歴史の部屋追加

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人類の進化

いままで、発見された人類の祖先の化石研究の後をたどってみよう。新しい発見がある度に歴史が塗り替えられていく世界のようだ。今まで信じていた常識がだんだん変わっていく。
サヘラントロプス オロリン アルディピテクス アウストラピテクス
ホモ・ハビリス ホモ・エレクトクス ヒトの進化-まとめ
ピルトダウン人 類人猿の起源 ジャワ原人 ハイデルベルク人
旧石器時代 ネアンデルタール人 デニソワ人
フローレス人 馬鹿洞人 ホモ・サピエンス
沖縄の旧石器文明 南の島のよくカニ食う旧石器人
人は何故毛を失ったか 集団の構成 グレート・ジャーニー 知恵とは何か

サヘラントロプス・チャデンシス

サヘラントロプス・チャデンシス 1.現在、最古の人類として最も有力なのが、サヘラントロプス・チャデンシスとされているらしい。新生代新第三紀中新世末期の約700万年から約680万年前のアフリカ大陸北中部(現在のサハラ砂漠の一角、中部アフリカの北部、チャド共和国北部)に生息していた霊長類。頭蓋骨の大後頭孔がチンパンジーらと比べ下方についていることから二足方向を始めたことが想定された。ただ、当時の生活環境が草原ではなく木のまばらに生えた疎林であることから、木の上での生活を捨てきってはいなかったようだ。
2001年7月19日、フランスの古生物学者ミシェル・ブリュネ等の調査チームによって最初の発見が成される(トゥーマイの発見)。サヘラントロプス属では、知られているのはサヘラントロプス・チャデンシス 1種のみ。
トゥーマイは男性で、推定身長は約1.20~1.30m、推定体重は 35kg前後。脳の容積は約350~380ccで、チンパンジーと同じぐらい。大後頭孔が頭蓋骨の下方にある。このことから、直立二足歩行していた可能性が高い。眼窩上隆起(目の上の出っ張り)が著しい。犬歯はやや小型である。
最古の人類か否か?
現在知られている限りで「最古の人類」、換言するなら「ヒト族がヒト亜族とチンパンジー亜族に分化した時点に最も近いヒト亜族」とする学説が有力である。いくつかの説があるようだが、ヒトの先祖は約700万年前後に分岐が生じたらしい。

発見地は、アフリカ大陸北中部の湿潤地。現在では極度に乾燥してサハラ砂漠と化した地域(ジュラブ砂漠) と呼ばれている地域。しかし、同じ地層からクロコダイルの絶滅種の頭蓋骨化石が発見されており、当時はかなり湿潤な地域であったことが分かっている。当地の南西方向には現在もチャド湖が存在する。遥か後世の「大湿潤期」と呼ばれる時代(9000~8000年 BP)にはこの水域は広大で、チャド湖と首都ンジャメナがある地域も包み込む「完新世巨大チャド湖、巨大チャド湖(Holocene Lake Mega-Chad, Lake Mega-Chad, holocene Mega-Chad lake)が存在していた。推定される水域総面積は約35万km2。 つまり、彼らの生存場所は、乾燥した草原ではなく湿潤な森林か疎林であったようだ。

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オロリン・ツゲネンシス

サヘラントロプス・チャデンシス 2.オロリン・ツゲネンシスは、ケニアに生息していた化石人類。ヒトの系統がチンパンジーと分岐して以降の祖先で、サヘラントロプスに次ぎ2番目に古いとされる。約600万年前のケニアの地層から。頭蓋骨の頂部が欠けているが犬歯は縮小している。大腿骨の骨頭の形からも直立二足歩行が疑われる。化石の発見された場所からオロリンは森林に住んでいたらしい。従来から言われていた「イーストサイド・ストーリー」が怪しくなってくる。
放射年代測定によって、化石が発見された地層の火山性凝灰岩は610万から580万年前の中新世のものであることが分かった。これは、二足歩行をしていた証拠の残る最も古い化石のひとつである。
現在までに、この種の化石は少なくとも5体発掘されている。その中には直立していたことを示唆する大腿骨の化石や、木には登れたが腕渡りはできなかったことを示唆する薄い右手の上腕骨の化石、現代の人類とほぼ同じものを食べていたことを示唆する歯の化石も含まれている。オロリン・トゥゲネンシスの化石が大腿骨の臀部側に外閉鎖筋溝を持っていたという事実は、この種が二足歩行をしていたことを示している。臼歯が大きく犬歯が小さかったということは、この種が果物や野菜を好んで食べ、肉類も時々食べていたことを示している。オロリン・トゥゲネンシスはチンパンジー程度の大きさであった。

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アルディピテクス

アルディピテクス 3.アルディピテクス・カダッハは、3番目に古い人類化石。エチオピアの約580~520万年前の地層(アファール盆地)から。これも頭蓋骨の上が無いが、犬歯は縮小。足の指の化石からつま先を反り返すことが出来たらしい。うまく歩くためには必要な変化だ。犬歯もかなり小さくなっている。犬歯が縮小していくことはどういう意味があるんでしょう。 犬歯は戦うために武器として重要なもの。森から草地に出た霊長類のヒヒの仲間は四足歩行に戻り、犬歯を発達させて体もやや大きくなり戦闘能力を高めているのに。

  4.アルディピテクス・ラミダスは、エチオピアの440万年前の地層から。初期人類としては例外的の多くの化石が見つかっており、ほぼ全身の骨格が得られている。人類がチンパンジーから分岐して既に260万年ほどたっているの脳の大きさは約350cc とほとんど変化していない。ラミダスの足には、土踏まずが無い。土踏まずは人にはあるので、ラミダスは余り歩くのが得意でない、特に長距離移動は難しかったのだろうと推定されている。また、ラミダスの足の親指は大きく広げることができ、物をつかむことに適した樹上生活型。だた、チンパンジーほどでなく枝をつかむのも下手だったか。
また、手と足の長さの比、手の長さが長い。これも樹上生活型。どうも、ラミダスの生活基盤は疎林が中心で、近くの森林や草原も利用したのかも。どうも、人が直立二足歩行を始めたのが、森林を追い出されて草原に出たからという仮説は見直さないといけないようだ。
ラミダスの身長はせいぜい120cm 程度。まだ、道具は持っていないし、草原で肉食獣に襲われたらどうする。走るのは遅いし、直立姿勢で遠くが見えると言っても逆にとても見つかり易い。草原に出たら明らかに絶滅してしまうね。

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アウストラピテクス

アウストラピテクス 5.アウストラピテクス・アフリカヌスが、ラミダス達が消えてから登場する。小さな脳ではあるが、頭蓋骨の下側の大後頭孔が人と同じ位置にある。生存期間は約280~230万年前か。だが、その後数種のアウストラピテクスが発見される。アウストラピテクス・アファレンシスは約390~290万年前に生存していたらしい。アファレンシスは化石も多くよく研究されていて名前も知られているのでは。「ルーシー」という女性の化石が良く整っている。約320年前の地層から。身長が110cm でアファレンシスの中でも小柄な方。頭蓋骨は発見されなかったが他の化石から 平均で450cc 程度と推定される。少し大きくなったようだ。歩く能力も進んだ。土踏まずがあることと、更に足跡の化石も見つかった。足跡は二人が並んで歩いたもので、大小の足跡から親子ではと想像されている。
更に、ケニアのトゥルカナ湖岸から約330年前の大量の石器が見つかる。アウストラピテクスが草原で草食動物を解体していた可能性も。
なぜ、他の人類が草原で繁殖できなかったのに、アウストラピテクスは繁殖に成功したのか。ここで新しい仮説がある。草原でも、疎林でも肉食獣に食われる確率は程度問題だ。その分、多産で対応すればよいというのだ。草原に住む霊長類は多産の傾向があるという。チンパンジーの授乳期間は4~5年と長く、その間は次の子供を造らない。でも、たくさん子供がいたら母親一人で育てるのは無理。これに関しては「おばあさん仮設」というものがある。霊長類のメスは閉経しないで死ぬまで子供を産むことが出来る。しかし、ヒトの場合は、閉経後の人生が長い。祖母が子育てをするようになってから子供の生存率が高くなったというものだ。

    6.アウストラピテクスからは、二つの系統が進化したようだ。①頑丈型猿人と②ホモ属(華奢型猿人)。どちらもアウストラピテクス属に含まれる。頑丈型猿人とはいうものの身長は120cm 程度、体重も30~40 kg と特に華奢型とは差がない。頬骨と臼歯が発達し噛む力が強そうな点が違いだ。頑丈型猿人の化石としては、エチオピアのエチオピクス(約270万年前)、東アフリカのボイセイ、南アフリカのロブストゥス等がある。
身長は120センチメートル台 - 140センチメートル台くらいで、脳容積は現生人類の約35%の500ミリリットル程度であり、チンパンジーとほとんど変わらないが、骨格から二足歩行で直立して、歩く能力を持つと考えられている。
石器はほとんど作っていないと考えられているが、最後期の種(アウストラロピテクス・ガルヒ)では原始的な石器(自然石等を無加工)を使っていたと考えられている。かつては猿人と呼ばれた。
1924年11月、南アフリカに住んでいた解剖学者、レイモンド・ダート(Raymond Dart)が、スタークフォンテインの洞窟で人間とも猿ともつかない動物の頭蓋骨を発見し、前かがみ気味に直立二足歩行していた人類の祖先のものであると考えて、「南の(Australo-)猿(pithecus)」という意味の「アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)」を1925年に学術雑誌『ネイチャー』に発表した。人間とサルの中間のような生物が人類の祖先と主張されたことが創造論者に大きな衝撃を与え、発見者のダートのもとには「お前は地獄の業火で焼かれる」「お前はそのおぞましい化物を自分の子として持つであろう」といった脅迫が数多く寄せられたという。

1974年11月24日、エチオピアのアワッシュ川下流域で、アファレンシスの有名な個体「ルーシー」が発見される。「ルーシー」という名前はビートルズの楽曲『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』に因んで付けられた。2000年12月、エチオピアの北東部で、約330万年前と思われるアファレンシスの約3歳の女児のほぼ完全な頭骨を含む全身化石が発見され、2006年9月に発表された。

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ホモ・ハビリス

アウストラピテクス 7.ホモ属は石器を使い始め、肉を頻繁に食べるようになったようだ。石器のタイプでオウドワン文化、アシューリアン文化と呼ばれる。石器は狩りをするためではなく、草食動物の死骸(或いは肉食動物の食べ残し)から、肉を削ぎ落したり、骨を割って中の骨髄を取り出すのに使ったようだ。しかし、石器を作る能力というのはそう簡単に身につくものではないらしい。 エチオピアで約250万年前の多数の馬や牛の骨が見つかり鋭い刃の石器に要る傷がついていた。同じ地層から人類の化石が発見され、アウストラピテクス・ガルヒと命名された。身長は140cmで脳容量が450cc、体系からホモ属に繋がる系統か。
8.ホモ・ハビリスは、約240~130年前に生きていた人類。ケニアで発見されたホモ・ハビリス(約190万年前)脳容量は509cc、タンザニアで発見された約180万年前のホモ・ハビリスは680cc。脳が大きくなったから石器を使い始めたのではなく、石器を使い始めてから脳が大きくなったようだ。
ホモ・ハビリス(Homo habilis)は、240万年前から140万年前[1]まで存在していたヒト属の一種。 ラテン語で「器用な人」の意。
1964年、タンザニアのオルドヴァイでルイス・リーキーによって発見された。容姿はヒト属の中では現生人類から最もかけ離れており、身長は大きくても135cmと低く、不釣合いに長い腕を持っていた。ヒト科のアウストラロピテクスから枝分かれしたと考えられている。脳容量は現生人類の半分ほどである。かつては初期型ホモ・エレクトスへと繋がりがある現生人類の祖先と考えられていたが、2007年ネイチャー誌上で両種がおよそ50万年以上に渡って同時期に存在していたとする記事が掲載された[3]。この発見を発表したグループはホモ・ハビリスはホモ・エレクトスとは共通の祖先から枝分かれし、現生人類へと繋がる事無く絶滅した種であるという見解を示している。

