毎日の生活

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社会学の部屋PartⅡ

ジェンダー ミソジニー なぜ韓国は日本離れしつつあるのか
家族の歴史 道徳の歴史 衣服の起源
大人のアスペルガー カッコウの托卵
日本学術会議とは

ジェンダー

ジェンダーgenderという言葉は、生物学で使う性別、セックスsexとは異なった用いられ方をしているようだ。しかし、男女同権やら、男尊女卑等を話題にする際は、セックスではなくジェンダーを意識しているようだ。

英米語におけるgenderには、以下のような用法があるらしい。
   1.言語学における文法上の性のこと。
   2.生物一般における生物学的性のこと。雌雄の別。
   3.医学・心理学・性科学の分野における「性の自己意識・自己認知」のこと。性同一性。
   4.社会科学の分野において、生物学的性に対する、「社会的・文化的に形成された性」のこと。男性性・女性性、男らしさ・女らしさ。
   5.社会学者のイヴァン・イリイチの用語で、男女が相互に補完的分業をする本来的な人間関係のあり方。イリイチはその喪失を批判している。
   6.電子工学・電気工学の分野におけるコネクターの嵌め合い形状(オスとメス)の区別のこと。プラグとジャック、雄ネジと雌ネジなど。


1の意味では、西欧語は男性名詞と女性名詞、さらにはご丁寧に中性名詞まである。動詞や形容詞の格変化にも性がついて回る。これも男尊女卑の思想の表れとして変えて行こうという動きもあるらしいが。 2の生物学的な性を考えると、男女の違いは明白であり、男女の役割が同じだなどということは絶対にありえない。そもそも男は子を孕(はら)むことは出来ないし、乳を与えることもできない。

6の意味は工学の分野なので、差別だなんてことは問題にならない。だからgenderは主に社会科学の分野において使われる、男らしさ・女らしさとその役割分担の在り方を議論しようということになる。 ただ、"gender"という語は生物学的な性を指す単語としても用いられているようだ。単に「sex」の婉曲的表現として使用する場合だ。例えば、女子のスポーツ競技において、生まれつきの性別を確認するために染色体検査が行われることがあるが、これを指す用語として英語ではgender verificationという用語を用いる。 染色体検査は女子にだけ行われる。何かこれも差別だという気もするんだけど。

ジェンダーとは、ある社会において、生物学的男性ないし女性にとってふさわしいと考えられている役割・思考・行動・表象全般を指す。男性にとっては男らしさであり、女性にとっては女らしさである。 ところが、この男らしさや女らしさという概念が、地域、民族、時代で千差万別であり、定義しようもない。論者が自分の勝手に考えている「男らしさや女らしさ」を前提に議論すれば、結果は発散してしまうことは目に見えている。
今、子供の教育で「男らしくしなさい。」とか「女らしくしなさい。」という表現は、だんだん使われなくなっている。こんなことを子供に説明することも難しくなっているし、そもそも適切な表現かどうかも怪しい。

男らしさや女らしさとは、本来、生物的な男性・女性が社会的にいかにあるべきか、という価値観の問題であるのにその価値観が多様では議論は収束しない。生物的性と社会的性は同一視すべきではないものの、相互に深い関わりを持つ。

話を具体的にするため、江戸時代の社会で考えて見よう。武士の家庭では男女の役割分担は明確だ。家の中の仕事はすべて妻の責任。男は藩の役所で仕事をし、給料を運ぶだけ。食事を仕切っているのは女性。「男子厨房に入らず。」出された食事を黙って食べるのが格好いい男。妻は外では「三歩下がって」夫を立てて、内では家計はしっかり握っている。これでバランスが取れていれば、男も女も文句を言わないだろう。町人や農民たちもこれと同じ。しかし、武士と違って女性もビジネス(商売や農作業)に参加している分、女性の立場は間違いなく強い。「かかあ天下と空っ風」か。

しかし、このシステムがうまく回っているのは、家族の中に子供がいる場合だね。男がせっせと給料を運ぶのはひとえに子供のため。家を守るためだね。江戸時代の職業は世襲制。仕事は祖父→父→子と引き継がれていく。子のいない妻はどうしても立場が弱い。養子でももらった方が良い。

