心の部屋

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心の部屋

裸坊達の部屋が手狭になってきました。今までに書き綴った内容のうち、人生の生き方などに関係する哲学、心理、社会学、政治などもこのページの方に漸次集約していく予定です。また、文学や芸術も含め人の心に触れる話題も追加して行きたいと思っています。 まず、手始めに新渡戸稲造の「武士道」を読んでみたいと思います。英文ですので自分の勉強を兼ねた学習ノートのようなもの、読みながら順次追加していきます。小学校での道徳教育の復活が計画されているようですが、何を教えたいのでしょうか。武士道とは今でも役に立つものでしょうか。新渡戸氏の他に古くは宮本武蔵の「五輪書」や「葉隠」なども広い意味で武士道について書かれたものでしょうか。とりあえず少しずつ読んでみることにします。


ピラミッド

このホームページを作っているうちに考えた。
私は、ピラミッドを造っているのだ。
最初はまず簡単なものを
でも、気がついたらだんだんと巨大なものに膨らんでくる。
最初は、色々考えていても勝手に次々と新しい考えが浮かんできて
一体どこまで行くのか
自分が死んだ後も残るかも
誰かが引き継いでくれるかも
ひたすら書く
今まで自分が見えていなかったことが見えてくる

吉村作治はピラミッドに魅了された
ピラミッドは奴隷の強制労働で造られたのではない
当時のエジプト人たちが作りたくて造りたくて仕方がなかったのだ
ピラミッドのパワーが人々を駆り立てた
当時最高の知恵と技術
みんなが協力して
造っている時が一番楽しくて充実している

何のために
では、人は何のために生きているのだ
自分が信じたものをやり遂げる
信じている物は虚構かも知れない、幻想かも知れない
人生所詮すべては夢
宇宙の歴史130億年
人間は長くて100年
1億3000万分の1
何が本物で何がニセモノ
我々はあまりにも無知

だから知ることは楽しい
アーそうだったのか
その感覚大切にしよう
2017.6.4追加

人は何のために長生きするのか

 これは古来よりの永遠のテーマでしょう。ところが、こんなことが今さら問題になるのは、やはり人の寿命が延びて高齢化社会を迎えたことがあります。では、視点をもっと広くして生物は何のために生きるのか。環境に適応して生き残って子孫を伝えていく。ただこれだけのために遺伝子は巧みな戦略で進化して来ました。多細胞生物の細胞の中には、本来別の生き物であったミトコンドリアや葉緑体やその他さまざまな微生物が取りこまれて、共生をすることで進化しました。多細胞生物は各々の細胞が役割分担をすることで全体としての生物が出来ています。そのためには個々の細胞は、全体のためには死をもいとわず、生物全体の機能が停止した状態を死と定義します。人も死んでもしばらくは、髪や爪が伸びますがこの状態は生きているとは言いませんね。
『環境に適応して生き残って子孫を伝えていく。』これは、人間にも当てはまる原則ですね。そのような観点で、人は生きている価値がある訳です。ミミズやオケラが生きている価値があるのと同じ程度に。さらに、人類は共同体という社会を発達させてきました。この共同体というものも、生物の進化から言うと歴史は古く、昆虫では、ハチやアリ、シロアリ、哺乳類でもハダカデバネズミなどが知られています。上記の生物では共同体の役割分担は非常に明確で、個体は完全に共同体の部品と化しています。つまり、群れ全体が一つの完結したもので、遺伝子は群れ全体の生存を計っている訳です。
 ところが、哺乳類になると個体同志の役割分担は明確でなく、環境や学習、お互いの競争などによって後天的にかたちづけられていくことになります。リーダーになる個体も最初からリーダーではなく、仲間との協力や競争を通して、最終的に共同体の他の構成員から認められて初めてリーダーになるのです。このことは、人間も全く同じです。人は、共同体の一員として考えて行動し、共同体の一員として認められて初めて幸福感を得られるように遺伝的に刷り込まれているのでしょう。心理学者のアドラーによれば、人の悩みはほぼ100%対人関係に起因すると喝破しています。人の幸福度は、共同体への貢献度で決まる。どんなに見かけ上成功したように見えても共同体への貢献を本人が感じることが出来なければその人の人生は無です。従って、利己的で周りの人々は皆敵、あるいは利用すべき対象でしかない人は幸福にはなれない。たとえ寝たきりになっても、周囲の人にとってかけがいの無い人は幸福なんだそうです。
 一方、人を含む類人猿は、子供をつくる能力を失ってからの人生が長いことが特徴です。特に人は異常に長い。魚類あたりまでは、卵を産んだら親はすぐ死んでしまいます。鳥類哺乳類は子育てしますが、子育ての終了後は、そんなに長い余生はありません。何故、人の余生は異常に長いか。それは、共同体への貢献が期待されているからです。類人猿達は、共同で子育てをするのが特徴です。人類だって、狩猟採集時代の壮年の男女は、共同で作業に当たらねばなりません。子育ての役割は、もっぱら高齢者、おじいさん、おばあさんです。そういえば、日本の昔話。桃太郎も、金太郎も、一寸法師も、かぐや姫も子育てはおじいさんとおばあさんですね。高齢者の財産は人生で積み重ねてきた膨大な知恵のノーハウ。これを直接孫に伝えていくことは大変理に適っています。これも遺伝子による共同体の生き残り作戦です。戦後定着し、国も積極的の支援してきた核家族化は、終身雇用制度の崩壊と所得格差の増大、子供の貧困化、共稼ぎ家庭の増加等色々な問題を抱えてきています。遺伝子の意図に反するからです。

新渡戸稲造の「武士道」を読む

まず、手始めに新渡戸稲造の「武士道」を読んでみたいと思います。英文ですので自分の勉強を兼ねた学習ノートのようなもの。読みながら順次追加していきます。新渡戸氏の他に古くは宮本武蔵の「五輪書」や「葉隠」なども広い意味で武士道について書かれたものでしょうか。とりあえず「武士道」を少しずつ読んでみることにします。
    学校教育で、道徳の時間が復活する動きがあるようです。でも、その前に教えるべき道徳の聖典みたいな規範は日本には無いと思います。どうやって教えるのでしょうかね。武士道というものも以前から候補にはあるようですが、一体武士道とは何か。武士だけに適用されたものなら、一般庶民とは無縁です。でも、最近に見直されている「ものづくり」の精神にも一脈通じるものもあるかも。「〇〇道」なんていう考えには封建時代の人の方がピッタリ合う気もします。ふだんは倫理とか道徳等を真面目に考えることもあまりありません。と言う訳で、「武士道」について知るにはまず始めに読むべきということで勉強を始めました。なお、「武士道」という言葉を初めて使ったのが新渡戸氏で、それ以降この言葉が日本人の中に定着するようになります。
   新渡戸稲造氏は、国連の事務局長まで努めた国際人。この本は欧米のオピニオンリーダたちに日本人の心を理解してもらう目的で書かれたもの。一般の庶民が相手ではないですね。書かれた英文は当然、当時のスタンダードであるイギリス英語。格調高く教養のある所を見せねばなりません。従って、ここで総ての文を翻訳するなんで大それたことは大変難しいので、とりあえず原文はここに載せますが、日本語に訳したところは完全ではありません。また、単に日本語に置き換えたところで多分その意図するところは十分に伝わらないと思います。封建制度と道徳、そもそも道徳とは何か。結構考えて見ると面白い課題でしょう。この本は、1900年にアメリカ合衆国でBushido: The Soul of Japanとして刊行されたものですのですので、日本の立場を宣伝するプロパガンダとしての役割があったことと、時代的な背景が強く繁栄されていることも考慮して読まれる必要があると思います。
因みに新渡戸さん、我が高校の先輩(旧制中学か)の大先輩らしい。「盛岡の偉人達」もご参照下さい。更に5000円札にも顔が乗ってますね。

盛岡の偉人達
5000円札

新渡戸稲造の「武士道」を読む

Preface to the first Edition

まずは序文から。
About ten years ago, while spending a few days under the hospitable roof of the distinguished Belgian jurist, lamented M. de Laveleye, our conversation turned during one of our rambles, to the subject of religion. “Do you mean to say,” asked the venerable professor, “that you have no religious instruction in your schools?”
On my replying in the negative, he suddenly halted in astonishment, and in a voice which I shall not easily forget, he repeated “No religion! How do you impart moral education?” The question stunned me at the time. I could give no ready answer, for the moral precepts I learned in my childhood days were not given in schools; and not until I began to analyse the different elements that formed my notions of right and wrong, did I find that it was Bushido that breathed them into my nostorils.
10年程前、私はベルギーの著名な法学者、故Mレヴェリー氏のもとに歓待を受けて数日間滞在していた時のことである。散策をしている途上、我々の会話は宗教の話題となった。その、著名な教授は、「あなたは、あなた方の学校では宗教教育を行ってないとおっしゃるのですか。」私の否という答えに、突然驚きに足を止め、わたしが忘れがたい声で繰り返した。「宗教が無いですって。どうやって道徳教育を授けるのですか。」。その時は、その質問に面食らった。私は、ちゃんとした答えを持っていなかった。というのも子供時代に学んだ道徳的教えは学校で教えられたものではなかったからです。そして、善悪の概念を形づくった色々要素を分析して見て、それらの概念を私に吹き込んだのは、それは武士道であると初めて気がついたのです。
語彙;
*ramented=亡くなった、impart=授ける、与える、precept=教訓、nostoril=鼻の穴
新渡戸稲造は、国連の事務総長までつとめた国際人。信頼できる外国人の友人からこのような質問をされたら、現在の我々でも返答に困ってしまうでしょうね。特に、宗教の問題。決して「日本人は無宗教ですから。」と答えてはいけません。神を信じないということは神を否定するあるいは敵対する言うほど強い意味を持ってしまいます。日本は多神教の国でトイレにも神様がいるのですから。日本でも道徳教育が復活するとか。どんなこと教えるつもりなのでしょうか。そもそも学校で教える必要があるのでしょうか。

