裸坊達の部屋

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裸坊達の部屋目次

目次
裸坊達とは 裸坊達の部屋について scienceの部屋について
歴史の部屋について Kids’ Roomについて 算数の部屋について
英語の部屋について 論理の部屋について 国語の部屋について
心の部屋について英作文練習の部屋について
新しく下記ページを立ち上げました。
英作文練習の部屋について
英作文練習の部屋

裸坊達とは

裸坊達は、ホームページのタイトルとしては、私は大変気に入ってます。 金も権力も無縁。無知の知を認識して、物事をありのままに見つめ、自然に逆らわず生きてゆく無頼僧達。なんとなく哲学的な響きがありますね。
      でも、ネタをバラシテしまうと、この言葉はロシア語で働くという意味なんです。Работать(ラボータチ)は、働くという意味の動詞の不定形(原型)です。働かざる者食うべからず。なんて、これ革命家レーニンの言葉でしたか。
     定年後の老人も、日本がだんだん貧しくなって行き、年金だけでは、食べていけない時代が来るかもしれません。労働人口が減少していく中、われわれ老人も過去に学んだ知識を生かし、次世代に伝えて行くことが大切になって来るでしょう。このホームページも私の社会貢献の第一歩になればと考えて作成に着手いたしました。
ところで、山口県防府市に裸坊祭りというのがありました。多分ネットで検索するとこちらが出てしまうでしょう。「裸坊達の部屋」なら大丈夫かな。
裸坊達の祭りについて

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裸坊達の部屋について

 このHPを昨年(2017)に立ち上げてから1年立ちました。1年立って見てHPが意外と大きくなってしまったことに気がつきました。適当にあちこちに書き連ねていた記事も数が増えてくると自分でもどこに何が書き込まれているのかだんだん分からなくなってきます。だから今回大整理を試みてみましたが、その結果見やすくなったかどうか。
 まず、裸坊達の部屋としていたhtmlは、HPへのアクセスのための入り口なので、できるだけ全体の枠組み情報にとどめ、具体的な内容はscienceを中心にその他のページに移行。また、子供向けのKids’ roomの内容を充実させることに。相変わらず未完成のものが多いのはこのサイトが成長途上と言うことでご勘弁を。今後も無知の知を認識しつつ知への冒険を続けて行きたいと考えております。(2018.5)

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scienceの部屋について

色々と観察し、仮説を立てて、実験などで検証する。この立場には自然科学も社会科学も区別はないと思う。なんでもやってみよう。物理、化学、地質学、生物学、経済学、社会学、宇宙、生命、数学、文学、芸術、ゴルフ理論、将棋、何でもありで行きましょう。特に最近は色々な学問の境界に属する課題が非常に面白いと思います。(2018.6.2)

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scienceの部屋

英作文練習の部屋について

このサイトの本来の目的は、忘れていて錆びついていた自分の英語力をリフォームするのが目的で始めたもの。そもそもは自分の勉強のため。でも、作り始めて分かったことは、これは受験生から社会人、あるいは小中学生にとっても大変役立つ内容になっていることです。現在はインターネットが普及しているので、本気になれば英語のみならず、ほとんどの外国語は、独学でマスターすることも可能となっているはずだ。そうこうするうちにコンピュータによる翻訳も日常生活に入ってくる日も近い。当然英語の勉強の仕方も変わってくるはずだ。
HPを作って分かること。書くことは、キーボードやマウスを動かすことに取って代わられた。ここで作った英文はhtml言語で直接入力しているので直ちにHPの画面に変換されてしまう。原稿を作る手間は全く必要ない。画面のレイアウトもその都度変更できる。だから大量の情報を処理することもそんなに苦にならない。しかも自分の勉強としてもためになる。
読者のメリットも大きいと。最大のメリットは、コストが0-タダであること。英会話の学校へ通えば月数万円。市販の高価な視聴覚教材もいいものは高い。耳を慣らすだけならテレビでもネットでもいくらでも教材はタダで手に入れられる時代にもかかわらずだ。また、単語や例文をひたすら暗記するのは全く過去の勉強法だ。最初は私もなんらか収入を得ることも考えたが、しょせん自分のため、少しでも多くの人に読んでもらうためには、タダで提供していることの方がはるかに有益だ。読者の方も、自分で作文されると更に効果が上がる。できればパソコンで直接英文を打ち込んで欲しい。適当に溜まれば、自分専用のノートもできるし、ネットに公開して大勢の人に読んでもらえれば更に良いでしょう。私も将来このホームページの英語版を作って海外にも公開できたらと考えているのです。
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英作文練習の部屋へ行くには下記をクリックしてください。