このような社会どう思いますか。当時の人達はどう思っていたでしょう。どうも社会の中に女の世界と男の世界があって、交じり合わずに共存してますね。今の世界は男女同権で男の世界と女の世界は、相当に交じり合ってますね。まず、教育の場では小学校から大学まで男女はほとんど同じ教育を受けて育ちます。机を並べて学んだ同級生が、一方が女性だからと就職で差をつけられたら怒るのが当然。入学試験で点数にこっそり男女差をつけていて、問題になった私立医科大学があった。どんな職業でも向き不向きがあるでしょうから、男の方が向く、女の方が向く仕事もあるかもしれません。でも、それは人為的操作しなくても自然の成り行きでバランスが取れるのではないだろうか。でも一方で、力仕事の現場が減ったことでほとんどの仕事では男女の能力にはほとんど差がないことも科学的にも証明されている。

では、男女同権を否定し、男尊女卑を肯定する考え方は、江戸時代のような封建的な時代の遺物なのでしょうか。男女同権運動の推進に熱心な国は欧米の先進諸国です。実は戦前のヨーロッパ諸国では、家族に関する法律(民法)は、非常に権威主義的な物であったとか。ヒットラー政権下のドイツでは、子供が親の言うことを聞くのが当たり前、殴ったり、折檻したりするのは普通のことだったとか。また、労働者は上司の言うことには絶対服従問暗黙の掟が。このような風土が全体主義を助長したのだと反省されています。オランダ統治下のインドネシアでは、妻は家庭内のことで裁判を受ける権利が無かったとか。著しく男尊女卑を肯定する考え方が横行していたらしい。戦前は女性に選挙権などなくて当たり前。

どうも、男尊女卑の考えの根底には、伝統的な秩序が崩れ、工場で労働する男性・女性や戦争のための兵隊が増加し社会が不安定になってくることを防ごうという初期資本主義の思想ではないかと思う。一婦一夫制の核家族を理想とするキリスト教プロテスタントの考えがもとではないか。多数の労働者に均等に女性を分配するには一婦一夫制が良い。妻も子供も男の所有物だ。

しかし、総力戦となった第二次世界大戦時の連合国および枢軸国では、男性が徴兵され戦場に出向いている間、女性が工場労働に従事することになり、女性が労働力として社会参加することの大きなきっかけとなる。しかし、比較的多くの国家で男性に対してのみ徴兵制が課される。男尊女卑の考え方を肯定しないと、このルールは成立しない。
欧米の専業主婦の女性には家計を一切取り仕切る権利はないという。夫と妻の財布は別のようです。端的に言えば、妻も子供も夫の所有物という考えです。西欧のウーマンリブの女性たちが日本に来て財布の紐はしっかりと握っている専業主婦がいる事実を知ってビックリするそうです。西欧の専業主婦の女性は、夫の忠実な僕でないとならないらしい。だからひたすら社会参加を求めることに。専業主婦は同性からも馬鹿にされる。

キリスト教世界では、神が男性であるというイメージが保持されている。かつては神の使者たる天使も昔は成人男性の姿でイメージされていたが、近世以降は赤子や女性のイメージで描かれることも。カトリックやオーソドクスでは聖職者の特定の地位は男性にしか許されていない。プロテスタントでは女性の教職者が認められている教派が多いが。

仏教大乗仏教では、仏陀は男性であるとの主張が法華経の一節の解釈から生じているらしい。女性は成仏しないが来世に男性として輪廻すれば、成仏する可能性があるとの考えも。上座部仏教では、あくまで悟りを目的としており成仏を目的としない。経典では複数の女性が在家、出家を問わずに涅槃に到達している(阿羅漢果という)。仏が必ず男であるという大乗仏教の考えは異端性を示すものともいえる。

神道日本の神道では、明治以降は最高神が女性であるアマテラスとされている。道教道教では、陰と陽はそれぞれ女性と男性の属性であり、女性は月に、男性は太陽に支配されていると考えられている。 男尊女卑の思想は、宗教の影響も大きいようだ。特に、産業革命以降のプロテスタント達の考えは男尊女卑の考えを補強するのに一役買っている。
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ミソジニー

ミソジニー (misogyny);
「ミソジニー」という言葉がある。「女性嫌悪」「女性蔑視」などと訳されたりする。女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視のことだという。男性が女性に対して持つだけでなく、女性が同性に対して持つこともあると言われる。たまたま新聞の論壇の中で説明なしで使われていたのでWikipediaで調べて見た。しかし、「男尊女卑」等と言う語と何が異なるのかよく分からない。