The direct inception of this little book is due to the frequent queries put my wife as to the reasons why such and such ideas and customs prevail in Japan.
この小著の発端は、妻が頻繁にする質問、日本に定着している考えや風習の理由について答えるためです。
語彙
* inception=開始、始まり、発端といった意味。かなり難しい単語ですね。the beginningでは何か恰好つかないけど。
prevail=優勢である、流行っている、流行している、はびこっている
自分の奥さんに対する答えなら普通の相手も当然納得させるだけのものがあるはず。発想としては自然ですね。

In my attempts to give satisfactory replies to M. de Laveleye and to my wife, I found that without understanding feudalism and Bushido, the moral ideas of present Japan are sealed volume.
Mレヴェリー氏や妻に満足できる答えを探しているうちに、封建制度と武士道に対する理解が無ければ、現在の日本の道徳観は封印されたままであることが分かった。つまり、日本の道徳観は封建制度と武士道だと言っているわけだ。
語彙;
* inception=発端、sealed volume=封印された巻物
feudalism=封建制度
王の下に諸侯が任された土地を支配する政治形態。中国の周王朝、ヨーロッパの中世、日本の武士の時代と色々なバリエーションがあって、その正体は結構分かりにくい。定義は何かといわれると分厚い本が生まれそうです。「臣下の臣下は臣下でない」という政治形態から独特の道徳観が生まれます。封建制度という言葉、ここでは決して悪い意味で使われてはいませんね。イギリス人の中にも、アメリカは封建時代を経験してないのでアメリカ人は騎士道精神にかけているという人もいるくらいですから。新渡戸氏も騎士道と武士道を良く似た精神と捉えているようだ。

Taking advantage of enforced idleness on account of long illness, I put down in the order now presented to the public some of the answers given in our household conversation. They consist mainly of what I was taught and told in my youthful days, when feudalism was still in force.
長期の病気によるやむ得ない休養期間を利用して、家庭内での妻との会話で与えた答えのいくつかを書き連ねて公刊することにした。それらは、主にまだ封建制度が生きていた時代に私が言われたり教えられたりしたことから成り立っている。
新渡戸さん(1862年~1933年)の子供時代はまだ江戸時代なのか。 語彙;
*take advantage of=を利用する、に乗ずる、をだます、を誘惑する
put down=下に置くという本来の意味から派生して、ここでは書き下ろすという意味ですね。
consist of=から成り立つ

Between Lafcadio Hearn and Mrs. Hugh Fraser on one side and Sir Ernest Satow and Professor Chamberlain on the other, it is indeed discouraging to write anything Japanese in English.
ラフカディオ・ハーン氏等等著名な人達が日本について色々書いているのに、英語で日本を紹介するなんで気が重いですね。
Lafcadio Hearn, Mrs. Hugh Fraser, Sir Ernest Satow, Professor Chamberlain といった人たちが日本についてどんなこと書いていたのか気になるところですね。
The only advantage I have over them is that I can resume the attitude of a personal defendant, while these distinguished writers are at best solicitors and attorneys.
ただ一つの私の方が有利な点は、弁護人としての彼らとは異なり、私は被告の側の立場に立てることだ。
*defendant=被告人
solicitor= 弁護人、英語の弁護士は日本と違ってややこしい
attorney=代理人
I have often thought,---“Had I their gift of language, I would present the cause of Japan in more eloquent terms!” But one who speaks in a borrowed tongue should be thankful if he can just make himself intelligible.
*eloquent=雄弁な
intelligible=分かりやすい
仮定法が使われている。思うのだが、もし彼らの言葉を自由に使えれば日本の事をもっと雄弁に語れるのに、でもまあ、借り物の言葉でも理解してもらえるなら良しとしましょう。
All through the discourse I have tried to illustrate whatever points I have made with parallel examples from European history and literature, believing that these will aid in bringing the subject nearer to the comprehension of foreign readers.
全体を通して、ヨーロッパに歴史や文学を例に挙げ、外国の読者にも理解してもらえるように試みたつもりだ。
*discourse=講話、講演、論説、論文、談話、論議、conversation
ヨーロッパの歴史や文学を例に挙げられるとはすごいことですね。

Should any of my allusions to religious subjects and to religious workers be thought slighting, I trust my attitude toward Christianity itself will not be questioned.
宗教的な話題や聖職者の仕事の役割を軽視しているように見えても、私自身のキリスト教に対する信心は揺らぐことがない。
*allusion=ほのめかし、暗示
slighting=軽蔑する、侮辱する
新渡戸氏は北大でキリスト教の洗礼を受けた根っからのクリスチャンである。当時の日本の知識人たち、欧米の教師に教えてもらう代償にキリスト教の洗礼をおしつけられた面も否定はできませんね。
It is with ecclesiastical methods and with the forms which obscure the teachings of Christ, and not with the teachings themselves, that I have little sympathy.
私が同情しないのはキリスト教会の教えや伝道法であって、教えそのものではない。
* ecclesiastical=キリスト教教会の
obscure=ぼんやりした、不明瞭な
確かにキリスト教に伝道方法は大変押しつけがましいですね。
I believe in the religion taught by Him and handed down to us in the New Testament, as well as in the law written in the heart. Further, I believe that God hath made a testament which may be called “old” with every people and nation,---Gentile or Jew, Christian or Heathen. As to the rest of my theology, I need not impose upon the patience of the public.
私は、キリストによって教えられた、また新約聖書の中で我々に伝えられた宗教を信じ、同様に心に刻まれた立法も信じる。更に、旧約聖書と多くの人々(注)に呼ばれている契約を神が作ったということも信じる。神学の残りの部分については読者に我慢を強いるつもりはない。まあ、想定される読者はキリスト教の信者がほとんどだから
*hath=(古語)haveの三人称単数現在形
Gentile=(ユダヤ人から見た)異邦人、(特に)キリスト教徒
Heathen=異教徒の、異教の、不信心の
ということは、the God has made a …現在完了です。
注:旧約聖書はユダヤ教もイスラム教でも信じられている。
theology=神学
In concluding this preface, I wish to express my thanks to my friend Anna C. Hartshorne for many valuable suggestions.
序文を終えるにあたって、貴重な提言を頂いた友人のアンナさんに感謝の意を表したい。
この後、少し読み進んでみて、分かった。新渡戸氏が封建制度化の道徳を高く評価している理由が。現代日本人は封建制度を過去の悪しき遺物ととらえがち。しかし、封建制度をその前の時代と比較して見るとその先進性が見えてくる。日本とヨーロッパ以外の国は封建制という制度を全く経験してこなかったのです。武士たちは、これらの道徳基準を自分たちのものとして実践してきたのです。自我の確立という精神面では、封建制の時代はその前の時代と比べて大きな進歩を遂げていたようです。経済や科学技術の進歩だけに目をやると封建制度は歴史の停滞に見えますが、これが次の時代への大きなステップになっていることにも目を向けて見る必要がありそうですね。(2017.10.9)

【第1章】倫理システムとしての武士道
Chapter 1  BUSHIDO as an ethical system

さあ、第1章です。倫理システムとしての武士道。チョットタイトルおおげさじゃない。大丈夫ですか。
Chivalry is a flower no less indigenous to the soil of Japan than its emblem, the cherry blossom; nor is it a dried-up specimen of an antique virtue preserved in the herbarium of our history.
武士道とは、日本の象徴ともいえる桜の花にも劣らない日本の土壌に固有の花である。歴史の中に保存された古代の美徳の干からびた植物標本などでは決してない。
語彙
*indigenous=固有の、indigenous peopleと言えば先住民などとなる
Chivalry=ヨーロッパの騎士道の意味。武士道をヨーロッパ人に分かりやすくするため、騎士道と訳した。
antique=骨董品(n)、骨董品の(adj)
virtue=美徳、長所
specimen=標本
herbarium=植物標本室
ethical=倫理学の、道徳上の

武士道を西欧人に分かりやすくするため、chivalry(騎士道)としたのですが、騎士道精神が一体どんなものか分からないと、逆に日本人には分からなくなってしまうぞ。
It is still a living object of power and beauty among us; and it assumes no tangible shape or form, it not the less scents the moral atmosphere, and makes us aware that we are still under its potent spell.
それは、我々の中に力と美の対象として未だに生きており、見えるような形を成していない。道徳の香り以上のもので、我々がその呪縛の下にあることを気づかせてくれるのだ。
語彙
* tangible=触れられる、理解できる、具体的な
scent=香り、芳香
potent=勢力のある、有力な、影響を及ぼす、強力な、〔酒などが〕強い
spell=〔超自然的な〕呪文、まじないの言葉、〔呪文の〕魔力、不思議な力

The conditions of society which brought it forth and nourished it have long disappeared; but as those far-off stars which once were and are not, still continue to shed their rays upon us, so the light of chivalry, which was a child of feudalism, still illuminates our moral path, surviving its mother institution.
武士道を推し進め育てた社会条件はすでに消滅している。しかし、依然あって今は無い遥か彼方のそれらの星々は、それらの光で我々の上を照らし続けている。騎士道の光は封建制度の子供であるのだが、未だに我々の道を照らしており、母(封建制度)を乗り越えて生き続けている。
語彙
まず、最初のit二つは武士道を指す。
*forth=前へ
nourish=~に栄養分を与える、~を育てる、養う、助長する
far-off=はるかかなたの
shed=〔液体を〕噴出させる、〔血・涙を〕流す、〔光・熱などを〕発する、発散する、〔木が葉を〕落とす→この場合は星だから光を発するか。