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ホモ・エレクトクス

エレクトクス ホモ・エレクトス(Homo erectus)またはホモ・エレクトゥスは、更新世に生きていたヒト科の一種である。かつてはピテカントロプス・エレクトスと呼ばれていたが、現在はホモ属(ヒト属)に含められている。
形態的特徴として、身長は成人男性で140cm~160cm、体重は同50kg~60kgと現代人よりかなり小柄でがっちりしているが、頑丈型と華奢型が存在していた。体毛は濃く、背中までびっしり体毛が生えていたと思われる。体色は黒色、体毛も黒色と考えられている。
頭部はホモ・ハビリス種に比べ額の傾斜がゆるく、大きな頭蓋の容量を持つ。脳容量は950ミリリットルから1100ミリリットルで、現生人類の75%程度。また、歯はより小さく、現代人に近い。行動面では、それ以前の人類よりも精巧な石器を作り、使用してい他と考えれれている。
ホモ属に含められる前はピテカントロプス・エレクトス(Pithecanthropus erectus)と呼ばれていた。この学名はジャワ原人発見の際に作られた。ピテカントロプスはギリシャ語のピテコス(pitekos 猿)、アントロポス(anthropos 人類)の合成語であり、猿人を意味した。現在はピテカントロプス属は廃止され、ジャワ原人の現在の学名はホモ・エレクトス・エレクトス(Homo erectus erectus)であり、ホモ・エレクトスの亜種である。
2015年7月現在化石として見つかっている地域はインド、インドネシア、中国北部、シリア、イラクなどで、いずれも当時の沿岸部から20km以内の地域である。そのため、約50万年前にアフリカを出発してから主に海岸を通って分布域を拡大したと思われる。
アフリカを出た理由は当時の地球寒冷化による故地の乾燥化が主な原因で、氷河期の海退でスンダランドとなったジャワ島まで到達している。これらから推測される最大の分布域は東アフリカから地中海沿岸の中東、ペルシャ湾岸からインド、インドシナ、インドネシア、中国の遼東半島までの沿岸部と思われる。遂にアフリカを出るまでに進歩した。
彼らは約20万年前には中東地域でホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)との生存競争に敗れて絶滅し、約7万年前にはホモ・サピエンスとの生存競争に敗れて他の地域でも絶滅したと考えられている。でも、彼等からネアンデルタール人やホモ・サピエンスが分岐して進歩したと考える方が自然ではないのかな。

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ヒトの進化-まとめ

ヒトの進化
ヒトの進化については、現在まで上の図のような変遷が分かって来た。アウストラピテクス位までは、直立二足歩行と犬歯の小型化、ホモ属の出現以降脳が大きくなり、道具が進歩する。言葉や火の使用は化石に残らないので分からない。
ヒトとチンパンジーが分岐したのはだいたい700万年くらい前とされているが、この分岐については、ヒトとチンパンジーの共通祖先が分からないと、どちらがどう変化したか分からない。700万年の間にヒトもチンパンジーも同じように進化を続けてきているから。
今まで、ヒトの先祖はアフリカで、チンパンジーの側は変化していないような勝手な思い込みが無かったか。
オナガザル科(ヒトも含む)の猿達の、食事の仕方は、手で餌を取り食べ物を口まで持っていけることだろう。これは他の哺乳類の動物と比較してかなり特徴的な行動だ。四本の手足で木にしがみついていたらこんなことは不可能。直立二足歩行は木の上で両手を自由にするために発達したのではないか。動物園でテナガザルを観察していれば分かる。
どうも化石の証拠から、人類の先祖たちはしばらくは草地に進出を試みなかったようだ。逆に、ゴリラやチンパンジーたちの方が先に草地へニッチを求て進出したのでは。そのためテナガザルが有している先祖の形質を失い、集団生活(群れ社会)を造り、ナックルウォークを始めたのでは。今ではチンパンジーは人よりも木に登るのか速い(4本の手を使って)かもしれない。しかし、木の上で果物をもいだり、木から木へ移動する能力はテナガザルには敵わない。樹上での二足歩行なら、姿勢が直立の方が有利だ。
テナガザルの仲間は今はアジアに生息しているが、当時はアフリカにも生息していたのだろう。いま、サヘラントロプスより古い、共通祖先探しが始まっている。テナガザルに近い形の類人猿が人の先祖だという報告もあるようだ(まだ認知されていないだろうが)。

【プロコンスル】
発見された化石の研究の結果、プロコンスルは小型(P.africanus)・中型(P.nyanzae)・大型(P.major)の3型に分けられ、小型のものはチンパンジーの祖先とされる。20世紀後半までは、プロコンスルは人類とは無関係(人類はラマピテクスなどを祖先とし、現生類人猿とは早くから分岐したとされていた)と考えられていたが、分子時計の解析により、人類とチンパンジーが中新世末から鮮新世初期という、地質年代としてはかなり新しい時代に共通の祖先から分かれたらしいことが明らかとなったことから、プロコンスルは人類の祖先であると言われるようになった。 発見:
1948年、古人類学者のリーキー夫妻によって東アフリカ、ビクトリア湖に浮かぶルシンガ島の中新世の地層から化石が発見された。その後、湖岸地帯からも多くの獣骨に混じって化石骨が見つかり、詳しく研究された結果、チンパンジーの祖先と考えられるようになった。形態学的に見てP.majorからゴリラが、P.africanusからチンパンジーが派生したとされている。
アフリカヌスの身長は70cm程度、体重10Kg程度で、チンパンジーよりやや小さい。樹上生活をしていたとされる。現生及び化石の類人猿や古人類に特徴的な形質である眼窩上隆起は無く、また下顎骨の内側(舌側面)には、やはり類人猿や初期人類では普通に見られる隆起(「サルの棚」と呼ばれるもの)が無い。しかし犬歯は鋭く、下顎の第1小臼歯の咬頭は1個しかない(人類は2個)。一方、大臼歯の咬頭は5個あるが、これは化石・現生を問わず類人猿の特徴で、他のサル類には見られない(人類は、下顎の第1大臼歯のみ5咬頭、他は4咬頭)。
ニャンザピテクス・アレシ こんな情報も!!
1300万年前の幼い類人猿の頭蓋骨が北ケニアの地層から発見されました。ほぼ完全な状態の頭蓋骨を発見したのはニューヨーク州立大学ストーニーブルックのIsaiah Nengo氏率いる研究チーム。類人猿や人類の進化過程に関する新たな分析結果をNatureに発表しました。
新たに発見された類人猿は、ニャンザピテクス属の新種として「ニャンザピテクス・アレシ」または略して「アレシ」と称されました。現代の類人猿や(600〜700万年前に類人猿から枝分かれした)人類よりもはるか昔に生息していたとされています。研究者たちによると、アレシは現存する類人猿すべての共通祖先にもっとも近しいことが示唆されています。
頭蓋骨を分析した結果、アレシは現代のテナガザル類に近似していることが示されました。ただ、テナガザル類直結の先祖ではないことから、異なる種の動物から似通った身体的特徴が現れる収斂進化ではないかと考えられています。

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ピルトダウン人

ピルトダウン人 ピルトダウン人(Piltdown Man)は、近代科学史上で最大のいかさまとして知られる、捏造された化石人類。犯人等は20世紀初頭のイギリスはイースト・サセックス州アックフィールド近郊のピルトダウンにて「発見」されたと主張し、20世紀の前半期の古人類学研究に多大な悪影響を与え、迷走させた。 名前を聞いたことがある人もいるのでは。

当時の学名は Eoanthropus dawsoni (エオアントロプス・ドーソニ。「ドーソンの、夜明けの人」の意)。 日本語では第一発見者の名から「ドーソン原人」「曙人」などとも呼ばれたらしい。 1856年にドイツでネアンデルタール人類の化石人骨が発見されて以降、1891年にはインドネシアのジャワ原人、1908年にはネアンデルタール人類に属するラ=シャペル=オ=サン人がフランスのリムーザン地方から発見されるなど、20世紀初頭から人類進化の過程が少しずつ解明されはじめたが、まだ充分に資料や知識が蓄積されていたわけではなかった。

そのような時代の1909年から11年にかけて、弁護士でありアマチュア考古学者でもあったイギリス人、チャールズ・ドーソン(Charles Dawson)によってピルトダウンから発見された頭頂骨と側頭骨が、大英博物館(ロンドン自然史博物館)のアーサー・スミス・ウッドワード卿の研究室にもたらされた。ウッドワード卿は1911年に自ら現地に赴いてドーソンと共同で発掘を行なっているが、この時にも後頭骨や下顎骨の一部、石器のほか年代推定の根拠となる動物化石を発見し、その後も犬歯などの断片的な化石が発見され、それらを研究したウッドワード卿は発見された化石人骨に Eoanthropus dawsoni (エオアントロプス・ドーソニの学名を与えて発表した。「ドーソン(氏に由来)の、夜明けの人」との語義を持った名称である。
その骨、その脳頭骨は現生人類を思わせるほど丸く膨らんで大きく、対照的に下顎骨は非常に原始的で類人猿のようであったが、臼歯の咬合面の磨耗は人類特有の咀嚼によって生じたものであった。発達した脳と原始的な顎の特徴、伴出した動物化石等から、ウッドワード卿はピルトダウン人を更新世初期に由来する現生人類の最古の祖先と見なした。

これらの研究に当初から疑惑が無かったわけではない。ドーソンが自宅で骨を造っているのを見たという話が流れ、専門家の中でもボヘミア(現在のチェコ西部)生まれの米国の人類学者アレシュ・フルドリチカは、下顎骨は類人猿のものであろうと唱えてピルトダウン人の化石を否定。しかし実際は肯定する学者の方が多く、イギリス人類学界の大御所であったアーサー・キース卿(Arthur Keith)やグラフトン・エリオット・スミス卿(Grafton Elliot Smith)などの著名な学者の支持を得たこともあり、ピルトダウン人は現生人類の直系の祖先と認められた。 人は信じたいものを信じる癖がある。

その後、世界各地で古人類化石が発掘された。1920年代には中国で北京原人が、南アフリカではアウストラロピテクス・アフリカヌスが発見され、その他にも様々な進化段階の化石が出土して、人類の進化の内容が次第に明らかにされてゆく。第二次世界大戦前では研究はまだ充分とは言えなかったが、人類はまず直立二足歩行が先に始まり、脳の進化はかなり遅れたらしいことが分かってきた。ピルトダウン人はそうした進化の流れから外れていて、ウッドワード卿が説いた更新世初期というような古いものではなく、更新世中期かそれ以降のものではないかとも考えられた。また、ピルトダウン人の化石が発見されたはずの地層からは、ドーソンの没した1916年以降一切の化石の出土が見られなかった。

