増えて来ると奴隷を使う側も大変だ。奴隷を食わせて行くために、常に農地を拡大したり整備したり、支配階級側も官僚制難度の組織改革が求められ、国家が成立するということか。

奴隷という言葉は、イメージが悪いが、一般民衆と言い直しても同じだろう。日本でも律令制度の口分田、土地は国の物、鉄製の農具も国の物、収穫物も国の物、農民は労力を提供するだけだ。ということは、よく考えれば、現代の社会のサラリーマンも同じではないか。会社に通勤し、会社の指示のもとほぼ絶対服従に近い形で労働する。いわゆる「社畜」と言われる一種の奴隷だ。サラリーマンは給料をもらって働く。現在の若者達だって同じだ。自立して起業するよりも、パートでも派遣でもいいから社畜となって働くことを望む。つまり、奴隷とは自ら選択してなる場合も多いということだ。ここで言う奴隷は一種の商品になっている。

縄文時代が終わって、弥生時代が始まると、各地の小王国のリーダ達は互いに戦争を行うようになる。これは一種のビジネスと言えるか。土地を増やし奴隷を増やすことが富を増やす手段となるから。 農業は、縄文時代から始まっている。しかし、これは多品種少量生産の家内産業。しかし、弥生時代の農業は、稲作一辺倒のモノカルチャー。多数の奴隷を使うには大量生産による作業の画一化が不可欠。これは産業革命以降の大企業による大量生産にも当てはまる。モノカルチャー農業が国家を成立させ、発展して資本主義が生まれたということだろう。
**注:反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー、著者:James C.Scott 1936年生まれ。イエール大教授。

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ブッシュマン

ブッシュマン サン人は、南部アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族である。砂漠に住む狩猟採集民族は現在では大変少なく現在ではこのサン人ぐらいしかいない貴重な方々のようだ。 かつて3000~2000年前くらいまでは、南部アフリカから東アフリカにかけて広く分布していた。狩猟採集の文化を守っていたため、農耕系のバントゥー族の人々や白人の進出により激減し、現在はカラハリ砂漠に残っているだけ。一時は「地球最古の人類」とも呼ばれいた時代もあったが、近年の遺伝子解析では現生人類の祖先は皆共通だ。

人口は約10万人。言語はコイサン語族。言葉を構成する音素は世界最多の200以上であり、世界一難しい言語と言われる(日本語の音素は21・英語の音素は46)。 かつてオランダ人により Bosjesman(藪の民)と名づけられ、英訳されブッシュマン(Bushman)となった。著しい侮蔑を含む差別用語とされ現在ではサン人と呼んでいるらしい。しかし研究者やサン人自身の中には、「カラハリの叢林に住む自由人」という意味を込めてブッシュマンと呼ぶ人もいる。ブッシュと言う語には何ら差別的意味はないはず。 森の人ならインドネシアのオランウータンやコンゴのボノボ本物の森の人だ。ブッシュは森では無くて藪。平均身長は男子で約155cmと低身長であるものの身長150cm以下のピグミーとは別だ。毛髪は極端に縮れた毛。多量の脂肪組織の蓄積のために後方に突出している臀部が特徴。この特徴も人種的な特徴でなく他の小型の狩猟にもみられる環境的要因の可能性も指摘されているようだ。

**ピグミー
ピグミー ピグミー (Pygmy) は特に身長の低い(平均1.5メートル未満)特徴を持つ、アフリカの赤道付近の熱帯雨林に住む狩猟採集民である。中央アフリカ全体の熱帯雨林を生活拠点としている。ブッシュマンとはどこが異なるのでしょう。こちらはフォレストマンということか。遺伝子解析が進歩した現在、西欧人たちが昔考えた人種の概念は根本的に見直しが必要なようだ。
実際、ピグミーは様々な民族名を持ち、それぞれ異なる言語を話す。つまり文化的にも多様。しかし、その一方で、ひとまとまりの存在だと見なされてきた。一つに小柄という身体的な特徴、もう 狩猟採集生活と言う共通性。しかし、一部の研究者は様々な根拠から、異なる起源を持つ集団ではないかと推測している。熱帯雨林における狩猟採集生活という環境が、自然選択として働いた結果、似たような身体に収斂したとする。だとすると、ピグミーという呼称が意味のないものになるかも。インド(孤島)にもネグリトと呼ばれるピグミーと良く似た人たちが暮らしている。
「ピグミー」と言う語は、一般的には矮小な人種や動物に適用される(たとえばピグミーマーモセットなど)用語である。しかし、類人猿のボノボがピグミー・チンパンジーと一時呼ばれたのは、体が小さいからでなく、ボノボの生息地がピグミー族に近いからだけの理由だ。

**ホッテントット
コイコイ人というのもある。以前はホッテントット(Hottentot)と呼ばれていた。子供の頃図鑑で見たことがある。南アフリカ共和国からナミビアの、海岸線から高原地帯、カラハリ砂漠などに居住している民族。コイコイ人とサン人を合わせた総称として、コイサン族と呼ばれる場合があるらしい。
人類の世界観 今彼らが注目されているのは、彼らがグローバル化した人類の世界観に対して異次元の世界から警告を発していることだろう。実際の彼らの生活は、いわゆる幸福度という基準で計れば現代人の上を行っている可能性が高い。
環境破壊をせずに自然と共生して活きている。格差が無くて比較的平等な社会。必要な分しか労働しない。せいぜい日平均2~3時間程度働くだけ。歌や踊りを歌って皆が平等に楽しく生活しているみたいだ。彼らが周囲の人々の交流を拒否してきたわけでなく、少しずつ生活が変化してきていることも事実。古代エジプトでも彼等との交易の記載がある。自然環境が比較的温和で住みやすく生活スタイルをわざわざ変える外圧が働かなかった可能性がある。実は現生の狩猟民達はほとんど現地の政府によって統制された生活を送っている。その一つは観光であろう。彼等は伝統的な生活を守ろうと思っても、狩猟の場所が畑地に変えられたり、狩猟自体を密漁とされる等、どんどん生活環境が破壊されていく。
また、狩猟民でも若い世代は普段は既に他の人達と全く変わらない現代生活に溶け込んでしまっている人たちもある。だから、今彼らが暮らしている生活自体過去の伝統的な社会とは既に異質なものとなっている可能性も否定できない。月~金はサラリーマン、土日だけ狩猟民何て。