It is a pleasure to me to reflect upon this subject in the language of Burke, who uttered the well-known touching eulogy over the neglected bier of its European prototype.
私にとって、バークの言葉でこの話題のふれることは喜びであります。彼は、見捨てられたヨーロッパの原型(騎士道のことか?)についての有名で感動的な弔辞を述べたのです。
語彙
* Burke=多分エドマンド・バーク(1729年~1797年)のことでしょう。アイルランド生まれのイギリスの政治思想家、哲学者、政治家。「保守主義の父」として知られる。アメリカ独立革命運動を支持した一方、その後のフランス革命には反対した。反フランス革命の立場をとったので、彼はホイッグ党の保守派派閥の中で率先者となった。文壇に出るきっかけとなった論文の『崇高と美の観念の起源』は、英国で最初に美学を体系化したものとして有名である。ここでは「崇高美」というひとつの美意識が定義されている。
eulogy=賛辞,褒め言葉、特に死者に対する追悼文で
bier=遺体の安置台
prototype=原型
utter=述べる

It argued a sad defect of information concerning the Far East, when so erudite a scholar as Dr. George Miller did not hesitate to affirm that chivalry, or any other similar institution, has never existed either among the nations of antiquity or among the modern Orientals.
博学なミラー博士が騎士道やそれに似た制度が極東に存在しなかったと断定することをはばからなかったことは悲しい情報の欠陥である。
語彙
* defect=欠陥、短所、欠点、不備、不良、不具合、瑕疵
erudite=〔人が〕博学な、学識ある、〔人が〕学者ぶった、衒学的な、学問的な、学問に裏付けられた
institution=機関、制度、ここでは制度でしょう。
antiquity=古代
確かに、日本型の封建制度はアジアの他の国には見られない特徴なのですね。中国も朝鮮も儒教に根差した古代型の専制国家が戦前まで継続しますね。武士階級の誕生がないのです。確かに、封建制度は日本人の精神性に大きな影響を与えているのでしょう。一方、西洋での封建性も西洋人の精神に何らかの影響を与えているかも。でも、西洋の封建制度の果たした役割は日本人に帰って分かりにくいかも。新渡戸氏は大変な国際人ですし、この論文自体が西洋人に武士道を分かってもらうのが趣旨ですから、西洋の封建制との比較はいい着眼点ですね。
Such ignorance, however, is amply excusable, as the third edition of the good Doctor’s work appeared the same year that Commodore Perry was knocking at the portals of our exclusivism.
しかしながら、そのような無知も仕方がない。というのは、善良な博士の第三版が出版されるのはペリー提督が排外主義の我が国の玄関を叩いた年だったのですから。
語彙
*amply=十分に
excusable=許される、申し訳の立つ
exclusivism=排他主義
portal=門、扉、戸口

【裸坊達の補足】中国は、春秋戦国時代の群雄割拠の時代以降、常に中央集権型の官僚国家の支配が続く。日本では、律令国家が成立するものの鎌倉時代以降、武士の時代となり地方分権型の国家に変身。お隣の朝鮮半島はずっと律令体制だ。一方にヨーロッパはローマ帝国が崩壊して以降、いまだに多数の国家の分権状態が続いている。中央集権国家の代表選手の中国は、紙、羅針盤、火薬、印刷術、鉄砲や大砲等の世界の発明を独占し、明時代には鄭和がアフリカ喜望峰までの探検まで行う程に世界の先駆けて大発展するものの、その後は全く海外の目を向けなくなり、技術を衰退させる道を選択する。封建制度とは結局、武士や軍人が幅を利かすあまり平和とは言えない社会だが、常に競争にさらされた発展の要素も持っているようだ。ユーラシア大陸の西の端と東の端で同じような封建制度が成立するのは、何か地政学的な要因がありそうです。
More than a decade later, about the time that our feudalism was in the last throes of existence, Carl Marx, writing his Capital, called the attention of his readers to the peculiar advantage of studying the social and political institutions of feudalism, as then to be seen in living form only in Japan.
10年後、我々の封建制度が最後の存在の激痛に苦しむ時、カール・マルクスは「資本論」を書いて、封建制度の社会的、政治的な研究をすることの特別な利点について読者に喚起していますが、まさに日本だけにそれが生きている形で見られるのです。
語彙
*throes=激痛
peculiar=奇妙な、特有の、特異な、変な、固有の、独特の、特別の、特権の
マルクスのいた時代は、すでに資本主義が興隆していて労働争議なども既に多発していたのですね。封建制度の在り方を研究するには日本に行けば良いのですか。マルクスは日本に来たことないですね。

I would likewise point the Western historical and ethical student to the study of chivalry in the Japan of the present.
私も同じように西洋の歴史や倫理の学生は現在の日本の騎士道を学ぶことを勧めたい。
語彙
*ethical=倫理学の、道徳上の、 ethicsは道徳、倫理学

Enticing as is an historical disquisition on the comparison between European and Japanese feudalism and chivalry, it is not the purpose of this paper to enter into it at length.
この論文では、西洋と日本の封建制度と騎士道の比較を長々とすることが目的ではない。
語彙
*entice=〔相手が喜ぶものを提示して〕気を引く、誘惑する、うまい話で釣る、〔注目などを〕引く
disquisition=詳細で長い説明[報告書・論文・演説]
at length=〔説明などが〕長々と、詳細に、〔長時間かかって〕ついに、しまいには

My attempt is rather to relate firstly, the origin and sources of our chivalry; secondly, its character and teaching; thirdly, its influence among the masses; and fourthly, the continuity and permanence of its influence.
私の意図はどちらかというと、下記の4点に関することです。
1.騎士道の起源とその原因
2.その性格と教え
3.大衆へのその影響
4.その影響の継続性と永遠性
語彙
*relate=関連する

Of these several points, the first will be only brief and cursory, or else I should have to take my readers into the devious paths of our national history.; as being dwelt upon at greater length, as being most likely to interest students of International Ethics and Comparative Ethology in our ways of thought and action; and the rest will be dealt with as corollaries.
これらのいくつかのポイントのうち、第一のものは単に簡略な通り一遍の要約。他は、我が国に歴史についての脇道にそれた要約。国際的な倫理や比較行動学
語彙
*cursory=通り一遍の
devious=本道からそれた
ethics=倫理学、道徳哲学
ethology=エソロジー、人性学、動物行動学
corollary=推論、必然的帰結、当然の結果

The Japanese word which I have roughly rendered Chivalry, is, in the original, more expressive than Horsemanship. Bu-shi-do means literally Military ― Knight -Ways-the ways which fighting nobles should observe in their daily life as well as in their vocation; in a word, the “Precepts of Knighthood, ” the noblesse oblige of the warrior class.
私が提供した騎士道(Chivalry)という語をあてた日本語は、別の騎士道(Horsemanship)よりももう少し深い意味を持つ。武士道は文字通りでは軍隊―騎士―戦う貴族が守るべき作法という意味だ。日常生活でも職業としても。貴族階級としての守るべき義務なのです。
語彙
*render=〔義務として〕~を与える、提供する、提出する、~する
expressive=表情が豊かな、意味ありげな
literally=文字通り(に)、逐語的に、そっくりそのまま
precept=〔道徳的指針としての〕教え、教訓、処世訓
noblesse oblige=〈フランス語〉ノブレス・オブリージュ◆貴族や上流階級に生まれたものは、社会に対して果たすべき責任が重くなるという格言。特に高潔な振る舞いと、社会の恵まれない人に対する慈愛の心が求められる。◆【語源】nobility obligates(高貴なるものは義務を負う)の意味。
Chivalry 、Horsemanship、 Knight似たような言葉が並んでいて分かりにくいですね。西洋人には分かるのでしょうか。ノブレス・オブリージュは時々聞く言葉ですね。権力のある政治家、大会社の社長、国会議員などには特に求められる資質ですね。

Having thus given its literal significance, I may be allowed henceforth to use the word in the original. The use of the original term is also advisable for this reason, that a teaching so circumscribed and unique, engendering a cast of mind and character so peculiar, so local, must wear the badge of its singularity on its face; then, some words have a national timbre so expressive of race characteristics that the best of translators can do them but scant justice, not to say positive injustice and grievance.
言葉としての重要性を与えたので、ただ以降この語を新しい意味で用いることにしたい。新規の言葉を用いることは、
語彙
*henceforth=〈文〉この時点より、ただ今より、これ以降
original=新たな、新規の、独創的な、創造的な
advisable=当を得て、賢明で
circumscribe=~を制限する、束縛する
circumscribed=circumscribeの過去形、または過去分詞。周りに境界線を描く、 周囲を囲む
engender=〔新しく〕生じる、生まれる
cast=投げる(v)、投げること(adj).
timbre=音色、音質
scant =〔要求に対して〕不十分な、乏しい
expressive=表情が豊かな、意味ありげな
grievance=不平のもと、苦情の原因

Who can improve by translation what the German “Gmemuth” signifies, or who does not feel the difference between the two words verbally so closely allied as the English gentleman and French gentilhomme?
ドイツ語のゲムース(uはウムラウトがある)が何を意味するかとか、英語の紳士をフランス語の紳士の意味の違いを翻訳によって改善できるわけがないでしょ。反語表現ですか。