それでも、戦前には化石は厳重に保管されて理化学的検査も認められなかったため、捏造を立証し得る確たる材料も無く、1940年代の終わりまでに250編もの論文が発表された。ピルトダウン人化石の年代が明らかになったのは1949年のことである。

フッ素法
骨が地中に埋もれると、土中の水分や地下水に含まれる微量のフッ素が骨組織内に入り込み、フッ素の含有量が増えていく。したがって、骨に含まれているフッ素の量を測定すればその古さを推定することができる。水分中のフッ素量は地域によって異なるため、遠く隔たった土地から出土した骨の比較や絶対年代の測定はできないが、同一地点や近接した地域から出たものの相対的な古さを知るには優れた方法である。この手法は19世紀になってヨーロッパで断続的に行なわれるようになり、第二次世界大戦後にロンドン自然史博物館のケネス・オークリー(Kenneth Oakley)によって確立された。

捏造の発覚
1949年、ケネス・オークリーがフッ素法でピルトダウン人頭骨の年代測定を行い、骨が5万年前のものであることを明らかにした。これによりピルトダウン人が類人猿と現生人類のミッシングリンクであることが否定された。 加えて1953年にはオークリー率いるオックスフォード大学の研究者らによるいっそう精密な年代測定と調査・分析が行われ、その結果、下顎骨はオランウータンのものであり、臼歯の咬面は人類のそれに似せて整形されていたこと、古く見えるよう薬品と思われるものにより石器などとともに着色されていたこと、伴出した獣骨は他の地域の産であることなどが突き止められた。 類人猿の下顎骨は人骨とは決して接合できないものであるが、捏造犯は接合部分を巧妙に除去して矛盾を隠し、着色を施して偽装したとのことである。

こうして40年近くにわたって古人類学界を混乱させたピルトダウン人は捏造された化石であると断定され、事件は一応の決着を見た。ただし、最初にドーソンからもたらされた頭頂骨と側頭骨は、後期更新世に由来する化石の現生人類(クロマニョン人の類)と考えられている。
犯人については様々な説がある。第一発見者のチャールズ・ドーソンが疑われたのは当然で、すでに当初から疑惑がささやかれていたのは上述の通りである。2016年にロンドン自然史博物館などがまとめた研究成果では、骨の標本の分析などを行うことで、第一発見者のチャールズ・ドーソンを犯人とほぼ断定している。しかし一方では、彼は単に利用されただけで真相は知らなかったとする意見もある。
古人類学が黎明期にあったとはいえ、長らく専門学者たちをだまし続けるほどの偽物を造るには高度の知識と技術が必要であるとして、当時の研究者であるウッドワード・キースやエリオット・スミスなどの犯行とする説もある。
1983年には『シャーロック・ホームズ』シリーズの作者として有名な作家アーサー・コナン・ドイルが犯人であるとの説が出されている。彼がピルトダウン近郊の住人であったこと、医師を本業としていて骨を捏造し得る知識があったこと、ホームズ物の他に『失われた世界』のようなSF小説も書いており、古生物や古代世界に関心があったことなどが論拠とされている。ただし当時は既に著名人であり発掘現場を徘徊して誰何された場合は即刻露見する身分であった。
イギリスの科学雑誌『ネイチャー』は、発見された遺品を根拠として、ロンドン自然史博物館に学芸員として勤めていた、げっ歯類を主とする動物学者マーティン・ヒントン(Martin A.C. Hinton)なる人物が真犯人であったとする説を1996年5月23日号に掲載した。同博物館の屋根裏からヒントンの旅行鞄が発見されその中からピルトダウン人の加工と同じような処理が施されたゾウ、カバの化石が発見された。またヒントンは化石の変色についての論文を発表しており、これもまたピルトダウン人の人骨の染色と似たような方法が施されていた。ヒントン犯行説は、ウッドワードに対する怨恨(薄給、仕事を回さない)が犯行動機であったと説明する。(但し、ヒントンは発掘現場へ足を運んだ形跡が無い、との説もある) 。様々な容疑者が取り沙汰されるも、ピルトダウン化石の捏造が明らかになった前後に関係者らはことごとく他界しており、真相の究明は非常に困難である。

しかし、不愉快な事件だね。1909年頃発見されたとされ、真相が解明されるのは1949年だね。40年近くも嘘がまかり通っていた訳だ。チャールズ・ドーソン氏はアマチュアの研究者かも知れないが弁護士だ。正義と真理を追究する人としてはモラルハザードだ。ウッドワード卿というのも確かに怪しい。本件は意図的な捏造であることが明らかなケース。キリスト教的な世界観とダーウィンの進化論の主張が食い違っているためかも。結局発見の糸口は年代測定の技術の進歩だ。日本で起こった旧石器捏造事件と良く似た面もある。

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類人猿の起源

類人猿の起源
類人猿(るいじんえん、ape)という言葉は、ヒトに似た形態を持つ大型と中型の霊長類を指す通称名。何故小型はダメか?ヒトの類縁であり、高度な知能を有し、社会的な生活を営んでいる。でも、オランウータンやテナガザルは社会的な生活とは言えない。
要するに類人猿という言葉は生物学的な分類名称とは全く異なる。人間の都合で勝手に霊長類学などと使われている。一般的には、ヒト上科に属する種を指すが、分岐分類学を受け入れている生物学者が類人猿(エイプ)と言った場合、ヒトを含める。類人猿はヒト上科(ホミノイド)に相当する。テナガザルを含めた現生ヒト上科では尾は失われている。つまり、類人猿の外形上の特徴として、言えることは尾が無いことだけか。ではなぜ尾が失われるように進化したのだろう。

類人猿には現生の次の動物が含まれる。
   小型類人猿(lesser ape):テナガザルとフクロテナガザルを含むテナガザル科
   大型類人猿(great ape):オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ヒト

**ギガントピテクス
ギガントピテクス ギガントピテクス(Gigantopithecus)は、ヒト上科の絶滅した属の一つである、大型類人猿。 身長約3m、体重約300 ~540kgに達すると推測される本種は、現在知られる限り、史上最大のヒト上科動物であり、かつ、史上最大の霊長類である。
約100万年前(新生代第四紀更新世前期後半カラブリアン)前後に出現したと見られ、中国、インド、ベトナムなどに分布していたが、30万年前(更新世後期前半イオニアン、中期旧石器時代の初頭)あたりを境にしてそれ以降確認されない。本種の生存期間はホモ・エレクトゥス類が栄えていた時期と重なり、両者の生息域はかなり重複していたようである。本当にこんな人類が生きていたと思うと不思議な気がしますね。

ヒト科の系統樹
大型類人猿のうち、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ(とヒト)はアフリカ類人猿と呼ばれる。オランウータンはアジア類人猿と呼ばれる。アジア類人猿で現生するのはオランウータンとテナガザルだけであるが、絶滅種のギガントピテクスなども含まれる。
DNAの進化分析を考慮した今の分類では、オランウータン科はオランウータンのみとなり、ゴリラ属・チンパンジー属はヒト科に分類される。さらに、オランウータンもヒト科に含めると考え、ヒト上科はテナガザル科とヒト科に、ヒト科はオランウータン亜科とヒト亜科に、ヒト亜科はゴリラ族とヒト族に、ヒト族はチンパンジー亜族とヒト亜族に分類するのが一般的となり、この学説が正しければオランウータン科は消滅することになる。やたらとややこしい。つまり、本当のことはまだよく分かっていないのが現状です。
紛らわしさを避けるには英語のエイプ(ape)を使うのが良いようだ。エイプの日本語はヒト上科 Hominoideaで、ヒト上科にはヒト科(ヒト科 :ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンが含まれる)とテナガザル科が含まれる。


狭鼻猿類であるヒト上科がオナガザル上科から分岐したのは、2800万年から2400万年前頃であると推定されている。5種のヒト上科(テナガザル、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、ヒト)の肝臓から尿酸オキシダーゼ活性は検出されなかったが、ヒト上科以外の旧世界のサルと新世界のサルでは尿酸オキシダーゼ活性が検出された。ヒト上科の共通の祖先が旧世界のサルから分枝した際に、尿酸オキシダーゼ活性が消失したものと推定される。尿酸オキシダーゼ活性の消失の意味付けは、尿酸が直鼻猿では合成能が失われたビタミンCの抗酸化物質としての部分的な代用となるためである。しかし、ヒトを含むヒト上科では、尿酸オキシダーゼ活性の消失により難溶性物質である尿酸をより無害なアラントインに分解できなくなり、尿酸が体内に蓄積すると結晶化して関節に析出すると痛風発作を誘発することとなる。
ビタミンCの合成能力が失われたのは、使わない機能が退化する一例。ビタミンCを多量に含む、果実が中心の食生活をしていたためか。では、それまでは猿の先祖たちは何を食べていたのか。人間だってビタミンCが足りないと壊血病になる。ビタミンCは抗酸化物質としての作用があるらしい。
**狭鼻猿類
狭鼻小目 Catarrhini(きょうびしょうもく)は、哺乳類霊長目(サル目)の分類群(タクソン)のひとつで狭鼻猿(きょうびえん)または旧世界ザル(きゅうせかいざる、Old World anthropoids)と通称されている。広鼻小目とともに真猿型下目をつくる。旧世界に分布するサルである。南北アメリカ大陸がユーラシア大陸と分離されてしまったので、猿のご先祖たちは別々に進化せざると得なかっただ。だからユーラシア大陸の猿たちは共通の先祖から進化したわけです。南北アメリカ大陸では、広鼻小目という仲間たちが全く別の進化を遂げている。
霊長類真猿型下目の狭鼻猿(旧世界ザル)と広鼻猿(新世界ザル)とが分岐したのは3000-4000万年前と言われている。狭鼻猿の由来となったように鼻の穴の間隔が狭く、穴が下方または前方に向いている。その他の特徴として、恒常的な3色型色覚がある。

狭鼻小目の色覚
脊椎動物の色覚は、網膜の中にどのタイプの錐体細胞を持つかによって決まる。魚類、両生類、爬虫類、鳥類には4タイプの錐体細胞(4色型色覚)を持つものが多い。よってこれらの生物は長波長域から短波長域である近紫外線までを認識できるものと考えられている。一方ほとんどの哺乳類は錐体細胞を2タイプ(2色型色覚)しか持たない。哺乳類の祖先である爬虫類は4タイプ全ての錐体細胞を持っていたが、2億2500万年前には、最初の哺乳類と言われるアデロバシレウスが生息し始め、初期の哺乳類は主に夜行性であったため、色覚は生存に必須ではなかった。結果、4タイプのうち2タイプの錐体細胞を失い、青を中心に感知するS錐体と赤を中心に感知するL錐体の2錐体のみを保有するに至った。これは赤と緑を十分に区別できないいわゆる「赤緑色盲」の状態である。この色覚が哺乳類の子孫に遺伝的に受け継がれることとなった。
ヒトを含む旧世界の霊長類(狭鼻猿)の祖先は、約3000万年前、X染色体にL錐体から変異した緑を中心に感知する新たなタイプの錐体(M錐体)視物質の遺伝子が出現し、ヘテロ接合体の2本のX染色体を持つメスのみが3色型色覚を有するようになり、さらにヘテロ接合体のメスにおいて相同組換えによる遺伝子重複の変異を起こして同一のX染色体上に2タイプの錐体視物質の遺伝子が保持されることとなりX染色体を1本しか持たないオスも3色型色覚を有するようになった。これによって、第3の錐体細胞が「再生」された。3色型色覚は果実等の発見に有利だったと考えられる。
夜行性だったサル類の先祖たちは、昼間に果実を食べるようになって、色が見えるようになった訳だ。ちなみに象やライオンのような他の哺乳類達は色が認識できない。それでは新世界の猿、広鼻猿達はどうなったのか。彼らは色をどう見ているのか。