英作文練習の部屋

歴史の部屋について

歴史の学習とは。歴史の好きな高齢者は多い。戦国時代の城めぐり。多くの謎に包まれた古代史の旅。歴史の研究はどんなテーマでもはまるととても面白く興味が尽きない。でももう少し視野を広げると全く異なった世界が広がる。例えば、宇宙の歴史138億年。ビックバンに始まり、未だ膨張を続けている宇宙とは一体何なのか。太陽系の歴史約46億年。これほとんど地球の歴史と同程度。生命の誕生は、約30億年前位か。でも、多細胞の動物が大爆発したのがカンブリア紀で、約5億年前。この時代の生き物はものすごく面白いですね。恐竜が絶滅したのが6500万年前。人類が祖先は数百年前で、ホモサピエンスが登場するのはせいぜい3万年前ぐらいで、縄文時代は1万年前ぐらいか。このあたりから世界中で農耕が開始される。コンピュータの歴史は、精々数十年。だが、もう数十年で人間のほとんどあらゆる能力を凌駕することと言われている。ここでは、このような超マクロな視点で、歴史を楽しみたいと思ってますが、たまには重箱の隅みたいなミクロな話題もいいかもしれませんね。
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Kids’ Roomについて

長いこと暖めていたホームページが出来上がりました。ホームページ作成のための言語HTML (HyperText Markup Language)も何とか、マスターすることが出来ました。老人の知恵を次世代に引き継ぎたいという遺伝子の命令なのか、今回Kids’ Roomとして新しくページを追加致しました。内容としては、算数の部屋と英語の部屋ですが、今後皆様の応援を得て他の分野にも拡張していければと考えております。(2017.5)
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算数の部屋について

算数は、数学への橋渡しであり、数学は実社会においても物事を正確に記述し、問題解決の展望を見つける手段となる言語です。ちょうどコンピュータがプログラミング言語で動くように、科学は数学と言う言葉で進化して来ました。算数は単なる頭の体操で終わらせては、行けません。日本語で書かれた問題は、方程式に翻訳できれば、8割方解けたようなものと考えられます。後はひたすら計算するだけです。けれども、小学校で算数をしっかりやらなかった子供は、分数や桁数の多い計算で引っかかり、正解にたどり着くことができません。物理や化学も計算が嫌いで嫌になってしまう子供が多いと思います。考え方はあっているのにねと言われても子供たちにとっては間違いは間違いです。計算については学校でも塾でも散々叩き込んでくれます。逆にやらせすぎが原因で算数嫌いを作っている可能性もあります。でも今は、昔と違って、電卓もあり計算力については多少目をつむっていてもいいように思います。
一方、算数の時間の文章題については、未だに方程式を使ってはいけないという風潮が残っているようです。方程式は中学校の範疇ですから、小学校ではやっていけないという暗黙の了解があるのです。でも、小学校のうちから方程式という言葉を自由に操れることは膨大なメリットがあります。また、身の回りの事柄が数学的に解決できるという発見は子供たちに大きなワクワク感を与えてくれて、自主的に学ぶ気持ちを増やします。このような理由から、このサイトでは、文章題をネタに方程式の作り方を学んで行きたいと思っています。
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英語の部屋について