Busido, then, is the code of moral principles which the knights were required or instructed to observe. It is not a written code; at best it consists of a few maxims handed down from mouth to mouth or coming from the pen of some well-known warrior or savant. More frequently it is a code unuttered and unwritten, possessing all the more the powerful sanction of veritable deed, and of a law written on the fleshly tablets of the heart.
武士道とは、騎士が守るように要請される道徳原理の集まりです。書かれた決まりではないです。せいぜい、口頭で伝えられたり、高名な武士や家臣の書いたものから来ています。大抵は、それは話されたり、書かれたりされない正真正銘の道徳的な拘束力で、心に書き込まれた律法なのです。
語彙
*maxim=格言、(数学)公理、公準
code=法体系、規約、書かれたものではないにしても沢山の守るべき決まりの集合でしょう。
unuttered=言葉で表されていない
sanction =1.〔違反した人・国などに対する法的な〕制裁(措置)2.〔法的な〕認可
3.〔人に道徳的・社会的な行動をさせる〕拘束(力)、4.〔慣習などによる〕是認
veritable=本当の、真の、正真正銘の、本物の
fleshly =1.〔人間の〕肉体の[に関する]、2.肉欲の、肉欲的な

It was founded not on the creation of one brain, however able, or on the life of a single personage, however renowned. It was an organic growth of decades and centuries of military career.
それは、一人の脳から造られたものではありません。どんなに有名で有能であっても断じて一人の脳から生まれたものではありません。戦いの経験を通して何十年も何世紀も有機的な成長を遂げて来たものなのです。
語彙
*renowned=名高い、名声のある
personage=人物、人
軍事とすると戦争の参謀や軍師の考えることみたいなので、military careerは戦いの経験でしょう。江戸時代になると戦わない武士の方が圧倒的に多くなってしまいますが。

It, perhaps, fills the same position in the history of ethics that the English Constitution does in political history; yet it has had nothing to compare with the Magna Charta or the Habeas Corpus Act.
それ(武士道)は、英国の憲法が道徳の歴史に与えた役割と同じ地位を占めている。といっても、マグナカルタや人身保護法とは比べられるものではないが。
語彙
*the Magna Charta=マグナ・カルタまたは大憲章(だいけんしょう)(英: the Great Charter of the Liberties、直訳では「自由の大憲章」)は、イングランド王国においてジョン王により制定された憲章である。イングランド国王の権限を制限したことで憲法史の草分けとなったもの。また世界に先駆け敵性資産の保護を成文化した。世界史で習ったですね(1215年)。
the Habeas Corpus Act=フランスに亡命していたチャールズ1世の子が帰国し、チャールズ2世として即位した。フランス王室の影響の強かったチャールズ2世はカトリックを保護し、絶対王政を目指し、清教徒派を逮捕し、弾圧したため、議会と対立。チャールズ2世のカトリック擁護政策に対し、議会は、1679年に、人身保護法(人身保護律)を改正し、国民を不当に逮捕しないことを定めたもの。

True, early in the seventeenth century Military Statutes (Buke Hatto) were promulgated; but their thirteen short articles were taken up mostly with marriages, castles, leagues, etc., and didactic regulations were but meagerly touched upon.
実際、17世紀初めに発布された「武家諸法度」での13の短い条文では主に婚姻、築城、同盟などで教訓的な規則はほとんど触れられていない。
語彙
*promulgate=〔法律を〕公布[発布]する
statute =法、法律、規則
didactic=〔話などが〕説教の、教訓的な
meagerly=わずかに、貧弱に、不十分に、薄く、希薄に
touch upon=〔議論の中で話題などに〕軽く触れる、言及する
要は、西洋の騎士道のように書かれた規則が無いということか。

We cannot, therefore, point out any definite time and place and say, “Here is its fountainhead.” Only as it attains consciousness in the feudal age, its origin, in respect to time, may be identified with feudalism.
我々は、だから、厳密な時と場所、つまりここが発祥の地を指摘することは出来ません。ただ、その起源は封建時代だということしかできません。
語彙
*fountainhead=根源、水源
attain=達する、到達する

But feudalism itself is woven of many threads, and Bushido shares its intricate nature. As in England the political institutions of feudalism may be said to date from the Norman Conquest, so we may say that in Japan its rise was simultaneous with the ascendancy of Yoritomo, late in the twelfth century.
封建制度そのものが色々といりくんでおり、武士道もその複雑な性質を分け合っている。イギリスの封建制の政治制度はノルマンの征服まで遡るとされるが、日本は12世紀に頼朝が政権を確立した時点を始まりとする。
語彙
*intricate=1.〔迷路などが〕入り組んだ、2.〔構造・模様などが〕複雑な
ascendancy=支配的[優勢]な立場、権勢
Norman Conquest=ノルマン・コンクエストは、ノルマンディー公ギヨーム2世によるイングランドの征服。1066年のヘイスティングズの戦いに勝利したギヨーム2世はウィリアム1世としてノルマン朝を開く。これによりイングランドはノルマン人により支配されることとなる。
頼朝の鎌倉幕府(1192年)は武士階級の御家人たちが事実上作り上げた武士の政権。頼朝の臣下の臣下は頼朝の臣下ではない。まさに封建制の定義通りか。

As, however, in England, we find the social elements of feudalism far back in the period previous to William the Conqueror, so, too, the germs of feudalism in Japan had been long existent before the period I have mentioned.
しかしながら、イギリスでは、封建制の社会的要素はその前のウィリアム征服王まで遡る。同様に日本の封建制は先に述べた時期(頼朝の幕府)よりも前に遡る。
語彙
*germ=1.細菌、2.〔植物の〕胚、芽、胚芽、3.〔発展の基礎となる〕初期段階、芽生え、兆し

Again, in Japan as in Europe, when feudalism was formally inaugurated, the professional class of warriors naturally came into prominence. These were known as samurai, meaning literally, like the old English cniht (knecht, knight), guards or attendants---resembling in character the soldurii, whom Caesar mentioned as existing in Aquitania, or the comitati, who, according to Tacitus, followed Germanic chiefs in his time; or, to take a still later parallel, the milites medii that one reads about in the history of Mediaeval Europe.
語彙
*inaugurate=
prominence=

A Sinico-Japanese word Bu-ke or Bu-shi (Fighting Knight) was also adopted in common use. They were privileged class, and must originally have been a rough breed who made fighting their vocation. This class was naturally recruited, in a long period of constant warfare, from the manliest and the most adventurous, and all the while the process of elimination went on, the timid and the feeble being sorted out, and only “a rude race, all masculine, with brutish strength,” to borrow Emerson’s phrase, surviving to form families and the ranks of the samurai.
武家とか武士(戦う騎士)という漢語も一般に用いられる。彼らは特権階級であり、元来は戦闘を生業とする荒々しい集団であったに違いない。この階級は戦いを通して男らしい冒険心に富んだものだけが残り、臆病な弱い連中は淘汰されていき、サムライの一族が形づくられていく。
語彙
*sinico-=sinicoとは中国のという意味か。大和言葉に対する漢語。
Knight=騎士。戦わない騎士なんてあるのかな。
recruited=recruiteは採用する
warfare=戦争行為[状態]、武力衝突
manliest=manlyは男らしい
adventurous=冒険心のある、大胆な、冒険好きな、向こう見ずな

Coming to profess great honour and great privileges, and correspondingly great responsibilities, they soon felt the need of a common standard of behaviour, especially as they were always on a belligerent footing and belonged to different clans.
大きな名誉と大きな特権及びそれに伴う責任がはっきりしてくると、彼らはすぐに行動様式についての標準の必要性を感じるようになる。特に敵対していたり異なった集団に属していたから。
貴族に雇われて戦っているので敵になったり味方になったりする。無駄な殺し合いを避けるためのルールが生じて来るのでしょうか。
語彙
*profess=viはっきりと言うvt~を公言する、明言する、言明する、告白する
belligerent=国、戦争遂行国
貴族に雇われて戦っているので敵になったり味方になったりする。無駄な殺し合いを避けるためのルールが生じて来るのでしょうか。

Just as physicians limit competition among themselves by professional courtesy, just as lawyers sit in courts of honor in cases of violated etiquette; so must also warriors possess some resort for final judgment on their misdemeanours.
ちょうど医者が職業上の礼儀正しさで仲間内の競争を制限したり、裁判官が礼儀に反した事例に取る態度のように、戦士たちも不品行な行いに対して最終判断を与える手段をもったに違いない。
*physician=医師、医者、physicistは物理学者
court=裁判、裁判官、判事
courtesy=礼儀正しいこと、丁寧、礼儀、礼儀正しさ、作法
misdemeanours=misdemeanor不品行、非行
resort=〔困ったときの〕頼みの綱、頼りになるもの
医師のモラル、法律家のモラルとはどんなものなのでしょうか。

Fair play in fight! What fertile germs of morality lie in this primitive sense of savagery and childhood. It is not the root of all military and civic virtue? We smile (as if we had outgrown it!) at the boyish desire of the small Britisher, Tom Brown, “to leave behind him the name of fellow who never bullied a little boy or turned his back on a big one.”
戦いにおけるフェアプレイ。野蛮さと子供じみた感覚の中に、なんとモラルの芽があるではないか。それは文武の徳のルーツではないか。トム・ブラウンが小さなこといじめない、大きな子に背を向けないの少年じみた願いを思い出しつい微笑んでしまう(もう昔のことだなあ)。
語彙
*fertile= [土地が〕肥えた、肥沃な、豊作をもたらす
civic virtue=市民道徳、military and civic virtueを文武の徳と訳している本があった。
outgrown=より大きくなる、(卒業する)
弱気を助け、強気をくじくなんていることか。