**オナガザル科
オナガザル科 Cercopithecidae) は、霊長目に分類される科。別名旧世界ザル、狭鼻猿。ユーラシア大陸に広く分布しており、旧世界ザルとも呼ばれる。日本語のサルのイメージに近いサルである。長い尾をもつことが特徴であるが、バーバリーマカクやニホンザルのように、二次的に尻尾を失ったものもある。
また、広鼻下目に属するサル(新世界ザル)のように、5番目の手足として尾で体重を支えることなどはできない。日本国内に生息するニホンザルは下北半島を北限としているが、これはヒトを除いた全世界の霊長類の中で、最も高緯度に生息している例である。因みに、日本語の猿は、英語ではmonkeyとapeに分かれる。apeの 特徴が尻尾がないことなら、ニホンザルはapeに見えても不思議はない。

オナガザル科には、いくつかの興味深い解剖学的特徴をそなえたサルがいる。コロブスの親指は小さな痕跡程度に退化し、種によっては完全に消失してしまっている。オスのマンドリルの顔は赤と青で彩られ、さらに陰茎は赤色で、陰嚢は紫色をしている。テングザルは長く、舌のような形をした鼻をもっている。しかし、旧世界の猿と言えば、ほとんどは オナガザル科のものだろう。 狭鼻下目であるヒト上科とオナガザル上科が分岐したのは、2800万年から2400万年前頃であると推定されている。
類人猿(ape)の先祖は、狭鼻猿類のオナガザル上科という比較的ありふれた猿から分岐したんですね。では、ヒト上科がオナガザル上科と袂を分かった(分岐した)理由は何なのでしょう。尾の有無しだけではなさそうですが。
**ヒト上科 Hominoideaは、ヒトの仲間と大型類人猿をくくるサル目(霊長目)の分類群。
狭鼻猿類であるヒト上科がオナガザル上科から分岐したのは、2800万年から2400万年前頃であると推定されている。5種のヒト上科(テナガザル、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、ヒト)の肝臓から尿酸オキシダーゼ活性は検出されなかったが、ヒト上科以外の旧世界のサルと新世界のサルでは尿酸オキシダーゼ活性が検出された。ヒト上科の共通の祖先が旧世界のサルから分枝した際に、尿酸オキシダーゼ活性が消失したものと推定される。尿酸オキシダーゼ活性の消失の意味付けは、尿酸が直鼻猿で合成能が失われたビタミンCの抗酸化物質としての部分的な代用となるためである。
しかし、ヒトを含むヒト上科では、尿酸オキシダーゼ活性の消失により難溶性物質である尿酸をより無害なアラントインに分解できなくなり、尿酸が体内に蓄積すると結晶化して関節に析出すると痛風発作を誘発することとなる。だから人のオシッコの成分には尿素は含まれているけど、尿酸は含まれない。ところが鳥は尿酸が主成分のドロドロした白いオシッコをする。進化の観点からは、尿酸を利用する鳥の方が先を行っている。なお、テナガザルを含めた現生類人猿では尾は失われている。

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ジャワ原人

ジャワ原人 ジャワ原人は、1891年インドネシアジャワ島トリニールで発見された化石人類に対する通称である。年代は 170 - 180万年前ごろ。かつてはピテカントロプス・エレクトスの学名で呼ばれていたが、2012年現在はヒト属に分類され、Homo erectus(ホモ・エレクトス)の亜種の一つと位置付けられている。現生人類の直接の祖先はアフリカに生息していたホモ・エレクトスの別の亜種(または独立種ホモ・エルガステル)であって、アジアにいた北京原人やジャワ原人は直接の祖先ではないとする意見が支配的である。
脳頭骨は小さく、脳容量も900 cc程度と推定された。対照的に眼窩上隆起は大きく、額は現代人のように丸く膨らまないで低く倒れたように傾斜するなど、原始的な特徴が多いが、大腿骨はまっすぐで長く、現代人によく似ていた。
ピテカントロプス・エレクトスはピテクス(サル)+アントロプス(ヒト)であり、直立する猿人を意味するので、かつては「直立猿人」と呼ばれた事もある。また、ホモ・エレクトスは直立するヒトを意味する。
一方、インドネシアのフローレス島で発見されたホモ・フローレシエンシス(約1万2000年前まで生息していたと推定される)については論争が続いている。ホモ・フローレシエンシスをホモ・エレクトスの子孫とする説もある。
Java Man is an early human fossil discovered in 1891 and 1892 on the island of Java. Estimated to be between 700,000 and 1,000,000 years old, it was, at the time of its discovery, the oldest hominin fossils ever found, and it remains the type specimen for Homo erectus. ( Wikipedia)
サンギラン初期人類遺跡は、ジャワを流れる大河ソロ川の上流域、中部ジャワ州のサンギラン地区にある。この地区一帯は、古代には海で、20万年前に土地の隆起が起こり、50万年~80万年前の堆積層が現れている。この堆積層の崩壊にともなって、ジャワ原人の化石とともにマンモスの牙や下顎、水牛や鹿の角などの動物化石、貝塚などの遺跡が出土している。
発掘された化石数が多いのも特徴。世界中で発見された人類化石のおよそ半分が、インドネシアのサンギラン地区で発掘。世界的にも人類の進化の過程を理解する上で最も貴重な場所の一つといえる。サンギランの中央の丘の上にはサンギラン博物館があり、この地で発見されたジャワ原人、ソロ人、さらにはマンモスの牙や下顎、水牛や鹿の角などの動物化石が展示されている。
ジャワ原人は、これより10万年前くらいにアフリカを出たホモ・エレクトスの子孫だと想定されている。サピエンスより前に、アフリカを出たホモ属は、ネアンデルタール人やデニソワ人、北京原人等に進化し、後から来たホモ・サピエンスとも交流があったかもしれないか、遺伝子を残すことが出来ず消えてしまったらしい。

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ハイデルベルク人

ハイデルベルク人 ドイツのハイデルベルク市で発見された。ヒト属の一種。ハイデルベルク人をホモ・エレクトスとは別種としたい人達も多いようだ。いわゆるホモ・エレクトスに比べ脳容量が大きく(1100cc - 1400cc)、より人間的な行動をとることができ、これを種レベルの違いであると主張されている。脳が大きければ知能が高い。知能が高ければ生存にどんな有利なことがあるのか。時期は60万年前から40万年前。ハイデルベルク人は大柄で、大人の男性では身長およそ1.8メートル、体重100キロ。まあ、身長も個人差が大きいのでこれを種の違いとは出来ない。使用した石器はアシュレアン(Acheulean)というホモ・エレクトスのものに酷似。出土したのは下顎骨ただ1個で、他の部分の骨も、石器などの文化遺物も無い。これだけでは何も言えない。

その後、南アフリカや東アフリカでも同様の化石が発見された。これはホモ・ローデシエンシスという別の名称で呼ばれることもあるが、通常は、別種とは見なされず、ホモ・ハイデルベルゲンシスと見なされる。発見者が別の名前をつけたがるのは当然のこと。ホモ・エレクトスの仲間としておこう。ただ、ホモ・エレクトスの仲間がヨーロッパまで進出していたことは特筆すべきだろう。
そのためこの人類は、原人であるのか、原初的な旧人であるのかが議論されたが、巨大な下顎骨の形質や伴出した動物化石との比較などから、時代的に見て原人であろうと考えるのが一般的である。
**原人と旧人
人類が猿人から、原人、旧人、新人と進化したとする仮説を念頭に置いた呼称。科学的な根拠が薄弱なので原人か旧人かという議論は全く無意味ではないか。どんな生き物も時間の経過とともにそれなりの進化はする。ただ進化の方向が違っているだけだ。たまたま適した環境に遭遇した種が生き残るだけだ。ホモ・エレクトスは既にホモ属で、ホモ・サピエンスやネアンデルタール人やジャワ原人たちの共通先祖。ここから色々な人類が分岐する。ハイデルベルク人はヨーロッパに分布していたらしく、ネアンデルタール人の古い形かも。
ところでホモ・エレクトスの仲間は急速に脳の容量を拡大して行く。脳の容量が増えることは自然選択にとってどんな利点があったんだろう。もし、それが進化の普遍的な法則ならチンパンジーもゴリラももっと脳が大きくなっていても可笑しくない。頭が大きく重くなって何か良いことがあるのか。ホモ・エレクトスの最大の課題はその点だろう。

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旧石器時代

旧石器時代(Pal(a)eolithic Age)とは、ホモ・ハビリスなどヒト属による石器(打製石器)の使用が始まった時代で、石器時代の初期・前期にあたる。年代的には200万年前に始まる。旧石器時代は石器の出現から農耕の開始までの時代(完新世)をさす。
通常、旧石器時代は以下の3つに区分されているようだ。

1.前期旧石器時代 ハンドアックスがひろく用いられた時代。
この時代の人類はホモ・ハビリスおよびホモ・エレクトスが主流であった。

2.中期旧石器時代 剥片石器が出現した時代。
ネアンデルタール人が広がった。極東アジアの中期石器文化の特徴から、ヨーロッパから来たネアンデルタール人に依ったものではなく、アジアの原人から進化した古代型新人によって形成された可能性も大きいとされる。
3.後期旧石器時代 石器が急速に高度化、多様化した時代。このような技術革新の原動力を言語に求める説もある。クロマニヨン人(ホモ・サピエンス)が主流となり、他の化石人類は急速に姿を消したようだ。

主な文化の分類
区分法により、各文化は大きく3つの時代に分類される。

1.前期旧石器時代(Lower Paleolithic/Early Stone Age、約260万~約30万年前)①オルドワン石器文化(約260万~約180万年前)/②.アシュール文化(約170万~約100万年前)/③クラクトン文化(約30万~約20万年前)

2.中期旧石器時代(Middle Paleolithic/Middle Stone Age、約30万年前~約3万年前)①ムスティエ文化(約30万~約3万年前)/②アテリア文化(約8万2千年前)

3.後期旧石器時代(Upper Paleolithic/Later Stone Age、約3万~約1万年前)①バラドスティアン文化/②シャテルペロン文化/③オーリニャック文化/④グラヴェット文化/⑤ソリュートレ文化/⑥マドレーヌ文化/⑦ハンブルク文化/⑧アーレンスブルク文化/⑨スウィデリアン文化

日本における旧石器時代
日本における旧石器時代は、後期については、北海道から九州にかけて5000カ所を超える遺跡が確認される。前期/中期についても、数こそ少ないがいくつか確認されている。 前期旧石器遺跡については全て捏造であったことが判っている(旧石器捏造事件を参照)。中期も多くが前期旧石器を捏造をした人物が関与していて否定的である。 捏造事件発覚以後に新しく発見された遺跡については議論がある。残念なことだけどほとんど分かっていないのが現状のようだ。

人類の生きた最古の時代である旧石器時代の人口推定値が、研究者によって算定した基準の違いがあるが、発表されている。旧石器時代前期(400万〜20万年前)12万5千人、同中期(20万〜4万年前)100〜120万人、同後期(4万〜1万3千年前)220〜300万人。