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世界の人口

人類に歴史を遡ると、地球上のホモサピエンスの総数は1万人以下(2000任位??)であったろうと推定されている。どんな生物でもその生存数は地球の環境に制御され、入手可能な食料の総量で決定されるはずである。
アフリカを出た人類は、草食動物を狩ることで氷河時代を乗り切り、しかも世界の隅々まで拡散することに成功した。寒冷な当時の気候は森林が減少し、草地が増えたことから大型の草食動物たちは絶好の食糧確保のニッチとなったことは当然だろう。大型の草食動物達は当時の肉食獣たちにも手だしできないからだ。こうして人類は確実に数を増やしたのでしょう。
気候が温暖になって来ると、近くの森の小動物や川や海の魚、木の実などの食するように食料の切り替えが進められ、定住化が進むとともに、遊牧のような、動物を家畜化するような動きが加速する。生活は平和でより豊かになったようだ。日本で言えば縄文時代。1万年ぐらい続く安定した良い時代だったようだ。
その後、また寒冷化が進み、危機が訪れる。そのころから小麦や稲を中心としたイネ科植物に人は支配されるようになり、権力機構や戦争の規模が拡大していく。その結果人口は増大したか。どうもそうでもなさそうだ。
世界の人口
世界の人口の推移を推定したグラフがある。このグラフを見て、人類は順調に発展して豊かになり人口が増えたと言えるだろうか。少なくとも紀元1300年(14世紀)位までは、人口は漸増だ。ヨーロッパでのベストの大流行までは、ほぼ直線的に増えているのに、それ以降の人口の増加はある意味異常だ。特に2000年以降も全く減速する気配さえない。人間だって地球上の生物の一員だ。こんな人口増加持続可能と考える方が可笑しい。そもそも100億の人口を養うための食糧はどうするのだろうか。
どんな集団も豊かになると人口は増えずに一定になるようだ。人(生物)は将来に不安を感じると子孫を沢山残して絶滅のリスクを減らそうとするものらしい。ということは20世紀以降の人口増加は、食料の増産の効果もあるものの、世界の人達は将来に不安を感じていて子供を産み続けているのかも知れない。

かって、マルサス(1766~1834)という学者が。「人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しないので、生活資源は必ず不足する。」と主張したが、人口が幾何級数的に増加するというのは、どうも産業革命以降の話のようで、それ以前は人口はさほど増えてはこなかったようだ。それまでの社会は生活資源に見合った人口増加をゆっくりとしてきたのが、何故か資本主義社会の発展とともに人口を増やす社会的圧力が強まっているとしか考えられない。このグラフを見る限り今後人口が減少に転ずる気配はないようだ。だとすれば人類は着実に絶滅への道をたどっている可能性が高いことになる。

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マルサスの人口論

Essay on the principle of population, 1826は、世界の人口についてはじめて考察した古典的名著だろう。彼はアダム・スミスと並ぶ古典経済学の泰斗だ。彼の時代には、都市化により貧困な労働者が町にあふれ、食料が不足し、貧困や道徳的退廃の改善の実現が主張されていた時代だ。マルサスは人口の原理を示すことで理想的主義的な革新派を批判しようとしたらしい。
ヨーロッパの人口
上に示したグラフは、ヨーロッパ地域の人口の推移の推定だ。ペストの大流行が終わり、15世紀に入ったころから急に人口が増え始めている。だからマルサスが人口は等比級数的に増えると喝破したのは確かにこの時点では事実だ。
マルサス まず、マルサスは次の2つの自明??と考えられる前提から議論を始める。
【第一前提】食料(生活資源)は人類の生存に不可欠である。
【第二前提】人間、異性間の情欲は必ず存在し止めることが出来ない。
【考察】人口の増加率は生活資源を増加率よりも不等に大きい。
【結論】人口は制限されなければ幾何級数的に増加するのに、人口を養う生活資源は算術級数的にしか増加しない。
マルサスの第一前提は何人も否定できないだろう。ただし、第二前提の方は異論がありそうだ。過去の世界の人口の推移を見ても、人類はそんなに繁殖率の高い生き物ではなさそうだ。ただ、不思議なもので貧困な社会ほど子供の出生率が高いという、豊かさと人口増は反比例の関係にあるようだ。しかし、1800年以降の世界の人口の伸び率は少し異常だ。2000年以降は減少に転ずるとの楽観的な予想もあるが本当のことは分かっていない。
では、次の疑問、生活資源の増加は算術級数的にしか増加しないのだろうか。この場合、生活資源は食料に絞った方が良い。
農業生産力は、新大陸の発見以降相当大きな進展があったようだ。農薬、殺虫剤、化学肥料、トラクターのような農業機械。これらは戦争の技術とも大いに関連があり戦争に明け暮れたこの時代に大いに進歩した。また、アメリカ、カナダ、オーストラリアと穀物生産の土地もいくらでも開拓できた。つまり、農業生産力が一気に加速したわけだ。果たしてこの傾向が今後も続くかどうかはまだよく分かっていない。
現状では、世界の人口はいまだに増え続けている。このまま、世界に人口が増え続けると、食料生産が追いつくのかどうかは、今のところ分かっていない。人類に破滅を予言するマルサスの考察は現在でも現実味を失っていない。
【追記】
第二次世界大戦が終わるまで、世界の列強の国は皆食料の不足を心配していた。食料の心配が必要ない国は、新大陸のアメリカと世界に植民地を持つ英国だけ。ドイツや日本が排他的で自己中心的な行動に走ったのは、マルサスの人口論の影響が大きかったためもあるのでしょう。