And yet, who does not know that this desire is the corner-stone on which moral structures of mighty dimensions can be reared? May I not go even so far as to say that the gentlest and most peace-loving of religious endorses this aspiration? The desire of Tom is the basis on which the greatness of England is largely built, and it will not take us long to discover that Bushido does not stand on a lesser pedestal.
このような願い(トムの願い)は、大きな英国のモラル構造のかなめ石ではないか。武士道だってそれよりも小さな要石の上に立っている訳でないことはすぐに分かることだ。
語彙
*corner-stone=土台、礎石、要石
rear=育てる、養育する
pedestal=基礎、根拠
イギリスの道徳に中に強気をくじき弱気を助けるなんていうのがあると言うことは一般に認められていることなのでしょうか。

If fighting in itself, be it offensive or defensive, is, as Quakers rightly testify, brutal and wrong, we can still say with Lessing, “We know from what failing our virtue springs.”“Sneaks” and “cowards” are epithets of the worst opprobrium to healthy, simple natures.
もし、戦い自体がクエイカー教徒が証言するように野蛮で誤ったことならば、レシングの言うように、卑劣なことと臆病なことはもっとも軽蔑すべきことだ。
語彙
*sneak=卑劣な[卑屈な]振る舞いをする
coward=意気地なし、臆病者、弱虫、軟弱者、腰抜け、腑抜け、ひきょう者
virtue=美徳、徳、美点、善、長所
epithet =悪口、口汚い言葉、軽蔑の言葉
opprobrium =非難、軽蔑
Lessing=ドイツの啓蒙思想家でゲーテやシラー等に影響を与えた
翻訳が難しい。背景が全然分からないからだ。クエーカー教徒が何故ここで突然出て来るの。レッシングはどういう人か。

Childhood begins life with these notions, and knighthood also; but, as life grows larger and its relations many-sided, the early faith seeks sanction from higher authority and more rational sources for its own justification, satisfaction, and development.
子供時代これらの教訓と騎士道精神を持って人生を始め、成長につれより高いものから色々な側面を教えられていくのです。
語彙
*childhood =.子ども[幼少・幼年]時代、幼児期、児童期、小児期
notion=1.意見、考え、見解、2.心象、観念、イメージ
knighthood=騎士道
sanction=制裁、認可

If military systems had operated alone, without higher moral support, how far short of chivalry would the ideal of knighthood have fallen! In Europe, Christianity, interpreted infused it nevertheless with spiritual data.
もし武士政権がより高いモラルのサポートなしで運営されていたら、騎士道は理想的なものとははるかに遠いものになっていたでしょう。ヨーロッパでは、精神的な支えはキリスト教が行っていました。
語彙
*infuse =〔人に考えなどを〕吹き込む
nevertheless=それにもかかわらず、それでもなお[やはり]、それにしても

“Religion, war, and glory were the three souls of a perfect Christian knight,” says Lamartine. In Japan there were several sources of Bushido.
宗教と戦争と栄光はキリスト教戦士の完璧な魂の3本柱です。ラマーエィンが言うように。日本でも武士道に魂を吹き込んだいくつかの源泉があります。

そうか、ここまでは入口か。いくつかの源泉としては何が出て来るのか楽しみですね。キリスト教に対峙するものとしてはどんなものが考えられるでしょうか。儒教道徳、神道、仏教、道教(チョト無いか)次の章から少しずつ分かっていくでしょう。

【第2章】武士道の源

CHAPTER2 Source of Bushido

I may begin with Buddhism. It furnished a sense of calm trust in Fate, quiet submission to the inevitable, that stoic composure in sight of danger or calamity, that disdain of life and friendliness with death. A foremost teacher of swordsmanship, when he saw his pupil master the utmost of his art, told him, “Beyond this may instruction must give way to Zen teaching.”
“Zen” is the Japanese equivalent for the Dhyana, which “represents human effort to reach through meditation zones of thought beyond the range of verbal expression.” Its method is contemplation, and its purport, so far as I understand it, to be convinced of a principle that underlies all phenomena, and, if it can, of the Absolute itself, and thus to put oneself in harmony with this Absolute.
まず、仏教から始めよう。運命における平穏な信頼、付加僻なことへの静かなる従順、危機や災難に対するストイックな姿勢、人生を見下し死を恐れない心。戦士たちの最大の先生は、弟子が最大の技能をマスターしたことを知ると、このように告げる。この後の教えは禅の教えに従うことであろう。
  *語彙 furnish=~に供給[提供]する、~に与える disdain =~を軽蔑する、~を見下す foremost =一番先の、最初、前面の pupil=1.児童、生徒、2.ひとみ、瞳孔 utmost=最大限、極限、全力 死を恐れないという道徳は、西欧の武士道に当然ある。また、戦争中の日本でもお国のために死ぬことを善とすることが強制された。いつも死と隣り合わせと言う状況が必要なのか。しかし、そのような状況下で、かえって何のために生きるのかという設問が明確になるという利点はありそうだ。
禅はジャーナに相当する日本語で、言語の領域を超えた境地に、瞑想を通して到達する人間の努力を表します。その方法は、私の理解している範囲で延べれば、瞑想で総ての物事の根本に横たわる絶対の真理を理解しようといるものです。絶対の真理と調和しようということです。
*語彙
contemplation=沈思、黙考、熟考
purport=〔発言などが〕~を意味する
【裸坊達の補足】禅の本質をこんな短い言葉で説明しきれるはずはありません。ただ、この瞑想や座禅は今ヨーロッパや米国でも静かなブームになっているようです。脳科学の分野からも禅の効能の解明も進められているようです。脳科学では禅の境地をMind Fullnessという言葉で説明しています。無我の境地ではもう一人の自分が高いところから自分を見ている。自分も大勢の人の中の一人。自分を冷静に客観的見る。これ、科学者の精神と一脈通じるものがあるよだ。人の心も科学の対象となる時代が来るのでしょうか。
Thus defined, the teaching was more than the dogma of a sect, and whoever attains to the perception of the Absolute raises himself above mundane things and awakes “to a new Heaven and a new Earth.”
このように定義すると、この教えはある教団の教条以上のものであり、絶対を認知することを得たならはこの世のものを超越して天上のもの、あるいは新しい世界を認識することができるとしています。
*語彙
dogma=教義、定説
mundane=この世の、現世の、俗世の
perception =知覚、認知、知見、見識、感じ方
【裸坊達の補足】禅の瞑想よって悟りの境地に達することを述べているのですが、武士道との関連は。禅は当時の武士たちにどの程度受け入れられていたのか。茶道などとの関連も考えねばならないかも。むしろ浄土宗のような念仏仏教の方がメインでないかな。キリシタン大名などもいたけどね。
What Buddhism failed to give, Shintoism offered in abundance. Such loyalty to the sovereign, such reverence for ancestral memory, and such filial piety as are not taught by any other creed, were inculcated by the Shinto doctrines, imparting passivity to the otherwise arrogant character of the samurai.
仏教が教えきらなかったものを、神道が色々と補完して来ました。統治者への忠誠、先祖の記憶への尊敬、親への孝行等は、他の信条では教えられおらず、神道によって植えつけられた。もしそうでなければ、侍の性格は傲慢なものになってしまう。
*語彙
sovereign=国王、統治者、君主、主権者、最高の、至上の
filial=〔親の世代から〕~世代の、子供の
piety=信心深さ、敬けん
impart=~を授ける、~を分け与える
inculcate=〔人(の心)に思想などを〕植えつける、たたき込む、吹き込む
passivity=〔態度などが〕消極的[受け身]なこと、いいなりになること、無抵抗
先祖崇拝はすべての宗教の発端としてありますね。ただ、キリスト教などの一神教では失われた美徳かもしれません。
【裸坊達の補足】権威への服従と親への孝行、これはまさに中国や韓国での儒教道徳そのものじゃないですか。神道というものは武士の間でそんなに流行ってはいなかったと思うのですが。江戸末期の尊王攘夷を唱える国学ができ来て急に持ち上げられたもの。
Shinto theology has no place for the dogma of “original sin.” On the contrary, it believes in the innate goodness and Godlike purity of the human soul, adoring it as the adytum from which divine oracles are proclaimed.
神道の理論には原罪という教条は無い。それどころか、人間の心には神性に近い純真さと内なる神性があるとしています。神の神託が宿っているとするのです。
語彙
*adytum=内陣、聖所、私室
divine=神聖な、神の、神から授かった、天与の
innate=生まれつきの、持って生まれた、生得の、固有の、本質的な
oracle=〔神託のような〕知恵の言葉、予言
神道で言う「あかき心」みたいなことをいっているのか。本居宣長の大好きな言葉です。でも、定義することは難しいでしょう。
Everybody has observed that the Shinto shrines are conspicuously devoid of objects and instruments of worship, and that a plain mirror hung in the sanctuary forms the essential part of its furnishing.
神社には信仰の対象となるような像や道具が全くないない。ただ鏡が聖域のしるしとしておいてあるだけだ。
語彙
*conspicuous=1.よく見える、はっきり見える、見やすい、2.人目を引く、明白な、異彩を放つ、人目に付く
devoid=欠いている、全くない
sanctuary=1.神聖な場所、聖域、聖所、2.〔野生動物の〕保護区域、禁猟区、3.安らぎの場所
確かに、仏教と違って神社には信仰の対象となるものは何もないですね。鏡も普通は無いのでは。後ろの山が信仰の対象だったり。邪馬台国の卑弥呼は大変鏡が好きだったようですが。でも、イスラム教のモスクだって何もないですね。モーゼだって偶像崇拝を禁止してます。でも、鏡の役割のこの説明は使えそうですね。
The presence of this article is easy to explain: it typifies the human heart, which, when perfectly placid and clear, reflects the very image of the Deity. When you stand, therefore, in front of the shrine to worship, you see your own image reflected on its shining surface, and the act of worship is tantamount to the old Delphic injunction, “Know Thyself.”
この鏡の存在は容易に説明がつく。それは人の心を象徴している。完全に平穏で澄み切っている時、心は神の姿を繁栄している。だから、あなたが拝む前に鏡の前に立つと、自分の姿を見て「汝自信を知れ」という神託をもらうことになるのだ。
語彙
*article=品物、品目、項目
typify=~の象徴となる、~を象徴化する
placid=穏やかな、落ち着いた、平静な、おとなしい
Deity=〔多神教の〕神、女神
tantamount=同等の、等しい
Delphic=デルフィ(神)の
injunction=禁止命令、差し止め命令
thyself=〈古〉汝自身
一般の神道の神社ではそんなに鏡を重要なものとして取り扱っているのでしょうか。ただ、邪馬台国の卑弥呼の時代は鏡が大変大きな意味を持っていたようですが。三角縁神獣鏡なんてあったですね。
But self-knowledge does not imply, either in the Greek or Japanese teaching, knowledge of the physical part of man, not his anatomy or his psycho-physics; knowledge was to be of a moral kind, the introspection of our moral nature.
しかし自分自身を知ることは、ギリシャでも日本の教えでも、人の物理的な面の知識を意味せず、自分自身の分析や心理の解析ではなく、知識は道徳的で、我々自身の道徳的な反省である。