旧石器時代の社会は、群れまたは社会ごとに指導者が存在した。男性・女性はおおむね平等で、男性は狩猟、女性は漁労および育児を事としていたが、この役割はしばしば共有されており、明確な分業はされていなかったと考えられている。当時の人糞の化石からは、旧石器時代の人類はハーブなど植物に関する知識が豊富であったことが知られ、現代人が想像するよりも健康的な食事が実現されていた可能性もある。

住居のはじまりは、風雨や寒さを凌ぐためや外敵から身を守るために岩陰や洞穴に住んだり、大樹下などに寄り添って暮らしたり、遊動生活では簡単な小屋を造ったりしたことだろうと思われる。前期旧石器時代38万年前のフランスのテラ・マタ遺跡の小屋、13万年前のラザーレ洞穴内の小屋などが最古の住居といわれている。

道具
当時の石器は、石や動物の骨を打ち欠いて作られた鋭利なナイフ、鏃、槍、ハンドアックスなど、多岐にわたるものがつくられた。また、木をくりぬいてカヤックやカヌーも作って水上移動をしていた。さらにシアン化水素やヘビの毒、アルカロイドなど毒物の扱いにも長けていた。食糧が腐らないよう、乾かしたり低温保存させたりということも知っていた。

芸術文化
自然信仰と呪術が広く行われたが、晩期旧石器時代のヨーロッパでは35,000年前に最初の芸術が生まれた。絵画だけでなく塗装・彫刻も始まった。動物や女性などの彫刻が見つかっているが、その技術はきわめて高いとされる。芸術は信仰・呪術と緊密に結びついていた。
ヒトが道具を使って、社会的集団を営み、火や言語を使用するようになると、人類の進化は個体としての遺伝的進化から、集団としての知恵が蓄積された文化的な進化に変化する。だから、化石人類たちは相互に交流して互いに影響し合ったと考えるのが自然ではないか。似たような石器が遠く離れた場所で発見されることもあるようだ。

オルドワン石器 アシュール石器
**オルドワン石器
オルドワン石器は堅いハンマーで打撃を加えて製作された剥片やチョッピング・ツールを特徴とする石器文化。略して「オルドワン」ともいう。 製作は、250万年前に始まりアフリカやアジアの各地で2万年前まで続く。
アフリカの大地溝帯(オルドヴァイ峡谷など)で遺跡とともに最古の石器が発見されている。これらの石器は、礫を打ち欠いて制作した簡単な礫器や剥片からなり、解体された動物骨とともに見つかっている。 ホモ属(ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトスなど)はもとより、アウストラロピテクス猿人などにより製作された可能性がある。まあ、簡単なものだから誰でも作れるか。

**アシュール石器
Acheulean is an archaeological industry of stone tool manufacture characterized by distinctive oval and pear-shaped "hand-axes" associated with Homo erectus and derived species such as Homo heidelbergensis. 洋ナシ型の独特の形状をを特徴とする。おもにホモ・エレクトスやその派生集団らによってつくれたようだ。でも世界中広く発見されるようだ。打製石器の見本みたいなものだから何時までも使い続けられているようだ。

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ネアンデルタール人

ネアンデルタール人(学名:Homo neanderthalensis)とは、化石人類の一つ。ヒト属の一種で、約40万年前に出現し、2万数千年前??に絶滅したとみられる。ヨーロッパ大陸を中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。 つまり旧石器時代遺跡はかなりのものが彼らのものらしい。
ネアンデルタール人は、ヨーロッパ大陸を中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。北国に適応して肌の色が白かったのではないかと推定されている。
ホモ・サピエンス、つまり我々の先祖がアフリカを出た時期、世界には既に他のホモ属が割拠していたということだ。ジャワ原人や北京原人、デニソワ人、要は皆、ホモ・エレクトス、つまりホモ属の仲間だ。
以前は、ネアンデルタール人をホモ・サピエンスが狩り殺したような絵が好んで描かれていたが、本当は結構仲が良くて文化的にも人的にもかなりの交流があった可能性もある。でも、彼らの遺伝子はほぼ絶滅したらしいと言われていた。しかし、実際には遺伝子分析の結果、ネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子もサピエンスにもプールされていることが分かって来た。もし、彼らが本当に交流していたなら、別の種だという考えも見直さないといけない。しかし、化石の骨の中に遺伝子が残っていたというのも、不思議な気がする。有機化合物のDNAとはそんなに長い期間保存されるものなのだろうか。
ヒト科の類人猿は、昔から皆少子化であったのに対し、何故かホモ・サピエンスはやたらと多産化で沢山子供を産む傾向があるので、子孫を増やすことに成功したらしい。つまり、スケベーな猿ということか。あるいは、言葉を操る能力に長けていたという説もある。他のホモ属たちと比べて、喉仏の位置が上にあるらしい。嘘つきで人を騙すのがうまかったのか。ネアンデルタール人は脳の大きさから言えばホモ属最大。体も大きく力も強そう。でも脳の言語を司る部分はサピエンスの方が大きいらしい。まあ、ダーウィンの進化論では、多少でも生存率に差があれば、最後は一人勝ちになるのはやむを得ない。ただ、今後ホモ・サピエンスが環境の変化に対応して生き残っていくためには遺伝子の多様化は絶対に必要だ。多くのホモ属が絶滅してしまって、ホモ・サピエンスだけが一人生き残っていることは種の持続性から見ればあまり好ましいことではないが。ただ、ホモ・サピエンスにも沢山の種類の遺伝子が共通先祖から脈々と受け継がれていることを忘れてはいけない。

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デニソワ人

デニソワ洞窟 デニソワ人は、ロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟(ロシア、中国、モンゴルの国境に近い地域)に、約4万1千年前に住んでいたとされるヒト属の人類。デニソワ洞窟は、アルタイ地方の中心都市バルナウルから約150km南方に位置する。Homo sapiensの亜種とされる。 ネアンデルタール人と並んで、我々現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンス (Homo sapiens sapiens) とは、遺伝的に非常に近い化石人類である。また現生人類の一部と遺伝子情報を部分的に共有する可能性が高いとされている。

発見史
2008年にロシアの西シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟で子供の骨の断片が発見され、放射性炭素年代測定により約4万1千年前のものと推定された。また、同じ場所で、大人の巨大な臼歯も発見されている。
2010年3月25日付のイギリスの科学雑誌『ネイチャー』(Nature)において、マックス・プランク進化人類学研究所の研究チームは、発見された骨のミトコンドリアDNAの解析結果から、デニソワ人は100万年ほど前に現生人類から分岐した、未知の新系統の人類だったと発表。DNAのみに基づいて新種の人類が発見されたのは、科学の歴史上初めての事である。
遺伝子解析からは、色々な事が分かってくるようだ。ただ、ホモ属以降の人類の歴史は、遺伝だけでなく、環境や文化、社会といった面での進化の方が遥かに大きい。サピエンス自体も7万年前と遺伝子的には進化している訳ではない。化石や遺物の調査といった面の研究も今後とも進められることを願う。ただ、ホモ属がアフリカを出てから非常に速いスピードで世界に拡散していったことは分かると思う。
【追記】
イヌイット(昔はエスキモーと呼ばれていた人々)が、極寒の地で生き延びられたのは、デニソワ人の遺伝子を引き継いでいるからとの研究がある。この寒冷地対応の能力で、人類はベーリングの陸橋を渡り北米大陸に渡ることが出来たらしい。

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フローレス人

フローレス島 ホモ・フローレシエンシス(フローレス人 Homo floresiensis)は、インドネシアのフローレス島で発見された、小型のヒト属と広く考えられている絶滅種。身長は1mあまりで、それに比例して脳も小さいが、火や精巧な石器を使っていたと考えられる。そのサイズからホビット(トールキンの作品中の小人)という愛称が付けられている。新種説に対しては、反論もある。このヒト属は、当初は12,000年前まで生存していたと考えられていたが、より幅広い研究の結果、最も近年の生存証明は、50,000年前まで押し上げられた。2016年現在では、フローレス人の骨は10万~6万年前のもの、石器は19万~5万年前前後のものであるとみなされている。 2003年に、オーストラリアとインドネシアの合同チームが発見し、2004年10月に公表、2005年3月にヒト属の新種であるという詳細な発表を行った。
リアンブア (Liang Bua) の石灰岩の洞窟に、当初3万8千年から1万8千年前と考えられたホモ・フローレシエンシスの骨7体と獲物と考えられる象(ステゴドン)の骨、石器などが一緒に発見された。骨は化石化しておらず、かなり脆い状態だった。当初、小さいため子供の骨と思われていたが、詳細な検討により成人の骨であることが判明した。
2005年に、既に発見されていた個体の右腕部分と新たな個体と考えられる下顎骨が発見された。その下あごの骨も他の個体と同様に小さく、小型の種であるという説を強化するものとなっている。

孤立した島では、しばしばウサギより大型の動物の矮小化が起こる。同島にはステゴドン等数種類の矮小化した動物が存在した(これを島嶼化という。ただし、必ずしも小さくなるわけではなく、小型種は巨大の傾向を示す。フローレス島に生息するネズミは一般的なドブネズミの約2倍の大きさである)。
脳と体躯をつかさどる遺伝子は全く異なっており、体躯が小型化しても、脳は同一比率で小さくなるわけではないといわれている。その点からも、フローレシエンシスが新種の原人であるという点について反論がなされている。フローレシエンシスの脳容量は380ccといわれており、体重に対する脳重量の比はホモ・エレクトスと大型類人猿の間に位置する。この点について、マダガスカルの古代カバの研究により、島嶼化でより脳が小型化する可能性も指摘されている。
ホモ・フローレシエンシスは直接の祖先ホモ・エレクトス(84万年前ごろ生息)が矮小化したものと考えられているが、より原始的な祖先に起源を持つ可能性も示されており、ホモ・ハビリスから進化したという説もある。脳容量は380立方センチで、平均的なエレクトスの半分程度、大型のチンパンジーよりも小さい。高次の認知に関する部分の大きさは、現代人と変わらず、火を使った形跡や化石から考えて、かなりの知能があったと考えられている。足は第一指が他の指と平行であり、つま先が伸縮可能な点が人類と共通であるが、第一指の小ささや長くカーブしている外側の指で体重を支える点はチンパンジーに近い。土踏まずは存在せず、現代人と比べ二足歩行は苦手だったと見られている。
Homo floresiensis ("Flores Man"; nicknamed "hobbit") is a pygmy archaic human which inhabited the island of Flores, Indonesia, until the arrival of modern humans about 50,000 years ago.
The remains of an individual who would have stood about 1.1 m in height were discovered in 2003 at Liang Bua on the island of Flores in Indonesia. Partial skeletons of nine individuals have been recovered, including one complete skull, referred to as "LB1". These remains have been the subject of intense research to determine whether they represent a species distinct from modern humans; the dominant consensus is that these remains do represent a distinct species due to genetic and anatomical differences.

This hominin had originally been considered remarkable for its survival until relatively recent times, only 12,000 years ago. However, more extensive stratigraphic and chronological work has pushed the dating of the most recent evidence of its existence back to 50,000 years ago. The Homo floresiensis skeletal material is now dated from 60,000 to 100,000 years ago; stone tools recovered alongside the skeletal remains were from archaeological horizons ranging from 50,000 to 190,000 years ago.