ミソジニー (misogyny) とは、女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視の事らしい。女性嫌悪、女性蔑視などともいう。女性、女性らしさを嫌悪する人物をミソジニスト(misogynist)と呼ぶ。
対義語には、「女性や女らしさに対する愛好」を意味するフィロジニー(philogyny)と、「男性や男らしさに対する嫌悪」を意味するミサンドリー(misandry)の二つがあるようだ。通常「女性嫌悪」「女性蔑視」などと訳される。男性にとっては「女性嫌悪」、女性にとっては「自己嫌悪」。

男性側のミソジニー
男性側のミソジニーの例として、女性に対する性的暴力やセクシャルハラスメント、制度的差別などに加え広告や映画、文学テクストなどにおける女性を憎む表現など。逆に男性に対する制度的差別?や身体的差別?等に対する意思などが挙げられる。

女性側のミソジニー
女性側においてミソジニーは、女性の体に対する羞恥心、拒食症などの摂食障碍、性的機能不全、鬱病、女性であることに起因する劣後感や無価値感。「女性であることが嫌だ」という感情の形をとって表れる。

社会・宗教におけるミソジニー
広く父権制的な社会においては、その社会構造に由来する必然的なミソジニーが見られるという。キリスト教やイスラム教のような父権制的な宗教では、父権的性質の薄い社会における宗教のテクストに比べ明らかなミソジニーが見られるらしい。こうした宗教社会では、女性は負の要素の象徴として、あるいはその元凶として描かれることが多いとされる。

ミソジニーと大衆文化
しばしばヒップホップなどの分野が、激しいホモフォビアの傾向とともにこの傾向を強く帯びる事がある。攻撃的なスラングをもって女性を嘲罵する一方で、当の女性たちからの熱い支持を受けもする。

**ホモフォビア(Homophobia)とは、同性愛、または同性愛者に対する恐怖感・嫌悪感・拒絶・偏見、または宗教的教義などに基づいて否定的な価値観を持つこと。フォビアという語は恐れとか嫌悪感の意味。Acrophobiaは高所恐怖症。Claustrophobiaは閉所恐怖症。Anthropophobiaは対人恐怖症。Female phobiaなら女性恐怖症。対人恐怖症ならSocial phobiaでいいようだね。色々多様な性癖があるのは別にとやかく非難する筋合いは無いが、もし、このような人達やそれに反対する人達の行動や言動が他の人に害を及ぼすならそれは問題だ。

インターネットスラング
インターネットスラングにおいては、ミソジニーは反フェミニズム(いわゆるアンチフェミ)とほぼ同義で使われる傾向があるとか。反フェミニズムを掲げているSNS上のユーザー内に一定数ミソジニストが存在する為か、混用され使われる様になったとか。しかし、反フェミニズム=ミソジニストという構図は成り立たない。アンチフェミニズムはフェミニズムと敵対する思想や人物であるのに対し、ミソジニーは社会や人間の心や行動の中にあるものを指す概念である。

実はここまで調べても「男尊女卑」とミソジニーの違いは何なのかよく分からない。そもそも、ネット上で「私は反フェミニズムだ」と声を上げてなんか意味があるのだろうか。同様に、「私はミソジニストだ」と宣言することに意味があるとは思えない。

ところで例として、「女の子の誰一人として僕に振り向いてくれなかったから、大学の女子学生を無差別に殺した」というような事件があったとする。このような事件は、犯人自身とはまったく関係ない女性たちを、彼女たちが女性であるという理由で殺害したという意味において、ミソジニーという概念にもっとも適合しているように思えるとの意見があった。これなら一種のFemale phobiaなら女性恐怖症の変形か。「男尊女卑」と言われる男性も劣等感の裏返しが差別に繋がるから。
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なぜ韓国は日本離れしつつあるのか

なぜ韓国は日本離れしつつあるのか
懸け橋、という言葉がある。
以下は韓国在住の女性の方の投稿から。

 “定かではないが、自分で使ってみた記憶(懸け橋という言葉)はほとんどない。かつては特にどうとも思わなかったが、韓国に住むようになってからというもの、積極的に使いたいとは思えない言葉になってしまった。
 だが、そう思うようになってから、私の目の前では使う人が増えていったような気がする。「日韓の懸け橋になりたい」 そんなことを言われてしまう。でも、私はすぐに「そんな無理をするのはやめた方がいいよ」と返事。何故??