語彙
*anatomy=解剖学、詳細な分析
psycho-physics
introspection=内省、内観
Mommsen, comparing the Greek and Roman, says that when the former worshipped the raised his eyes to Heaven, for his prayer was contemplation, while the latter veiled his head, for his was reflection.
モーゼンは、ギリシャとローマを比較して、前者は目を挙げて瞑想して天国を見上げたが、後者は頭を隠し反省した。
語彙
*Mommsen=テオドール・モムゼン。古代ローマ史を専門とし、ローマ帝国史の編纂などの仕事をした。
contemplation =沈思、黙考、熟考
reflection=反射
ギリシャ人とローマ人の違い。何を言いたいのか。
Essentially like the Roman conception of religion, our reflection brought into prominence not so much the moral as the international consciousness of the individual. Its nature-worship endeared the country to our inmost souls, while its ancestor-worship, tracing from lineage to lineage, made the Imperial family the fountain-head of the whole nation.
本質的にローマ人の宗教の概念のように、我々の反省は国際的な個人の意識としてのモラルの卓越までには至らない。その自然崇拝は心の奥底へと国を慕わせ、一方、先祖崇拝は系統を遡って皇室を全国民の源泉と見做した。
語彙
*prominence=卓越、有名
essentially=本質的に、基本的に、原則的に、本来、元来
endear=~をいとしいと思わせる、慕わせる
inmost=最も奥の
lineage =血筋、血統、一族、種族