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馬鹿洞人

馬鹿洞人 馬鹿洞人(ばろくどうじん、Red Deer Cave people)は、知られているうちで最も新しい、現生人類に似ていない先史時代の人類。年代測定で14,500-11,500年前と判定された化石は中国の馬鹿洞と隆林洞で発見された。旧人類と現生人類の特徴を合わせもつ彼らは比較的最近まで生存していた人類の別の種と見られ、現生人類の遺伝子プールに寄与することなく絶滅したと考えられている。馬鹿洞においては大きなシカを調理していた痕跡が残されている。

1979年に穴居者の頭蓋骨の一部が中国の広西チワン族自治区にある隆林洞で発見された。さらに1989年には雲南省にある馬鹿洞においても追加の人骨が出土した。20年以上も前に発見されていたが、最近になるまで分析されていなかった。馬鹿洞の穴居者の化石は化石堆積層の中から発見された炭を使用した放射性炭素年代測定で14,500-11,500年前の間と判定された。この期間中にネアンデルタール人など他のすべての先史時代の人類は死滅したと考えられている。つまり、馬鹿洞人は13,000年前と判定されたホモ・フローレシエンシスよりもさらに新しい時代に生きていたことになる。

DNAを抽出する試みはこれまでのところ成功していないが、今も継続している。抽出が成功すれば、このグループと他の現生人類との関係を判定することが可能になる。 中国語の「马鹿(馬鹿)」は「アカシカ」を意味し、日本語における「馬鹿」のような侮蔑の含意はない。日本語では、「馬鹿」の表記を避けて、「アカシカ人」、「赤鹿人」、あるいは「紅鹿人」とする例がある。

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ホモ・サピエンス

ホモ・サピエンス(Homo sapiens、ラテン語で「賢い人間」の意味)は、現生人類が属する種の学名である。ヒト属で現存する唯一の種。 ずいぶん手前勝手な名目だね。 ホモ属であるので、ネアンデルタール人やデニソワ人とは兄弟姉妹であることは間違いない。ただ彼らが先祖だったという考えには異論が多い。ゲノム解析では遺伝子が数パーセント混入しているとの説もあるが、別系統の人類であるとする見方が今は有力である。ということは共通先祖が必ず存在するはずだが、まだ分かってないはずだ。アフリカのどこかでホモ・エレクトスから分岐したのだろうと推測されているだけだ。でも、忽然と現れる訳はない。何か環境の変化があったはずだ。

もし彼らが背広姿で東京の町中に現れたらおそらく現代人との見分けがつかないぐらい似ているはずだ。遺伝子レベルではネアンデルタール人やデニソワ人達と比べかなり変化しているようだが、実際に彼等と比べて何が違うのか。

ネアンデルタール人とサピエンスの違いは解剖学的には多少の違いがあることは分かっている。
1. 頭蓋骨の化石からサピエンスは脳の大きさはやや小さい。ただ一部大きくなった部分もある。言語を司る部分ではないかと。ネアンデルタール人の脳は人類最大らしい。
2. 喉仏の位置がサピエンスの方が多少上部に。これが言語音声の発音に有利でこれが言語能力の差になったという仮説もある。
3.ネアンデルタール人の方が体も大きく頑丈。

ネアンデルタール人やデニソワ人達も人類として火を使ったり道具を利用していたようだし、集団で暮らしていたことも同じ。言語や文化的なことは化石ではなかなか分からない。何故絶滅してサピエンスと入れ替わってしまったのかはよく分かっていない。しかし、遺伝的には彼らのものも現代人にもしっかりと受け継がれていることが分かって来た。だから、多分多少の交流もあったようだ。サピエンスは脳が大きくて頭が良かったから生存競争に勝ち残ったというのは勝手な思い込みではなかろうか。何か気候の変化とか災害があって、サピエンスだけが運よく生き残った可能性の方が大きい。

今後の研究であるが、ホモ・サピエンスが大きな脳をどのように利用して地球環境の激変を乗り越えて来たのか知りたいところだ。化石に残らない社会の仕組みや文化等も考慮する必要があるのかも。大きな脳を持つことは生存のためにそんなに有利なことなのだろうか。

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沖縄の旧石器文明

遺跡分布 日本でも縄文時代より前の旧石器時代があったことは明かになっている。日本の場合、酸性土壌のせいか、化石人骨の発見がほとんどないのですが、一箇所だけ静岡県で浜北人というのが見つかっていて、縄文時代より前なので、縄文人の先祖だろうと推定されている。しかし、彼等がどこから日本にやって来て、その先祖は誰なのかはまだよく分かっていない。つまり、縄文人というのはある意味正体不明の人種なのだ。旧石器の捏造事件もあり、研究の方も休眠状態か。 ところが、沖縄の石灰岩の洞窟は、弱アルカリの環境だったのか化石が良く保存されていた。その結果、縄文時代以前の旧石器遺跡も多数発見されている。彼らは皆縄文人の先祖なのか、一部はサピエンス以前の旧人なのかは、不明なようだが、島嶼の生物特有な体形の小型が進んでおり、外形的には一般の縄文人とは異なっているようだ。出て来るシカの化石も小型化が見られる。 どちらにせよ、沖縄の旧石器人たちがどこから船でやって来て、どのような生活をしていたのかは大変興味のある話題だ。
沖縄の旧石器遺跡は、下記の通り沢山存在している。

年表 サキタリ洞遺跡
サキタリ洞遺跡(サキタリどういせき)は、沖縄県南城市にある旧石器時代以降の遺跡。近年、多くの発見がなされ注目を浴びている。 サキタリ洞遺跡は、沖縄本島南部に位置する、「ガンガラーの谷」にある洞窟内に広がる遺跡。沖縄県立博物館・美術館が2007年より発掘調査を行っている。 サキタリ洞周辺の地質は、島尻層群(泥岩)が土台となり、その上を琉球層群(石灰岩)が覆っている。サキタリ洞遺跡のある「ガンガラーの谷」周辺は特に石灰岩層が厚く、雄樋川の浸食によって洞穴群が複雑に発達しており、有名な玉泉洞とその周辺の洞穴は「玉泉洞ケイブシステム」と呼ばれる大規模な洞穴群を形成している。 周辺には先史時代の遺跡が多く分布している。有名なものとして、港川人骨が発見された港川フィッシャー遺跡(八重瀬町)が1.5kmの距離にある。 また、グスク時代の人骨が発見されたハナンダガマ遺跡(南城市)、縄文時代晩期の人骨が発見されたガルマンドウ原洞穴遺跡(八重瀬町)、約7千年前の南島爪形文土器や縄文時代晩期の石棺墓が発見された武芸洞遺跡(南城市)などがある。主な発見は、 (1). 2010年7月〜8月、縄文時代の遺物を含むフローストーン層の直下から12,000年前のヒトの歯1点とともに石英の石器3点が発見される。旧石器時代の人骨と石器がともに発見されるのは日本で初めてである。この発見には二つの意味がある。ヒトと文化の両方を明らかにすることができる証拠であり、沖縄の旧石器文化の解明につながる手がかりとなる。また、12,000年前という年代が、旧石器時代の発見と縄文時代の発見の空白期に相当し、それを埋めるものであったことが挙げられる。 (2). 2013年、沖縄県最古の約8,000年前の土器が発見された。表面にヘラなどを押し付けて紋様をつける押引文土器とされる。従来、沖縄最古の土器は約7,000〜6,000年前の無文土器または南島爪形文土器とされてきたが、この発見により1000年遡ることになった。 (3). 2014年2月、23,000〜20,000年前の貝製のビーズと道具、人骨が発見された。旧石器時代の遺跡から貝器が見つかるのは日本で初めてである。 (4). 2014年12月、少なくとも9,000年以上前の成人の人骨が発見された。人為的に埋葬されたものと考えられている。 (5). 2016年世界最古の釣り針(23,000年前、貝製)が発見された。また30,000年前の幼児人骨も発見された。これは日本国内で山下洞人(32,000年前)に次いで古いものである。

港川フィッシャー遺跡
港川フィッシャー遺跡は、沖縄本島南部、那覇市より南方約10kmの島尻郡八重瀬町(旧・具志頭村)に位置する。旧石器人として知られる港川人が出土した。 アメリカ施政権下の1967年(昭和42年)11月、那覇市でガソリンスタンドを経営していたアマチュア考古学研究家の大山盛保は、具志頭村(現・八重瀬町)港川の石材店で入手した庭石(粟石=石灰岩)に、動物の化石らしきものを見出し、この石の産地に動物を求めて狩猟をしていた人類もいたのではないかと考えた。大山は港川・長毛地域の採石場に赴き、崖の割れ目(フィッシャー)を発掘すると1万年以上前のイノシシの骨が出土した。大山はイノシシを捕獲して暮らしていた人間の存在を確信したが、この考えに同意するのは考古学者の多和田真淳ただ一人であった。遺跡からはハブ、ネズミ、カエルなど多種多様な動物の骨が出土したが、人骨はなかなか出ず、大山は日が暮れて暗くなると車のヘッドライトで遺跡を照らしながら発掘を続けた。 1968年(昭和43年)1月21日、大山は港川フィッシャー遺跡から人骨を発見する。同年3月19日、山下町第一洞穴遺跡の発掘のため来琉していた東京大学の鈴木尚教授らを港川に案内する。予備調査を行うと、大山が採集していた化石骨のうちに、ヒトの脛骨2点、上腕骨1点、足の親指、頭骨片が確認された。 1968年末から1971年(昭和46年)にかけて第一次調査が、1974年(昭和49年)からは本格的発掘調査が行われ、完全に近い全身骨が5〜9体姿を現した。これが港川人である。 (1). 1968〜1969年、東京と沖縄の人類学・考古学者の混成チームによる発掘調査。人骨は発見されず。1970年8月、大山が地下約20mで完全な化石頭骨と人骨を発見し、渡邊が緊急調査、頭骨など約40点の人骨片を発見した。同年11月、大山がほぼ完全な全身骨格を発掘する。 (2). 1970年(昭和45年)。人骨数点が出土したが、同調査では地質学的研究に力点が置かれた。 (3). 1974年。海水面下より人骨が出土した。 (4). 1998年から4年間、4次にわたる本格的発掘調査が行われた。旧石器時代の人骨・石器の発見はなし。