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日本の人口

世界の人口推移、ヨーロッパとの人口の推移とみて来れば、当然日本はどうなんだろうとの疑問がわく。基本的には19世紀後半から急速に右上がりのグラフになっている点は同じだ。ただ2000年以降はあくまでも推定値。こんなにうまく人口が減るなら世界の人口問題なんて簡単に解決しそうですが。
ヨーロッパの人口
人口が増減するのは必ずその原因があるはずだ。このグラフでは、江戸幕府が成立して100年少しの間、人口が急に増えている。人口が増えた背景には必ず食料の増産があったはず。徳川政権の江戸の開発で耕地面積が大幅に増えたのが原因かも。次は明治維新以降だ。この時代の食料生産の事情はどうなのだろうか。都市化が進み、農民以外の人達に大量の食糧を供給する必要がある。不足した食料を輸入に頼るのも難しそうだ。ただ、農作物の商品化が進み、農民のもやる気が向上したということもありそうだ。何らかの食糧生産の革命的な変化起こったに違いない。

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可笑しな進化論

チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin 1809年~1882年)と言えば、誰でも知っている進化論の提唱者。進化論の提唱から今日では生物学者と一般的に見なされる傾向にあるが、自身は存命中に地質学者を名乗っていたそうです。進化論は、西欧社会ではなかなか認められなかったようでダーウィンも大変苦労したようです(晩年の肖像画は10歳以上高齢に見える)。
ダーウィン これが日本の社会なら簡単だったでしょう。「確かに、ヒトとサル、良くにてはりますな。」「うちは熊田だから、きっと先祖は熊だ。猪木さんとこは、猪だね。」「神が自分に似せて人を造った。それは当然だね。人が神を作ったのだから。犬の神様なら当然犬の形さ。」。簡単にブームになってしまうでしょう。仏教では、輪廻思想もあり人と他の動物を厳然と区別する発想はありません。
ところが、西欧社会では人とサルが共通の先祖を持つという概念が頭から拒否されたわけですね。旧約聖書に書いてあることだけが真理。だから、進化論は認めてもらう為に最大の妥協をしてしまいます。進化には一定の方向があり、だんだん高等なものに進化していくという考えです。だから人類は進化の頂点で、万物の霊長と呼ばれるようになったのです。「万物の霊長という地位を神様から頂いた。だから共通のご先祖が猿でも我慢してね。」「自分で自分のこと一番と思っていれば世話ねーよね。かってに神様を造るな。」
ところで、生物は進化してだんだん高等な生物になっていく。ということは、時間を遡れば、最初は単純な生物―例えば細菌のような単細胞。更に遡れば有機物のスープから生物が自然発生したものという考えは自然です。ちょうど、宇宙が膨張していれば、宇宙の始まりがあったはずと同じ考えです(ビッグバンとして認められている)。ところがダーウィンの時代は、化石が十分発見されてなかったのです。当時知られていた一番古いと思われる化石は、カンブリア紀の三葉虫の化石です。三葉虫は、原始の生物としては非常に複雑な体形をしています。生物モデルとしては完成品です。「どこをどう改良したら、人間に変わるんだ。」結局、この問題ダーウィンを死ぬまで悩ませ続けたと言われています。進化のメカニズムが説明出来ていないのです。
 良く言われる「適者生存」説。「環境への適者が生き残る」「生き残っているものを適者という。」結局、何の説明にもなっていないですね。それなのに、「生物は進化してだんだん高等な生物になっていく。」という、仮説だけが独り歩きしてしまいます。何が「進化」とか「高等」とは何かといった定義をスッ飛ばして、まるで数学の定理のような地位を確立してしまいます。植民地時代の、白人優勢主義。ナチスやルーズベルトも信仰していた「優生学」。人種差別の根拠ともされてしまいます。  さらに、マルクスも進化論の信者だったようです。人類の歴史は、原始共産制→王政→封建制→資本主義→社会主義→共産主義と、進化していくと考えたようですね。歴史的必然性等という言葉もあったのでは。マルクスを尊敬している人には申し訳ありませんが。「生物は進化してだんだん高等な生物になっていく。」と言う仮説が誤りであったとしたら、歴史的必然性という概念も非常にあやふやなものになってしまうでしょう。
 ここまで、読まれた方もうお分かりと思うでしょう。進化論が沢山の弱点を持っていることが。まず、論点を整理しましょう。まず、「生物は創世記の祭に神が造った。」。これはまず、化石の存在によって完全に否定されています。アメリカには、未だにキリスト教原理主義者達が高等学校で進化論を教えないように運動していますが。今では、46億年の地球の歴史と生物達の変遷は認知されています。これを進化と言えば、生物が進化してきたことは証明済み。