To us the country is more than land and soil from which to mine gold or to reap grain---it is the sacred abode of the gods, the spirits of our forefathers: to us the Emperor is more than the Arch Constable of a Rechtsstaat, or more than the Arch Constable of a Rechtsstaat, or even the Patron of a Culturstaat---he is the bodily representative of Heaven on earth, blending in his person its power and its mercy.
我々にとって、国家とは金を採集したり穀物を刈り取ったりする土地以上のものだ。それは神の住まいであり、先祖の魂である。我々に取って天皇は、○○以上のもので、……彼は地上の天で、人格と力と恵みの合成である。
語彙
reap =収穫する cf. You reap what you sow. まかぬ種は生えぬ。
abode=住居
forefather=先祖、祖先
constable=巡査、警官、警察官
当時の国家神道の考えだろう。江戸時代までの武士道には全くない考えだ。江戸時代までは、一番偉いのは藩主で、そのリーダが将軍でしょう。まあ、この本自体が海外へのプロパガンダとしての意味もあるのでやむを得ないでしょうが。でも、天皇は現実世界の権力者ではなく、国民の象徴としての心の拠り所とする考えは、あってもいいような気もします。イギリス人の王室に対する考え方と比較してみても面白いかも。
If what M. Boutmy says is true of English royalty---that it “is not only the Image of authority, but the author and symbol of national unity,” as I believe it to be, doubly and trebly may this be affirmed of royalty in Japan.
もし、バウンティが言うイギリスの忠誠心が本当なら、それは権威のイメージだけでなく、国家統一の創造者でシンボルで二重にも三重にも日本人の忠誠心を肯定していると信じる。
語彙
*Boutmy=
doubly=〔量や程度が〕2倍に、二重に
trebly=三重に、3倍に
The tenets of Shintoism cover the two predominating features of emotional life of our race. ---Patriotism and Loyalty. Arthur May Knapp very truly says: “ In Hebrew literature it is often difficult to tell whether the writer is speaking of God or of the Commonwealth; of Heaven or of Jerusalem; of the Messiah or of the Nation itself.” A similar confusion may be noticed in the nomenclature of our national faith.
神道の教義は我々の心情に二つの大きな性格を与えている。愛国心と忠誠心である。アーサー・マイ・クルップ氏が言うように、ユダヤ文学では、著者が神について語っているのか国民について語っているのか分かりにくいことがある。同様な混同は我々の愛国心にも存在する。
語彙
*tenet=教義、信条
predominate=優勢[優位]である、優位を占める
patriotism=愛国心
nomenclature=〔科学や芸術分野の〕術語[用語]体系
Arthur May Knapp=アメリカ・ユニテリアン協会が日本に派遣した宣教師
Commonwealth=国民
ユダヤ文学の特徴は分かりません。ここでは天皇と国民が一体だということでしょうか。
I said confusion, because it will be so deemed by a logical intellect on account of its verbal ambiguity; still, being a frame work of national instinct and race feelings, it never pretends to systematic philosophy or a rational theology.
混同ですが、だから言語的な不鮮明のために論理的知性によってそのように運命づけられるけれど、国家の本能と民族の感情の枠組みであり、決して系統的な哲学や理論的な神学を装うことはない。
語彙
*deem=考える
ambiguity=曖昧さ、不明確さ、両義性
pretend=装う、取り繕う
This religion----or, is it not more correct to say, the race emotions which this religion expressed? ---- thoroughly imbued Bushido with loyalty to the sovereign and love of country. These acted more as impulses than as doctrine; for Shintoism, unlike the Mediaeval Christian Church, prescribed to its votaries scarcely any credenda, furnishing them at the same time with agenda of a straightforward and simple type.
この宗教…この宗教が表現する民族の感情と言った方が正確か、これは完全に権威への忠誠心と国家への愛として武士道にに染み込んでいる。これらは、教条というより衝動として作用し、神道にとっては、中世のキリスト教とは異なり、信者達に
語彙
*imbue=〈文〉〔物に色などをしっかり〕染み込ませる、染色する
votary=信者、信奉者
credenda=
As to strictly ethical doctrines, the teachings of Confucius were most prolific sources of Bushido. His enunciation of the five moral relations between master and servant (the governing and the governed), father and son, husband and wife, older and younger brother, and between friend and friend, was but a confirmation of what the race instinct had recognized before his writings were introduced from China. This calm, benignant and worldly-wise character of his politico-ethical precepts was particularly well suited to the samurai, who formed the ruling class.
厳密な倫理的教条として、孔子の教えは武士道のもっとも豊富な源泉である。彼の5つの主従における道徳関係(支配と被支配)、父と子、夫と妻、年長者と若年者、友人関係は、彼の著作が中国から紹介される前から民族の本能として確認されていたものです。この温和で慈悲深い彼の政治倫理的世界的な教訓は特別に支配階級を形づくる侍に適していました。
語彙
*prolific=豊富な、潤沢な
enunciation=宣言すること、声明の発表
benignant=慈悲深い、優しい
precept=〔道徳的指針としての〕教え、教訓、処世訓、《法律》令状
ようやく儒教の出番です。
His aristocratic and conservative tone was well adapted to the requirements of these warrior statesmen. Next to Confucius, Mencius exercised an immense authority over Bushido. His forcible and often quite democratic theories were exceedingly taking to sympathetic natures, and they were even thought dangerous to, and subversive of, the existing social order, hence his works were for a long time under censure. Still the words of this master mind found permanent lodgment in the heart of the samurai.
彼の貴族的で保守的な響きは武士階級の要請によく適合していました。孔子に次いで武士道に大きな権威を与えたのが孟子です。彼の力強い、時としてかなり民主的で思いやりのある既存社会に対して危険とも思われる考えは、だから長い間非難もされてきたのだ。しかし、この師の教えは侍の心につねに宿り続けていた。
語彙
aristocratic=貴族的な、貴族のような
forcible¬=【形】1.力ずくの、強制的な、2.力強い、効果的な、強力な
sympathetic=〔問題を抱えている人などに〕同情の念を抱いた[示した]、思いやりのある
censure=~を厳しく批判[非難]する、~に対する問責を決議する
lodgment=1.宿泊、宿舎、2.預けること、預け入れ、供託、3.申し入れ、訴え、4.拠点、占拠、占領、5.堆積物、沈殿物
The writings of Confucius and Mencius formed the principal text-books for youths and the highest authority in discussion among the old. A mere acquaintance with the classics of these two sages was held, however, in no high esteem. A common proverb ridicules one who has only an intellectual knowledge of Confucius, as a man ever studious but ignorant of Analects. A typical samurai calls a literary savant a book-semelling sot. Another compares learning to an ill smelling vegetable that must be boiled and boiled before it is fit for use. A man who has read little smells a little pedantic, and a man who has read much smells vet more so: both are alike unpleasant.
孔子や孟子の教えは若者の教科書や老人の処世訓として最高の権威があったが、単にこれらの知識だけがあっても論語読みの論語知らずと馬鹿にされる面もあった。
語彙
ridicule=意地悪く笑い者にする、嘲る、あざ笑う、冷笑する、からかう
Analect=論語
savant=学識豊富な人、学者、idiot savant
sot=大酒飲み
vet=獣医
The writer meant thereby that knowledge becomes really such only when it is assimilated in the mind of the learner and shows in his character. An intellectual specialist was considered a machine. Intellect itself was considered subordinate to ethical emotion. Man and the universe were conceived to be alike spiritual and ethical. Bushido could not accept the judgement of Huxley, that the cosmic process was unmoral.
語彙
assimilate=【自動】1.同化する◆【対】dissimilate
2.〔食物などが〕吸収[消化]される
3.〔知識・文化などが〕吸収される、取り入れられる
4.〔考え方などが〕同じになる、一致する、徐々に理解される
【他動】1.同化させる
2.〔食物などを〕吸収[消化]する
3.〔知識・文化などを〕吸収する、取り入れる
4.〔考え方などを〕同じにする、一致させる、徐々に理解する
subordinate=~を下位に置く、~を従属させる、adj.下位の
Bushido made light of knowledge of such. It was not pursued as an end in itself, but as a means to the attainment of wisdom. Hence, he who stopped short of this end was regarded no higher than a convenient machine, which could turn out poems and maxims at bidding.
Thus, knowledge was conceived as identical with its practical application in life; and this Socratic doctrine found its greatest exponent in the Chinese philosopher, Wan Yan Ming, who never wearies of repeating, “To know and to act are one and the same”
語彙
bidding=入札、競り、〔人の〕命令、指示
exponent=〔思想などの〕主唱者、主導者、擁護者、解説者、解釈者
weary=疲れる
武士道は、知行一致を重んじていることを強調している。王陽明の儒学は日本では大いに重んじられるが本家中国では、あまり盛んにならない。幕末の吉田松陰なんかの思想はまさに陽明学。日本から中国に逆輸出される。
I beg leave for a moment’s digression while I am on this subject, inasmuch as some of the noblest types of bushi were strongly influenced by the teachings of this sage. Western readers will easily recognize in his writings many parallels to the New Testament.
Making allowance for the terms peculiar to either teaching, the passage, ”Seek ye first the kingdom of God and his righteousness; and all these things shall be added unto you,” conveys a thought that may be found on almost any page of Wan Yang Ming. A Japanese disciple of his says---“The lord of heaven and earth, of all living beings, dwelling in the heart of man, becomes his mind (Kokoro); hence a mind is a living thing, and is ever luminous”: and again, “The spiritual light of our essential being is pure, and is not affected by the will of man. Spontaneously springing up in our mind, it shows what is right and wrong: it is then called conscience; it is even the light that proceed from the god and heaven.”
How very much do these words sound like some passages from Isaac Pennington or other philosophic mystics!
I am inclined to think that the Japanese mind, as expressed in the simple open to the reception of Yang Ming’s precepts. He carried his doctrine of the infallibility of conscience to extreme transcendentalism, attributing to it the faculty to perceive, not only the distinction between right and wrong, but also the nature of psychical facts and physical phenomena. He went as far as, if not farther than, Berkeley and Fichte, in Idealism, denying the existence of things outside of human.
If his system had all the logical errors charged to Solipsism, it had all the efficacy of strong conviction, and its moral import in developing individuality of character and equanimity of temper cannot be gainsaid.
武士達が強く影響されたというこの聖人(王陽明)について少し寄り道をすることをお許し下さい。西洋の読者達は彼の著作が沢山の点で新約聖書とよく似ていることにお気づきされるであろう。使われている用語の違いはおいておいて、「汝の王国と正義をもとめよ。さすればすべては汝のものとなる。」。このような思想は王陽明の著作のすみずみに発見される。日本の彼の崇拝者たちはこういう。「」 語彙
digression=主題からずれること、〔話などの〕脱線、主題からずれた話、余談
inasmuch as=同じ程度で、考慮して、理由のために◆【用法】inasmuch asの形で使われる。◆【語源】in as muchが1語になったもので、17世紀には一般に使われるようになった。
ye=1.〈古〉なんじら(は)、そなたたち(は)◆二人称複数主格。◆【単】thou
infallibility=【名】絶対確実性◆絶対に誤りがないこと
conscience=
transcendentalism=【名】1.《哲学》〔カントの〕超越論哲学、2.《哲学》〔エマソンの〕超越主義、3.超越(論)的思考[特徴]
psychical=psychic=1.精神の、精神的な【対】physical、2.心霊の、霊能力を持った、超自然的な Berkeley=
Fichte=ドイツの哲学者、カントの影響を受けている
solipsism=【名】1.《哲学》唯我論、独在論、2.自己中心主義
efficacy=有効性、効き目、効能
equanimity=【名】落ち着き、平静、沈着
gainsay=【他動】否定する、反対する
【裸坊達の補足】王陽明の陽明学と新約聖書が似ているような事が書かれているが、どちらにも詳しくない読者には良く分からないことだらけだ。新渡戸さんの儒教の教えとはどうも陽明学が柱になっているようだ。
陽明学(ようめいがく)は、中国の明代に、王陽明がおこした儒教の一派で、孟子の性善説の系譜に連なる。陽明学という呼び名は日本で明治以降広まったもので、それ以前は王学といっていた。また漢唐の訓詁学や清の考証学との違いを鮮明にするときは、宋明理学と呼び、同じ理学でも朱子学と区別する際には心学あるいは明学、陸王学(陸象山と王陽明の学問の意)ともいう。英語圏では朱子学とともに‘Neo-Confucianism’(新儒学)に分類される。形骸化した朱子学の批判から出発し、時代に適応した実践倫理を説いた。心即理・知行合一・致良知の説を主要な思想とする。
朱子学は支配イデオロギーとなったが、それ故に体制擁護としての作用が肥大化し、かつての道徳主義の側面が失われていった。その道徳倫理を再生させようとしたのが、王陽明である。朱子学では「理」(万物の法則であり、根拠、規範。「然る所以の故であり、且つ当に然るべき則」)はあらゆるものにあるとし(「一木一草みな理あり」)、そうした理について読書など学問することにより理解を深めた後に「性」(個々に内在する理、五常五倫)へと至ることができるとした。いわば心の外にある理によって、心の内なる理を補完せんとしたのである。
陽明学は古代ギリシャのソクラテスと一脈通じるものがある。すべてを疑い自分の頭で考える。吉田松陰が密航を企てたのは単にどうしても異国を自分で見たいという好奇心のため。まさに科学的精神の誕生だ。

Thus, whatever the sources, the essential principles which Bushido imbibed from them and assimilated to itself, were few and simple.
Few and simple as these were, they were sufficient to furnish a safe conduct of life even through the unsafest days of the most unsettled period of our nation’s history.
要するに、どのようなルーツが武士道に埋め込まれているしても、根本の原理は少なく単純だ。それらは確かに単純であるが、我が国の歴史において混乱した危険な時代に過ごしていた武士達にとって人生の十分に安全な指針であったわけだ。
語彙
imbibe=【自動】1.酒を飲む、2.水分を吸収する、【他動】1.〔酒などを〕飲む、2.〔水分・光・熱などを〕吸収する、3.〔思想などを〕受け入れる
The wholesome unsophisticated nature of our warrior ancestors derived ample food for their sprit from a sheaf of commonplace and fragmentary teachings, gleaned as it were on the highways and byways of ancient thought, and, stimulated by the demands of the age, formed from these gleanings a new and unique type of manhood.
語彙
wholesome=【形】健全な、健康に良い、有益な
sheaf=【他動】~を束にする【名】1.〔縄などで結んだ〕稲束、麦束、2.〔まとめた〕束、
3.《数学》層、4.〔矢筒の〕矢
glean=【自動】落ち穂拾いをする【他動】〔情報・落ち穂などを少しずつ〕集める、拾い集める、収集する、探り出す
imbibe=【自動】1.酒を飲む、2.水分を吸収する、【他動】1.〔酒などを〕飲む、2.〔水分・光・熱などを〕吸収する、3.〔思想などを〕受け入れる
An acute French savant, M. de la Mazeliere, thus sums up his impressions of the sixteenth century: “Toward the middle of the sixteenth century, all is confusion in Japan, in the government, in society, in the church. But the civil wars the manners returning to barbarism, the necessity for each to execute justice for himself,---these formed men comparable to those Italian of the sixteenth century, in whom Taine praises ‘the vigorous initiative, the habit of sudden resolutions and desperate undertakings, the grand capacity to do and to suffer.’ In Japan as in Italy ‘the rude manners of the Middle Ages’ made of man a superb animal,’ wholly militant and wholly resistant.’
And this is why the sixteenth century displays in the highest degree the principal quality of the Japanese race, that great diversity which one finds there between minds (esprits) as well as between temperaments.
While in India and even in China men seem to differ chiefly in degree of energy or intelligence, in Japan they differ by originality of character as well.
皮肉なフランス人知識家マゼリール16世紀の印象をこう総括している。16世紀中頃へ向かって日本は総ての事柄が混沌のさ中にあった。政府も社会も、教会(仏教界のこと)も。
語彙
Now individuality is the sign of superior races and of civilizations already developed. If we might say that in Asia, to speak of humanity is to speak of its plains; in Japan as in Europe, one represents it above all by its mountains.” To the pervading characteristics of the men of whom M. de la Mazeliere writes, let us now address ourselves. I shall begin with Rectitude.
語彙
individuality=人格、個性 rectitude=【名】1.公正、正直、清廉、清廉潔白、2.正確さ、正しさ