英語については、これは意思伝達の手段で言葉そのものであることは当然ですね。けれども、今までの日本の英語教育が間違っていることは、明らかですね。10年以上も英語の勉強をしたという、大人たち。1年ぐらい日本に滞在している外国人、大抵はかなり流暢な日本語話します。そんな人たちに10年も勉強したのに英語で会話ができないなんで全く信じられないと疑いの目で見られます。英語は、言葉です。HTMLと同じで使ってナンボの世界です。英語学者なら、教養としても知識でも構わないでしょうが、企業人なら英語を使う必要性も、学ばねばならぬプレッシャーもあり、そんな悠長なことを言っていられません。
実をいうと、この私も高校、大学とずっと英語は劣等生で、就職してからも劣等感は払しょく出来ませんでした(出来ないのは現実だから)。一年発起して高額なテープ教材を購入したことも。ある時、中野幾雄先生の「英語は書けなければならない」を本屋さんで見つけてから開眼したようです。他の中野英作文シリーズを自分で問題を考えながら読んで行くうちに気がついたら、英語力が知らぬ間にアップしたのですね。会社が実施する英語力テストも上位の方になったらしく、海外畑の仕事をするようになってしまったのです。 良く、一般に言われることは、日本語で考えないで、英語で考えなさい等と言われますが、これ全くのウソです。人間は言葉を使って考えます。言葉は色々な単語と文法から構成されています。この基本がないと考えることすら不可能です。ためしに、外国人の前で全く話せない状態の日本人に聞いてごらんなさい。「英語でだめなら、あなたの言いたいこと日本語で言ってごらん。」と、良くあるケースは、日本語でも良く分かってないのです。大抵そういう人たちは英会話スクールで習った使えそうな例文を次から次へと思い浮かべているだけです。
こんなことをしていたら、何年たっても使えるようになるわけありません。日本の学校の英語では、読むこと、聞くことは重視していますが、書くこと,話すことは全くなおざりにされてきました。英語の文法は、書くため話すための規則です。文法を間違うと、話が通じないし誤解を招きます。コンピュータ言語ならば、文法間違いは致命的で全く動きません。逆に言えば、文法の知識は他の人に通じれば、OKなはずです。重箱の隅をつつくような文法知識は不要です。英語は、今や世界中の人が使っていて、アメリカ人、イギリス人だけのものではなくなっています。
     私の経験ですが、作文を通して、一通りの文法をマスターすれば、読解力は格段にアップします。私の場合、洋書を読むのが楽しくなってきました。シドニー・シェルドン、マイケル・クライトン等をむさぼるように読んだ時期もあります。また、これらの本に付属したカセットテープでの朗読も結構楽しいですよ。
     いま、小学校から英語の教育が始まろうとしています。誰が子供たちに教えるのでしょうか。今の学校の先生でちゃんと外国の方と対等に会話ができる人はわずかしかいません。会話力では、修羅場にさらされている企業人の方が上です。これからの子供たちに我々世代がした苦労をさせないで済むように祈るばかりです。
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論理の部屋について

 論理的に物を考えることは、総ての科学においての基本中の基本であるので、考えることを仕事にしている人たちは、おそらく自然に論理的に考える訓練をして来ているものと想定されます。ただ、実生活を考えた場合、日本人は論理的に物を考えることが欧米人や、インド、中国の人達と比べても劣っているとの指摘もされています。場の雰囲気で物事が決められてしまう日本の風土と違って、何事も自己の主張を積極的に発言しないと、無視されてしまう諸外国の風土では、論理に対する意識も異なってくるかもしれません。
   しかし、論理の役割は、相手を論破して打ち勝つためのものではありません。相手の主張を理解し、自分の主張を理解してもらい、双方ハッピーになるWin-Winの関係を構築するために不可欠の技術です。日本では、議論の際に相手の主張を理解して反論する代わりに相手を個人攻撃してしまう例も多いようです。何を言ったかよりも誰が言ったかの方に重点が置かれてしまうこともあります。
   日本の学校では、この論理の技術は今まで、本格的の教えられては来なかったと思います。ちょうどNHKの高校講座に「論理の力」として特別の講座が乗るようになりました。本来は、小学生のうちから国語の時間にみっちり叩きこんでもらいたい内容です。マスコミの記事や国会の答弁、専門家の解説、さらには学校の先生に説明にも論理の目で見ると??と思われることが沢山あることに気がつくと思います。
今の子供たちが大人になるころは、色々な分野の考えも経験も異なった人たちが協力して、新しいものを創り出していく社会になります。国際交流もずっと進むでしょう。そのためにも論理の力は絶対に不可欠の技術です。
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国語の部屋について