 でも、逆に化石は今までの進化の考えに対し、反撃も加えてきます。例えば、恐竜の存在。誰が見ても恐竜は時代の適者、1億年も地上を支配します。大隕石の衝突が無ければ今頃は知能恐竜が地球を支配していたのでしょうか。最初に現れたカンブリア紀の動物達、どれも複雑な形をしていて環境にもよく適応しています。しかも何度も繰り返される生物達の大絶滅は、進化というものに神によって決められた方向性が無いのではと思わせるのに十分ですね。
では、生物はどのように進化するのか。環境が変わると、そこに住む生物は少しずつ変異していくことは既にダーウィンによって発見されました。でも、それあくまでも同じ種の範囲内。魚が陸に上がったり、飛べない鳥が少しでも羽根の長い方が生存に有利(そんなわけない)でそのうち飛べるようになった。こんなこと適者生存説では説明しきれません。
生物が進化していくためには、親の遺伝子が子に伝わっていかねばならないですね。ラマルクという学者は、親が努力して獲得した形質は子に伝わると考えました。一方、メンデルの発見した遺伝の法則、遺伝子というもの基本的には変わらないようにできているのです。そこで「獲得形質は遺伝しない。」ということが確認されてしまいます。でも、ラマルクの考えが全くダメかというと、音楽家の家庭では音楽家が出やすいなど、ある程度の集団が獲得形質を共有することでその集団の環境を変える、その結果適者遺伝と適者生存が組合わさってその性質が受け継がれていくようなこともありそうです。
遺伝子が変わらないと、基本的に進化は起こらない。ところが、遺伝子には突然変異と言う現象があることも分かってきました。遺伝子のコピーミスです。コピーミスの結果は、たまには良いことがあっても、たいていは生き残ることが出来ません。しかも、もし突然変異種が生き残っても、メンデルの遺伝の法則に従えば、その突然変異は群れの中で多数派になることは不可能です。つまり適者にはなれないでしょう。
 生物界での適者生存という概念も、修正が必要なようです。アダム・スミスの言うような自由競争。食うものと食われるもの。ちょうど需要(肉食)と供給(供給)の関係が成り立ち、草食動物の数とそれを食べる肉食動物の比率は一定になります。だけと、同じ食料を利用する動物どうしの自由競争は、最後は1種だけの独占になってしまいます。生物世界の多様性は著しく失われます。多様性が失われることは環境の変化に極めて脆弱なことになります。
 適者生存の考え方に異を唱えたのが、今西 錦司(いまにし きんじ、1902年~1992年)等の日本生態学者達。「棲み分け理論」です。生き物たちは、戦う代わりに住む場所を分けあう方を選択するのですね。例えば、ライオンは草原地帯を好み、トラは密林を好めば両者は戦わなくて済みますね。パンダやコアラのように笹やユーカリの葉を食べていれば、他の草食動物と競合することは無くなります。牛や羊もイネ科の硬い葉を食べれるようになったので大繁栄したのです。生き物たちは競争する代わりに常に新しいニッチ(住み場所)を求めて冒険を続けて来ました。人類だって氷河期には大型動物を追ってシベリアを越え、ベーリング海峡を渡って、南米の端まで旅をします。もともとは、一つの種でも違った環境に長くいるとどうも遺伝的な性格までも変わってしまうようです。突然変異の遺伝は、集団の中の成員数が小さくなるほど残りやすくなることが分かっています。つまり、絶滅寸前まで成員数を減らした種ほど新たな形質を獲得しやすいということ。ホモサピエンスの先祖もアフリカで絶滅寸前まで数を減らしたのでしょう。人類のもつ細胞内のミトコンドリアはアフリカの一人の女性イブのそれにたどり着くということも、それを裏付けているようですね。また、歴史を見ても時代を変えるような人物は決して多数派からは生まれませんね。絶滅と進化はどうも紙一重なのでは。
 ところで、草食動物の多くは、腸内に微生物を共生させていることが知られています。哺乳類は、基本的にデンプンは消化できてもセルロースは消化できないことが分かっています。つまり、腸内微生物無でしは、パンダもコアラも牛も生きて行けないのです。牛の子供も生まれた時は、腸内に微生物を持っていません。母親の糞を取りこむことで微生物を確保します。総ての動物達は体内に無数の微生物を宿しています。人でも最近腸内細菌の重要性が脚光を浴びていますね。微生物は数も多く、突然変異の確率も高くなります。これらの微生物が生物の進化を促進している可能性も大いにありうることです。
 最後に、人間の遺伝子は類人猿とくらべてもほとんど変わりません。では、類人猿の遺伝子の数が多いかと言うとそれほどでもない。遺伝子レベルで見ると、人の遺伝子は特に高度に進化している訳でもなんでもない。つまり、哺乳類は遺伝子レベルで見た場合、DNAの塩基が少しずつ違っているだけで、基本的には優劣は無いということでしょう。更に、同じ遺伝子を持っていても異なった環境では異なった作用をするなど、一つの遺伝子が複数の作用をする等、新しい知見もどんどん出て来ています。
以上、進化論で言われている進化と、社会一般の認識の進化とは異なっているようです。社会一般で認識されている進化は、どんどん改良され良くなっていくという希望的観測が含まれているイメージのようです。民主化だのグローバル化だのが歴史的必然の流れなのか、チョト環境が変化しただけの一時的な流れなのか良く考えて見て下さい。