【第3章】正義と公正


Chapter Ⅲ Rectitude or Justice

Here we discern the most cogent percept in the code of the samurai. Nothing is more loathsome to him than underhand dealing and crooked undertakings. The conception of Rectitude may be erroneous---it may be narrow. A well-known bushi defines it as a power of resolution;---“Rectitude is the power of deciding upon a certain course of conduct in accordance with reason, without wavering;----to die when it is right to die, to strike when to strike is right.” Another speaks of it in the following terms:“Rectitude is the bone that gives firmness and stature. As without bones the head cannot rest on the top of the spine, nor hands move nor feet stand , so without rectitude neither talent nor learning can make of a human frame a samurai. With it the lack of accomplishments is as nothing.”
Mencius calls Benevolence man’s mind, and Rectitude or Righteousness his path.“How lamentable,” he exclaims, “is it to neglect the path and not pursue it, to lose the mind and not know to seek it again! When men’s fowls and dogs are lost, they know to seek for them again, but they lose their mind and do not know to seek for it.” Have we not here “as in a glass darkly” a parable propounded three hundred years later in another clime and by a greater Teacher, Who called Himself the way of righteousness, through whom the lost could be found? But I stray from my point. Righteousness, according to Mencius, is a straight and narrow path which a man ought to take to regain the lost paradise.

ここで、武士道の体系の中で最も説得力のある考えが理解できる。不正な取引や曲がった行動ほど憎まれるものはない。正義という概念は、間違っているかもしれないし、偏狭なものかもしれない。高名な武士(具体的にはだれを想定しているのか)は、それは問題解決の力だと定義している。ある正義に従って迷うことなしに行動できる。死すべき時は死に、戦うべき時には戦う。正義あるいは公正といったものは人の姿勢をたもつ姿勢のようなものだ。人体だって背骨がしっかりしてないと頭は固定できない。手足だって自由に動かせない。正義の無い人間はいくら才能や知識があっても無意味な存在だ。正義があれば結果はどうあろうと関係はない。
孟子は、仁愛は、人の心、正義と公正は人の道とした(call A B=AをBと呼ぶの題5文型か)。その道を無視し追及しないとはなんと嘆かわしいことかと孟子は叫ぶ。 ひとは、犬や鶏を失えばば探そうとするが、心を失っても探すことを知らない。
正義とは、孟子によると真っすぐな細い道で、人は失われた楽園を取り戻すために取らねばならぬ道だ。
*語彙
discern=熟慮した結果理解できる
cogent=【形】〔発言などが〕説得力[訴求力]がある、適切な、当を得た
rectitude=1.公正、正直、清廉、清廉潔白、2.正確さ、正しさ
resolution=解決策 loathsome=【形】ひどく不快な、忌まわしい
underhand=〔手段・方法などが〕秘密に行われる、不正な、ずるい
rectitude=公正、正直、清廉、清廉潔白、正確さ、正しさ
erroneous=〔考え方・判断・情報などが〕間違った、誤りのある
stature=【名】1.〔人や馬などの〕身長、背丈、2.〔進歩や発達の〕度合い、水準、3.〔獲得や到達した〕名声、地位、偉大さ
【裸坊達の補足】ここでは、公正とか正義についての概念を展開しようとしています。何が正義かということは道徳の最大のテーマであるはずですから。何が正義かをハッキリさせればどんな問題に対しても断固とした決断を下せるし、他人にも論理的に説明できるはず。
Even in the latter days of feudalism, when the long continuance of peace brought leisure into the life of the warrior class, and with it dissipations of all kinds and accomplishments of gentle arts, the epithet Gishi (a man of rectitude) was considered superior to any name that signified mastery of learning or art. The Forty-seven Faithfuls---of whom so much is made in our popular education---are known in common parlance as the Forty-seven Gushi.
  In times when cunning artifice was liable to pass for military tact and downright falsehood for ruse de guerre, this mainly virtue, frank and honest, was a jewel that shone the brightest and was most highly praised. Rectitude is a twin brother to Valour, another martial virtue. But before proceeding to speak of Valour, let me linger a little while on what I may term a derivation from Rectitude, which, at first deviating slightly from its original, became more and more removed from it, until its meaning was perverted in the popular acceptance.

封建制のずっと後の時代、平和が続いて、武士階級に暇な時間訪れた時代、そして様々な武士の教養が消え去った時代においてさえ、忠臣蔵の四十七士達が他の武術の達人よりも高く高く評価されるのだ。四十七人の忠実な志士は、我々の受けた教育でも普遍的のたとえに用いられる。
人をだます巧妙なトリック、ずるい策略が役に立つ時代、正直とか公正とかが最も重要な美徳として讃えられるわけです。正義とは勇猛さと並んで、双子の美徳の一つだのです。でも、この勇気に移る前に、正義から派生する言葉に寄り道させてもらいたい。正義の原点からはずいぶんと離れてしまっているけど、一般にうけいれられたものだから。
【裸坊達の補足】忠臣蔵の話は、今でも日本人には人気がある。当然、義士たちの行動は江戸時代の知識人の間でも大変議論された。最近は欧米でも彼らの行動を評価する人たちも現れたらしい。正義というものは時には法と矛盾すことがある。正義を貫くためには法を犯し、命を捨てることも厭わない。道徳とはこういうものだ。孟子も新渡戸さんもこう言いたいのでしょう。
赤穂の殿様の方の行為は、行い自体はあまり正義とは言えず、個人的な恨みが原因のようだ。仇討ち等行為自体、当時の法のもとでは正義としては許されなかったのでしょう。ただ武士道においては主君に忠実な行為として称賛されるのです。

*語彙
parlance=1.話しぶり、口調◆ある職業に特有の、2.専門[業界]用語
benevolence=博愛、仁愛 epithet=1.《言語学》〔人名などに付ける〕形容辞、添え名、2.《言語学》〔人などを表す〕あだ名、通り名、3.悪口、口汚い言葉、軽蔑の言葉
parlance=【名】1.話しぶり、口調
ruse=人をだます策略との意味。ruse de guerreはフランス語から借用したもの。人を巧妙にだます戦略意味で使われたようで、古くはトロイの木馬等の例もある。 military tact=軍事的な分別、思慮
downright=徹底的に腐れきった
I speak of Gi-ri, literlly the Right Reason, but which came in time to remain a vague sense of duty which public opinion expects an incumbent to fulfil. In its original and unalloyed sense, it meant duty, pure and simple,---hence, we speak of the Giri we owe to pararents, to superiors, to inferiors, to society at large, and so forth. In these instances GIri is duty; for whata else is duty than what Right Reason demands and commands us to do? Should not Right Reason be out categorical imperative?
Giri primarily meant no more than duty, and I dare say its etymology was derived from the fact, that in our conduct, say to our parents, though love should be the only motive, lacking that, there must be some other authority to enforece filial piety; and they formulated this authority in Giri.
義理について話しましょう。本来の意味は正しい理由です。しかし、世論が期待する達成すべき漠然とした義務の意味として残っています。元来の純粋な意味では、義務、純粋で単純なもの。親や上司や部下や社会一般に大して負っている義務だ。
*語彙
incumbent=現職の
unalloyed=合金でない、純粋な
filial=子供の
filial piety =〔儒教の道徳の〕孝
Very lightly did they formulate thsi authority --Giri--seince if love does not rush to deeds of virtue, recourse must be had to man's intellect and his reason must be quickened to convince him of the necessity of acting aright. The same is true of any other moral obligation. The instant Duty becomes onerous, Right Reason steps in to prevent our shirking it. Giri thus understood is severe taskmaster, with a birch-rod in his hand to make sluggards perform their part. It is a secondary power in ethics; as a motive it is infinitely inferior to Christian doctorine of love, which should be the law. I deem it a product of the conditions of an artificial soceiety --- of a society in which accident of birth and unmerited favour instituted class distinctions, in which the family was the social unit, in which seniority of age was of more account than superiority of talents, in which natural affecion had often to succumb before arbitrary man-made customs. Because of this very artificiality, GIri in time degenerated into a vague sense of propriety called up to explain this and sanction that, --as, for example, why a mother must, if need be, sacrifice all her other children in order to save the first-born; or why a daughter must sell her chastity to get funds to pay for the father's dissipation, GIri has, in my opinion, often stooped to casuistry. It has even degenerated into cowardly fear of censure. I might say of GIri what Scott wrote of patriotism, that "as it is the fairest, so it is often the most susupicious, mask of other feelings." Carried beyond or below Right Reason, Giri became a monstrous misnomer. It harboured under its wing every sort of sophistry and hypocrisy. It would have been easily turned into a nest of cowardice, if Bushido had not a keen and correct sense of courage, the sprit of daring and bearing.

【第2章】勇気と忍耐の精神

CHAPTER4 Courage, The Sprit of Daring and Bearing

Courage was scarcely deemed worthy to be counted among virtues, unless it was exercised in the cause of Rightteousness.  In his Analects Confucious defines Courage by explaining, as is often his wont, what its negative is. "Perceiving what is right," he says, "and doing it is not, argues lack of courage. Put this epigram argues lack of courage." 勇気は、それが正義の理由で実行されない限り、価値がある美徳と見做されることはほとんどない。 論語の中で孔子は勇気を定義して、 Analects =語録、論語

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