白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)
新石垣空港の滑走路左側に見える「ISHIGAKI」の文字の左奥が白保竿根田原洞穴遺跡である。沖縄県石垣市(八重山列島石垣島)東部に分布する洞穴内にあるにある旧石器時代から16世紀頃までの複合遺跡。全身骨格がほぼ残ったものとしては国内最古の約2万7千年前の人骨が発見されるとともに、国内で初めての旧石器時代の墓域が確認された。 海岸から約800m、標高30~40mに位置。空港建設中の2007年に行った調査で洞穴内から人間の頭、脚、腕などの骨9点が発見される。また、その後の調査で1,000点以上の人骨片が出土。 (1). 2007年に発見された人骨のうち、状態のよい6点について専門家チームが放射性炭素年代測定を行ったところ、2010年に、そのうちの1点の20代~30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が国内最古の約2万年前、他の2点も約1万8千年前及び約1万5千年前のものと確認される。 (2). さらに国立科学博物館が、2010年までに出土した人骨10点の母系の祖先を知る手掛かりとなるミトコンドリアDNA分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来のDNAタイプであることが明らかとなった。 (3). 2012年度、19体分の人骨が発見される。旧石器時代の人骨発掘としては世界的にも最大級である。人骨のうちの一体(4号人骨)は約2万7千年前(較正年代)のもので、全身骨格がほぼ残った人骨としては国内最古である。 4号人骨は、30代から40歳前後の男性のもので、身長は165.2cmと港川人(153cm)より高い。下顎と比較して上顎の歯の摩耗が顕著であり、特殊な歯の使い方をしていた可能性がある。4号人骨は、仰向けの姿勢で、膝を胸の前に折るとともに、両手が顔の近くになるように肘を曲げられ、地上の岩の間にあった。このため人為的に安置されたと考えられ、風葬の可能性がある。日本国内で初めて確認された旧石器時代の墓域だ。 これまで、直接測定による日本国内最古の人骨は、静岡県浜北区の根堅洞窟で発見された浜北人の約1万4千年前であった。なお、人骨そのものではなく、周辺の炭化物などから測定した日本国内最古の人骨は沖縄県那覇市山下町第一洞穴で1968年に発見された山下洞人の約3万2千年前のもの。
ピンサアブ遺跡
ピンザアブ洞人(ピンザアブどうじん)は、1979年(昭和54年)に沖縄県宮古郡上野村(現・宮古島市)のピンザアブ洞穴で発見された約25,800~26,800年前(旧石器時代)の化石人骨。発見地のピンザアブ洞穴は沖縄県宮古島市(宮古島)上野豊原に存在。1979年多数の化石動物骨とともにヒトの後頭骨片が発見された。
1980年、後頭骨片、尖頂骨、右側頭頂骨、脊椎骨(第5腰椎)、乳歯(下右乳犬歯)片を追加発見される。人骨に港川人と共通する特徴がある。
ピンザアブ洞人の年代は約25,800~26,800年前と判明。これは年代的に山下町洞人(約32,000年前)と港川人(約18,000年前)の中間に位置する。また、形態分析からも港川人に連続するが、やや先行する様相を示していた。骨は壮年の男女と子供を含む数個体を含んでいた。旧石器時代の人骨であるが、その生活の痕跡は発見されなかった。
現在、ピンサアブ洞人の骨は動物化石とともに、国立科学博物館新宿分館(東京都新宿区)に保管されている。

**浜北人(はまきたじん)は1962年に静岡県浜北市(当時、現在の浜松市浜北区)の岩水寺採石場・根堅洞窟で発見された旧石器時代の化石人骨。浜北原人とも言う。1960年~1962年にかけて、根堅洞窟の堆積より、 脳頭蓋、下顎智歯、脛骨片、鎖骨、上腕骨、尺骨、腸骨の骨片からなる20代女性のものと推測される同一個体の化石が発見された。これらは更新世後期のものと推定され、骨の形態から新人に属するという。縄文人と類似した形質から、その祖形と推測される。このほかにもトラなどの動物が発見され発掘された。 年代の特定は化石人骨では全国初となる炭素14法によって実施され、約1万4000年~1万8000年前のものであるとの測定結果が出されており、旧石器時代の化石人骨である事が確認された。

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南の島のよくカニ食う旧石器人

カニ食う旧石器人 参考文献;南の島のよくカニ食う旧石器人、藤田祐樹著、岩波科学ライブラリー287
沖縄で旧石器人類の遺跡の調査を続けて来た研究者自らが研究の成果を語るとても興味深い物語です。考古学の面白さを堪能できる本です。
何故か、旧石器の遺跡で人骨まで出るのは、沖縄しかない。そして琉球諸島には間違いなく旧石器人類が住んでいた。彼らが縄文人の先祖かどうかは、まだ調査中で決着を見てないようだ。ただ、島という特殊な環境にいたためか、縄文人の先祖としては体型が異なるようにも思われるらしい。
考古学の大変なところはまず、時代の特定のようだ。遺物の年齢を間違えてしまえば、折角の貴重な遺物もガラクタと化してしまう。しかし、放射性原子を使って測定は大企業の有する高度な分析装置を使わねばならず、一検体数万円位かかるので、本当に必要な物に特定して検査を行う必要がある。
考古学というものは、実は仮説を立てる力、つまり想像力がとても大事だ。旧石器人といえども大きな脳を有した人の仲間。彼らの気持ちにならないと、何を検証すれば良いか分からなくなる。
釣り針 沖縄本島の南部のサキタリ洞窟(鍾乳洞)では、大量のカニ(モクズガニ)の甲羅とカワニナの貝殻が発見される。どうも古代人が食したことは間違いないようだ。どちらも淡水性の川に生息する生き物。季節的には夏の終わりから秋にかけての季節限定らしい。つまり彼らは毎年秋になるとカニを食べるために、わざわざこの洞窟に集結したらしい。
また、洞窟には海産の貝殻が沢山あったが、こちらは食べるためではなく、海岸に打ち上げられた貝殻を拾ってきたもので、これを石器代わりに木を削る道具として使っていたようだ。また貝製の釣り針も発見する。世界最古の釣り針(2万年以上前)に属する。
でも、夏場はいいとして冬の間、彼らはどのように生活していたのか。旧石器時代には沖縄といえども冬場は雪が降り寒冷な気候だったらしい。リュウキュウジカはもう絶滅していたんだろうか。野生のイノシシはいたのか。他人事ながら心配になる。その後、縄文人がやって来た時、彼らはどこに行ってしまったんでしょうか。

**モクズガニ
モクズガニ モクズガニ(藻屑蟹)エビ目(十脚目)・カニ下目・イワガニ科に分類されるカニの一種。食用として有名な「上海蟹」(チュウゴクモクズガニ)の同属異種である。日本各地で食用にされている内水面漁業の重要漁獲種である。モクズガニは主に関東地方の呼び名であり、西日本ではツガニやズガニと呼ぶ地域が多い。甲幅は7~8cm、体重180gほどに成長。川に産するカニの中では大型種。鋏脚に濃い毛が生えるのが大きな特徴。小笠原諸島を除く日本全国、樺太、ロシア沿海州、朝鮮半島東岸、済州島、台湾、香港周辺まで分布する。今では結構高級な食材らしい。まいにちカニ三昧とは羨ましい話かな。

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人は何故毛を失ったか

顔の進化 人の特徴の一つとして、体毛を失った(実際はなくなったわけではなく薄くなったのだが)ことが挙げられる。ただ、他の類人猿達が立派な毛皮を今でも保有しているのに何故人類だけがこのような特殊な変化をしたのか、その理由が今一つ解明されていない。一体人類が幾多の絶滅の危機を乗り越え、自然淘汰の試練をくぐりぬける上で、体毛が少ないメリットがまだよく分かっていないようだ。
一つの理由として考えられる仮説は、集団の中でお互いの感情を分ちあうためというのがある。実は類人猿達は皆顔の毛を失っている。更に先祖の霊長類の猿たちですら、顔の毛を失っている。また同時に群れ生活をするようになっている。更に、顔の毛を失った猿たちは、視覚と色を見分けられるように、一度失った色覚を再獲得している。
このことは、先祖の霊長類達は互いに顔を見せ合い、表情を豊かにし、相手方は、顔色の変化まで読み取り、互いの感情を交換し合っていたのではないかと推測できるのだ。カリフォルニア工科大のチャンジギー博士の説。
かって、霊長類達が三色色覚を獲得したのは樹上生活で木の実を食べるためと言われていた。確かに一理ある。でも博士は、霊長類達がお互いに顔色を確かめ合い、互いに共感しあうのが最大の利点であろうと推測している。お互い楽しく遊んでストレスを溜めないため。ストレスを貯めないためなら生存に有利な性質だから。霊長類達はデリケートな感情を有する生き物なのかも。
多毛症 多くの類人猿達は互いに顔認識が出来る。人間には彼らの顔を見ても誰が誰かを判断するの難しいが、彼ら同士なら難なく見分けがつく。でも、チンパの方からは人の顔の認識の方がかえって難しい。お互い様だ。でも、顔認識はコンピュータにとっては大変難しい課題だ。高度な脳の機能が要請される。
でも、考えて見れば分かる。クジラもライオンも家族の一員なら瞬時に判断する。 人の場合も多毛症という病気があるらしい。顔が毛におおわれていたら表情が分からず不気味な感じになる。でも、それ以外に困ることはなさそうだ。

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集団の構成

人が人らしく生活するには、集団というか社会生活が不可欠だろう。文化や技術と言ったものは人が社会生活をしていなければ当然あり得ないものだから。 猿軍団 霊長類の研究には、自然状態の群れの観察が必要と最初の認識を示したのは、やはり京都大学出身の今西 錦司(1902~1992年)博士だろう。彼は日本猿の社会を始め、類人猿の社会を集団社会学とでもいうような学問を世界に先駆けて創始する。彼の弟子たちの活躍が続き、日本の研究は間違いなく世界のトップランナーのようだ。日本猿という類人猿に近い猿が日本には沢山生息していたことも幸いだったようだ。

日本猿の一つの群れは、複数のオトナのオスと複数のオトナのメスとそのコドモたちから構成されている。オスはメスよりも少ないのが普通。群れで生まれたコドモのうち、メスは生涯を生まれた群れで過ごすが、オスは性成熟に達する4~5歳ごろに生まれた群れをでる。こうして、群れの中には血縁関係によって結ばれたメスとコドモたちと、血縁のつながりのないオスたちが一緒に暮らすことになり、メスが家系をつなぎながら、群れは世代をこえて維持されていきます。オスは、生まれた群れをでると、よその群れにはいりますが、移るのに時間がかかることがあるために、ある程度の間は群れとは離れて、ひとりで暮らしているサルがいます。ヒトリザルとか、ハナレザルとよばれているサルがオスばかりなのはこういう理由だ。また、群れの中にはメスの方が数が多い。新しい群れに入ったオスは、その群れからも3年ばかりするとでていってしまい、生涯にわたっていくつもの群れを点々としていきます。

このような社会集団の仕組みを「母系的複雄複雌群」とよんでいます。世界のさまざまな地域のサルが詳しく調べられるようになって、ニホンザルの仲間やそのほかの多くのアジアやアフリカのサルも同じ様な社会をもっていることがわかってきました。ただし、どのようなサルでも同じというわけではありません。たとえば、チンパンジーではオスではなく、メスが集団を移るらしい。