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人の先祖はアフリカ生まれ

人類は、原猿類という小さなリスぐらいの哺乳類が進化をかさねて、約700万年の時間をかけて、現在のホモサピエンスにたどりついた。現在、人とされる種はホモサピエンスだけだが、化石からは20種類以上の人の仲間がいたことが分かってきた。いま、類人猿として生き残っているのは、テナガザル、オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボの5種類だけで、ボノボとホモサピエンスとの遺伝子の違いは1.6%程度、人は第三のチンパンジーとされている。宇宙人が地球に来たら、「地球には3種類のチンパンジーがいる。その一つが文明とかいうものを造り出してどんどん増えて暴走している。」という観察をするんでしょう。化石人達も、チンパンジーと共通の祖先から分かれたので遺伝子的な差は1%以下しかないかも知れません。
ところで、人類が生まれたのはアフリカということがほぼ定説になってきました。世界の他の地域からも骨の化石が発見されるのですが、どの人類もアフリカを起源として他の地域に拡散しているのです。アフリカ大陸は、他の大陸と分離されており、また厳しい環境下で何度も種の絶滅の危機をくぐりぬけてきたため、その都度、進化してようやく今の人が生まれたのです。
我々の先祖のホモサピエンスは、7万年前にアフリカの大地で最終進化を遂げたと推定されています。「人類の大躍進」の時代とされています。生体的な最大の進化は言葉を獲得したことと考えられます。火の使用により、固い食料を噛み砕く必要が減ってことから、声帯を使って自由に音を操る能力を手に入れたのです。この進化は年配者の誤嚥性肺炎などを引き起こすなど決して肉体にとってはプラスの進化ではないはずですが、言葉による意思伝達は人類に革命的な変化を生じさせました。この時期に道具の形が急に複雑になります。集団の規模が拡大します。リーダーの在り方が、力の支配から知恵の支配に変わったのでしょう。話し合いで事を決め、役割分担を行う。この能力を確保した後、我々の先祖はアフリカを出て、全世界に拡散していきまう。大型の哺乳動物を追って、シベリアからアメリカ大陸まで、更には海を越えてオーストラリア大陸まで。 人類の種としての進化の歴史は、この時点で終わりを遂げます。いま世界に暮らしている人々は総てホモサピエンスという1つの種で、その意味では全く対等です。人の体は7万年前と遺伝的には全く変わっていません。つまり、生まれ落ちた時の赤子の能力には全く差がない、違いは後の育った環境に違いだけです。

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人類はマンモスを食して生き延びた

 マンモスは、氷河時代に非常にうまく適応して大繁栄した種です。大きな体で天敵もなさそう。何故突然消えてしまったのか従来から大きな謎でした。ところで人類の祖先のクロマニヨン人、すなわち新人が拡散するのがちょうどこの氷河時代。類人猿にとっては食料にもっとも苦労しそうな時代です。
 今のアフリカだって、ライオンやハイエナはめったなことで、ゾウやサイやキリンを襲うことは考えられません。肉食獣だって命がけの狩りはしません。子供や傷ついたゾウは餌食(えじき)にされたでしょうが。だから人類は、大型の草食動物を狩るという新しい生存のニッチを見つけたのでしょう。つまり、ゾウを食べることが出来たのは人類だけだった訳。世界各地で大型の哺乳類達が一斉に滅んでいきます。
マンモスの骨の  おそらく、人類はこの方法を見つけなければ、氷河時代を乗り切れずに滅んでしまったでしょう。しかし、地上最強の動物達を狩る能力をどのようにして身に着けたのでしょうか。あなたが氷河時代にいたとしてシミュレーションしてみて下さい。考えられる可能性を探ってみましょう。
1.火の利用
人の祖先たちは、火を使うことを既に会得したようです。ネアンデルタール人も火を使った証拠があるとか。火は夜間の行動を可能にします。大型動物達が夜間に休息を取っている時の集団で襲うことはありそうです。また、大量の火は動物達を恐れさせ追い回すこともできそうです。さらには、彼らが草を食べている草原に火を放ったりもしたかもしれません。
2.道具の利用
兵器としては、槍や刀様な接近戦用のものでは役に立たないでしょう。人類はそんなに勇敢なわけはありません。どんなに勇敢な群れのリーダが鼓舞してもマンモスや毛サイの前にやり1本で立ち向かう者などいる訳がありません。当然、飛び道具でしょう。弓矢、投石器など。火矢などもいいかも。しかも大量に生産しないといけません。武器が無くなれば一巻の終わりです。
3.家畜の利用
大型草食獣たちは、食料を確保するために利用するのであって、皆殺しにするのが目的ではありません。そこには、現在の遊牧民と同じで、大型動物達の後を追っかけて移動して行くという生活習慣が出来上がったのかも知れません。生活に必要な分だけ狩れば良いのです。家畜としては犬の利用が考えられます。狩猟の祭に、犬の能力を大いに活用したのかも知れませんね。あるいは、このようなライフスタイルは犬(オオカミ)から教わったのかもしれませんね。
3.言葉の成立
大型草食獣を狩るには、統率のとれた集団行動が必要。オオカミ達は統率のとれた集団行動で狩りを行う。そのような本能が備わっていない人類は、そのために言語によるコミュニケーションを身につけました。人と他の類人猿達との違いは言語を使えるかどうかということのようです。どうも喉の構造が違うようです。年を取って食べ物の誤飲で肺炎になる等ということは他の類人猿達に無いと考えられています。喉の位置が高くなっているため声帯がうまく使えるらしい。言葉の成立が集団の規模を拡大したようです。話し合いの習慣が生まれ、知恵のあるリーダが出てきます。

どうやら、氷河期には人類はこれらの能力を何とか確保していたようです。氷河期には人類と大型動物達は結構、共存共栄でうまくやっていたのかも。しかし、地球が温暖化してきため、大型動物達の生息できる草地が森林に変化してきて、食料が不足してきます。そのため、人類に食べつくされたのかも。人類の方は、雑食のため元の狩猟採集に戻り、木の実や魚など別の食糧を見つけ歴史の新たなステージに入ります。定住化が進みやがて農業がおこなわれるようになります。