自己犠牲の精神に何度も驚愕。相談を切り出してくる人の年齢はさまざまだが、若い人が多い。日本語を勉強している大学生、ワーキングホリデーや留学などで韓国で暮らしている日本人もいる。私の教え子(韓国語?)数人もそのなかに含まれる。

 彼らが私についついそう言ってしまいたくなる気持ちは、理解できなくもない。私は日本人であると同時に韓国でかれこれ15年も暮らしている。日韓交流おまつり、という交流事業でもそれなりに積極的に関わっていたこともある。
 だから、私に「日韓の懸け橋になりたい」と切り出すときに、まさかそれを否定されるだなんて、思ってもいないのだろう。その証拠に、「やめた方がいいよ」と答えると、キョトンとした顔をする。顔というのは、正直だ。

「日韓の懸け橋」なんて、いかにも美しい言葉ではないか。でも、私には、そのいかにもの美しさが、好きになれない。「日韓の人たちは、がんばってでも仲良くしましょう、そのために、自分が近くて遠い2つの国を繋いでみせます!」と、自己犠牲に満ちた表現になってしまうからだ。本人たちに聞いてみても、“人生を捧げます”というくらい強い意味で使っているという(韓国に永住する? 韓国人と結婚する?)。

「日韓の懸け橋」はいかにも不毛である。まず、国通しの関係が良くない。その上、日本には嫌韓感情があり、韓国には反日感情がある。そんな状況は、数十年単位で改善するとは思えないし、それどころか、両国相互の感情はこれからもっと悪くなるだろう。年を重ねてから「私の人生何だったのか」なんて思うのがオチだ。  そんな若者の将来が見え見えだ。「世の中にはもっと楽しいことがあるから、それは考え直した方がいいよ。日韓はきっと、根本的には変わらないから、もっと気楽に日本のことに関わってよ」と、アドバイスをする。

北朝鮮よりも日本に「敵がい心」
 とはいえ、そのアドバイスに自信があったわけではない。その根拠としてきた日韓両国民の感情の対立は、あくまでも私が日本人として韓国で生活するなかでの実感として思っていただけだったからだ(**個人的な経験なので一般論として通用するかどうか?)。
 ところが、それをデータとして明確に示してくれる記事がつい先日、出た。中央日報による7月8日付の報道。日本に対して敵がい心を抱いている韓国人は71.9%にのぼり、対北朝鮮の65.7%を上回るという(つまり、北朝鮮は今は敵対していても本来は同朋だからね)。

 この数字が異様に合点がいく。敵がい心という言葉も微妙な訳だが、原文で使われている「敵対感」は、政治外交上での意味も含む。だから、韓国という国にとって脅威だと思うかを問うアンケートだと考えればよい(もっと端的に言えば仮想敵国)。
 韓国人が日本に敵対感情を抱いてしまうの理由の一つに、いわゆる歴史認識問題で韓国に厳しい姿勢をとる安倍首相の存在も大きい。ともかく安倍首相のことは無条件に嫌いな人がほとんど。とくにこの数年は、徴用工裁判の影響もあり、そんな傾向が強い。
 では、日本の首相が別の人になれば、対日感情ははっきりと改善するかというと、そうは思えない。というのは、韓国社会が徐々に内向きで排他的になっていることも、記事で指摘されているからだ。

たとえば、中国への敵がい心はこの5年間で16.1%から40.1%に増加した。また、多民族・多文化国になるべきだと考える人は、この10年間で60.6%から44.4%に、つまり、約4分の3まで減少した。さらに、外国人居住者を受け入れるのに限界があると回答した人は増えていて、10年間で48.9%から57.1%に膨らんだ。

 また、日本語では報じられていないようだが、この調査に関連する別の記事もある。国際結婚の家庭の子どもたちのことを韓国人だと思えるか、という質問に対して、肯定的な回答をしたのは、10年前の36.0%から17.1%と減少した。さらに、そうした子供を韓国人だと思えないと回答したのは、18.8%から32.4%に増加している。

 日本も内向きだと言われているが、韓国も輪をかけて内向き志向。しかもその傾向がまします強まっているのがデータから一目瞭然。
 だが、韓国でそれを問題として扱うニュースや論説記事は。私にはその記憶がない。その一方で、我が家では日本の放送はNHKの国際放送しか視聴できないが、日本国内に暮らす外国人の苦労話の報道は何度も見ている(**日本も相当少なくない?)。ということは、韓国社会は、いま、自分たちが内向きに傾いていることに無自覚。あるいは、そこから目を逸らしている(**日本も実際には相当内向きだと思うけど)。