 日本語というのはある意味で独特です。漢字とひらがなの両刀使い。表意文字と表音文字を両方使っています。表意文字の代表は数学の記号。表音文字は、英語の他、特別に進化したものはコンピュータの0と1の列や遺伝情報があります。どちらも人間にとって科学技術を推進する重要なツール。日本人は子供の頃からこのツールを二つとも当たり前のように使いこなしています。
 学校の国語では、この漢字の持つ大きなポテンシャルを習得することがとても大切です。物理、化学、経済、法律、総ての自然科学、社会科学は漢字のオンパレードです。日本でも一時、難しい漢字をなくす運動があったようです。『ひらがな』や『ローマ字』表記にすべしと。こんなことが実現しなかったことは大変幸いです。お隣の韓国では、『ハングル』を採用して漢字を追放してしまいました。ベトナムもローマ字表記です。モンゴルは良く知りませんがロシア文字がローマ字か。将来、科学技術の分野で韓国がノーベル賞を取ることは難しいでしょう。米国への留学組が頑張るかもしれませんが。
 一方、日本には中国から伝わった漢字を中心とした言葉の文化がある一方、大和言葉を使った平易な表現法も存在しています。これも物事を具体的に生活に即して平易に表現するツールとして便利な物です。関西弁等の方言も言いにくいことをグサリと表現できる力を持っています。言葉は、火や土器と同じく人類の発明した大変便利で重要な武器です。
漢字の勉強を中心に『ことば』という道具を有効に使える練習をしたいですね。
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心の部屋について

裸坊達の部屋が手狭になってきました。今までに書き綴った内容のうち、人生の生き方などに関係する哲学、心理、社会学、政治などもこのページの方に漸次集約していく予定です。また、文学や芸術も含め人の心に触れる話題も追加して行きたいと思っています。 まず、手始めに新渡戸稲造の「武士道」を読んでみたいと思います。英文ですので自分の勉強を兼ねた学習ノートのようなもの、読みながら順次追加していきます。小学校での道徳教育の復活が計画されているようですが、何を教えたいのでしょうか。武士道とは今でも役に立つものでしょうか。新渡戸氏の他に古くは宮本武蔵の「五輪書」や「葉隠」なども広い意味で武士道について書かれたものでしょうか。とりあえず少しずつ読んでみることにします。
心の部屋