【大型哺乳類は何故絶滅したか】
マンモスを始め、大型の哺乳類の多くは何度かの氷河時代を生き延び、大変環境にも適応していました。ところがこれらの大型の哺乳類(大型の飛べない鳥も含まれる)は、ちょうど人類が世界中に拡散するに伴い、急速に絶滅に向かっているのです。
 よく生物の進化で用いられる説明で、捕食者と被捕食者は互いに競いながら進化してきたと。捕食者は被捕食者を食べつくしてしまったら、自分も絶滅するから。でも、このようなバランスが保たれるのは、環境の変化が緩慢で遺伝情報で生物が進化する速度を越えない場合だけ。たいていの場合は、新しい捕食者が現れると既存の生物は絶滅してしまうのが現実のようです。
 大型の草食の哺乳類たちも、体を大きくして、角や蹄などの武器を持ち、群生して互いに協力し合うことで、肉食捕食者の脅威から身を守ってきたわけです。トラもライオンもゾウやサイ、カバ、キリンなどまずは襲いません。シマウマや牛の仲間だって結構危険が伴います。だから、大型の動物たちはみな悠然と草を食(は)んでいて、他の動物が地数いてきても逃げる必要もないわけです。
 そこへ、槍や石斧を持った人類が、ノコノコと親しげに近づいてきて、槍などで急所をグサリ。面白いほど簡単に狩りができた可能性があります。人類がベーリング海峡を越えて南北アメリカ大陸に渡る。さらに別のルートで太平洋の島々やオーストラリア大陸に渡ることで、もともとその地に生息していた大型の哺乳類たちはことごとく絶滅してしまいます。かって、そのような生き物が生息していたことは化石の証拠から明白です。絶滅の原因は今まで不明とされてきましたが、当時の学者達は人類が食べつくしたとは認めたくなかったからでしょう。このような大型の動物たちの絶滅は現在も継続しています。つい最近の例では、ニュージーランドにいた怪鳥モアとマダガスカル島にいたエピオニルスという巨大な飛べない鳥があります。これも天敵のいない島の暮らしに適応して、巨大化して飛べなくなったため、簡単に狩られてしまったためです。
 一日歩き回って、小動物を狩るよりも大型の動物を狩る方がはるかに楽です。最後の1匹を狩りつくすまで狩りは続きます。そうして、人類は新しい狩場を求めて世界中に。拡散していったようです。

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人類は嘘をつく能力で猿から進化したのか

この考えも、「サピエンス全史(著者;ユヴァル・ノア・ハラリ)」からのもの。人類は数百万年かけて少しずついまの体型にと進化してきたことが知られている。最後の化石人類として知られているネアンデルタール人は、ほぼ2万数千年前まで現生人類と共存していたとされている。火の使用や石器の製作は確実と見られている。死者を弔う文化があった可能性も指摘されている。また、頭がい骨の形は異なるもの脳の容量も現生人類よりも大きい。ただし、化石の分析から現生人類のように声帯を使って自由に言語を操ることは難しかったらしい。ところがネアンデルタール人やその近縁の人類たちは突然歴史の舞台から消え去ってしまうのだ。現生人類と比べて、環境への適応では特に見劣りの無い我々人類の兄弟たちが忽然と姿を消したのは、ホモ・サピエンスによる大量虐殺だった可能性も無いとは言えない。

ところで、ハラリ氏によると現在の文明を発展させてきたその原動力は、虚構を語り、虚構を共有することが出来たからだといる。「我々は狼神の子孫だ。」「ご先祖様は蛇は神聖な生き物だ。殺したら罰が当たる。」「○○の人達は、不潔で不信心だから殺してもかまわない。」等々、根拠の全くない事柄でも繰返して発声しているうちに仲間内に共有され虚構を共有することで連帯感が生じてくるのだ。群れのリーダーは虚構を紡ぎ、仲間に植え付けることで大集団を率いることが可能になってくる。せいぜい家族単位の集団で生活していた他の人類たちは、いわれのない理由による集団による不意打ちを食らい簡単に滅びて行ったのではないか。

歴史が始まっても、虚構によるいわれなき虐殺や戦争は後を絶たない。旧約聖書では、モーゼに率いられたイスラエルの民は、神に与えられた土地だからと言って、先住民を大虐殺する。ヒットラーは、ユダヤ人は劣等民族だからと言って絶滅を試みる。中世のヨーロッパでは、十字軍による異教徒の弾圧。宗教裁判での魔女狩り(噂や密告だけで証拠は不要)、知識人は反革命的と弾圧を加えた文化大革命等々、枚挙にいとまがない。

さらに、ハラリ氏によると人類の文明のほとんどは虚構の産物だという。資本主義、民主主義、貨幣経済どれも虚構が万人に認められないと成立しないものだ。つまり、虚構といえども価値はあるものです。どこまでが虚構かを良く理解し、賢く対応していくことが必要ですね。
参考文献;サピエンス全史(著者;ユヴァル・ノア・ハラリ)
【注】でも、ここに書いている内容も虚構の産物であることに注意だ。文明が進歩して発展したというのも単なる妄想で、単に絶滅に向かって突き進んでいるだけかも知れないよ。