 国内に蔓延しつつある内向き志向をどう克服するかは、韓国社会が今後10年以上かけて向き合っていくべき課題となるであろう(**多分当面は克服する意図はなさそう)。そのうえで諸外国の事情を受け止められるようになるのには、もっと時間がかかるし、できるようになるのかでさえ、未知数。

 そのなかで、歴史認識問題ですれ違う日韓両国民で、どれだけ理解し合えるのだろうか。ここでは日本の状況を書く余裕はないが、程度の差こそあれ、似たり寄ったりだと思う。だから、無理して付き合いを深めるよりも、興味のある人が肩の力を抜いて往来し、互いに協力できることはそれなりにやればいい。そういうことは、肩に力を入れなくても続けられる。

 ちなみに、韓国が好意を寄せる国はアメリカ。敵がい心を持つ人の割合は上昇したが、トランプ政権による韓国への辛めの対応のわりに、10.2%に留まる。ヨーロッパの国々に対してはデータがなかったので不明だが、実感としては、アメリカに近いはずだ。ちょっと皮肉な言い方かもしれないが、韓国社会はいま、脱亜入欧に傾いている。“(JBpress: 2020.7.19)

以上、筆者が主張する“懸け橋”になろうとするのは、止めなさい。“懸け橋”になんかなろうとしても不可能という助言だ。年を重ねてから「私の人生何だったのか」なんて思うのがオチだ。このアドバイスは、理想に燃えた若者たちへ優しいアドバイスだね。

これ、韓国語を習い始めて、だんだん韓国の文化にも慣れてきて、何年か韓国にも在住して、韓国人達の反日感情、逆に日本人たちの嫌韓感情にも嫌気がさし、何とかその溝を埋めたい。その“懸け橋”となれれば。おそらく彼等は、韓国にも親しい友人が出来て、お互いに意見も交換できる間柄になっているのでしょう。だから、それまで問題にもしていなかった両国民感情の深い溝を何とか解消したいとの気持ちが出てくるようだ。
しかし、所詮あなたは日本人、彼等は韓国人、歴史や文化や国際政治のしがらみの中で造れた深い溝は、簡単には解消されないということだ。
でも、もしあなたが韓国に住んで韓国人の男性或いは女性と結婚する。韓国の会社に就職する。逆に日本で韓国の方と結婚する。韓国の人を会社で雇う。なんていう場合は、この深い溝が存在することを前提にお付き合いしないと行けない。そうしないと余計なトラブルに巻き込まれることが多くなる。

韓国語に限らず、語学が好きになるにはその国の全体が好きになってしまうのが語学の習得には手っ取り早い方法だろう。しかし、あまりにも感情移入し過ぎるのは危険な様だ。確かに韓国人達の反日感情、逆に日本人たちの嫌韓感情も中立の立場で見れば根拠も薄い不合理なものが多い。しかし、当人たちにとっては空気のようなもので、理屈抜きで当然のこととして逆らうことが出来ないものだ。
現在新型コロナが世界中で大流行している。そんな情勢下でコロナはチョットした風邪かインフルエンザのようなもの。そんなに危険ではないよ。なんて、うっかり口走れば空気の読めない大馬鹿だと大バッシングを受けること請け合いだ。
これと同じで、韓国内で日本人もいい人多いよ。何て言えばひどいバッシングを受けるらしい。韓流スターたちもこれに苦労しているらしい。

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カッコウの托卵

先日話題にあげた、カッコウの托卵の話の補足。
実際の鳥のカッコウは、托卵した後は、親子の縁が完全に切れる。ところがヒトの場合は、変な未練が残るせいか、また復縁し昔の関係を取り戻したいとの妄想が起こる因果な生き物らしい。いわゆる「生みの親か、育ての親か?」の話。現実には時間を逆に動かすことは全く不可能。結局は、現状をひとまず肯定した上で、子供の権利を最優先に考えて関係者全員で子供の将来を熟慮して話し合いで解決する以外にない。

今回の事件は、娘Mの所属を巡って、カッコウ夫婦T&Aが彼等の実の育て親A&Yを裁判に訴え、「娘Mを引き渡せ」の判決を勝ち取った。その結果はどうだったか? 当然前提として肝心の娘が喜んで両親のもとに飛んでくる? そんな夢みたいな話が現実になる訳がない。肝心な娘Mは怒り心頭に達し、断固戦う決心をする。
勿論、裁判所の判決は、そんなこともお見通し。「娘さんMの意志があれば」の条件付き。でも、こんなことすれば、「ああ、そうですか。」で収まりがつくはずがない。