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迷走する教育理念1

 そもそも、義務教育は何のために存在しているのでしょうか。西洋で発達した民主主義の理念の中に、「すべての人は生まれながらに平等である。」とあります。福沢諭吉翁も「天は人の上に人を作らず。」と書いております。でも、諭吉翁は、人は学問をするとしないではその後の人生に大きな差が生まれることも強調しております。でも実際、法の上ではすべての人は平等だと規定されていても、世の中の貧富の差はとても大きく、貧困家庭では子供にろくな教育を与えることができません。その結果、教育を受けられなかったその子供が成人してまた、貧困に陥るといった連鎖を断ち切ることができなくなります。
 だから、義務教育とはどの子供も平等とはいえないまでも、ある程度の基礎教育を受ける権利を担保しようという趣旨で、子供の親、自治体、国に教育する義務を課しているわけです。子供にとっては、基本的人権の一部であって、教育を受ける権利で、決して義務などではないはず。
 当初は、学校へ通えることを嫌がる子供など、想定できなかったはず。字が書けて、多少の計算が出来て、本が読めるということは人間が生きていくうえで大きな武器となることは、子供でも分かったから。でも、制度が確立してしまうと、学校嫌いの生徒がドンドン増えていきます。一方、社会の方は学ばねばいけないことがドンドン増えていきます。何故学校嫌いが増えるかは、さらなる分析が必要でしょう。でも、この傾向に対応して、学校に通うことは生徒の義務という発想に変わっていきます。近頃、先生の側から「教える権利」なんていう奇妙奇天烈な言葉を聞くことがあります。「教える権利」なるものあるとすれば、あくまでも「学ぶ権利」を補完するもので、単独で存在するものではありません。生徒が学ぶ義務があると考えるから、その対極として「教える権利」なる変なものが考え出されるのです。でも、本来人間が学ぶことは、権利の行使であって、決して義務ではないはず。
 最近、文部省が言い出した、「アクティブ・ラーンニング」。それでは、今までの教育は「パッシブ・ラーンニング」だったのでしょうか。人間が学ぶということは、あくまでも「学ぶ権利」を行使するアクティブなものなのか、言われたことを粛々とこなす義務としてのパッシブなものなのか。親や地域の反対を押し切り、ようやく学校に通えるようになって、初めて読み書きを学んだ貧しかった小学生たち、絶対に「アクティブ・ラーンニング」を行ったと思います。次から次へと知りたいことが出てきます。「アクティブ・ラーンニング」とは学ぶ喜びのある学習。権利としての学習。これを上から押しつけて義務としの学習としてしまっては効果無しでしょう。権利と義務。権利はアクティブな行為。義務はパッシブになりがちです。最後の孔子の言葉(論語)で締めくくりましょう。
「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。」

今学校で起こっている可笑しなこと

 うちの孫娘が、小学校の算数のテストで文章題で答えがあっているのに式を直されて来たことがある。もう、問題は覚えていないがこんな極めてやさしい問題だ。「初めに教室に3人の生徒がいました。後から17人やってきました。全部で何人になったでしょうか。」
これを、17+3=20人とやるとダメで、3+17=20でないと式がペケなのだそうだ。
これって、大数学者もビックリですね。しかも、これ文部省が指導要綱に明記して先生にとってはマニュアル化しているらしい。
 同じことは掛け算でもあるらしく、「5台のトラックに、1台当たり3個ずつ米俵を積むと米俵は全部で何個ですか。」。これも5×3、3×5どっちが正解か。基本的にはこんなこと大昔から世界中でどちらでも同じ、決まっているはず。ところがネット上では、日本の教室内では教室内だけで守るべきローカルルールがなければならないと主張している人々が存在しているらしい。足し算、掛け算では可換則が成立し、この事実は低学年からしっかりと身につけねばならない。5×3と3×5は等しいけど、5÷3と3÷5は異なっている。ただ、掛け算や割り算は、用いられている単位も同時に掛けたり割ったりしていることはしっかりと教えて欲しい。だから、本当に式にこだわるなら、「5台×3個/台=15個」とすれば良く、それ以外の式は減点と約束すれば良い。
足し算や掛け算は、普通の数だけでなく、高学年になるとベクトルだったり、行列だったり、集合だったりいろいろなものを考えなければいけない。a×b=-b×a (ベクトルの外積)、この程度のことは、今後中学生ぐらいまで下りてくると思われる。アクティブラーンニングによる柔軟な思考力が求められる。融通の利かないキッチョマン(著しく几帳面な人間)は最悪な先生だ。