類人猿の場合も、この社会集団の仕組みは種ごとに異なっており、決して一方向に進化している訳ではない。生息する環境に応じて社会集団の仕組みは柔軟に変化するようだ。昆虫のような真正社会生活者とはこの点は異なる。
① オランウータンやテナガザルは基本的に単独生活者だ。広い森の中は餌が豊富なのか。子育てするのはメスだけ。子育てには数年の時間がかかるがその間はほんとに母子家庭。オスの役割は種付けだけだ。
② ゴリラは、典型的な家族生活者。1頭のリーダーオスのもとに数頭のメスがいて、みんなで仲良く子育てをする。もちろん子供たちはリーダー子供達。メス猿は決して浮気しない貞操なメスばかりみたいだ。若いオスもリーダーに従っている限り群れにいることは否定されない。リーダーは新参者にもとても寛容なようだ。だからオスも複数存在することもあるらしい。子供達は成長すると群れから自主的に出て行くようだ。リーダーも止めない。極めて自由で平和的な社会だ。めったに争わない猿。 食事を皆で一緒に取る。食べ物を互いに分けあう。これはゴリラの文化だね。会食して互いに心を通い合わせるんでしょう。だから、ゴリラが食事した後には森の果物は皆なくなってしまう。だからゴリラは食事のために森の中を始終移動しないといけないらしい。これをG型社会と名付けよう。
③ チンパンジーの社会は、ニホンザルと良く似ている。序列者社会で、オスどおし、メスどおしで厳しい序列があるようだ。だから、ゴリラ社会と比べるとあまり平和的でないようだ。複数の家族が混在しているためかも知れない。食べ物も親子なら分けあるが基本的には個食のようだ。みんなで輪になって一緒に食べるような文化はなさそうだ。 類人猿に他にボノボも最近注目されている。チンパンジーと比べてかなり温和で平和的な猿らしい。
④ ヒトは、他の類人猿と共通の先祖から進化して来たらしい。先にゴリラが分岐して、次にチンパジーとボノボが枝分かれしたらしい。だから、比較的自由で平和的な社会というのはゴリラより前の共通の先祖から受け継がれてきたものかもしれない。あるいはチンパンジーと分岐して更に競争的な社会をつくるようになったのか。 これは、現在も細々と伝統的な狩猟採集生活を続けている人たちの社会や過去の歴史における人々の生活をつぶさに調べて行けば答えは出て来るのでないか。
基本的には伝統的社会は、かなり家族的で平和的なものだったことが分かるはずだ。確かに異なる集団の間では熾烈な戦いもあったかもしれないが、集団内の争いは話し合いが原則で勝ち負けなしの世界が主流だったはずだ。つまり、伝統社会はゴリラ型、資本主義社会になって自由競争、核家族、個人重視の風潮が出てきてから、チンパンジーの競争社会になったのかも。山極先生の「サル化する社会」とはこの風潮への警告ではなかろうか。

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グレート・ジャーニー

人類の起源はどうもアフリカで、ずっとアフリカに押し込められていて、ホモ・サピエンスの時代にアフリカを出た? でも、ネアンデルタール人やデニソワ人やジャワ原人なども既に世界中に。彼らは各々の地域で独自に進化した(多地域起源説)? でも、最近の研究では彼等もアフリカ起源らしいとなって来た。出アフリカの人類は皆ホモ属という同じ属に、それまでの人類の先祖と比べ脳が著しく巨大化して来たらしい(チンパジーの倍以上)。
つまり、脳が大きくなったことがアフリカを出発する理由なのでしょう。一般にどんな動物も自分のいる安全な場所をよっぽどの強制力が働かない限り動かない。出来れば定住、ダメでも森なら森の中、草地なら草地伝いの移動だろう。
しかし、グレート・ジャーニーはどうももっと積極的なのではないか。ユートピアを求ての知的好奇心を感じるのだが。現代人でもアウトドアライフが好きな人は多い。それは古代人も同じだろう。脳が大きくなって、その脳をフル回転させる要求が働けば、旅行をすることは最大の楽しみに変化する。
古代人たちの集団は基本的にはゴリラ型、つまり構成員たちが比較的フラットな社会で、共感型。誰かがユートピアを語れば、全員一致で行動に移ることがで来る。新しい土地はエキサイティングな世界だ。動物も植物も異なるし、自然環境も予測できない。だから面白くてワクワクする。また知恵者や経験者の知恵が大変貴重だ。でも、どんな場合も先生は自然だけだ。だからどんな知恵者も「無知の知」を自覚し、自然の声や子供などの弱者の意見もしっかり聞く。合理的精神や科学的精神も現代人の上を行っている可能性もある。
逆にリーダが頑固で強権的だったり、構成員達が頑固で何事も多数決で決めようとする集団がいれば、自然の先生にこっぴどい罰を受けて、絶滅の憂き目にあったでしょう。リーダーの理想像はゴリラのオス型だというの一理ある。
人類が人らしくなったのはグレート・ジャーニーをいう貴重な学習を経験してきたお陰なのではないでしょうか。

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知恵とは何か

ホモ・サピエンスとは知恵(知識ではない)のある猿との意味らしい。アウストラロピテクスだのアファル原人などと言った人たちは、脳の大きさが現代人の1/3程度しかないので知恵があまりなかったのだと想定されている。もちろん大きな脳が役に立っているとしたらの話だが。
ヒトの脳の大きさが急速に拡大したのは、ホモ属の登場からで、ネアンデルタール人をピークにその後は減少傾向らしい。大きな脳はデメリットも多く、女性のお産は大変危険だ。ヒトの体の構造上、脳の拡大は限界のようだ。
それでは、大きな脳は人類が繁栄する上でどのようなメリットがあったのでしょうか。ヒトは自分の能力を当然のものとしているので、この観点についてはほとんど何も分かっていないようだ。
大きな脳の力を最大限に発揮したのは、サピエンスの先祖筋にあたるホモ属達でこの時期に人類は世界各地に適応放散していったという事実がある。反対に現代人がどれだけ有効に脳を活用しているかを考えると知恵(知識ではない)を使わずに惰性で生活している可能性も高い。脳科学は最近発達した科学で人の脳、更には動物の脳についても具体的な研究は始まったばかりだ。
サピエンスが発展した理由の一つとして言語の習得を強調する意見もある。しかし、人類が言語を使い始めたのが何時かはよく分かっていない。しかも、言語は脳の左半球の一部であり、右半球の役割はまだあまり解明されていない。もし、アフリカを出たホモ属達が言語を使っていなければ、言語の使用は脳が大きくなるための原動力ではなく、脳が大きくなった結果の副産物ということになってしまう。 ディープラーンニングという言葉が良く聞かれる。門外漢にはよく分からない世界であるが、今後のAIの開発には必須のものらしい。
分かり易い例として、顔認証の問題がある。我々は、親族や友人の顔を瞬時に判断できる。でも、判断した根拠を言葉で説明しようとすると極めて困難なことに気づく。論理の世界とは別だから。そもそも男女の別だって顔写真だけでは判別不能なはずだ。従来型のAIにとっては極めて困難な課題であることが分かる。
同じ実験を類人猿でやった人達がいるようだ。人の顔認識、彼らはさほど得意でないようだ。ところが彼らの仲間の顔の違いなら難なく認識できる。当然人にはこれは難しい。 でも、考えて見れば当たり前のことでもある。社会生活をする哺乳類は、仲間同士の関係、誰がリーダで群れの順位はどうか、いつも気にかけて生活しているのだから。つまり、顔認識は、類人猿も、日本猿も、オオカミも、カラスも共通に持っている能力らしい。顔認識の問題の特徴として、顔認識の正解率が100%でなくても構わない。90%なりそこそこ当たれば実生活の上では問題ないことだ(確率の世界か)。

【オオカミの知恵】
NHKの「地球ドラマチック」で取りあげられたヨーロッパ・オオカミの記録は大変面白く、動物の知恵に関する色々な示唆に富んでいる。
ルーマニアの森に暮らす雄のオオカミが群れから離れ、旅に出る。わざと群れの掟破り群れから追い出さる。孤高のオオカミの旅がすさまじい。ルーマニアの森からスペインまで。 獲物を取り逃がした時、カラスと出会う。カラスとオオカミは互いに見つめ合い親愛の情をそれぞれの方法で示したよう。それで交渉成立。カラスは餌となりそうな獲物の位置を空から探知して教える。カラスは餌を一緒に食べることが出来る。カラスも知能の高い鳥、オオカミも相当知能が高い。互いの共感し合えることが面白い。種が異なっていても知能の高い動物達は共感し合える能力があるということだ。知恵に富んだ人類の先祖たちはこの能力をフルに活用したと想像することは、あながち間違っているとは思えない。
雄のオオカミは伴侶となるメスオオカミを見つけて一緒に生活する。一人ではヒグマと戦うことは不可能だけど、二匹で協力すれば、ヒグマから獲物を取りあげることが出来る。1+1が2ではなく、3にも4にもなるわけ。実際の映像では、二匹がヒグマを挟み撃ちにし、ヒグマの前にいる側が牙向いて脅し、実際は後ろのオオカミが噛みつく役を引き受ける。熊が後ろを振り返ると役が交代。この二匹の協力は高度な脳の機能が要求されるであろう。互いに相手の動きを理解して強調しないと出来ない業だ。何故オオカミが群れを作るかこれで分かる。群れには分ちあいの心が存在している。分ちあいの心には言葉は不要なようだ。
類人猿のチンパンジーも群れを作る。彼らはヒヒなどの他の猿を狩って捕食することでしれれているが、基本的には草食で捕食される側だ。しかし、群れになれば立派な牙を使って捕食者を逆に懲らしめる戦闘能力を持っている。
類人猿達も、オオカミも基本的には一人でもやっていく能力がある。しかし群れを作っていた方が安全だ。人類の先祖たちも基本的には同じであったろう。
霊長類は顔の毛を失い、豊の表情を作り、顔色を変えることで自分の気持ちを相手に伝えるように進化した。相手が悲しそうにしていると自分も悲しくなるのも脳の力。 ゴリラはオスのリーダを中心にまとまった構成員が平等なフラットな社会のようだ。互いに眼を見つめ合って、常に相手の心情を思いやる。ご馳走が手に入れば皆で平等に分ちある。強い群れを作るノーハウでもある。

【狩猟採集民】
農耕を始める前の人類たちは、総て狩猟採集民として括っても良いかも。食料は総て自然からもらわないといけない。そして自然というものは普段は大人しくとも時には非常の過酷で生存を脅かす。思い通りには行かない。このような自然と共生していくためには、ヒトの側にもそれ相応の知恵が必要だ。 ホモ属の時代には、おそらく火を使うことを覚えていたようだ。おそらく山火事か火山の噴火などがキッカケと思われる。火を使って調理をすることで、大勢で一緒に食事をする楽しみを覚えたのだろう。また、食べられる食材の種類が飛躍的に増えたはずだ。肉食も覚えたようだがどうも必ず火を使っていたようだ。
人類の狩りも最初は、他の肉食獣の獲物を横取りすることから始まったんでしょう。特にライバルはオオカミのような集団の捕食者だろう。獲物を横取りしたり横取りされたり。しかし、共に近くに暮らしていると互いのルールが出来て共存共栄の道も見つけたのではないでしょうか。縄文人でもオオカミ=「大神」と特別の尊敬を込めて神様として崇めている面もある。結構仲良くやっていたのかも。オオカミが害獣として嫌われるようになるのは人が家畜を飼い始めてからだ。
狩猟採集民は、自然と共生し、環境も保全し、野生生物とも共存し、それにもまして人と人の関係もフラットで支配被支配のない、ある意味理想的な社会を作っていた可能性もある。

【理想的なリーダ】
狩猟民のリーダ達は狩りの獲物を、子供や女性たちに優先的に後は皆で平等に分配し、決して自分の手柄を誇らない。常に謙虚で皆の意見を聞き後は適任者に自由にやらせる。そもそも私有財産の概念も乏しい社会で、リーダなんて頼まれても皆引受けない。皆に押されて仕方なしにやるものだろう。だから優秀なリーダは、出来るだけ優秀な部下を配下に置こうと努める。
よく会社の役員向けのリーダ論などあるが、狩猟民のリーダ達は大抵良いリーダの典型のようだ。古代(農耕以降)の先達達もこのことに気づいている。中国の神話の堯舜宇等もそうだし、ソクラテスの無知の知なんかも関係しそうだ。道教の無為自然なんかもそれか。しかし、狩猟民のリーダ達は責任が軽い訳ではない。部族の存亡がかかっているから。実は高度な知恵が求められている。

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