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白雪姫と7人の小人達

物語の舞台はかなり大昔のこと。一人の少女が森の中へ逃走する。理由は分からないが何か命の危険があったのでしょう。一人で逃げても当時の森は、野生動物もいて大変危険。でも、更に危険な存在は一人暮らししている人間がいる場合だ。彼らは魑魅魍魎(ちみもうりょう)、鬼、悪魔、魔女だのと呼ばれて人々から恐れられているが、実は彼ら自身が逃亡者、見知らぬ人と出会うとつい本能的に敵意をむき出しにして攻撃してしまう。
幸い、森には優しい先住者がいた。7人の少年の兄弟達だ。彼等も何らかの理由で森の中に逃げ込んで来たのだろう。しかし、兄弟が力を合わせることで森の中に生活の場を確保したようだ。 何故、彼らは小人といわれるのか。背丈は当時の人類の標準から言えば、やや低いかも知れない。それよりも、手足が細く、全体に華奢な体つき。生格も温和で人懐っこい、また非常に好奇心が強い。おしゃべりが大好き。いわば子供っぽい性格であった。 だから、7人の兄弟たちは少女を大歓迎で受け入れて、仲間の一人に加える。グループは8人になり、少女は母親役、姉、妹、友人とすべての役割を一人で引き受ける。以後、少女の名をエバと呼ぶことにしよう。
彼等の住む世界は8人だけが総てで、それ以外は異次元空間の野蛮人の住家だ。だから、彼らは世界を存続させるため、自分達の子孫を作ることを考えたであろう。ある日、エバは兄弟たちの一人の愛を受け入れる。また、同時に他の兄弟たちの愛も公平に受け入れる。子供が無事生まれる。エバは、また同じように次の子も身ごもる。世界の平和のためなら父親が誰かは不明の方がいいに決まっている。子育てだってみんなで協力してやればうまく行く。
こうして、彼らの子供たちが更に次の子供たちを造る。子供は世界の財産だ。誰が親かは関係なく公平に育てられる。例え拾ってきた外の世界の捨て子でも、珍しい客人として大事に育てられた。こうして一族は見る見る間に大家族に発展した。
最終的に7人の兄弟達と1人の少女の純粋な愛と勇気、集団への帰属意識、知的好奇心等が結局、周囲の類人猿たちを駆逐して新しい種族をの世界を造り出したのでしょう。最後に愛は勝つということですか。
エバの家族は、その後大発展して、生まれ故郷を後にして、地球のあらゆるところに住むようになりました。でも、彼らの「世界は一つ、人類は皆兄弟」という理念が失われ、互いに相争うようになって来たという問題も発生しています。
エバが生きていた時代、まだ衣服は発明されなかったようだ。エバは、その成熟した美しい体を、7人の兄弟たちに四六時中晒していたと思われます。寒い冬には当然肌を寄せ合い、他の兄弟達がしているように互いに性器にも触り合うぐらいのことはしていたでしょう。性交はエバがOKならいつでもOK。人は当時絶滅の危機にあったのですから、子孫を効率良く残すことは遺伝子にとっては最大の課題。セックスを繁殖以外の目的、娯楽やコミュニケーションの手段として使うのは、類人猿としては人だけかと思いきや、ボノボにもそのような行動がみられるらしい。しかし、これも間接的に繁殖を増やす手段にもなっているので遺伝子の技としては辻褄が会っているかも。

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禁断の実とは何だろう

旧約聖書でエデンの園で最初の人類が神様の掟を破って食べたとされる禁断の実、食べると知恵がつくと言われる実は何であったのでしょうか。旧約聖書自体がメソポタミア文明のギガルメッシュ叙事詩がもとになっており、その起源はさらに古く農耕が始まる時代まで遡るはず。
アダムズ・アップル(男性の喉仏)イチジクの葉(恥ずかしい所を隠す)等の言い伝えから、リンゴの実やイチジクの実などとの考えもあるが、木の実を食べることが神様にエデンの園を追い出されるほどの悪事とは考えられない。木の実なら類人猿達でも食べている。メソポタミア地方は世界で最初に本格的な農耕が始まった地域。当然、禁断の実は小麦以外には考えられない。
ドメイン ところで、狩猟民の世界は神の世界である。このことは我が国のアイヌ民族の伝承からも明らかである。熊やオオカミのカムイ(神)の化身であり、狩猟で捕まえた獲物すら神が自分たちに食物を与えるために毛皮を纏って変身してきたものと考えている。つまり、自然と人は一体で、共存すべき存在、つまり神と人が一体で生活していたわけです。狩猟時代の人々も庭に果実の樹を植え家畜を飼うことも行っていました。例えば日本の縄文時代の三内丸山遺跡の大集落も発達していたのですから。
ところが、イネ科の植物となると性格が異なる。牛とか馬のような草食動物しか消化することすら不可能。小麦の先祖種と推定されている「ヒトツブコムギ」は、そのままでは食べることは出来ません。野生の小麦は繁殖のために種子を自分で落として地面にばらまくのでそれを集めて食料にすることはほとんど不可能です。たまたま、わずかな確率で種子が落ちない「非脱粒性」の突然変異が起こることがあるようです。もちろん種子が熟しても地面に落ちなければ自然界では子孫を残すことは不可能。ところが誰かがこれを発見して利用することを考えつく。種子が落ちなければ収穫して食料にして、これを撒いて育てていくことも可能です。種子の落ちない非脱粒性突然変異株の発見、これこそが農業の始まりと言えるものです。アジア原産のイネも同様に非脱粒性の突然変異株の発見がキッカケなのでしょう。
しかし、農業生産を始める人達が出て来ると、従来の神々と共存していた人々のあいだに価値観の相違が生じてきます。だいたい、種子の落ちない非脱粒性突然変異株なんていう奇形、植物の神様としても相当な異端児、鬼ですね。食べてはいけないというタブーがあっても不思議はありません。このような経緯から禁断の知恵の実を食べた人たちは、従来の神々の住む共同体から追い出されて独自の共同体を造るようになったのでしょう。 しかし、その後環境の悪化などから食料を備蓄できる農業民が優位になり、従来の狩猟身を駆逐していくようになります。でも、農業は多大の労力を必要とします。だから、昔の狩猟時代の生活はエデンの園に思えるのでしょう。
旧約聖書では、この後カインとアベルの兄弟の話が出て来ます。弟のアベルは、神様に従来通り羊の生贄を捧げますが、兄のカインは農作物を捧げます。神様はカインの捧げものを喜ばなかったので、カインは弟のアベルを逆恨みして殺してしまう話です。非脱粒性の小麦は、種まきから収穫まですべて人の手で行われます。ヒツジは神の分身とも言えますが、小麦は人間の労力の結晶です。当然神に感謝し共に食する意味は失われます。従ってカインの捧げものは神様に拒否されたわけです。農業の発明によって、宗教も変革していくことになるのでしょう。