迷走する教育理念2

鳴り物入りで登場した「ゆとり教育」。2000年頃は「脱詰込み教育」としてもてはやされたのに、何故かいまは「脱ゆとり」。PISAとかいうOECDが実施する各国の学力試験の結果が下がってきたことが原因とか。これも、日本の経済力が落ちてきたことや、貧富の格差が拡大して教育困難な生徒が増加したことが本当の原因なのか、「ゆとり教育」の実施のやり方が原因なのか、学校の教育力の低下が原因なのか、その辺の検証は行われていないようだ。
 少なくとも、第2次中曽根内閣の時代に提案された「公教育の民営化、自由化」や「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化、情報化など変化への対応」といった理念は教育の未来に向けての改革を目指しており、さらには、内暴力、非行、いじめ、不登校、落ちこぼれ、自殺など、学校教育や青少年にかかわる数々の社会問題を解決に向けて取り組もうとの姿勢もあったはずだ。
 「ゆとり」といっても、富裕な家庭の子供たちは学外の学習塾や課外体験学習等の機会が増えて、学校とは別の「生きる力」といった本物の学力を大いに伸ばす機会に恵まれた半面、貧困家庭の増加から、学習困難児が教室でも増え、いわゆる学力の二極化がより顕著になってきている。確かにオリンピックでのメダルの獲得数が増えたり、将棋や本格的な学問の世界でも大人を凌ぐ能力の子供が出現したりするのはまさにゆとり教育の賜物であろう。学習の場は、学校だけじゃない。でも、この傾向が進めば、学校の役割はどうなるのであろう。
 教育の現場では、先生たちは一様に自信を失っている。平均的なレベルで授業を行っても、上位の子供たちは、あまりにレベルが低すぎて、聞くに堪えない。でも、一方には、もっとずっと前に遡っても全く理解できない子供たちがいる。平均値の教育では、どちらの側にたっても生徒たちは不満で先生は尊敬されない。どちらか一方の側に立てば、父兄や仲間の先生からもブーイングとなろう。子供たちは学習塾の先生の方が、教え方がうまいという。それは当然だ。学習塾は生徒一人一人のニーズに合わせて教え方をその都度工夫できる。
今まで、学校の先生方は画一教育に慣らされてきた。文部省の指導要綱に従って、箸の上げ下げまでマニュアル化されている。だから、抜本的な改革が必要なのは学校の制度そのものであろう。「脱ゆとり」を掲げて、授業時間を長くして、「英語」や「道徳」等の教科を増やして、無理やり子供たちを学校に囲い込んでも、生徒も先生も疲弊するだけだ。「公教育の民営化、自由化」をさらに進めて、学校の役割を見直すこと大切だろう。

現代の流行語

忖度(そんたく)

 何故今頃になってこんな言葉がはやるのか。基本的には相手の気持ちを推し量る。発端は、私学の森友学園瑞穂の国小学院認可問題からで、総理の立場を忖度して云々。最近こんな難しい言葉使われてないと思いきや、実はこれは古語ではなく官僚仲間では、普通に使われているもの。官僚の立場、法や規則を守って公平が原則、しかし、実際の実務に当たっては、過去のしがらみや権力者の意向に逆らえない。こんな時に便利な言葉、こちらの立場も忖度してくれよ。「こっちにも事情があるんだ。こちらの立場を推測して理解して下さい。」では、相手は納得しないでしょう。もっと端的に言うと、「もう、話は決まっているの。議論はお終い。」が本音。

 日本の官僚は、基本的には終身雇用で、止めたらただの人、上司や時の権力者の意向に背いて左遷や首になったら元も子もない。常に上の意向を忖度してやっていくことが宿命となっている。現在の政治は自民党の一党独裁、政治指導とかで、官僚への圧力が強くなっている。せっかく忖度しても、後でトカゲの尻尾切りでは、官僚もたまらない。精一杯の反抗が始まっている。本日の忖度は、悪い方の使い方。こんな忖度ならない方が良い。