当初、カッコウ夫婦T&Aは、子供を現に養育してくれている自分達の両親を仮想の敵として、彼等が娘Mの意志に反して囲い込んで、自分たちを排除していると勝手な思い込みをする。邪悪な彼等の支配を取り除けば、自分達の娘Mは、喜んで自分達の処へ来ることを大前提にして、弁護士を頼み、上記判決を勝ち取ったつもりだった。ところが娘の意志は明か。彼等は理不尽にも自分を連れ去り虐待を考えている邪悪な鬼達でしかない。

それまでは、彼等は、親権オカルトに基づく勝手な思い込みかもしれないが、一定の囚われの娘を救い出すという大義名分を掲げていた。しかし、判決をいざ実施しようとすると、今度は自分達が、単に理不尽にも娘Mを連れ去り虐待を考えている邪悪な鬼のような存在にしかならない。子供の権利まで侵害しては、親権オカルトを主張しても権利の濫用になることは一目瞭然。しかも、判決が出てみると、取りあげた等勝手な思い込みであることが判明。。そもそも、趣味で子育てする酔狂な人、そんなに多くない。実際のカッコウの育ての親だって、騙されて育てているんだから。

では、どうすれば和解できる。そもそも宣戦布告して戦いを始めたのは自分達。親権オカルトに固執している限り、周囲の人達から見れば、彼等はある意味犯罪者。まず、真摯に反省し、自分の娘に頭を下げて、陳謝の意を何らかの見える形で示さないことには、永久に敵対関係になってしまうぞ。

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日本学術会議とは

日本学術会議は、科学に関する重要事項を審議したり、研究の連絡をすることを目的にした科学者の組織だ。政府に対して提言をするのが役割の一つ。210人の会員は非常勤特別職の国家公務員。この210人の半数の105人が3年ごとに入れ替わる。ということは職員は、大学の研究などの本業との掛け持ちということか。

会議は、内閣総理大臣が管轄するが、政府から独立して職務を行う「特別の機関」だ。国費で運営される。原子力三原則など国の大型プロジェクトの元になる「マスタープラン」を策定したり、素粒子実験施設の誘致についてや地球温暖化、生殖医療などについて提言や声明を発表したりする。人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約87万人の科学者を代表し「科学者の国会」とも言われる。

菅首相は10月1日、会議が推薦した会員候補105人のうち6人を除外して任命した。推薦された人を任命しなかったのは、会議が推薦する方式になった2004年度以来初めてのことだ。この除外された6人はどんな学者なのか。 安全保障法制や「共謀罪」法に反対を表明した学者らが含まれている。日本学術会議への人事介入に抗議する というハッシュタグができるなど波紋を呼んでる。確かにこれは問題だ。反対派いることで議論が盛り上がり良いものが出来る。

除外された6人に含まれる加藤陽子教授は、10月1日付の毎日新聞にコメントを寄せた。「なぜ、この1カ月もの間、(学術会議会員の人事を)たなざらしにしたのか。その理由が知りたい。そのうえで、官邸が従来通りに、推薦された会員をそのまま承認しようとしていたにもかかわらず、もし仮に、最終盤の確認段階で止めた政治的な主体がいるのだとすれば、それは『任命』に関しての裁量権の範囲を超えた対応である。念のため、付言しておく」としている。

加藤教授は公文書管理について政権に意見を届けてきた。公文書管理について、小泉純一郎政権で政府の有識者懇談会に参加し、2010年設置の「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員を務めている。

【任命されなかった6人】 (共同通信によると) ■芦名定道(京都大教授 ・キリスト教学)
 「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。
■宇野重規(東京大社会科学研究所教授・政治思想史)  憲法学者らで作る「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。 2013年12月に成立した特定秘密保護法について「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判していた。

■岡田正則(早稲田大大学院法務研究科教授・行政法)
 「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡って2018年、政府対応に抗議する声明を発表。

■小沢隆一(東京慈恵会医科大教授・憲法学)  「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者。安保関連法案について、2015年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席、廃案を求めた。 ■加藤陽子(東京大大学院人文社会系研究科教授・日本近現代史)
 「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人。改憲や特定秘密保護法などに反対。「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員。

■松宮孝明(立命館大大学院法務研究科教授・刑事法)

 犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」法案について、2017年6月、参院法務委員会の参考人質疑で「戦後最悪の治安立法となる」などと批判。京都新聞に対し「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と思ったとインタビューに答えている。

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