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オーストラリアの人類史

 オーストラリアは、白人が到来するまでは基本的に他の大陸とは全く孤立して存在していて、アボリジナルと称される人々が石器時代と同じ生活をしていた。 約5万年前、更新世末期のオーストラリア大陸は、現在に比べて海水面が100m以上低かったため、ニューギニア島やタスマニア島を包含していた。また、一方ジャワ島やスマトラ島、ボルネオ島はアジアと地続きになり、スンダランド (Sundaland) の一部を構成していたようだ。だから、両者を分かつ海は現在に比して狭く、航行も比較的容易であったはずだ。
従って、オーストラリア先住民、アボリジナル (aboriginal) 達はこの頃、スンダランドから海を渡ってオーストラリアに到来したらしい。アボリジナルは以前はオーストラロイドに分類される特殊な人々(原始人に近いという偏見があったのだろう)と見られてきたが、遺伝子の分析や頭蓋骨の測定の結果から、広義のモンゴロイドに属するとの見方が定着してきて、オセアニア系モンゴロイドと分類される。南北大陸へ渡った人々とは別ルートで拡散したモンゴロイド、つまり日本人や中国人、ハワイやインドネシアの人たちと同じ先祖から枝分かれしたということだ。さらには従来の「人種」の概念を否定したより新しい人類集団の分類では、ニューギニアのパプア人と同じくサフール人に分類され、広くは従来モンゴロイドとされた東ユーラシア人(東・東南アジア人)及び南北アメリカ人(アメリカ先住民)と共に「環太平洋人」とする新しい学説もある。
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今までの人類学では、体型とか文化とか見た目で人種を分類していたけど、遺伝子の解析が出来るようになって来たので、人類の集団がどのように移動し、その土地の環境に適応して来たがが分かるようになりました。それと人類に先祖は元をたどれば皆共通なのだから、人種を差別しようという目的の研究は無意味になってきたようだ。
発見されているオーストラリア最古の人類の化石は、約4万年前のムンゴマンと呼ばれる男性(2014年時点)である。オーストラリアの歴史はアボリジナルの歴史となるが、詳しいことは判っていない。そもそも狩猟採集民は巨大な遺跡を残すことはない。発見された人骨や洞穴に描かれた絵画、語り継がれた神話から推し量る以外に復元の方法はない。オーストラリアが歴史の舞台に現れるのは、西洋人との接触の時代まで待たねばならない。
ただ近年、オーストラリア大陸が外界から隔絶された場所だったという強い認識を覆す研究結果もいくつかある。約4000年前に豪州大陸へと渡った古代のインド人と古代のアボリジニは混血していたという研究結果がある。アボリジニの伝承の中には、ヨーロッパ人来訪以前も、どこからかやってきた黒人や白人たちと交流があったとの話が伝わっており、中東やアフリカからオーストラリア北部を訪れる船乗りがいたと推測する者もいる。2世紀に描かれたプトレマイオスの世界地図が示すように、西洋の人々も古くから、南方に大陸が存在するとの考えを持っていたようであるが、彼らがオセアニアの海域に到来するのはいわゆる大航海時代になってからのことだ。

【注】ムンゴマン
ムンゴマン ムンゴマン(Mungo Man)はオーストラリアニューサウスウェールズ州のマンゴ湖畔で、1974年に発見された、約4万年前(更新世)に生きた人類の化石。その年代については議論が残るが、現在のところオーストラリアで発見された最古の現生人類の化石とされる。近年のミトコンドリアDNAを用いた分析の進歩により、人類進化のアフリカ単一起源説に対する新たな情報を提供しうる発見として注目された。
1974年2月26日、ウィランドラ湖地区(世界複合遺産)の一部であり、マンゴ国立公園に属する乾燥湖マンゴ湖畔地域の砂丘の移動によって露出された事により発見された。
発見された時、その表面には顔料の一種でもある赤オーカー(鉄分を含み、赤く黄ばんだ粘土)が振りかけられた様に存在していた。これは人類の最初期の洗練され装飾的な埋葬の儀式を物語ると考えられている。この発見はこれまで考えられていたより遥かに前から、ある種の文化的伝統がオーストラリア大陸に存在したことを示し、特にこの地に先住してきたと考えられ、そのルーツとの関連で注目されるアボリジナル・オーストラリア人において意味があったとされる。儀式的に葬られた遺骸としては世界最古の例である。また近くで発見された、人類最古の火葬をされたとされる「マンゴレディ」はマンゴマンとほとんど同時代の人類と考えられている。発見者のメルボルン大学教授は、マンゴマンは42,000年前に埋葬されたとみている。
マンゴマンが発見された1970年代当時は、アボリジニの権利運動が盛んとなっていた時期である。アボリジニは権利運動のスローガンとして「私たちはここに4万年以上いる」と叫んだ。(以上ウィキペディアより)
白豪主義者たちには大打撃だった。白人が遺伝的に優れているという迷信が完璧に否定されたわけだから。ムンゴマンについての研究はその後政府によって中止されているとか。
 アボリジナル達は、孤立した世界にいたとは言え、何故これほどまでに進化を拒否した文明を守り続けたのか。すぐ隣のニューギニアでは、すでに農耕を行っている部族達もいる。その答えは、オーストラリアの極度に厳しい自然環境にあるという。他の大陸と比べても乾燥して雨のほとんど降らないこの地には農耕に適する植物は一つもない。また、家畜として育てられる動物もほとんどいない。たとえ外からの訪問者が農耕の技術を伝えても、それを適応できる作物が不在なのだ。

 だから、入植した白人たちも現地で調達したものは、何もない。小麦も羊も牛もすべて外から持ち込んだものだ。今では、農業は南西部の雨が比較的多いところで行われているが、これも井戸を掘り地下水を利用することで初めて可能になった。また、鉱物資源の利用も現代の技術をもってして初めて可能だ。そして、アボリジナル達は、たまたまこの土地に定住した(狩猟採集民なので移動生活かも)ために、現在の生活を強いられているわけだ。決して人種的に能力がなく劣っているという訳ではない。

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