 儒教の道徳では、民の心を忖度するのは為政者の心得、友人関係も互いに相手の立場を忖度していけば丸く収まる。忖度ということば、単に相手の気持ちを推し量るという普通の意味だったのです。

印象操作

 首相は「印象操作」を今国会でたびたび使う。「忖度(そんたく)した事実がないのに、まるで事実があるかとのことを言うのは典型的な印象操作なんですよ」「我々がまるでうそをついているかのごとく、そういう印象操作をするのはやめていただきたい」

 またまた、意味不明の言論。忖度とは、相手の気持ちを推し量ること、そんなこと、誰がどうやって証明できるの。担当の役人が忖度したと言えばそうかもしれない。事実がないと言い張ること自体が既に自己矛盾です。

 印象操作とは、見慣れない表現ですが、次のような定義があるそうです。文章表現上の工夫で、断定的な口調で自己の判断を提示し、それがあたかも「一般的」であるかのような印象を読み手に与える手法。マスコミが行う印象操作 は、以下の方法で行う。
断定的な口調で自らの主張を示す。
それらの主張を一般的であるかのように連日報道する。
反対意見は存在しないかのように扱い黙殺する(報道しない自由、言論弾圧の一種) 。
反対者に対しレッテル貼りを行う 。

 これらを悪い言い方でいえば偏向報道ですが、実際にはごく日常的に行われているのが現状でしょう。国会で野党の質問に対して使う適切な言葉とは思えませんね。印象操作と言えば、プレゼンテーション等大事な発表の場では、誰でも相手に与える印象を必死に考えますよね。そのためにも色々な技術も開発されてます。根拠のあることを科学的にアピールすることはいいことです。問題なのは、発言の裏に根拠のない前提が隠れていることですね。これを見破るのも「論理の力です(NHK高校講座のプログラム)」です。

政府閣僚の失言問題

防衛大臣(第15代)の稲田 朋美氏が2017年6月27日に、都議選の自民党候補者応援演説の際、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてお願いしたい」と発言したことが、自衛隊の政治利用ともとれる発言ではないかと批判されています。この発言が野党各党から辞任を求める要求となり、本人も謝罪しており、これで主相が解任すれば一件落着のはずが、主相が解任を拒んでいることが最大の問題となっている訳です。

過去失言問題で辞任した大臣は沢山います。ですが、今回の稲田さん、主相も解任させたくないほどの優秀なブレーンなのですね。将来は主相も目指したい。小池都知事と同じですか。従って、この発言はうっかりではなく、計画的に準備されたもの。たとえ謝罪しても、本心は変わってないはず。多分、言いたいことは「将来の日本の国防、自衛隊のあり方、他日本の将来を本気で考えているのは自民党ですよ。私は、自民党の代表としてお願いします。」程度のことだったかもね。あくまでもレトリック。「言葉通り受け取られてもこまるよ。」。でも世の中の人達、そんなに賢くないですよ。

選挙というものあくまでも個人が行う行為。防衛省の意見、自衛隊の意見、自民党の意見などある訳がない。ただ、最近の自民党は、執行部の公式見解に対し、反対意見を認めないとすることが慣例になりつつある。各省庁においても公式見解があれば、職員はそれに従うべきという考えが出てきているように思われる。非常に危険な思想です。 今、稲田氏は防衛省という軍の最高指揮官。もし、自民党が都議選で負けたら許しません。軍隊を派遣して、議会を解散させますよ。現にエジプトではアラブの春は軍によって潰されたでしょう。稲田氏の場合、防衛大臣という立場が、事を余計不安にさせているんです。

ダイヤモンドの知恵

 NHKのEテレで、ジャレド・ダイヤモンド博士(Jared Mason Diamond, 1937年~)の学生との間の特別授業の様子(日本語吹き替え)が連載されていた。博士は、米国人で1937年、ボストンでベッサラビア(今のモルドバ共和国)出身のユダヤ系の両親の間に生まれる。1958年にハーバード大学で生物学の学士号を取得後、1961年にケンブリッジ大学で生理学の博士号を取得。その後、生理学者として分子生理学の研究(生物の遺伝や生理についても非常に詳しい)を続けながら、平行して進化生物学・生物地理学の研究も進め、特に鳥類に興味を持ち(バードウォチャーとしても本格派だ)、ニューギニアなどでのフィールドワークを行なった。そこでニューギニアの人々との交流から人類の発展について興味を持ち、その研究の成果の一部が『銃・病原菌・鉄』として結実する。他に、『人間はどこまでチンパンジーか?』、『人間はどこまでチンパンジーか?』、『第三のチンパンジー』、『文明の崩壊』等 多数の著作がある。上記テレビ番組の中でも、人類の誕生から人類の将来までの幅広い考察が披露された。
ダイヤモンド      ダイヤモンド博士ダイヤモンド博士
 『銃・病原菌・鉄』の冒頭で、博士はニューギニアで現地の賢者から、「あなた方白人は、沢山のものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それは何故だろうか」との素朴な質問を受け、答えられないことに気が付いた。
ジャレド・ダイアモンドの名を一躍有名にしたのが、一般向けの書籍『銃・病原菌・鉄』である。この著作は、「なぜヨーロッパ人がニューギニア人を征服し、ニューギニア人がヨーロッパ人を征服することにならなかったのか?」という疑問に対し、一つの答えとして書かれたという。ダイアモンドは、これに対して「単なる地理的な要因」(例えば、ユーラシア大陸の文明がアメリカ大陸の文明よりも高くなったのは大陸が東西に広がっていたためだから等)という仮説を提示し、「ヨーロッパ人が優秀だったから」という従来の根強い人種差別的な偏見に対して反論を投げかけ、世界的なベストセラーとなる。さらに、補足すると、もしニューギニア人の先祖がたまたま今のヨーロッパに住み着いて、白人の先祖がニューギニアやオーストラリアに住み着いていたなら、君たちニューギニア人の子孫たちが世界を席巻することになったはずだということ。なぜこんなことが言えるのか。詳細は上記書籍を読んでいただければ分かるが、次のことは言えそうだ。
まず、博士のあくなき知的探求心がある。ありきたりの定説では満足しない。必ず別の疑問が生じる。また、彼の広範な知的バックグラウンドは実にいろいろなアプローチを可能にし、彼が考えた仮説に確固たる基盤を提供してくれる。一方、過去の出来事を正しく理解するというのは歴史科学の役割だ。そのような意味では、宇宙の歴史から誕生まで人類の誕生までの歴史も自然科学一分野として確立している。ところが文明が起こり文字や記録が残されるようになった時代から以降は、歴史学は文科系の学問のように棲み分けできてしまったようだ。そこには「人間はサルとは別で、自然科学的な考察になじまない。」という、暗黙の了解があったのだろう。でも、「人間とチンパンジーの遺伝子は1.6%しか異なっていない。どうして人間は文化や技術を発展させたのに、チンパンジーは昔と変わらない生活をしているのか。」。 人間でも、オーストラリアのアボリジニと呼ばれる人々は、いまでも原始的な石器を用いた狩猟採集の生活をしている。彼らの先祖も昔は中国か東南アジアからやってき人々で、人間個人として劣っているわけでは全くない。結局、農業も文明も人と環境との相互作用の結果として生じたもので、そこには天才も意志強固なリーダも必要ない。このような考えは、特に人文系の人々からは「環境決定論」だと批判もあるらしい。しかし、一般の生物の進化論では地球環境の変化の重要性を認識しながら、人間だけは別だという論理は成り立たない。では、歴史に現れる偉人たちの功績は。それは、環境の変化、時代の要請をいち早く予見し、賢明な対策を先取りしたということだろう。ダイヤモンド博士は、間違いなく現代社会の「知の巨人」といわれる一人でしょう。

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